第2節 優花の姉妹

 #1 ビーズの縁(えにし)

 "裏"の話を聞いてから数十分後、優花は自宅に戻って荷造りをしていた。


 この一件に関わる間、切絵の家で厄介になることに決めたからである。帽子の男に再度襲われる可能性があることを鑑みて、切絵が提案してきたことだった。

 ボディガードとして海翔が付いてきている。先ほどまで部屋の中にいたのだが、「タバコ吸いてぇ」と今は玄関の前で一服しているようだった。ヘビースモーカーぶりに呆れた物の、あまり見られたくない物もあるため、優花としてはどちらかというと助かっている。


 貴重品の類いや数日分の着替えを用意しながら、優花はある箱を手に取った。

 ぼんやりと荷造りを眺めていたランは、可愛らしい装飾がされたその箱に首をかしげていた。


『お姉ちゃん、それなーに?』

「これ? これはね」


 懐に入り込んできたランを抱きかかえながら、優花は箱を開ける。


「ビーズだよ」


 色、形、大きさ……様々な種類のビースが、丁寧に整頓されている。

 所狭しとビーズが入ったその箱は、まさしく宝箱を思わせる。その光景にランは息をのんだ。


「意外かもしれないけど,こう言うの好きなの。よければ、ランにも作ろうかな、って」


 そう言いながら優花は右の手首を露わにする。

 ちゃら、っと小さな音を立てて現れたのは、ビーズでできたブレスレットだった。七色の大玉ビーズの間には、小さなビーズが色鮮やかに並んでいる。優花の手首をぐるりと彩る虹のブレスレットに、ランは目を輝かせた。


『いいの!? やった、ありがとう!! とっても上手だね』

「あ、その……」


 優花の言葉が詰まる。覗きこんできたランの瞳に、優花は思わず目をそらしてしまった。



 自分とは違う、穏やかで優しい垂れ目の人だった。

 自分とは違う、可愛らしい小柄な背丈の人だった。

 自分とは違う、透き通るような白い肌の人だった。


 おだやかな日差しが当たる部屋の中、ベッドの上が彼女のよくいた場所だった。

 たおやかな細い指が、小さなビーズを糸に通していく姿をよく覚えている。

 

 ――「一つ一つ、丁寧に入れくのがコツだよ。……もう、ゆうちゃんの慌てんぼさん」


 ベッドの脇で、一緒になってビーズを通していたかつての日々がよみがえる。

 今以上に落ち着きがなかった自分は、大好きだった彼女の話を聞き流しながら、夢中でビーズを糸に入れていた。

 

 優花の物は不格好だった。結び目も大きく、ただ気に入った物を入れただけの乱雑なブレスレットだった。

 不服そうな優花に向けて、その人は優花の頭を撫でながら、こう言った。


 ――「ゆうちゃんの可愛い! ね、わたしのと取り替えて?」

 その幸せそうな笑顔が、日差しも相まってとても眩しかった。


『お姉ちゃん……?』


 ランの声で我に返る。何も言わずにパタンと箱を閉じながら、優花は吐き捨てるように言った。


「……これ作ったのは、アタシじゃないよ。アタシの、お姉ちゃん」

『お姉ちゃんの、お姉ちゃん?』

「そう。その人の形見」


 脳裏に過ぎる思い出を振り払うように、優花は裾の下に隠す。

 つっけんどんな優花の言葉に、ランは少し悲しい顔をしていた。


『お姉ちゃん……? なんか、悲しそう』

「……ごめん。この話はまた今度ね」


 優花はランの顔にぽんと手を置いて、その場を離れる。

 鏡を見ないでも分かる。きっと、今の自分はとても悲しくて……怖い顔をしているのだろう。


 胸の中で渦巻いている感情は悲しみと、怒り。ぐるぐると攪拌されるその思いは、二つの味を奇妙なまでに混ぜ合わせる。

 その感情を押さえ込むように、優花はランに聞こえないようにぼそりと呟いた。


「本当、最悪」


 ***


 明くる朝、優花とランは、切絵の家で朝食をとっていた。

 メニューは白米と具だくさんの味噌汁、綺麗に撒かれた卵焼き、そしてたこ型のウィンナーだった。人から作ってもらう朝ご飯とは、ずいぶん久しぶりでどこかワクワクしてくる。


『おいしい! たこさんウィンナーとっても可愛いです』

「切絵さん、料理も上手なんですね! これ食べられる彼氏さん羨ましいです!!」

「ありがと。でも、今は特別な人はいないわ。たまーにお店の子招いてるぐらいよ」


 切絵はマンション住まいである。一人暮らしにしては部屋も多いのだが、その一つ一つが丁寧に整頓されていたのは驚きだった。コラージュの内装と似てオシャレな小物が多いのは切絵の趣味なのであろう。見ていて飽きない部屋の作りは、優花も少し真似したくなってくる。


「意外です。モテそうなのに」

「そう? これでも、あまり長続きするタイプじゃないのよ」

「そうなんですね」


 見た目や器量はずば抜けているだと思うのだが、存外そういう物なのだろうか? よく分からないが、これ以上突っ込むのも失礼だろうと思い、話題を切り上げて優花は卵焼きを口に含む。

 切絵の人柄を表しているかのような、優しい味付けだった。出汁醤油の塩辛さと砂糖の甘さが混ざっていて、どれだけ食べても飽きない。


「優花ちゃんは料理とかしないの?」

「しますよ。じっ――いえにいる時も、よく作ってました」

「そっか。そのうち、優花ちゃんの料理も食べてみたいなぁ」

「喜んで! 任せてくださいよ」


 提案を快諾しながらも、優花は内心で冷や汗をかく。

 切絵の柔らかな微笑みからは、優花が伏せた言葉に気づいたのかどうか判断ができない。


 不意に、七時ちょうどを知らせる鐘が鳴る。時計から覗きこむ鳩を眺めながら、そういえば今日は火曜日だったと思いだした。


「今日はお店、大丈夫なんですか?」

「定休日なの。優花ちゃんこそ、大学は平気?」

「うっ……ま、まぁ今日は大丈夫です」


 別に大丈夫ではない。講義は二つ入っている。

 普段真面目に通っているのだし、一度ぐらいは自主休講しても問題ない筈だ。罪悪感からか、何度も自分に言い聞かせている。


 今度の返事は見逃されなかった。

 切絵の口角が上がる。笑顔はそのままに、諭すような口ぶりだった。


「……単位落とさない程度にね?」

「は、はい。頑張ります」


 ごまかすように優花は味噌汁をすする。具だくさんな所も良いが、赤味噌の優しい味付けがまた落ち着かせる味である。


「ランちゃんのお口には合うかな?」

『はい、おいしいです!』

「ラン、ケチャップ」


 礼儀正しく食べているランだが、その口元にはケチャップが付いている。優花はウェットティッシュを一枚取り出して、そのままランの口元を拭った。


『ありがと!』

「見えないけれど、本当の姉妹みたいね。なんか少し妬けちゃうな」

『姉妹だって、お姉ちゃん』


 ニコニコととても嬉しそうな顔を浮かべるランを見て、優花は彼女の頭を撫でた。


「そうね、ランみたいな子が妹だったら、とても嬉しいな」

『わたしもー!』


 そう言ってランの頭をもみくちゃになで回す。


 昨晩の出来事が幻みたいに、

 見えないことが嘘みたいに、


 楽しく笑い合う優花とランの姿は確かに姉妹と呼ぶにふさわしい姿なのかもしれない。


 "姉"を失って以来、二度とこんな幸せは来ないんだろうと思っていた。

 熱くなった目頭を抑えながら、ランの頭をぽんぽんと軽く叩いた。


「それで、優花ちゃん。とりあえずの方針だけど」

「は、はい!」


 切絵はコーヒーを口にしながら話を始める。

 朝のミーティングを思わせるような話しぶりに、思わず優花は背筋を伸ばしてしまった。


「今日は二手に分かれて行動しましょう」

「二手って、どういうことですか?」

「どこから話そうかな……そうね、実は、昨晩また火災が起きたの」

『「え!?」』


 優花とランが同時に驚きの声を上げる。

 脳裏に過ぎったのは帽子の男だ。昨夜の邂逅から間を置かずして放火を犯したということになる。


「そちらの調査はわたしが行くね。警察の人と会うときも、そっちの方が都合が付きやすいから」

「警察……あれ、"魔物狩り"の事って警察の人知ってるんですか?」

「一部の人は知ってるよ。その辺の事情はまた追々ね」


 じゃあ優花達は何をするのだろうか? その疑問をかける前に、切絵は話を切り出していた。


「で、優花ちゃんとランちゃんは、はっくんと一緒に三件目の現場に行ってみて欲しいの」

「三件目? どうしてですか?」


 欠伸を漏らしながら話す。昨夜はあまり眠れなかったからか、頭が働かない。


「三件目がいつ頃にあったか覚えてる?」

「え、覚えてないです」

「五月十五日。二人が出会った前日ね」

『あ、なるほど』


 ランは気づいた様子であり、そこで優花もようやく合点がいった。

 ランと出会った直前にあった火災現場には、もしかしたらランが言っていた「炎の記憶」の手がかりになることがあるかもしれない。闇雲に向かうよりも、一番可能性が高そうな現場から調べるのは理にかなっているだろう。


「事故現場はある製薬会社の建物。かなり前から撤退してて、無人だったの」

「あー、なんかそうだったような……」

「あの火災の後から立て続けに起こっている上に、他は全部民家だったからね。元々きな臭い場所だったの」


 確かに他の場所と何かが違う。製薬会社という響きも怪しく聞こえてきてしまうが、話を聞くと優花も名前を聞いた事のあるごく普通の会社のようだった。


「とにかく、そこを調べて欲しいの。警察の人も見張りについてるんだけど、わたしからお願いして今日は外れてもらってるから、ゆっくり調査できると思うわ」

「え、そんなことできるんですか?」

「"魔物狩り"のパイプとわたしのコネかな。ちょこっとだけ無理言っちゃった」


 おねだり感覚で言われても困惑するのだが、切絵のつながりは相等強いらしい。


「本当なら私も行きたかったけど、警察からの要請もあって最新の事故現場に行かなきゃいけないの。事故現場の方に何かある可能性も否定できないからね」


 人手不足なのよ、と困ったように言う切絵。今のところ海翔と切絵の二人しか知らないのだが、他にも"狩人"はいるのだろうか。


「周りには僅かに民家があるだけで、火曜の昼間なら人は少ない筈。何か起きたとき、はっくんも対処しやすいからある程度安全だと思うわ」

「わかりました」

「くれぐれも、無理はしないでね。何かあったらはっくんを頼ること。いいわね?」

「はい」


 切絵の真摯なお願いに、優花は返事をした。切絵は満足して頷き、朝食の続きを始めている。


 そういえば、と優花は不思議に思った事を口にした。


「あの、ずーっと疑問だったんですけど、はっくんって海翔のことですよね?」

「そうよ。名前から取ったの」

「いやいや、なんで"はっくん"なんですか?」


 狗淵海翔いぬぶちかいとの名前に、「は」の字は全くない。どうあがいても、はっくんにはならないのだ。


「ふふふ。頭の片隅でいいから、考えてみて?」

「えー、せめてヒントだけでも!」

「だーめ。そのうち、教えてあげる」


 意地悪に笑いながら、切絵はウィンナーを口にした。


 朝の時間はゆるやかに過ぎていく。


 ***


 朝ご飯を食べ終わって数刻後、合流した海翔と共に、優花とランは現場に向かっていた。


『お姉ちゃん、ブレスレット似合う?』


 そう言ってランはブレスレットを見せてくる。切絵の家を出る前に渡した、七色のビーズで編まれたブレスレットを、優花と同じく右手につけている。


 ――『お姉ちゃんとおそろいがいいなぁ』


 彼女の希望もあって、なるべく似せたブレスレットだ。そもそものビーズの質の違いや作り手の技量もあって、どうしても見劣りする一品なのだが、ランはとても嬉しそうにしてくれてる。


『大切にするね!!』

「うん。そうしてくれると作った甲斐があるな」


 優花はランの頭をなでている。隣を歩く海翔は、端から見れば優花の一人芝居を見ながら、ランに話しかけた。


「ラーン、何もらったんだ?」

『ブレスレットです!』


 ランは思わず海翔に向けて腕を差し出すが、その直後に見えていないことに気づいてショックを受けている。優花は小さく笑いながら、海翔に向けてスマホを差し出した。


「これ作ったの」

「綺麗じゃん。お前が右手につけてるのに似てるな」

「なんで知ってるのよ。キモ!」


 海翔に意識して見せた覚えはなかったのだが、よく見ている物だ。昨日のランを見抜いて撫でていたことといい、並々ならぬ観察力・判断力に、一周回って気味悪さを覚えてしまう。


「オレに対して、なんか当たりキツくね?」

「……個人的にいい印象ないし、チャラい人苦手なの」

「さいで。まぁ、別にガキに懐かれなくてもいいけどよ」

「ガキって何よ! これでも十八よ!」

「オレに言わせりゃガキだっつーの」


 ケケケと笑いながら、海翔はタバコを咥える。漂ってきた煙に眉をひそめながら、海翔をまじまじと見る。


 年齢はどれぐらい違うのだろうか? 二十代中頃から後半辺りだと思うが、切絵と比べても今ひとつ接しにくい。見た目と人を気にせず喫煙する所がどうにも好きになれないのだ。救ってもらった恩こそあれど、ストーカーじみた行動は中々怖かった。こればかりは海翔を責めるのは筋違いかもしれないのだが……。


 何かと胸中は複雑である。からかわれるとマジになりがちな自分に合わないという所もあるのだろう。


「切絵さんが一緒だと気楽なのに」

「おぼこ娘にゃ、オレの良さはわからんだろうさ」

「おぼっ!! きっと、悪口でしょ!? どういう意味!?」

「ばーか、ランの前だし自分で調べろよ」

「ランの前で使えない言葉使うんじゃないわよ!!」

『け、ケンカはやめようよ!』


 こんなやりとりが何度か繰り返されながら、三人は目的地にたどり着く。


 外観こそ焼けずに残っていたのだが、コンクリートの壁面は煤けて真っ黒だった。

 至る所にある窓ガラスは割れ落ちており、焼け落ちた室内が覗き見える。


 近づくのも憚られるような見た目の建物に向かって、海翔は怯む事なく進んでいった。ランを負ぶった優花もそれに続く。


 焼け落ちた扉の代わりに、Keep outの文字が走る黄色いテープで入り口は塞がれていた。


『……』


 近づく度にランの顔がどんどん曇っていく。優花は彼女をおんぶしながら、頭を撫でつけた。

 わざわざおんぶをしているのは、ランを守るためである。海翔はランを見る事ができない。そこで、ランに何かあったときに素早く反応するために、ランを背負っていた方がいいと判断したのだ。最初は海翔が負ぶうと言っていたのだが、いざというときに海翔が動けないのは困ると優花が押し通した。重さは感じないため、別にこれ自体は苦でもない。


「気味悪い……本当、何が楽しいのかしらね?」

「さぁな。奴さんの気持ちなんざ、オレも全くわかんねぇよ」


 海翔は「よっしゃ」とテープに手をかけた。


「怪我したくなきゃ、オレから離れるなよ?」

「……よろしく」


 海翔はテープを潜り抜けて、先導していく。

 顔を優花の背中に埋めて、ぎゅっと抱きしめてくるランから、不安が伝わってくる。

 その不安に飲み込まれぬように、優花は自分の両頬を叩いて海翔に続いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る