#3 極彩色の夢

 昼食時も終わった昼下がり。どこか気の抜ける穏やかな時間の中、優花ゆうかは町の景色を背後に飛ばしながら、しゃーっと車輪が回る快活な音を響かせている。見た目に一目惚れして、思わず買ってしまった黒いカーボンフレームのクロスバイクは、高かった分、軽くてとても走りやすい。食後に感じるささやかな眠気を風と共に吹き飛ばしながら、颯爽と渦波市を駆けていく。


 その道すがら、優花は先のやりとりを思い返す。


 ――「ユッカ、鍛錬お疲れ」


 飾らない端的な言葉によく似合う、やや低めの声。沖田おきた 撫子なでしこの言葉である。


 ――「早速で悪いけど、仕事の話。これから、あたしと一緒に任務だから」


 海翔かいと辰巳たつみを巻き込んだ魔術の鍛錬。「やはり"生徒"の魔力量は異常だな」と二人の方が先に音を上げ始めるまで、優花はひたすらにビーズを生み出しては投げていたのだ。昼時と言うこともあり、喫茶店"コラージュ"に戻ると、休憩中だったのだろうか。コーヒーを片手にジェノベーゼパスタを食べている撫子から声をかけられたのだ。


 ――どんな事件か、簡単に話すね。


 食事を共にしながら、撫子は端的に事件の概要を話してくれた。


 ここ数日、高校生の間で噂になっている不思議な話、それが""である。

 人気が少ない路地裏の壁であったり、地下道だったりには、スプレーやペンキで描かれた落書きがされている事がある。「ストリートアート」と称される芸術活動の一つではあるのだが、こと日本においてはどちらかというと顰蹙を買う行為であろう。当然、無断で描けば立派な犯罪行為である。その取り締まりだけであれば"魔物狩り"の仕事ではない。では、何故優花達が動くことになったのかというと――


「……、か」


 欠伸混じりにぽつりと呟く。

 撫子が入手した写真を見せてもらったのだが、色鮮やかなビビットカラーはペンキで描かれた物のようだった。赤と緑色を多く使った色彩は、俗に言うハレーションカラーによる配色――明度の差がなく、彩度が高い色を組み合わせた、目がチカチカする配色のことで、写真越しでも伝わる毒々しさに優花も目をそらしてしまった。嫌悪感すら抱かせるその画面をよく見てみれば、上手いとも下手とも言い難い動物の絵が描かれている。描かれていたのはメスのライオンのようなただのネコのような……ネコ科なのは違いなさそうだが、奇妙な絵だった。


 いろいろな意味でインパクトの残る落書きだが、不思議なことに、初めて見た人間は、その場で猛烈な眠気に襲われるのだそうだ。見たタイミングが重なっていれば、複数人が同時に寝てしまう事もあったらしい。


 ――「寝るだけならまだマシなんだけど、具体的な被害も出てるの」


 立っている状況から倒れ伏すとなると危険でないわけがないが、今回の事件でそう言う被害は出ていないみたいである。眠っている時間もとても短く、五分ほどで目を覚ます。どこかに攫われる……と言った事もなく、目がチカチカする落書きの前に変わらずいるだけである。

 が、問題はここからである。

 強制睡眠から覚めた人達の目の前には小さな紙がある。その紙には、「見学料 〇〇円也 UB」と書かれている。形もへったくれもない手書きの領収書が切られていて、そこに書かれた金額は、その人が持っている金額ぴったり……要するに、持っている有り金をすべて奪われるのだという。


 ――「UBは雅号かな。作品の近くにも描かれてるんだって」


 警察には連絡をしないのか? という話なのだが……そもそもが奇妙な事件でどう話したらいいのか分からないこと、そもそも相手にされないかもしれないこと、どうしてそんな場所にいるのかを問い詰められると何も言えなくなってしまうこと、こういったいろいろな要因が重なり合って、相談できずに泣き寝入りをしている、と言うのが現状らしい。"裏"の事件にはこういうケースも多く、だからこそ零課だけでは対処しきれない、とは撫子の談である。


 理路整然として、それでいて分かりやすい説明だった。撫子はひとしきり話を終わらせると、メガネを軽く直しながら、その細い瞳で優花をじっと見つめてきた。

 その口から出てきた言葉はというと――


 ――「で、今回この一件だけど。ユッカがメインになって調査してみて、って切絵さんから言われた。だから、指示とかも色々よろしくね」


 思いがけない言葉に面食らった優花だった。しかし切絵の意図はなんとなく分かる。はじめに優花を認めさせるために、敢えてこういう任務の当て方をしたのだろう。


 ――「大丈夫。あたしもサポートやアドバイスはしてくからさ。手始めに、噂話の真偽を確認しよっか」


 そう言って、撫子は携帯のメモ帳を優花と共有する。送られたメモ帳に書かれた落書きの発見場所――全部で五カ所あり、コラージュから見て東に三カ所、南に二カ所がある程度固まった場所にある――を確認し合った。撫子が東にある三カ所を、優花が南の二カ所をそれぞれ担当することとして、調査を始めたという次第である。


 この情報は、撫子が噂を聞いてから、美容院で聞き込み調査をして得た物であるらしい。土曜日と言うこともあって、渦波高校の学生は多い。カットやシャンプーの最中に何気なく話を振って、午前中に集まったのが五カ所であったとか。いつぞや、説明された「情報を集めるなら若い女の子が一番だ」という理屈を、思えば優花は初めて目にしたのである。


 ――「……ちなみに、海翔と辰巳は警察に行って、だって。アンタ達、何をやらかしたの」


 話を聞いている最中はどこか乗り気であった海翔と辰巳だが、思わぬ撫子からの言葉に肩を落としていた。そのため、今は二人で仲良く警察に行っている。何をやらかしたのかというと……別に何をやらかしたわけでもない。辰巳は昨日の一件の報告書作りで呼ばれているのだ。そして、海翔ははじめから呼ばれたのだった。朝から見かけないと思っていたが、どうやら創は警察に行ってあくたの取り調べを聞いているのだとか。「被害者なんだし!」と言い張って、切絵のコネもあってか無理を通したらしい。「未成年には刺激がつっよい話だから、海翔くんよこして!」とのことで、海翔は鼻の下を伸ばしながら向かっていった。


 ……と、言うのが優花が今自転車を走らせている理由なのである。

 考え事をしている内に、優花は目的地に着いていた。一件目は地下道であり、自転車を入り口に止めて、鍵をかける。昼間だが、やや薄暗い地下道を、臆することなく軽快な足取りで向かっていく。下りるほどに響き渡る靴の音がどこか心地よい。人っ子一人いない地下道を闊歩していると……


「うぇっ」


 目にとまった瞬間に思わず声を漏らしてしまった。

 柔らかい光で照らされていながら……否、照らされているからだろうか。ただでさえ目が疲れる赤と緑の配色が、柔い光に照らされてよりけばけばしさを増している。人によってはこの感覚が癖になるのかも知れないが、優花は嫌悪感を通り越して吐き気すら催してきそうになる。土曜の昼まであれば、そこそこ通りかかる人がいそうな物だが、全くいないのはもしかしたらこの絵が噂になっているからなのかもしれない……そう思える程、不快なイラストだった。右下に小さく「UB」と描かれているが、確認せずとも分かってしまう。


 ――とりあえず、写真だけでも撮っておこう……あー、もう気持ち悪っ!


 位置情報をオンにした上で優花は写真を撮る。カメラに収めるために再度絵を見る。特徴的にはさそりを描いているようだったが、色使いもあってかさそりなのかどうか怪しい。さして上手くないという所が、より不快感を増しているのかも知れない。


 写真に収めたことを確認した優花は、駆け足で元来た道を戻っていく。心なしかその足取りは、来たときよりも速くなっていた。


 ***


『とりあえず、二カ所は確認できた』


 自転車に跨がろうとしたその時、撫子からメッセージが届いていた。あまり見たい物ではないのだが、そこには二件の写真が貼られている。描かれているのはからすらしき物と、蛇らしき物だった。動物であることは共通しているのだが、今ひとつ統一感を感じられない。


『ありがとうございます。アタシも、一カ所撮りました』


 優花も先のさそりらしき絵を貼り付ける。恐る恐る開いたからすと蛇のイラストを見ながら、位置情報を確認した優花は、印刷してもらった地図に書き込んでいく。


「あっ!」


 思わず声を上げてしまい、道行く人の注目を集めてしまう。小さく「ごめんなさい」と謝ると、優花は地図アプリを広げながらその位置情報を確認していった。


 撫子が残している東側最後の一カ所。実は、説明の時に見せてもらったライオンだかネコだかが描かれた場所なのである。既にそこの位置については分かっているので、あらかじめ書き込んでいた事が功を奏した。

 東の三カ所を結んでみると、綺麗な正三角形を描いている。


 ――これ、偶然とは思えない!


 で、あるならば……優花のいる、南側でも正三角形が描けるのではなかろうか? そう推理した優花は、蠍の落書き場所に加えて、もう一カ所、聞いていた場所も書き込んでしまう。その二つを直線で結び、そこから正三角形を作る事ができるポイントは……


 ――二択だし! あー、どっちにしようかな!


 一辺が決まっている場合、最後の一点を決めれば、正三角形は作図できる。では、最後の一点になり得る場所は何カ所あるかというと……これだけの条件では、二カ所あり、絞りきれないのだ――というのは流石の優花も分かる。正確には描いている内に気づいただけだが、そこについてはどうでもよい。


 こうなってくると、素直に二つ目の場所を調べに行く、と言う選択肢もある。しかし、できあがる正三角形の都合上、二つ目の場所より推理したポイントの方が近いのは変わらないのだ。絞りきることこそできない物の、気づいてしまった以上確認はしておきたい。そう思った優花は、二カ所あるポイントをじっと見比べて……


 ――カンしかないか! よし、こっちに行こう!


 いずれにせよ、帰り道でもう片方を調べればよいのである。それぐらいの気軽さを持ちながら、優花は自転車をこぎ始めた。

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