第1節 美容院 "コラージュ"
#1 美容院 コラージュ
「ラン、歩くけど大丈夫?」
『平気だよ』
「ラン」、とは
優花は片方の手にスマホを、もう片方の手にランの手を握りながら、
――「知ってる? 美容院コラージュ」
知らない、と答えた優花に、桔梗は携帯の画面を見せてきた。
――「ユーカ、高校はこの辺じゃなかったから無理もないか。あなたの思いを髪で彩る……そんなうたい文句の美容院だよ」
そこに映っているのは地図アプリの情報だった。桔梗は慣れた手つきで優花の携帯に位置情報を送って来た。
――「店主の美容師さんが相談上手でさ。世間話から恋のお悩み、果てはちょっと不思議なことまで、いろんなアドバイスをもらえるんだって。あたしも噂でしか知らないけど」
大学からは徒歩十分ほどの場所だった。そのままサイトを見てみると、クーポンもいくつかあって、お手頃な価格で切ってもらえそうである。
――「見えない女の子のこと、聞いてみるとなんかアドバイスあるかもね。じゃ、あたしはこれで」
門限があると言って桔梗は帰ってしまった。ついてくるのかと思っていたのだが、門限ならば引き留めるのも仕方がないだろう。感謝を伝えて、彼女と別れた。
未だに半信半疑ではあるが、どのみち講義も終わって今日は帰るだけ。新しい美容院を試してみるのも悪くはない。
『お姉ちゃん、あそこかな?』
ランが指さす先に、目的地はあった。
美容院コラージュ。白を基調としたその外観は、見ているだけで清潔感が伝わってくる。レンガ造りを取り入れたオシャレな外観であり、すぐ隣には喫茶店もある。同じような外観のその店の名前に目を疑った。
「あれ? 喫茶店もコラージュなんだ」
偶然同じ名前の店が隣り合うことはあるだろうか? 別の店と考えるよりかは、提携していると考える方が自然な気もするが。
そう思って優花は検索をかけてみた。どうやらこの二軒は繋がっているらしい。しかし、今日は定休日なのか喫茶店の方はしまっていた。
いざ目の前に立った時に、優花は思わず緊張してしまう。普段から使っている美容院に比べて、敷居が段違いに感じるからだ。駅前に建っているというだけでも、その人気の高さは感じ取れる。おしゃれな人間が集うこんな場所に、自分が行って良いのだろうか? 思わず二の足を踏んでしまう。
『お姉ちゃん、行かないの?』
「え、あの、心の準備がまだできてないというか!」
『お姉ちゃんでもそうなの? 物怖じしないんだなぁって思ってたけど、なんか意外だね」
「そ、そう? これでもおしとやかな女の子なんだけど!」
『おしとやかって、大胆とかそういう意味だっけ?』
「うぐっ!! ランも冗談言うわね……」
予約とかはいいのだろうかと、あれこれ頭で言い訳を考える内に、ちょうど扉が開く。中から出てきたのは、自分とそう年の変わらない女子大生だった。明るい髪色の彼女を見て、思わず優花は息をのんだ。
「うわ、オシャレ……」
とても嬉しそうに店を出てくる女性の雰囲気がそう感じさせるのかもしれないが、それこそファッション雑誌からそのまま飛び出てきたかのような綺麗な髪型だったのだ。店員の腕前を感じさせる。
「ありがとうございました!」
「また来てね~」
続けて出てきたのは、店員と思しき妙齢の美女。そう、美女、という言葉が真っ先に出てくるような綺麗な人だった。穏やかな笑顔とロングの髪がとても落ち着く雰囲気を与える。年が近いようには見えないが、薄化粧の整った顔立ちには皺一つない。いくつだと言われても納得ができて、同時に驚いてしまう年齢である。
その美女が、こちらに気がついてにっこりと笑顔を向けてくる。柔和で優しい笑顔だった。
「もしかして、うちに用事?」
「え、あ、はい!」
「初めての子よね。緊張してる?」
「はい。こんなオシャレな所で切ってもらうの、場違いかなぁって!」
「あはは。そんなことないと思うよ。今はちょうど空いてるから、どうぞ」
美女に流されるがままに、優花とランは入っていく。
外観と同じように白を基調とした家具が多く、そしてその一つ一つが光っているようにとても綺麗である。そして、置かれた小物は色とりどりのもので構成されている。入り口に飾られている観葉植物はパキラだっただろうか。ぱっと見た印象の共通項は薄いのだが、それもこの空間では見事なまでに調和されており、真っ白な紙に思い思いの風景を貼り付けた「コラージュ」の名前にふさわしい。自由さが溢れながらも総じてオシャレな雰囲気を作り出すこの店の内装に優花もランも感嘆の声を漏らしていた。
「改めまして、コラージュにようこそ。今日はどう言った感じで?」
促されるままに優花は鏡の前のイスに座る。鏡に映った自分と目が合った。
――あ、クマできてるし。
ぱちっとした二重の目元は自分でも自信があるのだが、目尻がややあがっていて、気が強そうだとはよく言われる。そんな目の下に、うっすらとクマができてるのだった。普段から化粧水ぐらいしかつけないのだが、隠し方は勉強した方がいいのかもしれない。
「そうですね。ちょっと伸びてきたので……」
今の優花は、背中ぐらいまでに髪が伸びていて、前髪が少し目にかかっている。大学に入ってから伸ばしているのだが、自転車に乗るときに少し鬱陶しいと感じていた。
だからこそ、前のミドルヘアに戻そうかな、とはなんとなく思っていた。今ひとつ、踏ん切りが付かない理由があったのも事実だが、折角来たのならば、と優花は希望を伝えていく。
その間、ランは優花の横に立って『どうなるのかな』とワクワクしていたが、店員さんは気づいた様子がない。
「はい。じゃあ、全体的に短くしてくけど……本当に良いの?」
「え?」
「あぁ、ごめんね。なんか話すとき顔が暗そうだったから。いいのよ、自分の好きな髪型で」
見透かすような店員の言葉に、優花ははっとした。
――アタシの好きな髪型……?
優花の脳裏にある日の記憶が過ぎる。
烏の濡れ羽色という言葉がぴったりの美しい髪を長く伸ばした、女性の言葉だった。
――「ゆうちゃんはミドルが似合うんだけどなぁ……」
鬱陶しいなと内心では思いながらも、髪の長さを戻せなかったその理由は……
『お姉ちゃん?』
ランの言葉でハッとなる。心配そうに優花の顔を覗きこむランと店員と目が合った。
「……ごめんなさい。やっぱもう少し伸ばしてみたいです。前髪だけでもいいですか?」
「いいよ。けど伸ばしたいなら、ちょっと整えさせてもらうね」
「お願いします」
「はーい。申し遅れたけど私は
カットケープを渡しながら彼女は名乗る。
その肩書きに優花は思わず切絵の顔をまじまじと見つめてしまった。
「え、店長さんなんですか!? お若いのに!!」
「ありがとう! でも、そんなに若いって程の年でもないのよ」
『何歳なのかな? 気になるね』
ランは目を輝かせているが、聞くのは少し躊躇われる。
すらりとした体系ながら、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいるスタイルの良さからは、年を感じさせない。通そうと思えば二十代でも充分通りうる綺麗な見た目だが、しかしこの落ち着いた雰囲気は流石に二十代のそれではないだろうと首をかしげてしまう。
「いくつかは内緒。デリケートなお年です、とだけ言わせて?」
優しい微笑みと穏やかな口調でこちらの心を読んでくる。笑みこそ優しいのだが、目の奥は少し怖い。聞いたら怒るだろうなぁ、と優花は口を噤んだ。
「お姉さんはお名前、なんて言うの?」
「
「優花ちゃんね。可愛いし、よくモテるんじゃないの?」
「ありがとうございます。たまーに言われますけど、全然モテないですよ」
思わず笑みが漏れる一方で、皆無の恋愛遍歴を思い返してしまう。実際優花は今まで彼氏を作ったことはないし、なんなら告白されたこともない。性格が問題なんだろうなぁと優花はため息をつく。
「背も高めですし、怖がられてるのかもしれないです」
「わたしも背高いから、ちょっと気持ち分かるなぁ。それに優花ちゃん、スポーツやってたでしょ。それも空手とかそういう系の」
「当たりです! よく分かりましたね」
空手をしていたことを見事に言い当てられて、その洞察力に驚いてしまう。
「やっぱり! スタイルいいし、うっすらと筋肉付いてるしそう思ったの」
「ただ、最近やめたのでちょっと太ったんですよ……」
「そうは見えないし、若いんだから、そんな気にしない方がいいよ。優花ちゃんは大学生? 社会人?」
「大学生です。
「あら、そうなの。渦波大学の子、よく来るよ」
穏やかな会話をしながらも、切絵のカットはテンポ良く続いていく。チョキチョキと髪を切る音が実に小気味良い。うっすらと漂うアロマの匂いもあって、優花は穏やかな気分である。
あっという間に心地よい時間は過ぎ去っていく。
「さ、どうかな?」
「良い感じです。ありがとうございます!」
合わせ鏡に映されながら、全体の様子を見る。ぱっと見た限りはそこまで大きな変わりはないのだが、整った毛先に気分が良くなってきた。
「また伸びてきたら来てね。もちろん、伸びてなくても遊びに来てもらってもいいから」
「はい、また来ます! とても楽しかったです」
『お姉ちゃん、なんか忘れてない?』
途中から隣の席でうたた寝をしていたランが、起きて優花に声をかける。
本当の理由を思い出した。髪を整えてもらったこと……も半ば目的で、思いの外楽しかったのでうっかりしていたが、本懐は別にある。
「あの、切絵さん。少し相談したいことがあるんですけど、いいですか?」
「相談? いいよ。見ての通り、今日は一人だけで、早めに閉める予定だったし。ちょっと座って待っててね」
むしろ申し訳ないタイミングだったのだが、切絵は嫌な顔一つしなかった。優花を喫茶店の方に案内した後、切絵は店の奥に入っていく。
切絵がいなくなったのを見計らって、優花はランの耳元でささやく。
「切絵さん、ランのこと見えてなかったよね」
『気づいてなかったよ。お店のハサミ持ってたけど、気づいた様子なかったもん』
「いつの間に! 危ないからダメ!!」
『はーい。ごめんなさい』
切絵との話に夢中で全く気がつかなかった。ぺこりと頭を下げるランに優花は少しだけ呆れていると、店内にアロマとはまた違う優しい匂いが漂ってくる。
『良い匂いだね』
ハーブか何かの匂いだろうか? 嗅いでいるだけで落ち着くその匂いと共に切絵がティーセットを持って現れた。
「お待たせしてごめんね。よければどうぞ」
「え、これお隣の喫茶店のですよね!? 申し訳ないです」
「サービスサービス。私が飲みたいだけだから気にしないで」
ハーブティを優花の前に給仕し、その後切絵もまた優花の向かいの席に腰掛ける。切絵のこの性格から言って、ランの前に何も置かないのは本当に気づいていない証拠であると、優花は思った。机の下で、こっそりと優花はランにアメを渡すとランは喜んで口に含み始めた。
蕩けるようなその表情に頬を緩ませながら、優花は単刀直入に話を切り出した。
「友達から聞いたんです。不思議なことがあったらこのお店に相談するといいよって」
「あら、噂で広がってるのね。必ず力になれる保証はないけど、いいよ」
閉店したコラージュにいるのは優花と切絵、そしてランだけである。こちらの喫茶店にも興味がわいており、今日はお預けかと思っていたのだが、まさか閉店後に入ることができるとは思ってもいなかった。。
ハーブティを一口含む。口内に広がるのは、五月の爽やかさを彷彿とさせる味。砂糖やミルクを入れずとも飲みやすかった。
「……あの、笑わないで聞いて欲しいんですけど、最近見えない物が見えてるんです」
「え、どういうこと?」
優花はここまでのあらましを話した。切絵は変に茶々入れすることなく、優花の方をじっと見つめながら、穏やかに話を聞いてくれている。
終わったときに切絵はティーカップを皿の上に置いた。音を立てない、上品な所作と共に、切絵は店内を見渡す。
「そのランって子は今もここにいるの?」
「実は、最初からずっとアタシの近くにいるんです」
『います!』
ランがぴょこぴょこと跳ねているところを指す。しかし、切絵は首をかしげる一方だった。
「ごめんね、私には見えないなぁ」
「あはは、信じてもらえませんよね、こんなこと」
「別に信じてないわけじゃないよ。初対面でも、優花ちゃんは真っ当な子だろうな、ってのはわかるしね」
切絵は残っていたハーブティを一息に煽る。音を立てずにカップと皿を机において、優花の方を見つめた。
「ねぇ、優花ちゃん」
「っ……!!」
切絵の顔はなにも変わらない。先ほどまでの柔らかな微笑のままだった。
しかし、その目で見つめられたときに優花は胸が締め付けられる気がした。
聖母を思わせる優しげな顔つきだが、纏っている雰囲気は聖母とはほど遠い。
そのままの笑顔だが、教師に問い詰められているような緊張感があるのだった。
「最近、ランちゃんが見える以外に変なことはなかった?」
言葉使いも別に変わったわけではない。それでも、優花は尋問を受けているような気分だった。その返答に言葉を詰まらせてしまう。
「へ、変なこと、ですか? いえ、特に」
「そう。こういうことって前にもあった?」
「初めてです。見えない物が見えるっておかしくなっちゃったかなぁって」
じっと見つめてくる切絵の目に射竦められる。早くなる鼓動がやけに耳に響く。
が、切絵の表情がニコッと柔らかくなった。穏やかな表情に戻ったのを見て、優花もほっとした。
「そっか。それは気になるよね。ここにいるんだっけ?」
切絵はランを触ろうとするが中々うまくいかない。
「優花ちゃんが疲れてる……とかではないなら、不思議なこともあるのね。んー、もしよければ今日泊まってく?」
「へ!? いえ、別にそこまでじゃないですよ!!」
思わぬ申し出に優花は面食らってしまった。
先ほどのやや緊迫した雰囲気はあったが、穏やかで優しい人なのは違いないはずだ。初対面のいい人にこれ以上心配をかけるのは忍びない。
「すみません。五月病ってヤツですかね?」
「一人暮らしは慣れないと大変だもんね。私でよければいつでも相談に乗るよ?」
「是非お願いします。その、変な話してごめんなさい」
「いいのよ。お茶にでもカットでも、またいつでも来てね。空いてたら、またお話ししましょ」
朗らかな空気に優花の心も絆される。
優花は繰り返しお礼を言いながら、コラージュを後にした。
***
見張れ、と言われて見張るだけ。
美容院から件の女が出てきた。その横には、ウサギの耳が生えた少女もいる。
命令通りに、見張るだけ。
煙草を吸った途端携帯が鳴る。その画面に、『女を追え』と表示されている。
追え、と言われて追うだけ。
無関心に携帯をしまいこんだ。悔恨もなく、吸い殻を地面にそのまま捨てる。
命令通りに、追うだけ。
捨てた物に意識など割かない。逡巡もなく、そのまま二人の女を追いかけた。
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