#2 黄昏の出会い

 優花ゆうかとランが帰路についた頃、既に日は落ち始めていた。帰宅し始めるサラリーマンや学生が行き交う路を、優花とランは手をつないで歩く。


 ――「遅くなっちゃったわね。送っていこうか?」


 切絵は最後まで気にかけてくれたが、流石に申し訳ないと丁重にお断りした。「遠慮しなくていいのに」と言っていたが、今日知り合ったばかりの人にそこまでしてもらうわけにはいかない。


『お姉ちゃん、綺麗になったね。わたしも切ってもらいたかったなぁ』

「見えてればなぁ。アタシでよければ、おうちで切ってあげよっか?」

『そんなことできるの!? お姉ちゃんすごい!』


 ランは嬉しそうに手を上げる。自分しか気づいていないことが不思議なくらい、ランは生き生きとしている。信号待ちの合間に、思わず頭を優しくなでる。


 ――本当、切ってもらえるといいのにね。


 遠く離れたコラージュを顧みるように、ふと後ろを見る。

 ――あれ?


 少し離れた所にいる男の姿に、優花は妙に引っかかった。

 金色の髪に彫りの深い顔つきは、とても人目を惹く。極めつけは、でこを覆う赤いバンダナだ。日本人離れしたその見た目は、美形で充分通りそうである。しかし、咥えたばこも相まって、何かと派手なその男に、優花はどちらかというと嫌悪感を抱いていた。


 ――遊び慣れてそう。関わり合いになりたくないタイプ。

『どうかした? お姉ちゃん』

「別に。ちょっと怖そうな人がいたの」

『……あ、あの金髪の人? さっきからずっと付いてきてるよ』

「え、そうなの!?」


 驚いて後ろを向きたくなったが、悟られるのは危険だと思って優花は信号の方を見ながら答える。

 対して、ランは堂々と後ろを見ながらうんうんと頷いた。人から見えていないと言う自分の特性を前向きに使っている。


『どこからかはちょっとわかんないけど、目立ってたよ。悪そうな人だね』

「ストーカーかな……ラン、ちょっと良い?」


 優花は靴紐を結ぶフリをしながらしゃがみ込み、ランに向けていくつかの話をする。ランは頷きながら聞いていた。


『わかったけど、大丈夫?』

「大丈夫。アタシに任せておいて」

『うん。わたしも頑張る!』


 そう言うとランは優花の背中に抱きついた。おんぶの体勢になりながら、優花は前を向く。ランがぎゅっとしがみついていることは伝わるが、不思議と体重は感じない。ここだけが懸念点だったが、これなら走ることができる。


 信号が赤になった途端、優花は走り出した。


(追ってきてる?)

(うん。走ってきてるよ)


 ランは後ろを確認しながら金髪の男を見ている。対して、優花は後ろには一瞥もくれない。通行人の間を縫いながら、ただ町の中を駆け抜けていた。


(じゃあ、予定通りやるね)

(うん! 了解!)


 小気味良く呼吸をはき出しながら、やがて優花は目的の路地裏を見つける。駆ける勢いそのままに曲がった。


 金髪の男も、そこについてやってきて――


「はぁっ!」


 優花は迫り来た男の腹に向けて、左足を振るう。


 腹を狙っての鋭い三日月蹴り。不意の一撃に、男はえづいた。

 基本に忠実に、中足を男の腹に入れることができた。これでもつい最近まで空手を習っていた身である。こういうで使ったことも何度かあるため、狙い通りに入れることには慣れているのだ。


「ぐぉっ!」

「まだまだ!」


 腹を抱えてしゃがみ込んだ男に向けて、優花はくるりと身を翻し、回し蹴りを放つ。

 追ってきたそっちが悪いと言わんばかりの、頭を狙った容赦のない一撃だ。優花のつま先はそのまま男の頬をえぐり……


「ちっ」


 否、その直前に男の左腕で、優花の足を受け止めた。

 組み手でも中々聞かない鈍い音が響く。電信柱でも蹴ったのかと錯覚するほどに、その男の腕は堅かった。余程鍛えられているのであろう。優花はその事実に気付きながらも、調子を崩さずに男に声をかける。


「並のストーカーだったらこれで行けたと思うんだけどな?」


 優花は足を引いて、さっと体勢を整える。

 手応えこそあったのだが、男はまったく堪えた様子がない。金髪の男は左腕を払いながら立ち上がり、優花を睨みつける。


「ストーカー? ちげぇよ。つったく、血の気の多い女だな」


 鋭い目線に優花はビクッと怯んでしまう。先の一撃を受け止めるだけあって、そこらのチンピラではないことは分かる。このまま相対しても優花に勝ち目はないだろう。そこまでを察しながらも、優花は構えを解かない。


「そりゃ、アタシだって普段は蹴らないわよ。でも、つけてたのはそっちでしょ!?」

「あー、そこは否定しねぇけどさ! まずは――」


 金髪の男が歩を進めてくる。優花に向けて、手を伸ばしたその時だった。


『えーい!』


 気の抜けたかけ声と共に、男の後ろからゴミ箱が転がってきた。


「なんだぁ!?」


 男が気づいた時にはもう遅い。

 転がったゴミ箱はそのまま男の足を巻き込んだのだ。男は足を取られて転んでしまう。為す術もなく倒れた男の横を、ランは走り抜ける。


「よっし、逃げるわよ!」

『はい!』


 怯んでいる男を尻目に、路地裏を更に奥に走って行く。ランもまたそれに付いてきた。


『うまくいったね!』

「ランもありがと! おかげで助かった」


 曲がり角での蹴りに加えて、姿が見えないランによる二重の不意打ち。これこそが、優花の立てた撃退作戦だった。

 優花が蹴りで男を怯ませている間に、何でも良いから相手に当てて、とだけランに伝えたのだが、うまいこと見つけてきてくれたゴミ箱によって相手を撒く事ができそうだった。


「さ、このまま逃げよ!」


 後ろを向くが、今のところ追っては来ない。もう少しで本通りに出られる、そのときだった。


「……」


 目深にハンチング帽を被った男が立ちふさがっている。両の手には黒革の手袋をはめ込み、全身を薄手のコートで覆った黒ずくめの男だ。五月にしては暑そうな格好をした痩身の男は、何も言わずにじっと優花の方を見ている。

 もう少しでぶつかる、と言う所で優花は足を止めた。 


「なんですか? ちょっと通して欲しいんですけど」


 男は優花の言葉に一切の反応を見せない。帽子の下の目は、じっと優花を睨んだままだった。

 ランは周りを見渡しながら、優花の袖を引っ張る。


『お姉ちゃん、もう一回やる?』

「そうね。どいてくれないならこっちにも考えがありますけど?」


 男に話しかける体を装いながら、ランの問いかけに是の意志を見せる。

 近くにあった消火器にランが向かったその時、男の重い口が開いた。


「……二人とも動くな」

「はっ!?」

『えっ!?』


 信じられない言葉に、ランの動きも止まる。


 ――二人って、え?


 念のために、周りを見渡すが、優花の他にいるのは目の前の男、そしてランだけだ。理解が全く追いつかない中で、男は右の手を差し出す。思わぬ挙動に優花は後ずさるが、


 パチンッ!


 男が指を鳴らした。


 何のことはない。男がしたのはそれだけだ。

 しかし、起きたことはそれだけではない。


 ぼっ、と言う発火音と共に、三人を囲む大きな炎が周りに広がったのだった。


「な、なんなの!?」


 目を疑いたくなるが、燃えさかる炎から伝わる熱気は紛れもない現実だった。

 咄嗟に消火器と取ろうとした優花だが、再度弾かれた指の音と共に、消火器と優花の間にも急に炎が吹き出した。

 何が起きているのか全く分からない。有り得ぬ現実に、思考が付いていかない。混乱する優花に向けて、男は無感情に言葉を吐き出した。


「仕事でな。悪いがここで処分する」


 両の手を広げながら男は優花とランに向かってくる。

 周りに燃える炎は勢いが激しく逃げることもできそうにない。

 黒いレザーの手袋を向けるその姿は、死神そのものだった。殴られるとか蹴られるとか、そういった暴力の構えとはほど遠い。しかしこちらに向けられる敵意は底が知れない。何をやろうとしているのか、全く分からないこの男の得体の知れなさに、優花の体は恐怖で縛られた。


『お、お姉ちゃん……』


 ランが優花の胴体にしがみついてくる。その手から伝わるのは震え。優花はその手を握り、安心させることしかできなかった。

 優花自身も、理解が追いつかない恐怖に足が竦んでしまっているのだ。


 男は詰め寄りながら、両手の親指と中指を合わせる。


 あの指が奏でる音が、自分にとって最後の音だろうと、本能がそう告げる絶体絶命の中、弾ける炎の音が優花の耳に響いた。


「……?」


 否、聞こえる音はそれだけではない。

 炎に混ざって聞こえる、地面を小刻みに蹴る音。誰かが駆けてくる音だ。思わず優花はそちらを見つめる。


「うそ」


 ゆらゆらと揺らめく陽炎の境から、男の姿が見える。その手には、棒状の何かが握られていて、


 パチン、


 短く響くは鋭い金属音。

 何かをしまったような音だった。


 その時、炎が"切られた"ように、小さな火種と化す。

 駆ける勢いと共に、残った火種は燃え尽きた。

 優花とすれ違う、その男の髪は金。


「つったく、世話の焼ける」


 金髪の男は帽子の男に向けてそのまま突き進む。

 腰に構えた得物を、気づけば抜いていた。


 優花はそれを、生まれて初めて目にした。知識としては持っていたのだが、まさか現代日本で見ることになるとは夢にも思わなかったのだ。


「か、刀?」


 美しさすら孕む、研ぎ澄まされた刃。

 目映さすら覚える、白銀色の輝き。

 

 その切っ先を男の首元に向けていた。


「てめぇが放火魔か?」

「そうだと言ったら?」


 駆け抜けたその勢いと共に男の帽子が吹き飛んだ。

 俗に塩顔と表現される、あっさりした印象を与える男の顔。特徴こそ薄いが、目元にはっきりと見える涙袋がやや印象的だった。


「なぁに。そりゃツイてるなって」

「そうか。こっちは最悪の気分だよ」


 塩顔の男は両の手を挙げながら、少しずつ後ずさる。靴とアスファルトとを"擦らせ"ながらも、しかしその後退に合わせて金髪の男は持っている刀を突きつける。


「逃げれると思ってるのか?」

「あぁ。"狩人かりゅうど"と事を構える事も、捕まる事も仕事にない。さらばだ、""の中でまた会おう」

「逃がすかよっ!」


 男が飛び退いた拍子に、金髪の男は刀を突き出した。

 その刺突は、突如逆巻いた炎によって遮られる。


「くそっ!」


 舌打ちと共に、金髪の男は返す刀で炎を切るようになぎ払う。切られた炎は形を失っていくが、既に男の姿はいなくなっていた。焦げ臭い臭いが充満する狭い路地裏に、金髪の男が地団駄を踏む音だけが響いた。

 その音を皮切りに、飽きっぱなしだった優花の口に、ようやく声が戻ってきた。


「え、え、どういうこと!?」

「こっちが言いてぇよ」


 そう言いながら金髪の男は刀を鞘に戻す。その直後、鞘と刀はどこかに消え去った。


 目まぐるしく起きる出来事に、優花は理解が追いつかない。

 塩顔の男がいなくなり、緊張の糸がほどけたのか、優花は腰が抜けて思わず座り込んでしまった。金髪の男は頭をボリボリとかきながら、優花に手を差し出す。


「怪我はないか?」

「す、ストーカーの助けは受けないわ!」


 差し出した金髪の男の手を優花は払う。

 ランを抱きしめながら、その体は未だに震えている。せめてランだけは、と精一杯の虚勢を張る。

 金髪の男は困ったように頬をかいた。


「あー、どう言えばいいか……ちょっと待ってろよ」


 金髪の男はポケットから携帯を取り出してどこかに電話をかけていた。

 自分達におそいかかっては来ないのか? その様子を見て早まりっぱなしの鼓動は徐々に収まってくる。


あねさんか? 言われてた女だけど無事だ」


 背を向けて電話をする男を見ながら、ランが優花に声をかける。


『お姉ちゃん、大丈夫?』

「平気。今のうちに逃げれないかな……?」


 ランを支えながら、なんとか立ち上がる優花。待っていろとは言われたが、関わり合いになりたくないのも事実だ。

 こっそりと立ち去ろうとしたとき、


「こういうのは撫子なでしこの仕事だろ?……いや、ガキの御守は専門外だっての」

「ガキの御守!? それどういう意味!?」

『お姉ちゃん!?』


 自分のことをガキだと言われたと思しき発言に優花は思わず金髪の男に敵意を向けていた。男は優花の方を一瞥し、


「ほれ」


 金髪の男は不意に携帯を投げつけてくる。キャッチしてしまった優花は「いらないわよ!」と投げ返そうとするが、


『聞こえる? 優花ちゃん?』


 その声に手が止まる。

 つい先刻まで聞いていた声だった。その声に思わず優花は耳をつけてしまった。電話越しでも分かる、この優しい声の主は、


「もしかして、切絵さん……?」

『そうよ。ごめんね。送るの拒否られちゃったから、変わりの人にお願いしたんだけど、驚かせちゃったね』

「いえ、そりゃ驚きますよ……」


 カチっとライターを鳴らす音が聞こえる。漂ってきた匂いにまさかと思って顔を上げると、金髪の男はタバコを吸っていた。漂う匂いに思わず優花は鼻を押さえる。


「あの、この人誰なんですか?」

『んーと、話すと色々長くなるけど、私の仲間よ。はっくんに変わってくれる?』

「え、あ、はい……」


 とてもじゃないが美容師には見えない。なんの仲間なのだろうか? 

 「変わってだって」と優花は鼻を押さえながら渡す。「はっくん」と呼ばれた男は煙草を燻らせながら「おう」と受ける。


「……え、いや、いいんすか? あっ!」


 携帯が切れたのだろうか。困ったように煙を吐き捨てて、金髪の男は優花の方を見る。睥睨する瞳に優花は思わず体を押さえた。


「な、なに?」

「いぃや。胸はデケぇが、思ってたよりは美人でもねぇな」

「はぁ!? 初対面に向かって何を!!」


 優花は胸元を押さえながら金髪に向かって吼える。個人的に気にしていることを指摘されるのは癪だ。


「初対面だからこそ見た目は大事だろうが。思ったことを言っただけだ」

「最悪っ!! チャラ男のくせに!」

「ばーか、お前だってオレを見た目で判断してんだろ?」

「え、じゃあちがうの?」


 派手な金髪にギラギラした目つき。慣れた様子でたばこを吸い、あけすけと女性の見た目に口を出す姿……描いたようなチャラ男だが、確かに見た目で判断しているのはこっちもそうなのかもしれない。一応は助けてもらった恩もあるわけだ。

 金髪の男はたばこの煙を吐き出す。あー、と言葉を選びながら、


「いや、遊んでる方だな」

「じゃあ別にいいじゃない!」


 急に何を言い出すんだコイツはと、優花は男に向けて大きくツッコむ。男はあけすけと笑いながら、


「悪ぃ悪ぃ。蹴飛ばされた礼だよ」

「それ出されたらちょっと言い返しづらい……けど最悪!」

「最悪で結構。オレは狗淵いぬぶち 海翔かいと。姐さんが話をしたいそうだ、行くぞ」

「行くってどこに?」


 決まってんだろ、と海翔は吸い殻を吐き、踏みつぶしながら優花を見つめる。


「"コラージュ"に、だ」


 ニヤリと笑うその不適な笑みに、有無を言わさぬ迫力があった。

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