#2 月兎の貌

 コラージュの向かいにある空き地。五十坪ほどで、そのまま家を建てられそうな立派な敷地であるが、とくにそういった予定はないと言いたげに短く草が生えている。その入り口には「関係者以外立入禁止」と書かれた看板がぽつんと立っている。


 この場所、実は一昨日に優花ゆうか海翔かいとが鍛錬を積んでいた場所である。不法侵入――と言うわけではなく、実はこの空き地は切絵の私有地であり、彼女の手によって人払いの魔術がかけられている。この場所、名実ともにどこにでもあるただの空き地なのだが、どうやら一般人から見ると、この場所は近寄りがたい場所に映るらしい。そして、ここを"関係者"……要するに、"狩人"の面々が使う時、切絵の魔術――優花も詳細は知らされていないが――によって、外から見た景色をごまかしてくれるそうだった。道行く通行人達には、今ここには三人の男女……優花と海翔、辰巳たつみが穏やかに話をしているように見えるらしい。


 では、実際には何をしているのかというと……


 パァン!


 けたたましい銃声が響き、その音に優花は耳を塞ぐ。


 そう、今ここで優花は魔術の特訓をしているのであった。今日は土曜日。撫子も切絵も美容師の仕事から抜けられないらしく、海翔と辰巳による実践演習の日なのだ。昨日の芥戦でも行ったように、辰巳から受け取った銃を撃ってみた所である。


「はぁはぁ、どうだった?」


 銃の重い反動によろめきながら、優花は二人に問いかける。耳こそ押さえていたが、涼しい顔して見ていた海翔と辰巳は優花に答えた。


「――なるほどな、ビーズか」


 しみじみと呟く海翔。何かを思い出したかのように、神妙な面持ちをしていたがすぐに普段の顔に戻る。


「しかし、不思議な弾だな。途中で炸裂するっつーのは」


 海翔の言う通りである。射撃訓練、と言うわけではないのだが、「あった方が盛り上がりません?」と向かい側に丸い的を用意してもらっていたのだが、当たる当たらない以前に、そもそも弾が進まなかった。その半分ぐらいの距離を進んだところで、弾は勝手に炸裂していったのだ。


「前もそうでしたね。炸裂するビーズが、優花さんの魔力特性かもしれませんね」

「そうだな。ただ、気になるのはだ」


 海翔の言葉に、辰巳もコクリと頷く。

 海翔は雪那を、辰巳は芥を――二人とも、それぞれの場面で魔術にかかった人間を見ているのだ。


「辰巳、お前が昨日戦った芥っつーヤツはどうなってた?」

「どうって――そうですね。扉を優花さんだと思って切り刻んでいましたよ」


 「あれは不気味でした」と付け加える辰巳。錯乱したように扉を殴りつける姿を思い返す。いや、芥から見れば、きっと錯乱していた訳ではないのだろう。優花相手に語りかけながら、上機嫌に扉を切り刻む様は確かに不気味なことこの上ないが、優花がそこにいると信じて疑わない様子だった。


「そうか。となると、予想はできるな」

「そう言う海翔さんの方はどうなんです?」


 一人予想を立てる海翔に向けて、辰巳が問いかける。


「オレの方か。そうだな。アイツは優花が目の前にいるのに、さも遠くにいるように話しかけてた」

「なるほど……となると、大分絞れそうですね」


 情報から魔術の正体を見極めている。辰巳は昨日の戦いでも披露していたが、海翔もまた同じようにしている。思えば、海翔は町田との戦いでも、ほとんどダメージを負っていなかった。こうして推理をする姿はなかなか絵になる物がある。

 頼もしく見つめていた二人が、不意にこちらを向いてきた。


「よし、オレに撃て」

「僕に撃ってください」


 声を揃えてとんでもない事を言い放つ二人に優花は面食らってしまった。


「何言ってるの!?」

「何って、言葉通りだが?」

「そうです。実際に撃ってみてください」


 辰巳に至っては目を輝かせている。興味津々な姿は、年相応で可愛らしいのだが、一方で発言の内容はとんでもなく物騒である。


「なんか考察できそうな流れだったじゃない!」

「百聞は一見にしかず、だ。予想はあれこれできるが、実際に食らって分かることだってある」

「そうです。昨日の芥戦でもそうでしたけど、情報からできることはあくまで推測だけ。じゃあ、実際どうなのかは見てみないと分かりません」


 思い返せば昨日の芥戦でも辰巳はそんなことを言っていたような気がしてくる。話について理解はしたが、しかし撃てと言う言葉に納得などできない。


「できるわけないでしょ! 芥を撃つだけでも大分緊張したのに!」

「問題ねぇさ。弾の破片に当たる程度なら致命傷にすらなんねぇよ」

「ここまでの情報からも、直接ダメージを与える訳ではないでしょうから、平気ですよ」

「そ、それはなんとなく分かるけども!」


 だからといって引き金を人に向かって引けるかは別問題であろう。芥に撃ったときの興奮した状況を、今ここで、それもこの二人を相手に引き出せと言われても難しい。

 優花の言葉に海翔は「無理もねぇか」と溜息をつく。


「なら、別に銃じゃなくてもいい。お前の戦法に銃は合わないだろうし」

「戦法?」

「あぁ。お前、銃撃つよりも人を蹴る方が躊躇しないだろ?」

「人聞きの悪いことを! まるですぐに人を蹴る暴力女みたいに言わないでよ!」

「どの口が言ってんだか」


 勘違いから来た物であるとはいえ、海翔と初めて会った時に交わしたものは言葉ではなく足である。言い返そうと口を開いたが、しかし何も間違っていない初対面だったので優花は口を噤んだ。


「とりあえず魔力を出してみればいいのね?」

「あぁ。銃に込めていた魔力を、手でも足でもいいさ。出してみろ」


 ――『無意識を意識的に使うこと、それが魔術の本質よ』

 昨日の切絵の言葉が脳裏に響く。あの時、切絵はその手の上に次々と魔力を放出させていた。

 ふと、意識の手助けに、と思って。

 優花は、右手の裾を下げて、ビーズのアクセサリーを露わにする。かつて、満月みつきからもらった、何にも変えられない大切な物だ。見ているだけで、優花の内にはこみ上げてくる物がある。


「……うんっ!」


 意を決した優花は、視線の先を僅かに動かして、手のひらを見つめる。そして、ぐっと力を込めた。


「……時に、これ出せなかったらどうします? 僕、教える自信ないですよ」

「そんときゃ、実戦訓練だな」

 

 端から聞こえる声を無視して、優花は目を閉じた。


 瞑想にも近しい感覚。外への意識を閉じて、そのまま意識を内側に向ける。

 己の内側を奔る無意識の力――魔力の流れが、不思議とイメージできてくる。


 ――大丈夫、一回アタシは魔力を使ってる。


 指揮棒を振るうコンダクターのように、魔力の流れを広げた手のひらに向けていく。


 ――あの時は無我夢中だったけど、今なら多分意識して使えるはず。


 思い浮かべる形はビーズ。

 姉を失い、信用できなくなったとしても、不思議と手放すことができなかったビーズ。特に満月が大好きだった、トンボ玉のような、綺麗な丸い形を、手のひらの上に思い浮かべていく。


「はぁ、はぁ……」


 集中力の限界を告げるように、優花は小さく息を漏らす。

 逆に優花の耳に飛び込むのは、二人が小さく息をのむ声。


 その反応と、手のひらに乗ったその感触に、優花は顔を明るくする。


「で、できた!」

「ほう、大したもんだ」

「お見事です」


 口笛を吹く海翔と小さく手を叩く辰巳。しかし、そんな二人が気にならない程に優花はビーズを見つめている。


 太陽の光を浴びて、ガラスでできたビーズがきらりと光る。12mm程の大ぶりのビーズで、ちょうど右手につけているアクセサリーと同じぐらいの大きさだった。透き通るような赤色のビーズを、優花は指の間に挟んでみる。そのまま太陽光に当てながら、ぐるぐると見回してみれば、小さな穴も空いていた。

 そんな細かなことに、優花は破顔する。


「やった!」


 喜びも束の間、そのビーズがする。小刻みにぷるぷると震えるその感覚がこそばゆくて――


「優花、こっちに投げろ!」

「えぇ!?」


 海翔の叫び声を聞いて思わず放り投げてしまった。

 その先にいるのは海翔と辰巳。特に辰巳は迫り来るビーズにきらきらと目を輝かせている。


 二人に向かっていく中で、ビーズは音を立てて"炸裂"する。

 先の銃声とは比べるべくもない、小さな音ではあったが、その勢いは思いの他激しく、海翔も辰巳も思わず顔を覆った。

 小さな破片は二人の全身に降り注いでいく。一つ一つは小さな粒であるが、勢い故にか掠めていく度に肌を刺激する。特に、ひときわ大きな破片が海翔の手の甲に切り傷を残していった。


「大丈夫!?」


 急いで駆け寄る優花に向けて、海翔は手を挙げて止める。

 痛みに苦しんでいる様子はない。しかし、その顔には僅かながらに驚愕の色が浮かんでいる。


「――確認だが、お前か?」

「え? いや、アタシ、優花だけど」

「やっぱりか。てことは、が辰巳だな?」


 海翔が話しかける先にいるのは辰巳である。どうやら、海翔の目には、""みたいであった。

 海翔の言葉に辰巳がコクリと頷く。しかし、その顔は海翔同様、驚きに染まっていた。


「その通りです……で、海翔さんはどこから聞いてるんです?」

「お前の目の前だぞ?」

「なんと! 僕の目の前には、看板が立ってるんです。ということは――あぁ、やっぱり!」


 入り口の方を振り返った辰巳が歓喜の声を漏らす。つられて見てみると、そこには「関係者以外立入禁止」の看板がある。

 ここまでの流れで、優花も想像がつく。辰巳にはあの看板が――


「海翔さん、そっちにいますよ! あー、おもしろいっ!」

「となると、やはりだが魔術っつーことだな」


 はしゃぐ辰巳をよそに、海翔は腕を組んで優花の方を見ている。じっと見つめている視線だが、あの先には辰巳がいるのであろう。聞いているだけで不思議な感じだった。

 ふと、はしゃいでいた辰巳が「あっ!」と声を上げる。


「戻っちゃいました。一分程度ですかね?」

「マジかよ。オレまだ戻って――と、言ってる側から戻ったわ」


 海翔の視界も正常に戻ったみたいである。二人の反応の違いに、優花は思わず首をかしげた。


「なに、個人差があるってこと?」

「それも考えられるが、恐らく破片だな。オレの方が大きいの食らってる」


 そう言って海翔は手の甲にできた傷を見せてくる。日常生活でもよく見る程度の傷だが、先の炸裂したビーズの中では一番大きな傷となっている。


「ということは、なるべく近距離で破片をすべて食らわせると時間が伸びるってことですかね?」

「恐らくな。なんだ、お前にぴったりの能力じゃねぇか!」

「うっ! それ思った! でも、アンタに言われるとちょっと腹立つっ!」


 海翔が言外に込めた意味に思い当たる分、どこかイラっとくる。普段持ち歩いてる絆創膏でも渡そうかとポケットに手を入れていたのだが、その気も失せてしまった。


「そうカッカすんなって。面白い魔術じゃないか」

「鍛えれば面白い魔術になりますよ。とりあえずは、"何と何をひっくり返すか"を操れると使い勝手がよくなりそうですよね」

「そう言うのってできるようになるもんなの?」

「えぇ。魔術って、使っていけば使っていくほどその人に馴染んでく物なんだそうですよ」

「まぁ、オレも辰巳もロクに使えないから、詳しいことは姐さんか撫子にでも聞いてみてくれ」


 えへへ~と誤魔化しながら笑う辰巳。思えば、この二人は実戦担当だと言っていたか。今日も元々は体術の指南を受けるつもりだったのだが、ふと辰巳が昨日のことを話題に出して、魔術を出してみろという流れになったのである。


「折角だ、優花の魔力が持つまで使い込んでみるか?」

「いいですね! 昨日の夜も海翔さんの特訓されてたんですよね。だったら、今日の特訓は無理にしなくてもいいかなと思ってましたし、やりましょ!」

「賛成! 魔術の感覚を掴みたいし、お願いします! 行くよ、二人とも!」


 早速その手にビーズを生み出した優花は、二人に向かって投げつける。


「えぇ!?」

「急だなこの野郎!」


 出し抜けに投げつけられた、青色に光るビーズを見て、海翔も辰巳も面食らって間の抜けた声を漏らして――


 そのビーズの炸裂に、再度目を覆ったのだった。


 ***


 そんな様子を、向かいの美容院コラージュから、眺めている者がいる。


 先も触れたように、一般人から見れば向かいの空き地では男女三人がなにやら立って話をしているように見えている。しかし、魔力の素養がある者から見れば、その景色は正しく映っている。

 何かを投げつけている優花と、それに驚く二人の様子を見て、その女性――沖田おきた 撫子なでしこはメガネをくいっと上げながら、小さく微笑んだ。


「とこちゃ~ん、シャンプーよろしく!」

「はーい」


 店長でもある切絵から声をかけられて、撫子はその客の元へと行く。切絵が撫子につけたニックネームは"とこちゃん"なのである。既に慣れきっている撫子は、特別な反応をすることなく客の方へと向かい、シャンプーをかけるための準備を始めていく。土曜日なだけあって、高校生ぐらいの少女だった。何度か切ったこともある、常連さんである。

 白色のワンピースに身を包んだ少女は、撫子の顔を見ると「よろしくお願いします」と小さくあいさつをしてくる。撫子も「よろしく」と小さくあいさつをする。うっすらと化粧の乗った顔を見れば、少女は何かを我慢するかのように、そわそわしていた。


「撫子さん、聞いてくれますか? すっごく話したいことがあるんです!」

「早速か。なーに、弥生やよいちゃん?」


 この美容院では、客から話しかけてくることも多い。それこそ、優花がこの美容院を訪れた理由でもある通り、口コミで「いろんな相談に乗ってもらえる」ことが広がっているからなのであろう。それこそ、お互いに名前で呼び合うような常連さんであれば尚更だ。


「最近学校で流行ってる不思議な話があるんですよ」

「不思議な話? なんだろ、七不思議とか?」

「もう、撫子さんもウチのOGですから、それは知ってるでしょ?」

「いや、あたしあんま詳しくなかったな」


 そこまで友達も多かった訳ではなく、噂話とは無縁で過ごしていたため、撫子はその辺の事情には疎い。いや、それはともかくとして。


「七不思議じゃないなら、なんだろ?」

「えへへ、あのですね。あー、でももしかしたら撫子さんも知ってるかもしれませんね」


 勿体ぶって中々話をしない弥生。撫子は小さく溜息をついて、


「じゃあ、なに? もったいつけるなら、聞いてあげないよ?」

「うわぁ、撫子さんクール! 話しますよ、話します!」


 撫子の反応が面白いとでも言いたげに、弥生は楽しく笑う。こういうやりとりを、億劫だと感じることがないとは言わない物の、撫子は人と関わること自体は好きな部類である。小さく微笑んで、急かすようにシャンプーをする手に力をかけると、弥生は「くすぐったーい!」と明るく笑って、本題に入った。

 

「奇妙な落書き事件、って知ってます?」

 ――あぁ、仕事そっちの案件か。


 と、内心で独りごつ。


「なーに、それ?」


 あくまで平静を装って、シャンプーをする手を止めずに。

 美容師としての仕事をこなしながら、撫子はその続きを促した。

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