#3 美容院 "コラージュ"
夜の帳が降り、街頭が路を照らす。
昼と夜とで見える風景に違いを感じることは、ままあるであろう。
それは美容室コラージュも例外ではなかった。昼間は黄色い声が似合う明るい雰囲気だったが、仄暗い夜の中では何も言わずにそこに建っている。
何も言わずに
「改めて、"コラージュ"にようこそ、優花ちゃん」
文庫本を片手に座っていた女性は、昼間に出会った
夜の風景に、そのまま貼り付けられた貼り絵のように、切絵は穏やかな表情で優花を出迎えていた。
優花の緊張感も少しだけほぐれてくる。
「あのぉ……どういうことなんですか?」
「そうっすよ。"
海翔は不貞不貞しく長イスにもたれかかり、足を組む。昼の風景にこんな男がいても場所不相応に他ならないが、不思議とこの夜の風景にはぴったりと合う。
「あまりよくないけど、優花ちゃんの場合、コトがコトだから説明した方が色々手っ取り早いかなぁって」
「ま、姐さんがいいなら、いいっすけど」
優花を挟んで繰り広げられる切絵と海翔のやりとりを聞いても、話がさっぱり入ってこない。ランもまたぽかんとしながら、不安そうにぎゅっと手を握ってきた。
『お姉ちゃん、どうする?』
「そうね……あの、切絵さん、どういうことなんですか?」
手を握り返しながら、切絵に向けて優花は声を上げる。切絵はごめんね、と一言断った後、
「一つ一つ説明していくわ。とりあえず飲み物でも持ってくるわね」
そう言って切絵は昼間と同じように奥に入っていく。
おい、と後ろから声が聞こえた。
「なによ?」
「"
「馴れ馴れしい! 名前で呼ぶな!」
「名字で呼ぶの嫌いなんだ、気にすんな。で、どうだ?」
名字が嫌いとはどういったことだろうか? 初めて聞いた文句だが、この問答を続けても意味はなさそうだ。名前については観念して海翔の質問に答える。
「んー、ヤクザとかマフィアとかそういう類いの人達?」
「そうなるわな。ただ、オレ達からすると意味が少し違ってくる。オレ達で言う"裏"って言うのはな」
海翔は優花の目を真っ直ぐに見つめながら、淡々とその言葉を口にした。
「魔術の存在を知る者のことを指すんだ」
「え、何それ。本当に言ってんの?」
「あぁ。さっきの男の炎、トリックじゃあんなことできないだろ?」
海翔の態度にふざけている様子はない。
誰にも見えない少女であるラン、先の男が繰り出した炎、海翔が刀を出したり仕舞ったりした姿……ここ数日の不思議な出来事から、もはや否定することの方が難しいだろう。本当の話だと優花は受け入れ始めている。
「"表"の人間は知らんことだが、この世界には魔力が存在する。そして、ほとんどの生き物は無意識のうちに魔力を使って生きている」
「生き物って、そこらにいる猫とか犬とかも使ってるってこと?」
「おう。魔術を使ってくる獣のことを、"
海翔の言葉が正しいのであれば、優花自身も魔力を使っていると言うことだろうか。俄には信じがたいことだが、優花は魔術という言葉に興味が沸いている。
「ふーん。あんたも使えるの?」
「まぁな。ただ、オレの魔術は肉体強化ぐらいだ。強いて言うとこの辺か」
海翔が広げる手のひらには、何もない。
次の瞬間、その手には刀が握られていた。
突如現れた刀に優花とランは思わず驚いてしまう。
「刀を生み出す、ってこと?」
「……いや、ちと違うな。これは"装備の魔術"つってな。決めた武器を魔力空間にしまっておける魔術さ。後は――」
「あら、はっくん色々説明してくれたの?」
切絵がお盆を持ってくる。コーヒーの優しい香りが漂ってきた。
「おう。魔術のことを簡単にっすけど」
「ありがとう。今はそれぐらいで充分ね」
コーヒーでもどうぞ、と切絵は優花の前にカップを置く。その後、「今度はランちゃんにも」とオレンジシュースを優花の隣に置いた。ランは目を輝かせている。
「ありがとうございます。ランも喜んでます」
「さっきはごめんね。魔力をいろいろな形に変えること、それを魔術と言います」
そう言うと切絵はコーヒーを海翔の前に置く。海翔は刀を"仕舞う"と、熱いコーヒーを冷ます事なくそのまま口にし始めた。
「魔術を使う人間はたくさんいるわ。私もその一人」
見ててね、と切絵は手を広げて優花達に見せる。切絵は目を閉じてなにか力を込めているようだった。
「うわぁ――」
すると、何もないその手のひらの上に、氷の塊が現れた。
それだけでも驚きであるが、氷はみるみる形が変わっていき、やがてウサギの彫刻を作り出した。
『かわいい!』
「だね。アタシにもできるんですか?」
「素養も大事だけど、訓練すればこれぐらいはできるよ。で、じゃあ私たちはなんなのかってことを話すね」
そう言うとウサギの形をした氷が形を変えてナイフへと変わる。見るからに鋭い切っ先を持つ氷のナイフに優花とランは背筋が凍った。
切絵はそのナイフを左手でつかみ、
「えい」
あろう事か海翔に向けて投げつけた。氷のナイフは真っ直ぐに海翔の眉間に向かっていき、
「姐さんっ!?」
海翔は虚空から刀を"出し"、一瞬のうちに鞘から抜きだしながら振り上げる。氷のナイフは両断され、そのまま勢いを落としながら両脇にぼとりと落ちた。
「殺す気っすか!?」
「これぐらいじゃ死なないでしょ? とまぁ、このように当然魔術は人を傷つけたりすることだってできる」
「びっくりしたぁ!」
『わたしも!』
「オレも!!」
海翔は抗議の声を上げ続けているが、切絵はまぁまぁと海翔を穏やかになだめる。
「使い方次第で魔術はとても危険な物になるの。それで、悪い魔物の討伐や捕獲、道を踏み外した"裏"の人間の逮捕が、私たち"
「"魔物狩り"、ですか。切絵さんやこの
「悪ぃ、呼ぶなら名前の方にしてくれ」
「……海翔も、"魔物狩り"の人ってコトなんですね」
この名前に対するこだわりは何なのだろうか? 優花自身もどちらかというと人のことは名前で呼びたいタイプであるので構わないのだが、どこか気になってしまう。
「そう。"魔物狩り"で働く人を、"
塩顔の男がそう言っていたのを思い出す。あの言葉の意味がよく分からなかったのだが、総称だったのか。
「じゃあ、この美容院はなんなんですか?」
「美容院なのは本当よ? 魔物狩りの渦浪支部も兼ねているの」
「姐さんの趣味だ。情報を集めるなら若い女の子が一番だーとかなんだとかで。これがまた繁盛しててどっちが本職かわかんねぇのなんの」
なるほど、と思わなくもない優花と、嬉しそうな切絵。ランは『やっぱあたしも切ってもらいたいです』と羨ましそうに優花の髪を触ってくる。
「そんな組織のことをアタシが聞いてしまって、本当に良いんですか?」
「"表"の人間には内密に、が原則なんだけど、原則ってのは破ってもよいって意味だからね」
「いや、
「"魔物狩り"って都市伝説にもなってるぐらいだから、別に本気にしてもらえないだろうし」
海翔の突っ込みを無視して、あはは、と笑っている切絵。朗らかな雰囲気に優花も少し肩の緊張が抜けてきた。
「で、見えない女の子ってのはまさしく"裏"の案件ね。そこではっくんにお願いして見送っててもらってわけ。何も言わずにつけてごめんね?」
「いえいえ、おかげで助かりました」
驚きはしたが、確かに、海翔がいなければより酷いことに巻き込まれていたかもしれない。海翔に対しては複雑な気持ちの方が強いのだが。
「でも、優花ちゃん強いね。不意打ちとはいえ、はっくんを蹴飛ばせるなんて」
「油断したんすよ。で、だ。その見えない女の子ってどこにいるんだ?」
「……その、二人には本当に見えないんですか?」
優花はランの頭をなでつけながら二人に問いかける。切絵と海翔は優花の手元に注目しているようだが、しかしその顔には疑問符が浮かんでいる。
「見えねぇ。"裏"の人間が言うのも何だが、頭大丈夫かって思ってるぞ」
「はぁ!?」
物言いに優花は海翔の方を睨む。海翔は意に介さず、切絵に向かって「姐さんは?」と問いかける。
「やーっぱ見えないわね。コップもどこかに行っちゃったし」
切絵の言葉の意味がよく分からない。が、ランの姿を見てようやく優花は合点がいった。ランは今ジュースを飲んでいるのだが、そのコップもどうやら見えなくなっているらしい。
「持ってる物も見えなくなるのか。ヒトだとどうなんだろうな?」
「物は試しね。ランちゃんに触ってもらうことはできる?」
そういえば前からランは人混みもしっかりと避けている様子だった。試したことがなかったのだがどうなるんだろう?
「それはどうなんでしょう。ラン、切絵さん触ってみて」
『うん! 失礼します……』
そう言うと、ランは恐る恐る切絵の腰をぺたぺたと触り始めた。
「やん、くすぐったい」
どこか色っぽい声を出しながら、切絵はランの腕をつかむ。ランも、つかんだ切絵も驚いていた。
「確認だけど、私、ランちゃん掴んでる?」
「はい、掴んでます」
「人肌そのままの感触だ。へぇ、触る事はできるのね」
なるほどねぇ、と海翔は立ち上がり、ランの頭に手を伸ばす。迷う事なく伸ばされたその手はランの頭頂部に向かい、
「ビンゴ」
『すごーい!』
そのままランの頭を意外にも優しくなでていた。
「さすがはっくん。よく分かるわね」
「目測推測お手の物、ってな。優花、今ランは喜んでるか?」
「えぇ……まぁ、喜んでる」
どこか釈然とせずに優花は答える。海翔は「そうか」と微笑んだ。嬉しそうな表情に、どんな男なのか掴みきれないなぁと、優花はまじまじと見つめていた。
「オレ達が見えなくなってるわけではない。となると、ランが触ると魔力のないものは見えなくなる、つーことか」
「んー、ランがそういう魔術を勝手に出している、とか?」
素人ながらも優花は気づいたことを二人に問いかける。意識して出すのが魔術だと言っていたが、ならば魔術が無意識に出ることもあるのでは? と言う推測からだったが、切絵は「いいカンしてるわね」とランの手を離しながら答えた。
「透明化を操る魔術師はそこまで珍しくもない。ただ、そういった手合いが魔術を発動した場合、"全員見えなくなる"のが普通なの」
「確かに」と頷く海翔は、いつの間にかランを肩車していた。ランはその高さに『おぉ!』と目を輝かせている。
「優花とかさっきのヤツが"
「その線は薄そうなの。さっきから私が擬似的に透明にしてるお砂糖に気づいた様子がないし」
「えっ!?」
切絵が指をパチンと鳴らすと、机の上にシュガーポットが現れた。切絵の言葉を信じれば、元々置いてあったらしい。
「安心しろ、オレも見えてなかったから」
「何のフォローよ……」
海翔も見えていなかったのはいいのかと思うが、しかしある意味「見えない魔術がかかっていると等しく見えない」と言うことを示してくれたのだろう。
海翔はランを下ろしていた。ランはとことこと優花に向かって歩いてくる。
「"裏"の人間でもランが見えるヤツと見えないヤツがいるっつーことか?」
「かもしれない。原因の推測はできるけど、判断材料が乏しいのよね」
切絵は首をかしげながら優花の顔を見る。
「とりあえず、今はどうするかを考えましょう。ランちゃんはどうしたいのかな?」
『えっと、わたしはとりあえず記憶を戻したいです。なんでここにいるのか、がとても大切だった気がするので』
優花はランの言葉をそのまま伝える。切絵は頷きながら聞く。
ランはその言葉と共に、顔を下げた。
「覚えてることはないかな?」
『……炎』
「……え?」
優花は聞いた言葉に面食らってしまった。
ランはうつむき、訥々と話を進めた。
『さっきの炎を見て、思い出したんです。どこかはわかりません。けど、何か燃えていたことは覚えています。そこから、誰かに逃がしてもらったなぁ、って』
「ラン……」
ランの言葉をそのまま二人に告げる。海翔はなるほどと腕組みをした。
「……放火魔の可能性あり、か」
「なら、やることは決まったわね」
海翔は「だな」と呟きながら切絵の方を見る。優花もつられて切絵の方を見る。
「はっくんは引き続き放火魔を追うこと。ただし、そこにはランちゃんを連れて行くことね。で、優花ちゃんだけど……」
「ここで匿うのがベストじゃないっすかね?」
「襲われた訳だし、その方が安全ね。優花ちゃん、どうする?」
トントン拍子で進む話の中で振られた質問。
しかし、優花の答えは最初から決まっている。
この事件に巻き込まれ、そしてランの記憶の手がかりが見つかったとあらば――
「アタシも行きます」
怖さがないと言えば嘘にはなる。しかし、ランが帰る場所を見つけられると言うのならば、指をくわえて黙って見ているという選択肢など存在しないのだった。
優花は"狩人"二人に向けて、考えを伝えるのだった。
「ランが見えるのはアタシだけですよね? だから、アタシも、解決まで一緒にいたいです」
『わたしも、お姉ちゃんと一緒がいい!』
自分だけが安全なところから見ている、なんてのは優花の性に合わない。感極まって抱きついてくるランを撫でながら、二人の"狩人"の顔を見る。
海翔も切絵も、呆れながらも「やっぱり」と言いたげな表情で優花の話を聞いてくれていた。
「……危険なことには変わらないけれど、優花ちゃんにその覚悟ができているなら、止められないわね。はっくん?」
「まぁ、素人守るのはいつもの責務っすからね。優花、泣き言は聞かねぇぞ?」
海翔は優花に向けてニカッと笑みを見せる。男らしい豪快な笑みには、不思議とチャラチャラとした印象よりも頼もしさの方が勝るのだった。
「当然よ! 見えないからってランが傷つくことがあったら許さないからね!」
どこか素直になれない言葉を吐き出しながら、優花もまた笑顔を返した。
***
生活にはまず欠かせない存在だが、いざ買うとなるととんでもなく巨額の金がいる物。
それが家だ。
「……これで、五軒。」
生活の基盤と言うことは、それだけ人は家に金をかける。
食料、家具、趣味、財産……人間世界における財産が集まる物。
それが家だ。
「失恋、ギャンブル、別離……人間の生に、喪失は欠かすことができない物だ」
帽子を目深に被ったその男は、恍惚とした笑みを浮かべている。
「そして、喪失は人を強くする。そうだ、俺のやっていることは人間の"救済"なんだ」
その眼前に広がる物は、民家。
「自身の財をすべて失った時、人間はより強力な精神を手に入れるだろう。そうだ、俺は人々を強くするためにこの力を手に入れたんだ」
周りの住人が出す叫び声も男にとっては心地よい。叫び声すら賛美の声に聞こえてくる。
「そうだ、力を得た人間は弱い物を助けなきゃ、だもんなぁ!?」
深夜に関わらずけたたましく鳴り響くサイレンの音に、男の鼓動は高まる。
腹の底からわき起こる衝動が、男の口から笑いとなって出てくるが、周りの喧噪とサイレンの音に掻き消されて誰の耳にも入らない。
誰の耳に入らずとも、男の高笑いは続く。
燃えさかる家屋の燃焼を背景音楽にしながら、笑い続けるのだった。
「さぁ、次の"救済"を始めよう」
携帯電話に浮かぶ画面を見て、その笑みが更に強くなる。
深夜の中で、己の最後を人の目に焼き付けるかのように、家は勢いよく燃え続けるのだった。
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