#2 残りし手がかり

 ――あぁ、本当いやな空気ね。


 昨日起きた火災現場に来ている衛島切絵は、この現場にどことなく溢れている邪気に身を震わせていた。


 木造住宅である事もあってか、半焼してしまったこの現場。煤けた壁は所々が抜けていて、真っ黒になった壁や柱が剥き出しになっている。火の回りが早かったのだろうか。屋根に目をやると、剥き出しになった木組みが見えている。火災の傷跡をこれでもかと見せつけてくるだけでも嫌なのだが、さらに醜悪なのは先ほど運び出された袋の中身だ。


「ついに出ちゃったわね」

「あぁ。いずれやるだろうと思ってたが、ここまで早いとはねぇ」


 ついに、犠牲者が出てしまったのである。

 ちょうど切絵が着いた時、その焼死体は運び出されていた。直接は見ていないが、仕事柄どういった物なのかは知っている。真っ黒になり、所々の筋肉が曲がって元の背丈すら判別ができなくなる。数ある死骸の中でも目を覆いたくなるような物なのだ。

 現在は警察による捜査が行われている、切絵はその様子を俯瞰しながら、顔見知りの警官、深山みやまと話をしていた。


「一軒目と二軒目は空き家、三件目が撤退した製薬会社で、四軒目が住宅街にあった空き家と、徐々に大胆になってたもんね」

「このクソ忙しい時に、連続放火事件なんか起こすなってんだ」


 深山は忌々しげに舌打ちをする。強面の顔も相まって、その表情は昨今の渦浪市の情勢を思えば、そう言いたくなるのはよく分かる。


「本当ね。多分この件も無関係じゃないだろうし」

「""も同じか……悪いな、愚痴って」


 いいのよ、と切絵は優しく返す。

 職種こそ違えど、していることはよく似ている仕事なのだ。愚痴りたくなる気持ちは切絵もよく分かる。


「切絵さん、そっちの方ではなにか情報はあるのか?」


 深山は悔しそうに頭を掻きながら、切絵に話を聞く。切絵は今の現状を包み隠さずに話した。海翔が今追っている事、そして昨日犯人と思しき男と接触をしたこと。


「なるほど。うちで掴んだ目撃情報と一致するな」

「被疑者は上がったの?」

「目下調査中だ。今回に関しちゃ""の案件だから、今""してるよ」


 情報待ちだ、とため息を着いた直後、切絵達の元に近寄ってくる警官の姿があった。

 真新しい制服に身を包んだ、うら若き女性だった。切れ長の目つきと薄化粧の無表情さから、接しやすい印象こそないものの、とても綺麗な子だと思う。一礼してきた彼女を見ると、「噂をすれば、か」と深山は呟いた。


「深山さん、お耳に入れたい事があるんですが」

「え、この子が今の部下なの!? 可愛い子ね!! なんていう子?」


 見慣れない女性に目を輝かせながら、切絵は深山に問いかける。その反応に、女性は無表情のままだったが、どこかほんのり頬を赤くしていた。

 深山は切絵を押しのけながら、


香住かすみだ。そのうちしっかり紹介するんで、そういうの後でもいいか?」

「ごめんなさい。今度、髪切りに来てね?」

「……もしかして、""の?」

「察しが早いところもいいわね。流石は深山さんの部下!!」


 切絵はにっこりと笑うと、改めてその香住に向き直る。


「それで、なにか分かった事があったのね?」

「はい。あの、深山さん、この人にも言っていいですか?」


 その声色は不安ではなく、切絵の正体についての確認のようだった。深山は黙って小さく頷く。


「その、被害者の携帯を調べたんですけど……」


 香住の報告に、切絵は真剣な面持ちで耳を傾けた。


 ***


「にしても、空き家ってそんな多いもんなの? 少なくともこの町で三軒もあったなんてびっくりだけど」

「意外とあるみたいだぞ? こないだ調べたら全国で850万軒近くあるんだとよ。オレの家の近くにもあるし」

「アタシはあんまり見た事ないなぁ……あ、でも」


 昼間でも薄暗い建物の中を、海翔と優花は歩いて行く。割れた窓から差し込む日の光こそ明るいが、元が製薬会社の研究施設であるからか窓の光が及ばない場所も多く、昼間でもどこか不気味である。ランは優花に負ぶわれながら、周りを見ているが、その顔はどこか不安げだった。


「でも?」

「……なんでもない。あそこも今そうなってんのかな、って思っただけ」


 ぶっきらぼうに返した答えに、海翔は疑問符を浮かべていた。

 沈痛な面持ちのまま、その後は黙って周りを見ている。二階に向かう階段に足をかけたとき、ランが『お姉ちゃん』と小さく呟いた。


『……わたし、ここなんとなく覚えてる』

「うそ、じゃあここにいたの?」


 優花の言葉に、海翔の足も止まる。


『いました。その、なんでここにいたのか、とかは思い出せないけど……燃えてた』

「ラン……」


 ランは優花の背中に顔を埋める。落ち着かせるために、背中越しに頭を撫でる。柔らかな髪の感触とふさふさしたウサギの耳の感触が混ざっていた。

 階段を降りてきた海翔に、優花はランから聞いたことを伝えた。


「どういうことだと思う? 普通ここに女の子いないよね?」

「あり得るとすれば、家出していてここにいた、とか遊びに入っていた、とかか?」

「もしかしたら捕まってたとかかも。でも、ここが撤退したのってずいぶん前よね?」


 こんな場所に捕まっていた、なんてことは考えたくもないのだがあり得る可能性の一つとして優花は口にした。

 気づくと海翔は煙草を口にくわえて、あがっていく煙をぼんやりと眺めながら考えにふけっていた。


「可能性が高いのは……ここを何者かがねぐらにしていたか、だな」

「その、前に来たときってそういう手がかりあったの?」


 海翔も一服をしていることだしと、優花はランを下ろした。ランはすぐに優花に抱きついてくる。腹の辺りに来たランの頭を撫でながら、優花は手頃な壁にもたれかかった。


「いや、実はオレもここに来るのは初めてだ」

「そうだったの? てっきり、火事の事を前から追っていると思ってたんだけど」

「追い始めたのは、お前と会ったあの日だ。それこそ、あそこから火事のペースが上がってこっちに仕事が回ってきたんだ」


 海翔も優花同様にもたれかかり、ランの頭をなで回した。相変わらずよく推測できる物だと感心しながら海翔の話を聞く。


「あの日は一軒目と二軒目の調査してた。その日の帰り道で、姐さんにお前を見てろ、って言われたんだよ」

「それでアタシに蹴られた、と」

「とんだ跳ねっ返り娘だと思ったよ」

「やかましい!!」


 軽口をたたき合いながら、海翔は笑う。豪快な笑い声が、薄暗い施設の中で響き、ランが不思議そうに顔を上げた。


『どうしたの?』

「アタシの事跳ねっ返りって言ったの! おてんばとか、落ち着きがないとかそういう意味!」

『ストーカーやっつけよ、って言われたときは正直びっくりしたよ?』

「うっ、ランまで痛いとこついて!」


 思わず胸を押さえた優花の反応が面白かったのか、ランの顔に笑顔が戻る。

 見えていないはずの海翔だが、優花の笑顔を見て察し取ったのだろう。もたれかかっていた壁から背を離し、階段の方へと向かい始めた。


「さて、じゃあ上行くぞ」

「あ、待って!」


 二階の部屋を一つずつ探索していくが、既に警察の捜査で運び出された後なのだろうか。不審な物は特になく、ランが何故いたのかと言う手がかりに繋がるものはなかった。

 無駄足だったかと優花が観念したとき、海翔はある一点を見つめていた。


「海翔? どうかしたの?」

「あぁ、きな臭ぇなって」

「ん?」


 海翔が見つめているのは何もない壁だった。火事の影響か黒ばんでいる物の、それ以外に不審な点は見当たらない。


「何がきな臭いの?」

「少し下がってろ」


 そう言う海翔の左手には、鞘に収まった日本刀が握られている。

 左の親指が鍔を押し出す。


「ちょ、アンタ――」


 急な出来事に驚き、優花が後ずさった直後、


 突風が優花の髪を揺らした。


『え、何なに!?』


 少しうとうとしていたランがその風と共に顔を上げる。

 優花はその光景に開いた口がふさがらなかった。


 カチッ、と鍔と鞘が小さく音を立てる。


 突風は海翔が刀を振り上げたときに起きたものだった。

 勢いよく振り上げたその刀は、目の前の壁をふすまほどの大きさに切り取っていた。

 豆腐でも切ったのだろうか? と言うぐらいにこの一瞬で海翔は切り裂いていたのである。


 優花にとって疑問なのは、日本刀とはここまで切れ味が鋭い物なのか、と言う事だが、それは今どうだって良い。満足そうに刀を"しまった"海翔に向けて、優花は詰め寄った。


「ちょ、ちょっと何やってんの!? 調査中の建物にこんなことしていいわけ!?」

「言い訳はまぁ適当にしとくさ。それよか、ほれ、見てみろよ」


 ふすまほどの大きさに変えたを海翔は蹴り倒す。

 その後ろには不自然な空洞があったのだった。


「うそ、これ見越してたの?」

「おう、ここの壁に違和感があってな。建物の規模から言うと、ここにまるっと空間があってもおかしくないなって」

「……見取り図とかあるんだっけ?」

「手に入ってないが、オレの頭にはもう大体できてる」


 ランを触ったことといい、見た目はチンピラの癖してどうしてこうも空間把握に長けているのだろう。驚きっぱなしの優花とランをよそに、海翔は奥へと進んでいった。

 恐る恐る優花もその後ろを着いていく。


「待て、優花!」


 海翔の制止の声は遅かった。

 そこに広がっている風景に、優花は思わず目を覆った。


 先ほどまで見ていたごく普通の会社の風景とは違い、如何にも秘密の研究室と言える物だった。


 壁際をびっしりと覆っているのは、さび付いた鉄格子。それも、中にあるのは乱雑に置かれた白骨だった。小さな骨は人の物ではなく動物の物だろうか? 実験動物のなれの果てなのか、はたまた火事で燃え尽きた後なのか……。

 漂ってくる臭いには、薬品特有の刺激臭と腐敗した物が出す臭いが混ざり合っていた。いるだけで気持ちが悪くなってくるこの風景に、優花は自分の身よりも先にランの事を案じた。


「ラン、見ちゃダメ!!」

『あ、あぁ……』

「ラン!?」


 ランの腕の感触がなくなっていた。

 後ろを見れば、ランはは背中から降りて、頭を抱え込んでいた。


「ど、どうしたの!?」 


 ***


 ――『もう少しなんですが……』

 燃えさかる炎の中で声が聞こえる。


 鉄格子の中にいた自分を救ってくれたのは、長身の男だった。その男に抱えられて、自分は今動いている。顔は見えないが、長身のその男は何かに気づいて、後ろを見た。


 ――『ここまでのようですね』


 少女の脳裏に過ぎったのは、覚えていない光景だった。

 だが、直感で分かる。これは失った自分の記憶だろう。


 長身の男は自分を下ろす。直後、自分と男の間に炎が走る。


 覚えていない自分の喉が震える。その男の名前を叫んでいるようだったが、自分の耳には聞こえない。


 ――『どうか、あなただけでも逃げてください。私の最後の力で、あなたをどこかに飛ばします』


 男は背中を向けたまま、話を続ける。

 ただ、その話が所々炎の音に掻き消されて聞こえない。


 やがて、自分の足下には目映い光が起きる。


 ――『もしかしたら、何かあなたにも代償があるかもしれない。だけど、頼みます。それだけが私の希望なんです』


 ここで何が起きたのだろう?

 この人は一体誰なんだろう?

 何を自分に託したんだろう?


 追憶の景色がどうしてなにもわからないんだろう?


 目映い光が強くなり、男の背中が消えていく。


 ***


 調子の悪くなったランを抱えて、研究室を出た優花と海翔。心配そうに覗きこむ優花と目が合ったランは頬を押さえたまま、小さく呟いた。


『ちょっとだけ,思い出しました』

「何を、思い出したの?」

『……わたしは、ここから、誰かに逃がしてもらったんです』


 そう言ってランは鉄格子の中を指さす。


『なんでこんな所にいたんだろう……まったく、覚えてないんですが、ここから逃がしてもらったことは覚えてます』

「ラン……!」


 優花は思わずランを抱きしめていた。

 ランの顔に浮かんでいるのは恐怖と言うよりは不思議。それでも、ランがここで何かをされていたことには違いないだろう。その事実見せないようにと、優花は優しくランを抱きしめる。


『お姉ちゃん……』

「そのさ、無理に思い出さなくってもいいんだよ?」


 忘れているのなら、それが幸せなのではないか、と優花は思わず口に出てしまった。

 こんな所にいたと言う事実を思い出しても、不幸な事が待っているだけではないか?


 ランの境遇に思いを馳せながら、優花の目からは涙が流れていた。


 海翔はそんな優花を黙って見つめている。


『ありがとう、お姉ちゃん。けど、逃がしてくれた人に何かを頼まれたの』

「え……?」


 抱きしめていた体を離して、優花はランの顔を見る。

 あどけないその表情に浮かんでいるのは、戸惑ったような笑顔だった。

 丸い瞳は、恐怖ではなくある種の覚悟ができているように見える。


『それだけは、思い出したいな、って思うんだ』


 まぶしさすら覚える、柔らかな笑顔を見せていた。

 強がりともまた違う。ランなりに、その恩人への恩返しをしたいという覚悟があるような顔だった。


『それが、わたしがここにいる意味だと思うんだ』

「……ランは、強いね」


 優花はその顔に、涙を拭って笑顔を返す。


『跳ねっ返りは、お姉ちゃん譲りだよ!』

「ちょ、まったくもう!!」

『へへへ』


 優花はランの頬を両の手で挟み込み、ランは朗らかに笑う。


 ランの姿こそ見えないが、優花の状況からその様子を把握した海翔は、敢えて何も言わずに微笑み、ずれたバンダナを戻しながら研究室の調査に戻っていった。

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