第3節 済度の終焉

 #1 逢魔が時の会敵

 逢魔が時、と言われる時間。薄暗くなった橙の空が不気味なまでに暗く燃えている。

 ここから先は山に入っていくぐらいしかないような、人里離れた場所にその家はあった。

 夏が近づき、徐々に暑くなっているにも関わらず、黒いハンチングを被り、全身を薄手のコートで覆った黒ずくめの男は、煙草を咥えながらある家の周りにガソリンを撒き続ける。


 かれこれ十分ほど、家の周りでずっと作業をしているが、今のところ男……町田まちだに気がついた様子はない。窓にちらりと映った人影には"ウサギ"の少女もあった。この家が奴らの本拠地であることは明白だった。


 準備は整った。町田は煙草を最後に大きく吸い、煙を吐き出すのと同時に家に向かって放り投げる。


 ――"救済"を始めよう。


 町田が鳴らす指の音が、誰もいない空間に響き渡る。


 放り出された煙草が、最後の残り火を燃やし尽くすかのようにぼうっと勢いよく燃えさかる。その炎は、夕日と同じオレンジ色。

 家に着いた瞬間、その家は勢いよく燃えさかった。


 パチパチと家を焼く音が、小気味良い拍手喝采に聞こえてくる。その音を聞く度に、町田はただ一人笑った。


 脳内に、先ほど受けた天使からの下命が再度響く。


 ――『""は絶対に逃すな』

「仰せのままにぃ!」


 町田が待ち構えているのは玄関口。ここからだけは逃げられるようにしており、件の少女が逃げてくるのを待ち構えているのだ。


 徐々に燃えさかる家を眺めながら一分後。町田の目には、女が慌てて逃げてくる姿が見て取れた。

 名前は知らないが大学生ぐらいの女で、""を保護した女。取るに足らない筈の仕事を遅くし、"天使"の期待を裏切り続ける切っ掛けとなった、町田からすれば目の上のこぶだった。

 女は自分に気づいたのか、目を丸くしている。止まろうにも止まりづらいこの状況下で、女はただこちらに向かって走ってくるしかなかった。


 この女は、いらない。


「さぁ、"救済"の時間だ」


 初めて路地裏で会ったときの再演だった。あのときとは違い、今はあの女がただ一人。躊躇する必要も、情けをかける必要もまるでない。勢いよく左の指を鳴らして、扉を炎で埋め尽くす。


 女の影は、そのまま炎に突っ込んでいった。その様子に町田はニヤリと頬を綻ばせる。

 邪魔者を一人消した。町田は建物全体を見渡しながら、機嫌良く呟いた。


「ふん、しかし、魔物狩りの"狩人"の家が、こんな粗末なぼろ家だとは笑わせる」


 そろそろ"救済"された女の焼死体が見える頃かと思って、町田は扉の方に目を凝らす。


 橙に燃え盛る炎を、白い煙が塗りつぶす。

 ちらりと見える、消火器を持つ女の姿。

 煙はそのまま、町田の顔を覆い隠す。


「おう、命かけてる割には安月給でな」


 不意に漂う匂いは煙草の臭い。

 背後の声は忌々しき男の声。


「まぁ、お陰でテメェら三下の考えぐらい読めてるっつーの」


 未だに視界を奪われている町田は、何が起きたのか分からないまま、足払いを食らう。事態の把握に追いつかない町田は、為す術なく"狩人"に背中を組み伏せられた。


「どういうことだ、"狩人"! お前はこの家の中にいたんじゃ……」

「見え透いた罠にかかるほどアホじゃねぇさ。ここはお前の大好きな空き家だよ。囮が二人いる程度で、後は……」


 町田は抵抗を続けるが、"狩人"の押さえ込む力が強くて勝てない。

 "狩人"は煙を吐きながら、ある事実を口走った。


恵湖けいこ 美鹿子みかこの携帯だけが置かれている」


 ***


『はっくん、今大丈夫?』

「おう、なんだ、姐さん?」


 時は数時間前にさかのぼる。

 三つ目の放火現場を訪れた時の事、海翔かいとが単身研究所の探索している時の事である。海翔が持っている"とある物"に連絡が届いた。

 切絵きりえからのメッセージである。 海翔は懐から取り出した""を用いて、一言二言会話を交わすと切絵は本題を切り出した。


『昨日会った放火魔は町田まちだ 篤仁あつひとっていうの。先月辞めたけど、元は携帯関係の会社でエンジニアを勤めてたの』

「ほー、エリート様だな」

『警察でも指名手配はしてるけど……今回、残念な事に警察の手は借りられない』

「というと?」


 研究室にあったイスを乱雑に引き出して、腰掛けながら海翔は切絵の顔を見る。""越しの顔は、心なしか曇り始めた。


『――別の"裏"の事件が始まったの。それも、至急に片付けなきゃ行けない案件が』

「なるほどな。で、それだけ面倒くさそうな顔してるっつーことは――」


 長い付き合いであるし、何よりこういう場面に出くわしたらどうなるかのパターンぐらいは分かっている。

 切絵は困ったように笑いながら、年甲斐もなく舌を出した。妙に似合うのは何故だろう。


『逃げられなかった! 深山さんに引っ張られて……テレポート銀行強盗の足取りを追う事に……!』

「あぁ……この人手不足の時に災難っすね」


 ベテランの警察だけあって、深山は通すところはちゃんと通す人である。何かと融通を利かせてくれるのも事実ではあるし、穏やかな人柄ではあるが……あの強面は伊達じゃない。それは切絵も例外ではないのだ。


『ごめんね。なるはやで終わらせるけど、たぶん今夜いっぱいはかかっちゃう』

「あいよ、こっちは任せとけ。姐さんも頑張ってください」


 ふと時計を見れば正午に近い。そろそろ腹に何か入れたいと思いながら通話を終わろうとすると、切絵が制止の声をかけてくる。


『町田の話だけど、どうもガイシャの携帯に何か仕込んでいたみたいなの』

「……どういうことだ?」

『先の経歴で得た悪知恵かな。何かしらで被害者に接して、携帯に仕込んだみたい……恐らく、何かしらのトラップをね』

「なるほど。となると、被害者の携帯については細心の注意を払った方がいい、ということだな。だから"こっち"を使っての通信ってわけな」

『念のためね。じゃあ、気をつけて』


 そう言って海翔は""を懐に再度しまった。


 ***


 時間はやや進み、遅めの昼食が終わった直後。

 優花ゆうか達が舌鼓を打っている所を見て我慢できなくなったのか、気が引けながらも、美鹿子は塩お握りを食べ始めていた。そんな中、ふと美鹿子は携帯がないことに気がついたのだ。最初は家に置いてきたのかと思っていたのだが、


「いや、ポケットに入ってた。ただ、お前の携帯をここに入れるのは危なさそうでな」

「私の携帯が危ない……?」


 一行はその後、海翔の家の近く……と言っても中々距離はあったが……空き家に向かって歩いて行く。

 少し山を登った所にある、人里離れた家だった。比較的最近捨てられた家であろうか。外装も綺麗で、住めなくもないような家だった。


 海翔は気にした様子もなく扉を開けて入っていく。優花はランと美鹿子と、それぞれ顔を見合わせてから入っていった。

 特に何も置かれていない殺風景な内装だったが、美鹿子が「あ!」と小さく声を漏らす。唯一、部屋の真ん中には携帯が置かれていた。


「で、美鹿子は町田とどこで出会った?」

「私がその、町田? って人と会ったのはある掲示板です。ご存知ないですかね、このニュースアプリ?」


 そういって美鹿子はある画面を見せる。海翔と優花は「あぁ」と揃った声を漏らした。


「最近流行ってるよね、これ」

「あぁ。よく見てるヤツいるよな」


 桔梗がよく話題にしている、渦波市専用のニュースアプリだった。海翔も知ってはいるらしい


「ここの、鬱掲示板で知り合ったんです。……その、恥ずかしい話ですが、よく書き込んでて」


 頬を赤らめながら、美鹿子はその掲示板を海翔と優花に示す。

 世の中への不平不満や、自分の事を卑下する内容が、嫌と言うほどに溢れている。美鹿子の書き込みがどれかは分からなかったが、IDを見る限り、繰り返し書き込む人も大勢いるみたいだった。


「死にたい、って書いた時かな。個人メッセが送られてきたんです。やりとりをしている中で、本気で死にたくなってきて……ディープな話をするために、って別のアプリを勧められたんです」


 メッセに貼られていたサイトに飛び、ある通信アプリをダウンロードしたという。そのアプリを見せてはもらったが、今度は優花も海翔も思い当たる節がなかった。

 美鹿子は、不審に思った物の、その語り口は思いの外優しく、やがて自殺の幇助をしてくれる、と持ちかけられてその気になってしまったと話していた。


「最悪ッ! 弱ってる人につけ込むなんてさ!」

「全くだ。美鹿子、このアプリを使う時、個人情報打ち込まなかったか?」

「はい。なんか、死ねると思ったらどうでもよくなってて」


 今思うと、我ながらバカですね、と美鹿子は肩を落とした。正常な状態であればその怪しさにも気づくと思うのだが、美鹿子はそこに気がつかなくなっていたらしい。と言うよりも、もしかしたらそれほどまでに弱っている人であれば放火に巻き込んでも問題ないと見ての行動なのだろうか。 想像しただけで優花の内にはムカムカと怒りが沸いてくる。


「それで、数時間後を指定して火葬をお願いしたんです」

「……なるほど。そん時だな。恐らく、携帯の位置情報とかは割れてると見ていいだろう」

「はい……そっか、ハッキングされてるんだ……」


 美鹿子はショックそうだったが、海翔はしゃーねぇさと携帯を美鹿子から預かり、元あった場所に置き直す。

 ここに置いておく事が安全だと暗に伝えているようだった。落ち込んだ様子ながら美鹿子は納得した。


「と言うわけで、町田は今夜にでも攻めてくる。で、ここから先どうするかだな」


 海翔は煙草を咥えこみ、火をつける。狭い部屋の中に充満する煙に、優花とランは鼻を覆った。美鹿子も身を引いている。


「まずは美鹿子だな。裏は取らせてもらったので断言するが、携帯さえ持っていなければ、お前の場所はバレない。なんなら今からでも戻って、オレの家で休んでてくれ」


 海翔は鍵を差し出しながら、美鹿子に向けて言い放つ。

 "表"の人間である美鹿子がこれ以上首を突っ込む必要などない。海翔のやや強い口調から美鹿子もそれは分かったみたいで、黙って頷きながら鍵を受け取った。


「わかりました。よく分かりませんが、ここで失礼します」

「はい。美鹿子さんもゆっくり休んでください」

「うちにあるもんは自由に使ってくれ」

「はい。皆さんも、無理はなさらないでくださいね」


 そう言い残して美鹿子は去って行く。優花達は美鹿子の帰りを見送ると、改めて向かい合った。


「アタシとランはどうすればいい? できればアタシ、町田に一発蹴りたいんだけど」

『さ、さすがお姉ちゃん……』


 自殺者を促して身勝手な"救済"を押しつけるやり口が気にくわない。

 優花は、思いの丈をぶちまける。その様子にランと海翔は苦笑いを浮かべた。


「お前なぁ……と、言いたいところだが、悪いが嫌でも来てもらうぞ」

「え、なによ。聞き分けいいわね」


 先の苦笑いから断られるのではないかと思ったのだが、拍子抜けだった。


「こっから戦闘すんのは目に見えている。本当なら、"コラージュ"まで戻したいんだが、今回は事情が事情でな」

「言ってる事は分かるんだけど、事情って?」


 むしろその言葉に冷静になってしまった優花である。事実、今の優花もランも非戦闘員なのだ。私怨こそあれど、確かにそれが原因でランを危険にさらす真似は避けたい。しかし、海翔の言葉は妙に歯切れが悪い。


「なんか、コラージュに行けない事情があるってこと?」

「あぁ。姐さんは今警察に捕まっててな……」

「は?」

『え?』


 とんでもない言葉が聞こえてきてランと共に耳を疑ってしまう。


『切絵さんが、そんな……!』

「アンタならともかく、なんで切絵さんが捕まるのよ!」


 詰め寄る優花に向けて海翔はポカンとしている。海翔は何を言っているのか分からないと言う様子だったが、自分の言葉を思い返して「あぁ」と小さくぼやいた。


「言葉が悪かった。姐さん、今回の捜査で大分無理を言ったろ? その代わりに、今は警察の手助けをしている最中なんだ」


 "魔物狩まものがり"と警察は、思っていたよりも持ちつ持たれつの関係なんだと優花は得心した。


「てことは、切絵さんはこっちに来ることができないわけか」

「そういうこと。美鹿子と一緒に待機も悪くはないが、そっちを狙われた時にどうしようもなくなる。だから、オレといることが一番の安パイだろう」

「でも、町田はこっちに来るんでしょ? だったら大丈夫じゃないの?」

「……敵は町田だけとは限らないってことだ」


 その言葉の意味が優花にはよく分からないのだが、海翔は文字通り煙に巻いた。


「わかった。じゃあ、一発蹴る事できるのね!」

『お姉ちゃん、顔が怖いよ』


 ニヤリと笑った顔を見てランが少し引いている。好戦的な優花を見て、海翔は軽く頷きながら煙草の火を消した。


「恐らく町田の今夜の"救済"はここだろう。そして、ランを生け捕りにするためにわざと逃げ道を作る筈だ。誰が見たってここから逃げ出したくなる」

「そこから逃げ出すときに不意打ちとかどう? こう、消火器とか使ってさ」


 海翔が指さした入り口に向かいながら優花は消火器を吹きかけるジェスチャーをする。


「消火器か。なるほど、悪くねぇ。いざって時はオレが飛んでかかるから、かましてやれ」

『海翔さんまで……もう、わたしもそこで手伝う!』


 ランはどこか不安そうだが、観念したのか優花の策に協力するようだった。


「後、ここって電気とかって大丈夫? 真っ暗だったら不信に思われないかな?」

「それっぽい電気スタンドは持ってこれる。後は中で人影が映ってりゃ間違いないな」

「あーそうなるか。じゃあ、みんなで待機かな……」

「いや、オレは外で待ってる。恐らく相手の目的はランだ。一気に燃やす事はしないはずだし、最低限の逃げ道は作ってくれるだろう」


 こうして、三人は町田を迎え撃つ準備を始めていたのだった。


 ***


 優花が消火器を使って扉の周りの火を消す音と、空き家が燃えていく音だけが響く。人里離れて、少し山の中に入ったような場所だ。すぐには騒ぎにはならないだろう。優花の反応からランも恐らく無事な筈だ。そう判断した海翔は、町田を押さえ込む手に力を込める。


「なるほど、気づいていたということだな」


 観念したような言葉と共に、町田の抵抗が止む。背中から組み伏せられて、無駄だと悟ったのか、力を入れるのをやめた。

 海翔は懐から手錠を取り出す。見た目は警察が持っているそれと同じだが、"魔物狩り"から支給されている特殊な手錠であり、かけると魔力の放出を押さえ込むことができる。とりあえず確保ができれば、後は切絵なり警察なりに任せれば色々吐き出させることができるだろう。


「だがっ!」


 決して油断していた訳ではない。

 しかし、海翔の拘束が片手分緩んだほんの僅かな時間だった。

 町田は左手と右手を背中に"擦り"合わせる。その拍子に、町田の背中が、噴火よろしく炎を噴き出したのだ。


 反射的に海翔が身を引いた隙を突いて、町田は脱出。未だに燃え盛る背中のまま、海翔と向かい合った。


「ちょ、海翔!」

「おらぁっ!」


 取り逃した海翔のフォローに向かおうと優花は走る。そんな彼女に向けて、町田は右手を振りかざす。海翔が声すら出す間もない、僅かな隙で放たれた""を、幸いな事に優花は消火器を盾にして防いでいた。


「優花、ラン、無事か!?」

「どっちも大丈夫!……あはは、たまたまだけど、持ってて良かったぁ……」


 脱力した笑いを漏らしながら、優花は消火器に突き刺さった""に釘付けになっている。


 海翔が持っている刀に比べれば、現代社会で見る機会はまだ多い。それどころか、海翔も幾度か"遊びで"使った事もある程度に比較的ポピュラーな物だ。

 それはダーツの矢……今では遊興の道具だが、起源を辿れば矢が元になっている、立派な武器である。

 消火器を突き刺すなど普通のダーツでは当然あり得ない。夕焼けの色に溶け込むような、仄暗いオレンジ色のフライトが、優花の持つ消火器に三つの点を形取っていた。


「俺にとっても、これが最後の機会でなぁ!! "天使"様より授かったこの力で、お前らの"救済"を達成する!」

 

 ハンチング帽はどこかでぬげたのか、ぼさぼさに伸ばしきった無造作ヘアを露わにした町田。先ほどの逃走用に使った炎はぷすぷすと消えていくが、その目に灯る闘志の炎は変わらず敵意を露わにしている。


「安心しろよ、オレの顔も三度、これでシメにしようぜ?」


 海翔は優花の無事を確認すると左の手に刀を出す。居合抜きの要領で構えを作り、町田の姿をしかと見定めた。


「てめぇの"救済"とやら、断ち切らせてもらう」

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