#5 優花の姉妹

 大きな食器かごの中には、朝食で使った食器が几帳面に並べられていた。

 柔らかな日差しが照りつける台所は、自然が作る温室だ。乾いた食器を一つ一つ手に取って、""は拭いていく。


「今日のご飯はなんにする?」

「天気がいいから。お外で食べよ?」

「賛成っ!」


 朝食の準備に片付け、洗濯をして服を干し、簡単に掃除をして、年下の子達と遊んでいると午前中の時間はあっという間に過ぎ去ってゆく。

 自分の時間が取れない""での生活に、そこまで不満を抱いた事はない。


「聞いて。健人けんとったら、また外で寝ちゃったの。布団で寝なさい、って言っても聞かなくってさ」

「あらあら。最近暖かくなってきたもんね。ぽかぽかで気持ちがいいもんね」


 他愛のない世間話をしながら、二人はお弁当の準備を始める。


 細く嫋やかな手は、優しい手つきでおにぎりを握り、

 引き締まった腕は、豪快な腕振りで肉野菜をいため、


 繊細な色つけでサラダを彩り、

 大胆な味つけで唐揚げを揚げ、


 丁寧なナイフ捌きでリンゴの皮を剥き、

 力強くザルを振っていちごの水を切り、


 正反対な二人だが、その手際はどちらも軽やかで鮮やか。他愛のない世間話に花を咲かせているが、そこまで広くない台所の中で、二人はお互いの動きを邪魔する事なく、しかしそれでいて自分の手を緩めることなく調理を進めていた。時には相手の欲しい食材や調味料を手渡しながら、息の合った調理を繰り広げる。一品一品作られていく度に、台所にはおいしそうな匂いが重なり合って、華麗なハーモニーを紡ぐ。


 優雅な音楽が自然と似つかわしい程の、舞踏会を思わせる軽快な調理と二人の足捌き。意識せずとも、長年の生活が培ってきた二人だけの舞台だった。


 わずかな隙間を埋めるように、たこさんウィンナーを詰める。

 できあがった喜びに、二人の顔から自然な笑顔が漏れた。


「できたー!」


 どちらからともなくハイタッチを交わす。

 見つめ合った二人の表情は今日の空のように晴れやかだ。


 ――こんな日々がずっと続くと思っていた。


 ""と一緒に昼食を食べる。二人の作ったお弁当は、作り手の愛が溢れていたかのように、みんなが喜んで食べている。たくさんの"家族"に囲まれながらも、その二人の動きは対照的だった。


 今日のできを確認するように、負けじと箸を進める一人と、

 皆の反応から結果を確認して、ゆっくりと口に運ぶ一人と、

 どこまでも真逆な姿を見せる二人は、仲睦まじくお喋りをしがら昼食を食べている。


 ――こんな日々がずっと続くと思っていた。


 食べ終わった弁当箱に蓋をする。周りの"家族"は、食べ終わるとそのまま横になっていた。そんな様子を見た二人は、自分達も、と横になる。


 きりっとした気が強そうな目。

 優しげに垂れた優しそうな目。


 真逆の目つきで見つめ合って、そのまま二人は目を閉じる。

 思わずつないだ手のひらは、二人の絆の象徴だった。


 これはいつかあった記憶の再生。

 いつのことか、思い出せない程ありふれた日常の景色。

 ""と過ごした、幸せな風景だった。


 ***


 ゆっくりと目を覚ました優花は、ぼんやりとした視界の中で見慣れぬ天井を仰ぐ。

 見ていた夢の余韻に浸りつつ、瞬きを繰り返す優花の表情は複雑そうだった。


 ――夢、か。


 どこか不機嫌そうに周りを見渡す。ぼんやりとする頭を掻こうと思った拍子に、右手が何かを握っていた事に気がつく。いや、握っている、と言う表現は半分が正解で、優花の手も握られていた。


「ラン」


 小さな呟きに気づいた様子もなく、規則正しい呼吸をしながら、穏やかな顔でランは眠っている。いい夢を見ているのだろうか。起こさないように、ランの頭を優しく撫でた。


「……起きましたか」


 怯えの色を僅かに含んだ、今にも消え入りそうな声が聞こえる。ふとそちらに顔を上げると、先ほど放火現場で助けた女性がいた。

 ランを挟んで同じベッドに寝ていたその女性は、上半身を起こして優花の顔を見ている。大人二人が余裕で寝られる程の、シックな色彩のダブルベッドで寝ているようだった。


「あ、えっと……はい」


 照明は消えていて、カーテンで覆われた部屋は、昼下がりなのに薄暗い。雰囲気につられた優花は、珍しく歯切れの悪い返事をしながら女性を見る。


 優花よりも早く目覚めていたのだろう。未だに表情は晴れていないが、現場での鬼気迫る表情と比べて穏やかな表情をしている。

 優花と目が合ったとき、女性の顔は安堵と当惑の色が見えた。困ったような笑顔を浮かべた直後、表情が崩れていく。


「よかった、無事みたいで……よかった……」


 女性は涙をこぼす。喉の底から絞り出すかのような、小さくしわがれた声で、悔いるように、何度も何度も「よかった」と口にした。


「そんな気にしないでくださいよ。この通り、ピンピンしてますので」

「その、ごめん、なさい。助けてもらいに来たのに、あんなこと言って」


 嗚咽を漏らす声が痛々しい。ラン越しに話すのもいかがな物かと思った優花は、ベッドから起き出して女性の脇に動き、手頃なイスに腰掛けた。


「アタシの方こそ、色々ごめんなさい。その、恵湖けいこさんも……」

「……恵湖けいこ 美鹿子みかこと言います。あなたは?」

「朱崎 優花です。その、美鹿子みかこさんもご家族を亡くされたって」

「はい……私にとってのすべてだったんです」


 未だに止まらぬ涙を見せたまま、美鹿子は自分の体を抱きしめる。

 その後、事故で家族を失ったことを、美鹿子は訥々と語っていた。友人も少なかった彼女にとって、家族は生きる指針であり、自分だけを置いて逝った事がどうしても耐えられなかったと話す。優花はその話を頷きながら聞いていた。


 空いた窓から吹き付ける柔らかい風。心地よい、とは言い難い。


 家族を失った空洞は、そう簡単に埋められる物ではない。美鹿子がどれほど思い詰めているのか、と言う事は優花もよく分かる。


 この話をすることが、美鹿子のためになるかは分からない。それでも、少しでも支えになってくれればと思って……優花は深呼吸をした。


「よく似てる。アタシもそうなんです。三月にお姉ちゃんが自殺したの」

「……」


 美鹿子は口を噤んで目を見開く。

 落ちくぼんだその目の端に浮かぶ涙を拭って、美鹿子は優花の方を見る。


「自殺……」

「でも、美鹿子さんとは少しだけ違います。こんなこと、初対面の人に言うのも変なんですけど、」


 直前まで口にするかは悩んだ。

 好んで話したい話でもなければ、聞いて楽しい話でもない。それでも、少しでも彼女の支えになって欲しい、ただそれだけを思って優花は意を決した。


「アタシには、元々血の繋がった家族は一人もいないんです」


 ***


 物心ついた時から、優花は児童養護施設『青葉園あおばえん』で生活していた。

 父親や母親のことは知らない。知ろうと思った事がなかったわけではないのだが、あまり気になったことはなかった。優花にとって、青葉園で一緒に暮らしている仲間が、家族同然の存在だったからだ


 青葉園は十人ほどの人数が常にいる、比較的小規模な施設だった。子どもの入れ替えはあまりなく、優花が過ごした約十五年で言って二,三人いたかどうかである。


 いつまでたっても里親こそできなかったが、優花は一度足りとてここでの生活が辛いと思ったことはなかった。青葉園の雰囲気が温かかったこともあるのだが、それ以上に優花には離れたくない理由があった。


 青葉園の児童の中で、唯一優花にとって年上であった少女、朱崎あかざき 満月みつきがいたからだった。


 元々優花の苗字は別にあったらしい。しかし、入園直後のとても小さいときに「お姉ちゃんと一緒がいい!」と駄々をこねて聞かなかったこと、元の家庭環境のこともあって、なんとか苗字の改名に成功したらしいことは聞いている。


 満月みつきは、優花とは真逆のお姉さんであり、だからこそ優花にとっての憧れだった。

 たった一つしか年は離れていないのだが、年齢以上に落ち着いた風格と、誰にでも優しい穏やかな人となり。スレンダーで小柄な体つきであり、気づくと背丈は逆転していたものである。満月みつきの持つ女性らしい部分にとても憧れていた優花としては、身長が徐々に伸びていくことが嫌で嫌で仕方がなかった。


 満月みつきは、病弱で何かとベッドで寝ている事が多かった。

 そのため、満月の代行として優花が養護施設の子達のリーダーをしていることが多かった。


 学校では、親がいないという理由でからかってくる輩が後を絶たなかった。


 ――聞いたよ。あそこは親に捨てられた子がいくんだって!

 ――捨て子だ、逃げろー!

 ――その筆箱いつまで使ってるの? そっか、買ってもらえないんだっけ。

 ――見放されたのは、お前らが悪いんだ。


 そんな言葉が聞こえてくる度に、園の子達が泣かされている度に、優花はすぐに殴りかかった。自分が馬鹿にされることも嫌だったが、それ以上に、満月の事を初めとした"家族"のことを馬鹿にされるのは、我慢がいかなかったのである。


 ――暴力女! 

 ――そんなんだから、家族いないんだよ!


 周りの悪口は増長して、その度に優花はケンカに明け暮れて……完全な悪循環だったと、今なら理解できる。それでも、幼い優花は我慢できなかった。男だろうと女だろうと気にせずにケンカをし、いつでも生傷が絶えなかった。それ以上に相手を怪我させていて、誰が言っても聞かない子だった。


 ケンカが終わっても、胸の中に残る悲しさは何も変わらない。他の子達から言われたことが、ずっと響いていたのをよく覚えている。自分達を馬鹿にされて、黙っているのが美徳だということが、理解できなかった。「またアイツか」と誰もが匙を投げ出すのも、正直言って仕方がない。

 それでも、ただ一人だけ例外がいた。


『ゆうちゃんは力が強いでしょ? 取り返しの付かない事になったらどうするの』

『人を大切にしない人はね、地獄に落ちるのよ』


 ケンカをして帰ってくる度に、満月みつきは穏やかな口調で自分を叱ってくれた。

 その都度泣いて満月みつきに謝ったけど、それでもすぐには変わらずにケンカばかりしていた。

 それでも、満月みつきは優花の事を信じて、何度も何度も根気強く自分を叱ってくれた。


 嫌な気分はしなかった。自分を思って、ずっと言ってくれる事がとても伝わってきたからだった。

 血の繋がりはなくとも、それ以上の繋がりを満月みつきとの間には感じていた。年が一番近かった事もあって、優花は満月みつきにべったりだった。

 

 そんな満月みつきと、高校を出て大学生になったら、青葉園を出て一緒に暮らそうと、約束をしていた。満月みつきもまた快諾してくれて、優花は受験勉強をひたむきに頑張った物である。

 元々青葉園で家事手伝いは率先してやっていたから分かっている。園長先生にいつまでも迷惑をかけられないと、優花は満月みつきと暮らす生活を夢見て頑張っていた。


 合格通知が来たとき、施設の下の子達が大分悲しんではいた物の、僕たちも頑張るよと優花と満月みつきの門出を祝ってくれていた物である。

 高校を卒業し、引っ越しの準備をしていた三月のある日。



 例の悪夢を見た。



 かいた嫌な汗を流したい。そんな思いで優花は風呂場に向かった。風呂場の扉は珍しく開いていて、人の気配がする。不思議に思って扉を開けた優花はその景色に絶句した。


 夥しいまでの血の臭い。その中で、その女性は細い腕を浴槽に突っ込んで事切れている。

 きめ細かで色白の肌には、似つかわしくない大きな切り傷。そこから溢れる血液が、透明な熱湯を深紅に染め上げていた。見開かれたままの瞳孔には、文字通り生気が感じられない。虚ろな瞳は、何を見ていたのだろう。

 何かの間違いだと、信じたかった。まだ夢を見ているんだと、信じたかった。

 どれだけつねってもこの夢は醒めない。優花は、大きな声でその人の名前を呼んだ


満月みつきお姉ちゃん……お姉ちゃん!」


 どれだけ大きな声を出そうと満月みつきの体は動かない。

 触って揺らすのが怖かった。彼女の死を真実だとしてしまう、その行いがとても怖かった。それでも、確かめずにはいられなかった。


 脳裏に過ぎる幸せな記憶の一つ一つが、浴槽に溢れる鮮血に塗りつぶされていく。


 この満月みつきの自殺がきっかけとなったように、青葉園は崩壊していった。園長先生の心が折れたのか、残っていた子達は他の施設に預けられるようになり、青葉園は活動は停止した。少しの間は優花も連絡を取っていたのだが、園長先生もまた連絡がとれなくなってしまったのである。


 満月みつきの自殺は、かけがえのない家族と家をなくした事件として、心に残る大きな傷跡となったのである。


 ***


「遺書にはね、孤児院のみんなに向けて、一人一人へのありがとうと、ごめんなさいが丁寧に書かれてた。アタシへの言葉もたくさんあったんだけど、それ以上に腹が立ってさ」


 あの字は間違いなく満月みつきの字だった。丁寧な字で書かれたその言葉は、一言一句忘れる事なく覚えている。


「お姉ちゃんが、自分に何の相談もしてくれなかったこと。あぁ、アタシって信頼されてなかったんだなって、すごく悲しくなっちゃった」

「……それは」


 美鹿子は言おうとして口を噤む。

 満月の死から、このことを口に出したのは初めてだった。優花の胸の内に渦巻く思いは、信頼してくれなかった満月への怒りか?


 ……いや、違った。怒りもないわけではない。しかし、その怒りは満月に対して、ではなくて……


「……分かってる。本当は悔しかったんだ。あれだけ優しかったお姉ちゃんが、自殺するまで悩んでいたことに気づけなかったこと、それが一番悔しかった」


 溢れ出る涙は、堰を切ったように次から次に流れていく。

 自分の不甲斐なさに向けての怒りだった。

 あれだけ側にいたのに、満月の事を何も気がつけなかった自分がとても悔しかった。


「とっても優しい人だったんだよ? そんなお姉ちゃんが、地獄に行かなきゃいけなくなったことが、本当今でも受け入れられないの」


 思い出すだけで腹が立つ。 思い出すだけで悲しくなる。

 思い出すだけで辛くなる。 思い出すだけで嫌気がさす。


 満月みつきの事を思い出す事を、ただひたすらに拒否してきた。

 それでも、忘れられなかった。十年以上の日常には、浸りたい程の思い出が山ほどあって、それは今の優花を形作る生活の中に溶け込んでいる。


 思い出したい。それでも、決まって最後にはあの風呂場が蘇る。

 思い出したくない。それでも、大切な思い出はふとした時に蘇る。


 いつまで経っても消えない矛盾が、優花を苛んでいるのだった。


 美鹿子は、優花の話を黙って聞いてくれた。


「正直ね、後を追おうとしたことは何回もある。それでも、アタシは生きたかったんだ。自殺を選ぶ事は、お姉ちゃんの教えを曲げる事になる。だから、せめて真っ直ぐに頑張りたい、って。ほとんど、やけっぱちなんだけどね」


 涙を拭って、優花は精一杯の笑顔を見せる。


「だから、アタシは意地で生きてるの。そう、結局意地ですよね!」

「……意地、かぁ」


 見せる笑顔は、強がり以外の何でもない。

 それが、今の自分の原動力だと言わんばかりに優花は笑顔を作り出す。


『……んー、お姉ちゃん?』


 話をしている間にランが起きたみたいだった。ランは美鹿子越しに体を乗り出した。


『よかった!! もう、心配したんだよ!?』

「あはは、ごめんね!」


 抱きついてきたランを抱き返し、頭を優しく撫でる。

 美鹿子はどういう思いで優花を見ているのだろうか? 美鹿子はこちらの様子に気づいた様子もなく、ぼんやりと、先の話に浸って物憂げに俯いているようだった。


『なんのお話ししてたの?』

「あ、えーっとちょっと大事なお話してたの」


 ランも気にしていた話ではあるのだが……ショッキングな内容を、今この落ち着かないときにランに聞かせてもしょうがないだろう。誤魔化しながら優花はランを撫でる。


「起きたか」


 扉が勢いよく開かれる。そこにいるのは金髪に赤いバンダナをした海翔だった。

 右腕には包帯を巻いているが、その怪我はそこまで苦にした様子がない。何事もなかったように、海翔はその右腕の先に皿を持っている。


『おにぎりだー!』

「全員起きてる、でいいか? よっしゃ、メシにすっぞ」


 眠そうだったランは目を輝かせている。


 大きな皿の上にあるのは、大量のおにぎりだった。

 炊飯器が良いのか、作り手の技量が高いのか、はたまた自分の腹が減っているからか……つややかに炊きあげられたおにぎりは、とても美味しそうに見える。綺麗な形で握られたそのおにぎりに、ランでなくても目を輝かせたくなってしまう。


「あれ、切絵さん作ったの?」

「生憎で悪いが、オレだ」


 慣れた手つきで電気をつけた海翔は、ガラス張りのローテーブルの上に置く。

 そういえばここはどこだろうか。切絵の家だと勝手に思い込んでいたのだが、この部屋は見た事がない。綺麗に片付いてはいるものの、置かれている物はどこか切絵の趣味とは違って男らしい。統一感はさしてなく、雑多な物であふれかえっている。

 先の情報から、薄々誰の部屋なのかは察しが付くのだが……


「海翔。ねぇ、ここってどこ?」

「オレんち」

「……はーっ!? ラン、降りなさい!」

『え、なんで?』

 

 となると、先ほどまで眠っていたこのダブルベッドは海翔の物ということか。その事実に気がついて優花は背筋がぞわぞわとしてしまう。


「どどどど、どこで寝せてんの!?」

「しゃーねーだろ、"コラージュ"よかオレの家の方が近かったんだ。そこはもう、許せ。安心しろ、普段はそこで寝てねぇよ」


 どういう意味なのかツッコみたかったのだが、想定される回答すべてがやぶ蛇になるのは目に見えているので優花は敢えてスルーした。

 海翔はテーブルの周りに、人数分の座布団をおく。ランは真っ先に座布団に腰掛けると、うずうずと海翔の方を見ていた。


 当然海翔には見えていない。それでも、海翔は座布団のへこみから推測したのだろう。


「いただきます言ってからな?」

『いただきます!』

「もう、ランったら」


 昼ご飯に食べたいと言っていたものを、作ってもらってランはとても嬉しそうだった。所作自体は丁寧ながらも、あそこまでランがもぐもぐと頬張っていく所は新鮮だ。気の良い食べっぷりに、優花もご相伴にあずかろうとランを膝に抱えて座った。


『お姉ちゃんも食べよ、おいしいよ!』

「そうする!……あ、美鹿子さんも、よかったら食べよ?」

「い、いえ……私は、その……」

「粥とかの方がよければ、そっちの準備もあるぞ?」


 遠慮している美鹿子に向かって、海翔は優花達の向かいに腰掛けながら問いかける。

 

「……私なんかが、いいんですか?」

「あぁ。生きてりゃ、腹は減るもんだろ?」

「生きてれば……か」


 テーブルを囲む優花達を見て、美鹿子はにこりと微笑む。

 それまでの物憂げな表情よりも、ささやかなその微笑みの方が似合っているなと優花は感じた。


「そっか。私、まだ生きてるんだ」

「美鹿子さん……」

「あ、その、死にたいとかってわけじゃなくて!……なんていうか、こういうのいいな、って思って」


 一筋の涙が頬を走る。

 美鹿子はベッドから降りて、大きく頭を下げた。


「改めて、ありがとうございました。皆さんは、私の恩人です」

「オレは何もしてねぇよ。言うならそこの跳ねっ返りに言いな」

「ちょ、跳ねっ返りってやめてよ!」

『そこは、わたしも否定できないよ?』

「えー、ランまで!」


 頬張りながら首を傾けるランの顔を見て、優花とランは笑った。


 ――生きてりゃ腹は減る、か。


「いただきます」


 小さく呟きながら、優花はおにぎりを口に含む。

 口内に広がる絶妙な塩辛さが、思わず次の一口を望む。


 ――おいしいな。


 夢の中で食べたあのおにぎりの味と、どっちが美味かは分からないし、比べる必要などないのだろう。


 今は、ランと食べるこの一口が、溜まらなく愛おしい。

 頭を撫でながら、優花はその幸せを噛みしめた。


 ***


「お気遣い感謝いたします、"天使"様」


 負った怪我の手当をしながら、町田は携帯電話越しに話している。


「薬に加えて、まさか新しく武器までご用意頂けるとは……至極感謝でございます。時に"天使"様こそあやつから受けた傷は大丈夫なのですか?」


 脇に置かれた空き瓶は"天使"からの贈り物。一口含んだだけで痛みは吹き飛び、そして魔力も増してきたように感じる。気力の充実と、何より天使と直接話している今の状況に町田はこれ以上なく高揚している。

 "天使"の身を気遣っての言葉だったが、帰ってきた言葉に汗が噴き出す。


「……は?」 


 ――次はない。


 天使からの声はいつになく厳しかった。


「いえ、仰るとおりです。むしろ、再三に渡る失敗への寛大な処置には頭も上がりません。ですが、心配はご無用。既に罠は仕込ませてあります」


 送られた新しい"得物"を手にとって、嘗め回すように見つめながら町田は"天使"に向けて一方的に話を続ける。


「そりゃ私にも案の一つや二つありますとも。"狩人"共が私を追ってくるのは自明の理。であれば、""に罠を仕込めば勝手に食いつきます」


 町田のパソコンに映っているとある画面を見ながら、口角をニヤリと上げる。


「決行は夕方。夕焼けと共に、狩人共を"救済"致します」


 "天使"に向けての宣言と共に、町田は高笑いを上げる。

 爛々と不気味に輝くその目が見ているのは地図。

 指し示す場所は、とある民家だった。

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