#2 三矢之戒
町田は海翔から離れながら、ダーツを一本投げる。
一般に、成人男性がダーツを投擲すると時速20キロメートル程、つまり秒速約5.5メートル程になる。今この距離であれば三秒ほどで到達するが、それだけあれば充分に居合抜きはできる。しかし、海翔は敢えて納刀したまま振り払ってダーツを弾き落とし、視線を落とす。
その本数は、三本。
――やはり三発か。
「ちょ、なんで三本なのよ!?」
驚いている優花の消火器に突き刺さっているのも三本。今回の投擲でも三本だった。
目を離さなかったが、町田の手に現れたのは一本だけ、投擲の動作も一度だけだった。
――次に気になるのはダーツの性質だな。
「なんだ、今のガキはダーツのルールも知らんのか!?」
そう言う町田の方に目をやると、そのまま海翔とは真逆の方向に逃走していた。驚く優花の方を見ながら、新しいダーツを右手に召喚する。
「ちっ!」
その狙いを察した海翔は、足に勢いよく魔力を流して強く地面を蹴る。走るというよりは、跳ぶようなその一歩で優花の元に着地。優花を容赦なく狙う三本のダーツに向けて一閃。
雑草の上に落ちる音は、不規則なリズムで六度。
僅かに息を切らしながら、その結果に安堵して刀をしまう。
――なるほど、全部切れるのか。こいつはありがたい。
海翔の持つ刀のように、一般の理から外れた"武器"が存在する。そういった"武器"の場合、この刀がどういう条件でどう切る事ができるか、それは試してみるまで分からないのだ。どうやら、この三本のダーツは同一の武器と見なされて切る事ができる、ということでよさそうだ。
追撃をする事もなく、町田は更に逃げている。その先は、手入れされていない鬱蒼と茂る森の中。投擲武器を持つ者が潜むには絶好の場所だ。逃がすわけにはいかない。
町田と海翔の攻防にぽかんとしている優花に向けて、海翔は息を整えながら刀を肩に担いだ。
「ダーツは一セットで三本投げる。多分そっからだろ。そのうち連れてってやるよ」
「あ、そうなの――」
「今から追っかける! なるべくオレの側にいろ!」
返事を待つ事なく、海翔は町田に向けて追走を始めた。
先のような全力疾走はそう易々と連発できる物ではない。あのスピードで町田を追う事はできないが、見逃さない程度には走りきる事ができる。海翔は町田の後を追った。
背の高い木々が乱立する森の中。沈みゆく夕日が徐々に明るさを奪い、木々の間から差し込む暗い橙が不気味なほどに映える。比較的足場が安定した場所で町田は立っていた。
投擲武器の有利を捨てての待ち伏せに、海翔は面食らってしまう。
「なんだ、かくれんぼでもすると思ってたのに」
「かくれんぼ? それは弱者のすることだ。真の強者は正面から狙うとも!」
町田は海翔に向けて、ダーツを投げる。
言葉通りに真っ直ぐに向かってくる三本のダーツ。その技術の高さは素直に舌を巻くが、しかし叩き切るのは容易い。抜刀を決めた海翔は、ある事象に目を見開く。
「なにっ!?」
ダーツは空を切りながら、燃えさかっている。まるで空気との"摩擦"を熱に変えているとでも言わんばかりに、その勢いは徐々に増していく。
切れば同じ事、胸の中に僅かに残る嫌な予感を押し切るが如く刀を振るう。
みごと、三本のダーツはそれぞれ真っ二つに切れて、海翔の足下に落ちる。
「かかったな、"狩人"!」
歓喜に満ちた叫びが耳に届き、海翔はその事実に気がついた。
燃えさかる炎は切れていない。魔力で生み出された三つの炎は、地面に落ちた直後に勢いを増して巨大な火柱となって海翔に襲いかかった。
不意の炎は海翔の肌を焼く。納刀しながら反射的に後ろに下がったが、右手の直撃は免れなかった。
右手の炎を振り払って無理矢理消す。その姿が滑稽に映るのか、町田の嘲笑はとどまる事を知らない。
「あぁ、先の戦闘でお前の刀の謎は解けている。切れる物は一つだけ、そして外付けの魔術は同時に切れないのだろう!?」
「……ちっ、よく見てやがる」
海翔の脳裏に過ぎるのは三匹の猫達。全員切ったが、それぞれ狙いは"猫"だった。そのため、猫は切れても炎は切れないのである。
あの時、切ったときに炎も消えた猫と、炎が消えずに残った猫がいた。
前者は単純なことであり、猫が絶命した瞬間に魔力がなくなり、炎が消えたのである。
後者……最後に町田が炎を放ちながら、突進してきた猫のことである。あの時、猫自身の炎は消えていたが、町田が放った炎はその後も遺体を焼き続けていた。
その事実に気付き、この攻め方を考えたという事だろう。
ダーツ自体は簡単に切る事ができる。しかし、町田の魔術で燃やされている炎についてはその対象外、というわけだ。
「俺の"摩擦熱"とダーツの相性は最高でな。このまま、じわじわと追い詰めさせてもらおうか!」
今までのややゆっくりした攻め方は、敢えて見せつけるためだったのだろう。ここからが本番だと言いたげに、町田は両の手に"召喚"したダーツを同時に投げる。
海翔に向かってくるのは三本。他の三本は、周りに生い茂る木々に刺さり、メラメラと木を燃やし始める。
自身に迫り来るダーツを、海翔は避けた。燃え盛るダーツは後ろの木に当たり、そのまま猛々しく燃えさかる。
自分に有利な場作りと攻撃を同時に行う。絶望を味わわせると言わんばかりの、嫌な攻め方だった。
――つったく、切れねぇとは面倒なモンを用意しやがったな!!
ダーツの弾幕は止まる事を知らない。海翔を狙ったり、はたまた全く関係ないところを狙ったり……複雑な軌道を描きながら、森を徐々に焼き続ける。
***
海翔と町田の戦闘から少し離れた場所。火の手は未だこちらに来ていないが、流れてくる煙に優花は小さく咳き込んでしまう。
――アイツ、手こずってる……。
腹の辺りで顔を埋めているランの頭を左手で優しく撫でながら、優花は二人の戦闘の様子を伺っていた。
海翔の武器は刀。対して、町田の武器はダーツ。海翔から聞いた"召喚の魔術"を使っているのだろうか。次々とその両手に呼び出されるダーツの残数は計り知れない。
直撃こそ避けているが、火の手は止まらない。町田がダーツを投げる度に、海翔の逃げ場は失われていく。
ビーズのアクセサリーを揺らしながら、右手をぐっと握り込む。
――町田、本当狡くてムカつくな。
「ラン、ここにいる?」
『……また、無理するの?』
その言葉にドキッとする。
顔を上げたランは、心配と不機嫌を混ぜたように、困った顔で優花の顔をしかと見つめていた。
まるで、今抱きついているのは優花が飛び出していくのを押さえているんだと言いたげに。
ランは重く口を開いた。
『今出て行ったら危ないよ?』
「え、そりゃそうだけど……」
諭すようなその口調はまるで――。
ふと、ランの表情が、緩む。僅かな不安と、自分に対するほのかな信頼感。満面の笑顔と共に、ランは顔を優花の腹に押しつけてきた。
『……なんてね! お姉ちゃんなら、そう言うと思ってた! だから、さっき"アレ"を拾ったんだよね?』
そう、優花は何も全くの勝算なしに向かう訳ではない。ランの言うとおり、今の優花にはこの情報を打破しうる物があるのだから。
『わたしも行く!』
「もう、アタシに似てきたね」
この影響は果たしてランのためになるのだろうか? そんな不安と、しかしどこか自分に憧れを抱いてくれるこの感触がこそばゆくて……照れ隠しにランの頬を撫でた。
「よし、耳貸して」
優花はしゃがみ込み、ランの耳元で思いついた作戦を話す。
ずいぶん前の事に感じるが、あれはまだ昨日の夕方のこと、海翔を撃退するときを思い出した。短いながらも濃い時間を過ごしてきたなぁと、優花はどこか不思議な気持ちになっていた。
ランは時々頷きながら聞き、終わった後にニッコリ笑った。
『わかった! 任せて!』
ぐっと両の手を握った拍子に、ランの右手につけたビーズのアクセサリーがちらりと揺れた。
優花はその笑顔を見て、ランに"アレ"を渡すのだった。
***
動く度に体力を蝕まれる。そこかしこから沸き上がる熱と、鼻を刺す焦げた臭い、目に染みこむ煙……風上に陣取る町田が圧倒的に有利な戦場に、海翔は苛立ちを隠せずに舌打ちをしながらダーツの"炎"を切った。
この規模の大火災、普通であれば数年は修練を積まなければできない。それを、つい先日魔力を得た町田ができるのはひとえに――
――つったく、"生徒"の出力は相変わらずおかしいな。
ダーツを切れば炎が襲いかかる。この厄介な性質から、既に海翔はダーツではなく"炎"を切る事に専念している。ダーツ同様、三つの炎は同一の対象とすることができる。確かにダーツは切れない物の、刀を使ってダーツを弾き落とすことはできるのだ。これなら、海翔の周りの火事は防ぐ事ができる。しかし、町田の攻め方はまた狡猾であり、海翔が距離を詰めるそぶりを見せれば、敢えて自分との間にダーツを投げて火を起こしているのだった。これが、攻めあぐねている理由である。
ずれたバンダナを直しながら、海翔は町田の方を見る。
薄い顔つきに浮かぶのは満面の笑み。自身の優位を分かっての、笑みだった。その上で攻め手を崩す事なく炎を起こし続けている。
――余裕ぶってるときほど、足下掬われる。そろそろ、この救済野郎に分からせて……
迫り来るダーツの"炎"を切り、地に落ちたダーツを見る。
そこにある数は全部で四本。切った炎の数は確かに三本だったが、そういえば一本は妙に落ちている向きが違って――
その意図に、海翔はニヤリと笑みを漏らした。唐突な笑みに、町田の行動が一瞬止まる。
「どうした、"救済"を受け入れるようになったのか?」
「わけあるか。しっかし、結局お前の言う"救済"ってのはなんなんだよ?」
「知れた事!」
町田は両の手に握るダーツを海翔に向けて放つ。
海翔に対するストレートな敵意の現れか、その一撃は鋭い。
「"救済"とは! 時として喪失を与えて立ち上がる契機を与え、時として報われぬ者に終焉を与える。力を得た俺が施す、弱き物を救う行為だ!」
「じゃあ前提から話が合わねぇな、っと!」
しかし、そのストレートな敵意は狙いが分かりやすい。六本すべてのダーツを、海翔は鞘で弾き飛ばした。
短く吐き捨てたその言葉に、町田は動揺を見せた。
仕掛けるなら今。そう思った海翔は町田に向けて突っ込み始める。
「前者の、喪失から立ち上がるのはどうしても必要だ」
木々が燃やす煙を吸い込む度に、胸の内には苦い思い出が渦巻く。
流れ着いた場所で出会った、二人の大切な友の姿だった。
――ボクとお前が組んでりゃ、誰にも負けないさ。
――カイトももっと笑わなきゃダメ! 私たち、いつ死ぬか分からないんだよ?
彼らあ、既に自分の隣にはいない。道を違え、そして失った二人だ。
――よく似てる。アタシもそうなんです。三月にお姉ちゃんが自殺したの。
――……私にとってのすべてだったんです。
聞いてしまった優花と美鹿子の身の上話。涙ながらに話すあの顔が、"救済"なんかであってたまるか。
喪失が、美談であって良いはずがない。
迫り来る海翔に向けて、町田は後ずさりながらダーツを投げてくる。
しかし、動揺のせいだろうか。その狙いは見当違いの方ばかり向いており、もはや防御する必要すら感じられない。
海翔は町田の眼前まで迫り、その刀に手をかける。
「だが、その喪失をわざと起こすのは紛れもねぇ悪だ」
「悪だと!? 笑わせる!」
感情任せに、町田は飛び退りながら左手の指を鳴らす。
町田が立っていた場所には勢いよく炎の柱が沸き立つ。町田の感情の昂ぶりからか、その勢いは今までの中でも最高峰の魔力だった。
「停滞した者に喪失の感動を与えて奮い立たせ、みっともなく足掻く姿に安らぎを与えている慈悲の心だ。この悪のわけが――」
燃え盛る炎に向けて己のポリシーを詳らかに話し始める町田は、何かを指摘された事に対する焦燥の裏返しとも言える。己の話を喋る事なく聞き続ける炎は、
「だから話が合わねぇってんだ」
僅かな返事を漏らした直後、一文字に両断された。
切られて霧散する炎の間からは、一人の男が顔を出す。
「それ、矛盾してるだろ?」
「矛盾……?」
「いや、だから……喪失して奮い立ったら、その後は何かしら足掻くだろ。お前の仕組みは、ヒトを勝手に絶望させて、その絶望して生きる気力を失ったヤツを勝手に殺す。とんでもないマッチポンプでしかねぇよ、ってこと」
「き、貴様ぁ!」
町田は両の手にダーツを出して、海翔に向けての攻撃を再開する。
しかし、その攻め方にどうにも先ほどまでの覇気はない。迫り来る海翔をなんとかして退けようと、狙いも定まらずにダーツを投げる姿は子どものそれに等しい。スピードも精度も落ちたこの弾幕など、ひょいひょいと弾道を見切ってなんなく避けられる。
今の町田は気づいていないのであろう。
ここまで近づいた海翔が、攻めの姿勢を完全に崩してしまっていることに。
――さぁ、お前の足掻きを、見せてやれ!
逃げ惑う町田の左側から、迫り来る風切り音がやけに響く。
それは一本のダーツだった。僅かに残る橙の陽光を反射した、一条の光だった。
「おのれ、女か!?」
海翔の視線から、町田も気がついたのであろう。ダーツは町田が放つ早さよりも遅い。狙いこそ正確だったが、ビギナーズラックも良いところの一撃だった。
難なく避けた町田の視線の先には、ちょうど人が隠れられそうな巨大な木。
町田は左腕を突き出す。
「貴様も"救済"されろ!」
左の手にはめられたレザーの手袋。その指を鳴らして、木を一息に燃やす。
既にランの確保など忘れていると言わんばかりに、めらめらと勢いよく燃えるその木を見て、町田は大きく笑った。
「全く! 弱いくせにしゃしゃり出るからだ! ははは、いいぞ燃えろ燃えろ!」
「おっと、それはアイツを舐めすぎだぜ?」
出会ってからたった二日間だが、海翔は嫌と言うほど彼女のことを見せつけられてきた。
ストーカーを見て撃退しようと考える度胸。後先考えずに火事現場に突っ込んでいく胆力。
「アイツ、お前を蹴るって息巻いてたよ」
海翔のかけ声にも気づいた様子もなく、町田は燃やした木を見てただ笑い続ける。
素人にそこまで肩入れするのも久々だが、しかし海翔は彼女に対して、どことなく信頼ができていた。
だからこそ、最後の攻めを彼女に任せた。
「あの"跳ねっ返り"が、それを諦めるわけねぇだろ」
ぼそりと呟いた海翔の言葉に呼応するかの如く、彼女は……朱崎 優花は、海翔と町田を挟む形で飛び出してきたのだ。
***
今回優花が使ったダーツは二本である。森に入る前の攻防で、地面に落ちていた合計六本のダーツをすべて拾っていたのだ。
一本目のダーツは、海翔に自分達が動くと言う事を暗に伝えた。
二本目のダーツは、町田の目を欺くためのブラフで、町田の視界を釘付けにすることが目的だった。町田はダーツが来た方向に向けて何かしらのアクションをしてくる。そう睨んだ優花は、ダーツを牽制に使うことを決めたのだ。
おんぶしているランがダーツを投げた瞬間に優花は走り出す。町田がダーツの飛来方向に釘付けになっている間に、優花は回り込んだのだ。
ランは何も言う事なく、背中でぎゅっと力を込めている。この優しい温もりが、彼女からの応援のように感じられた。
全力疾走で走っている中、優花の脳内には、この二日間の事が走馬燈のように駆け回る。
ランと出会ってから、駆け抜けたこの日々。
いつになく慌ただしかった日々だけど、ラン、切絵、美鹿子、海翔……新しい仲間と過ごした日々は、満月を失って空っぽだった心に、優しい温もりを与えてくれた。
回り込んだ優花は、そのまま町田に向かって飛び出した。
先ほどまで愉快に笑っていた町田は、思いがけない奇襲に、対応できていなかった。
優花は左足を地に着けて力を込め、同時に右足を上げて、蹴りの体勢を作る。
「はぁああ!」
軸足とした左足を回しながら、右足を振り抜いた。全力疾走の後にもかかわらず、無駄な動きもない鮮やかに決まった回し蹴りは、町田の左肩を吹き飛ばさんほどの勢いだった。
死が、"救済"であってたまるものか。
「アンタの思想には一ミリも共感できない! 人間、生きていなきゃ、報われないに決まってるじゃない!」
言い放った優花に向けて、痛みに呻く町田は震えながら左手を突き出した。左手が指を鳴らそうと形作られる。
「ふざけんな! き、貴様のような小娘に――」
「お前の言うとおりだよ」
気づくと海翔は町田の横にいた。
左に握る鞘は空洞で、刀身は右の手に。
振り抜いた軌道が、白銀の残像になったと思えば、
束と鞘が、短く金属音を響かせた。
「終わってしまった人間に、報いなんざないだろ、っての」
「ぐぉおおおおお!!」
突き出した町田の手袋は真っ二つに裂けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます