#3 狗と猫

「ありゃ全部持ち出された後だった。ここを探ってもこれ以上は何もないな」

「そっか。手がかりとかが残ってればよかったけど、残念ね」


 あれから、優花とランは海翔が戻ってくるのを待っていたのだ。時間にして10分ほど。「なんもねぇや」と煙草を咥えながら戻ってきたのだった。


「そういえば、さっきなんかブツブツ言ってなかった?」

「姐さんと通信してたんだよ」


 陰鬱な靄がかかったように重苦しい雰囲気の施設を出た途端、眩しい日差しに優花は目がくらんだ。


 気づくと太陽の位置は真上。正午を回っているみたいだった。時刻を意識した途端、ふと優花は空腹を感じるのだった。


「この辺ってなんかあるのかな?」

「そういやメシ時だな。オレの家近いから、案内ならできるぞ」

「だって。ラン、なんか食べたいのある?」

『んー、おにぎりが食べたいな』


 近い、と言ってもここら辺には家がまばらにあるだけ。それも、今の時間帯は人の気配すら感じられない。ここまでの道筋を考えると、駅前付近に戻らないと厳しいかもしれない。

 おにぎりかーと優花も海翔もランの意見に苦笑する。


 穏やかな雰囲気の昼下がり。放火された跡地の探索という、緊張感が適度に抜けてきたこの頃合い。

 優しく吹く風が乗せてくるのは新緑の香りと、


 何かが燃える、煙の臭い。


 違和感に気づいた時、優花の体に衝撃が走った。


「アブねぇ!」


 その衝撃は、海翔の手による物だった。自分とランを押し出した行動の意図が分かったのはその数瞬の後。


 不平をぶつけようとした海翔の足下に走るのは、導火線の如き火種の路。


「え!?」

『え、海翔さん!?』


 驚きの声も束の間。火種は一瞬のうちに燃えさかり、優花達の視界を真っ赤な炎が覆い隠す。


 一瞬の間に炎の壁が優花達と海翔を分断したのだった。


「海翔!?」


 大声で呼ぶ優花の声だが、燃焼音が遮っているのか返事はない。


 壁を回り込もうと試みたが、炎の壁はどこまで伸びているのか見当も付かない。


 ――なにが、起きてるの!?


 ***


 ――つったく、なんだこの魔力量は


 優花とランを逃がした直後、海翔は燃えさかる炎の壁を観察する。


 海翔の目測では十五メートル四方といった所か。野球の内野はおよそ二十七メートル四方と聞くが、それよりは一回り小さいほど。広さとしては充分な空間だ。


「おや、全員確保と思ったのだが。カンがいいな」


 この空間にいるのは海翔一人ではない。海翔がいる場所の対角線上に、男は立っていた。

 レザーの手袋に黒色の帽子を目深に被っている姿は昨日と変わらない。

 しかし、覗かせる瞳には明確な敵意が浮かんでいた。


「カンとノリだけで生きてるモノでな」


 軽い返しをしながらも、海翔は内心で安堵のため息を漏らす。


 炎の壁の役割は、分断目的の柵ではなく、捕らえるための檻であるらしい。

 であれば、この檻の外にいる二人の安全は逆に確保されたと思っていいのであろう。


「まぁいい。今回の仕事に差し障りはない」

「前も仕事っつてたな。仕事ばっかで楽しいか?」

「楽しいとも。オレの仕事は、"使"からの福音だからな」

「天使ぃ……?」


 海翔の眉がつり上がり、口調が荒くなる。それに気づいた様子もなく、男は恍惚とした表情を浮かべている。


「無力な俺に"救済"の力を賜った、"天使"からの仕事だ。楽しみこそあれ、そこに辛さなどない」

「……変な宗教にでもハマったのか?」

「祝福の力をもらえぬ貴様らにはわからんさ」

「わかりたくもねぇよ」


 つれない態度が気に障ったのか、帽子の男は両の手を広げた。


「いいさ。祝福の業火に焼かれれば、嫌と言うほど理解できるとも」


 真っ黒なレザーの手袋を見せつけながら、こういった話をされると宗教家のように見えなくもない。

 独特ながら、この男の戦闘態勢であることは先のやりとりで分かっていた。


 内からわき上がる闘志を抑えるように、海翔は首をゴキッと鳴らす。


「そっちがその気なら、今度は逃がさねぇよ!」


 相手の炎に距離は関係ない、と言う事は推測はできる。

 ならば、早々に距離を詰めるべきだ。海翔は駆け出しながら、左手に刀を"召喚"した。


 待ち構えている男に向けて、一瞬で距離を詰めた海翔は躊躇なく抜刀。

 妙な気配のする手袋を切るための抜刀だった。


 切っ先を向けられた男は、怯むでも対処するでもなくただ口を開く。

 

「本職の"狩人"相手だ。俺だけでは荷が重いのでな」


 瞬間、黒い塊が海翔と男の間に割り込んでくる。

 今度は炎ではない。その塊は獣の形をしていた。


『ウニャァア!!』


 黒い毛並みに白い髭。月夜を思わせる黄色の目玉と黒い虹彩。


 その獣は黒猫だった。開かれた口から覗く鋭い牙、睨みかかってくるその表情は、敵意に満ちている。


 いや、ただの猫ではない。

 飛びかかりながら、猫の体中の毛は徐々に燃えていく。


 一見すると火だるまのようだが、黒猫は火を纏いながら振り払った刀の上に着地する。

 急激な重さの変化に体勢を崩した海翔。刀を足場とした猫は海翔の顔面に向けて飛びかかる。


 燃えさかる爪を目前に、海翔はようやく現状把握が追いついたのだ。


 ――やべ。

 今、コイツは切れない。


 踏みとどまりながら、海翔は左手に握った鞘で猫を殴りつけた。真横からの不意打ちに、猫は為す術なく吹き飛ばされる。


「どうした、まだいるぞ?」

『グルルッ!!』


 既に海翔に飛びかかっている猫が二匹。


「クソっ!」


 納刀の暇がない。


 海翔は鞘とむき出しの刀を盾にしながら、二匹を押さえ込む。鍔迫り合いの様相になりながらも、猫が放出する炎の勢いが徐々に増していく。炎は裾を焦がし始め、肌にひりひりとした熱気が伝わり始めた。


 視界の端で、先ほど飛ばした猫が起き上がってくるのが見える。今この状況で攻められては埒があかない。

 海翔は足に魔力を流し、踏み込む力を増幅させた。


「おらぁっ!」


 その勢いで二匹を押し出す。

 二匹は華麗に体勢を整えながら、男の前に戻る。

 その軌跡が作り出す炎の後は、どこか幻想的であった。


「……そういや、行方不明になった猫事件、なんつーのもあったな。こいつらがその末路か?」


 先ほど海翔が飛ばした猫も男の前に戻り、三匹の猫が揃っている。

 通常猫は群れを形成しない生き物である。しかし、この三匹の動きは妙に統率が取れている。


「その通り。実験で生き残った三匹だ」

「猫すら改造してんのかよ、お前らの所の"天使"様はよぉ!?」


 苛立ちに身を任せるように海翔は右の手を振るって火を消した。


 力を与えられたと、この男は言った。

 実験で残った猫だと、この男は言った。


 人間であれ、動物であれ、"表"の生き物が急に"裏"の力を与えられている。

 渦波市で最近確認されている事件と同じなのだ。


 ――"天使"か。それは初耳だな。


 ひょんな事からコラージュを訪れた優花とラン。

 あの二人が持ってきたこの一件は、実は大きな転機になるのではないか?


 この町を少しずつ浸食している事件解決に向けての糸口になるのではないか?


 右手で懐をまさぐった海翔は、煙草をくわえ込み、左裾についた炎で火をつける。ため息交じりに吐いた煙と共に、左裾の炎を振り払った。


 ――ようやく見つけた尻尾だ。逃さねぇよ?


 所行に腹は立つが、ようやく見えた兆しだ。咥え煙草と共に微笑んだ笑みに、男は一瞬たじろいだ。

 畳みかけるように海翔はある名前を口にする。


町田まちだ 篤仁あつひと

「っっ!!……そうか、捜査はもうそこまで進んでいるのか」

「さっき連絡があってな。生憎お前は指名手配されてるぜ?」


 先の研究室で受けた連絡は、この男……町田に関することだったのだ。

 警察が探っていた情報と切絵が持ち寄った目撃情報が合わさる事で、特定はできたと言っていた。


 しかし、町田は思いの外冷静であった。くくくと喉を震わせながら、ただ不気味に笑う。


「"天使"から賜ったこの力があれば、生憎、"表"でいくら指名手配されても関係ない。さぁ、始めるぞ"狩人"」


 町田の敵意に反応してか、三匹の猫は一斉に海翔に向かってきた。


 三方向から襲いかかるその猫は、己の体に火を纏っている。

 猫の険しい表情は海翔への殺意と共に、燃えさかる自身への悲痛を孕んでいるように海翔は思った。


 居合抜きの要領で構えを作りながら、海翔は呼吸を整える。


 ――楽にしてやるよ。


 しかと開いたその瞳は、襲いかかる猫の順番を見定めた。


 最初に来るのは、向かって右から迫る猫。


 海翔はその一匹に向けて駆けだした。


「はぁ!」


 猫がリーチに入った途端、海翔の刀はその身を表す。 

 一瞬のうちに抜き身になった刀は、そのまま猫の面を横一文字に切り裂いた。


『ナァッ!!』


 悲痛な叫び声と共に、猫の体は両断される。猫の体から溢れだした炎は、絶命と共に共に消え去った。


 見るも無惨な猫の遺骸を脇目に、海翔は刀を鞘に戻す。狙うは首魁の町田だけ。


「ほう。これはどうかな!?」


 鳴らした指と同時に、海翔の目の前に扉ほどの炎の壁が立ちふさがる。


「邪魔だぁ!」


 のれんをくぐるかの如き、迷いのなさだった。

 気づくと抜かれた刀は、炎の壁を二分していた。

 両断された炎の壁は、気づくと虚空に還っている。


 彼我の距離はあと僅か。

 再度の納刀を試みた時、


『ウナァアッ!!』


 背後の気配が邪魔をした。


 仲間を殺された嘆きか。先よりも悲痛な叫び声を出しながら、二匹の猫は海翔の背中を狙っている。


 切るか切られるか。否、町田には数歩踏み込みが足りない。


 舌打ちをしながら、海翔は顧みる。右手には剥き出しの刀。


 二匹の猫の軌道を見極めて刀を振るう。

 その一撃は猫を弾くのが関の山。猫や炎を両断した刀と同じとは思えないほどに、猫には切り傷一つ付いていなかった。


「なるほど。納刀にしかけがあるな?」


 海翔の背後に立った町田は、蹴りを放った。

 身をねじりながら海翔は鞘で防ぎ、蹴られた衝撃を生かしながら海翔は距離を取った。


「さぁて、どうだかな?」


 海翔は刀を鞘に収めながら、様子を確認する。

 殴りつけた猫達は起き上がると、身を伸ばしながら振って体制を整えていた。

 

 町田の見立て通り、海翔の刀は非常に特殊な業物だ。その効果は"鞘から抜いたとき、海翔が切ると決めた物のみを切ることができる"という物である。


 。ただし、その逆で


 切ると決めた物が具体的であればあるほど必要な魔力が減る上に、ピンポイントな指定ならばより確実に切り伏せることができる。

 ただし、具体的にすればするほど切ることができる箇所は狭まってくるため、失敗が許されなくなるのだ。


 今回の場合で言うならば、"猫Aを切る"と定めれば先のように両断はできる。しかし、そう定めれば"猫B"は切る事ができなくなるのだ。その場合、この刀はただの金属塊となって切り傷一つつける事はできない。


 当然、鉄の塊で殴っているためダメージがないわけではないだろう。しかし、耐久力も上げられている猫たちにさしたる一撃を与えられた様子はない。


「行け」


 町田の命令と共に猫たちは喉を鳴らしながら突っ込んでくる。二匹の猫も、仲間の死から学んだのだろう。足並みを揃えて同時に迫り来る。


 ――さて、切り落とすのは別に難しかない。ただ、今回は同時に来やがるのがちと難儀だな。


 タイミングを揃えて首筋を狙ってくる猫達を、海翔はしゃがみ込んで避ける。猫たちは海翔の背後にある炎の壁を蹴って再度向かってきた。


 ここで切る。片方の猫に狙いを定めて刀を抜こうとした瞬間、後ろからは指をパチンと鳴らす音が聞こえる。


 ――めんどくせぇなぁ!


 生み出される炎の場所は、なんとなく予想がつく。海翔は抜刀の寸前に後ろに下がった。

 案の定、足下から炎の柱が燃え盛った。


『ウニャァア!』


 炎の壁から生えるのは、合計四本の前足。

 燃える爪を剥き出しにしながら、猫たちは炎の柱を潜り抜けてきた。


 思いがけない景色に、海翔の抜刀も間に合わない。


 ――火への耐性も上がってるのな!?


 先に来た猫の爪を、鞘を用いて防ぐ。


 魔物と化した生物の知性は、時として元となった動物のそれを凌駕する。


 この猫達もその例外ではなかった。あろうことか片方の前足で鞘を押さえ込み、もう片方の鋭い爪は、海翔の腕に抉り込んだ。


 ――熱ぃ!!


 傷口が燃えるように痛む。否、比喩ではなく本当に燃えていた。

 その猫は海翔に突き立てた爪に魔力を流し込み、中から燃やしているようだった。


 ワンテンポ遅れてやってきたもう片方の猫が、鞘を飛び越えながら海翔の首元を狙う。

 その背後からはパチンと指を弾く音が聞こえてくる。


 目の前には猫の爪。足下には炎の柱。後ろに避ければ先と同じ、鼬ごっこが続くだけ。


 燃える痛みを海翔は噛み殺し、鞘に手をかけた。

 ――今、切るべきものは


 猫か? 炎の柱か?

 今優先すべきは――


「おらぁ!」


 足に魔力を込めながら、海翔は真上に飛び上がる。建物の二階に届かんとする勢いの跳躍力で、首元を狙う猫は避けられる。しかし、足下から燃えさかる炎の柱は変わらずに海翔に向かってくる。


 海翔は最高点まで達すると、柱の方を見ながら、左手を……そう、未だに猫の付いた左腕を柱に向けて差し出した。猫は炎の柱に当たっても、特に堪えた様子はなかった。


 この猫たちに火は効かない。これは、猫の火への耐性を生かした即席の盾である。


 この一瞬の隙さえ在れば、


「おらぁ!」


 刀は既に右手の中。

 抜いた刃をそのまま下に向け、炎に向けてギロチンの如く落下した。


 奇妙な事に"両断"された炎は、切られたところから形を失い、虚空へと消え去っていく。


 地面に着地した瞬間、海翔は納刀を終えていた。


『ハァン!?』


 海翔に着いたままだった猫は、何かに気づいた様子で、奇妙な声を上げる。

 突き刺した爪を抜き、海翔から急いで離れようとするが、


「恩を仇で返して悪ぃな!」 


 そんな暇などあるわけがない。

 海翔は刃を抜き、猫を切り捨てた。


 ――つったく、後一匹か。


 刃に付いた血を払いながら、海翔は鞘に戻す。

 

 左手からは己の血を流し、

 全身には猫の返り血を受け、


 全身を血の色で染め上げた海翔は、未だ残る煙草の煙をふぅ、と吐きだした。


 獰猛な肉食獣か、はたまた血に飢える夜叉か。

 人並み外れた気迫に、猫は怯えきってしまった。


 町田は海翔を意に介していないのか、はたまた開き直ったのか、既に次の手を打ち始めていた。


「ほら、行け」


 怯みきった猫を蹴り飛ばして、発破をかける。

 直後、町田は指を鳴らす。


 足下か? いや、今回は魔力の気配はない。

 町田が点火したのは……


「うにゃぁああ!!」


 その叫び声は悲鳴に他ならなかった。

 海翔に飛びかかってきた猫は、既に自棄になっているのであろう。ありったけの魔力を込め、更に町田の炎を足された状態で飛びかかってくる。


 子どもが乗る三輪車程もあろうか。巨大な火の玉となって特攻してくる猫。

 怯えきった顔と、断末魔の悲鳴は、獣であろうとある感情が伝わってくる。


 海翔が抱いたのは敵意ではなく同情だった。


「……せめて一息で殺してやる」


 刀を腰に携えて、海翔は真正面から走って行く。


 接触の瞬間、海翔は刀を振り上げた。


「うにゃぁあ!!」


 猫は頭から真っ二つに両断されながら、海翔の両脇に右半身と左半身を分けて倒れ伏せた。


 燃えさかる猫の遺骸を後にして、海翔は町田に向かって駆け出した。


 その動きを予測していたのか、町田は指を鳴らす準備を既に終わらせていた。


「無駄なこ――」


 海翔は口に咥えた煙草を勢いよくはき出した。

 火の付いたその煙草は、町田の頬を焦がす。


「うぉっ!」


 後ろにつんのめった町田は指は鳴らしたが、見当違いの場所を燃やすだけだった。

 刀の間合いに、町田を入れたその刹那。



 鍔なりの音が静かに響いた。



「締めだ、ド畜生」


 右手のレザー手袋はズタズタに切り裂かれている。

 町田の右手には幾度も叩かれた痛みが襲いかかり、無数の青あざができあがっていた。


「うぉおおお!?」


 悲鳴を上げる町田の首元に、刃が突きつけられる。

 海翔は大の男が情けなく漏らす悲鳴をただ聞き流していた。


「な、な……何故、手を落とさない?」

「オレの刀は何でも切れる。だからこそ、ヒトの体は両断しないって決めてんだよ」

「ほう、た、大した信条だ。だ、が、俺にかまけてていいのか?」

「……何?」


 海翔の眉がピクリと上がる。

 町田は右手を押さえ、震える声で言葉を紡いだ。


「俺が、ここに立ち寄ったのは、たまたまだ」

「……どういうことだ?」


 町田が魔力を込めるのをやめたのか、気づくと周りの炎の壁はなくなっている。


「一件終わった後、たまたま立ち寄ったらお前らがいたと、それだけだ」


 しかし、物が焼ける独特の臭いが未だに鼻から離れない。

 先の猫か? 否、既に猫の死骸は燃え尽きている。


 となると、この臭いの正体は……

 

「……てめぇ、そういうことかよ!?」


 海翔の目に入ったのは、勢いを増しながら燃えさかる民家だった。


 目を離した瞬間、何かが擦れる音が聞こえる。はっと視線を戻すと、そこには左手を燃やした町田の姿。


「おらぁ!」


 立ち上がりながら海翔の頬を殴る。

 燃えさかる一撃、そして恐らく利き腕でもない素人の拳だ。もろに入りこそしたが、大した痛みはない。


 だが、町田が逃げる隙を作り出してしまったことには変わりない。


 右手をだらんと伸ばしながら、町田は海翔から距離を置いた。


「ここは引かせてもらおう!」


 海翔は頬の炎を払い、走り出そうとしたが、聞こえてきたのは町田が指を鳴らす音。


 左の指をならした直後、町田と海翔を分断するかのように、火の壁が生えてきた。


「町田ぁ!!」


 叫ぶ海翔の声に、返事はない。

 そして、今ここにいるべき人物がいない事に気がついたのだった。


「優花、ラン!? どこだ、どこにいる!?」


 周りを見渡すが二人の姿は見当たらない。

 町田が言う"天使"に攫われたか? いるとしたらどこに行った?

 考えを張り巡らせる海翔の腰に、何かが当たった衝撃が訪れた。


 ――ん?


 しかし、周りを見ても海翔の腰に当たった物は何もない。


 何に当たったのか? 不思議に思った海翔は、ある可能性に気がついた。


「ランか!? 優花はどうした!?」


 ランからの返事は当然の如くない。

 代わりに、海翔の手に何かが握らされた。

 その板状の物に、海翔は見覚えがある。


 ――アイツの携帯!?


 朝に見た優花の携帯に他ならなかった。

 その画面に映っていたのはメールの画面。


『お姉ちゃんを助けて!』

「……わかった!」


 何が起きたかを考えるよりも先に、海翔はその場所に向かっている。


 民家の火事、ランだけがここにいる、優花が携帯を放り出してまで駆けつける場所……


「あんの跳ねっ返りが!!」


 この状況下で、優花が向かいそうな場所など、もはや一つだけだ。


 一戦終えて疲れた体を奮わせながら、海翔は燃えさかる民家に向けて走り出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る