#4 ただ己の欲のために

 地図を頼りに優花ゆうかは自転車を駆る。正三角形の頂点になる候補地、地図を見れば、それは住宅街の中。表通りこそ人通りは多そうであるが、少し路地に入れば壁に囲まれた人目の着かない場所である。「人目につきにくいが、一方で通る人が少なからずいるところ」という"UB"が求める落書きポイントにはうってつけの場所であろう。


 ――多分、だけどきっとあるはず!


 自転車を漕ぐスピードは、どんどん上がっていく。規則正しい呼吸を続ける度に、その顔は高揚や期待に明るく染まっていた。

 頭に響いて止まない、涸敷こしき はじめの言葉を、候補地を探し当てた優越感が吹き飛ばしていく。


 ――「ずばり、あなたからは将来性を感じない。それだけよ」


 今回の一件で、目に物見せてやる。

 思い返すだけで腹立たしい記憶を足蹴にするように、自転車を駆る足に力がこもっていく。


 やがて優花は目的の住宅街に辿り着いた。ちょうど近くにあった公園の駐輪場を間借りさせてもらいながら、周りを見渡す。


 休日と言うこともあって、公園で遊ぶ子どもは少なからずいる。見慣れぬ優花を一瞬だけ見て、すぐさま興味を失っていく通行人達を尻目に、優花は携帯の地図アプリを開いた。


 ――えーっと、ここかな?


 アパートの名前を確認しながら、目星をつけた場所を探す。古めかしい名前のアパートに挟まれた路地。小型車でもギリギリ入れなさそうな、絶妙な狭さだった。


 その目の前に立った時、


 不気味なすきま風が、優花の全身をぜた。



 推理した興奮が確信に変わる。同時に、興奮の火が揺らいでいく。


 ――間違いない、ここだ……!。


 この感覚には覚えがある。

 放火された恵湖家にて、全身に感じたあの感覚。あの時と比べれば、火がない分か息苦しさは感じない。それでも、体の底から沸き上がる怖気おぞけは町田に勝るとも劣らない。


 ――やっぱり、ここにありそう。


 固唾を飲み込んだ優花は、意を決して飛び込んでいく。


 室外機やゴミ箱が乱雑に置かれた、普段であれば気にもとめない路地裏。しかし、今この場ではそうとも言っていられない。両脇にそびえる壁は、物言わぬ迫力で優花を圧迫せんとしてくる。極めつけは、所々に走る皹。立ちこめる瘴気めいた魔力の影響だろうか……その一つ一つが、優花を見つめる目玉のように思えてくる。


 ――入るまで普通の住宅街だったじゃない! あぁ、寒くなってきた。


 今は五月。夏に向かう今この時期に、まさか薄ら寒さを覚えるとは思わなかった。薄手のパーカーだけでは物足りない。


 一歩進む度に魔力は濃くなってくるのが分かる。体を震わせる気味の悪さは増していく。と目が合う度に、体の底が冷えていく。

 それでも、優花は足を止めない。この程度で止まっていては、それこそ「将来性を感じない」と言われるだけの器で終わってしまう。


 その影は、踊るように絵筆を振るっていた。


 いや、影という表現は不適切なくらいに、その人物は目立った色をしている。


「アッハハハ!」


 女性特有の高い笑い声が反響する。人目を憚らぬ大声に優花は耳を塞いだが、恐らく人がいることにすら気づいていないのだろう。

 年は優花と同じぐらいであろうか。紫と緑のビビッドカラーで構成された出で立ち。目を惹く、と言えば聞こえはいいが、毒々しさを覚えるその見た目は、どこか下品さすらある。悪目立ちという言葉がぴったりであった。

 色鮮やかなのは服装だけではない。緑色のキャップを被ってはいるが、耳を覆い隠すぐらいの長さに伸ばした髪の毛は、虹色に染められている。一度見ればしばらくは印象に残ってしまうレベルの人相だった。


 文字通り異色を放つその女性は、小柄な背丈で大きな絵筆をぶんぶんと振り回している。書道のパフォーマンスで使われるような絵筆が塗りたくる色は、赤や緑のケバケバしいまでのペンキ。不思議なことに、その絵筆の先は髪色と同じ七色に染まっている。


 一目見て分かる。

 あの絵筆は、尋常ならざる得物……"式装しきそう"に他ならないと。


 千載一遇のチャンスに他ならないのだが、不思議と優花の足は止まっている。

 鼻歌交じりに描いているが、筆を振るう勢いは荒々しいまでの気迫に満ちている。ここまで近づいている優花にも気づかぬほどに、この女性は作品に向かい合っているのだ。


 例えその方法が醜く歪んでいても、

 ここに割って入ることは、どうしても躊躇われてしまう。


 やがて舞台は幕を閉じる。

 最後のシメに、絵の右下に筆を走らせた。

 荒っぽい筆遣いとは裏腹に、丁寧に走らせるその軌道は


 UB


 に他ならなかった。


 決定的なまでのその証拠に、優花は自分の使命を思い出す。

 未だに優花に気づかぬUBは、自分の作品を再度見直して、


「イカしてる!」


 快活に叫び、ケラケラと笑いながら写真に収めている。写真の撮り映えと、実物のできを見比べて満足げに頷いた。


 満面の笑みを浮かべながら、UBはこちらに顔を向ける。どこかあどけなさの残るその女性は、優花を見るとその表情を消して、目を見開く。


 仕掛けてくるか? 反射的に身構えた優花だが、UBは再度人なつっこい笑みを浮かべる。


「おっ、お客さん! いいよ、見てって見てって!」


 優花の事など、かけらも警戒していない。初夏にもかかわらず長裾の服に身を包むUBは、人の良さそうな笑顔で優花の手を掴む。


 思いがけない反応と、あまりにも自然な距離の詰め方に、優花は引っ張られそうになったが、慌てて手を振り払う。UBは、きょとんとした顔をしていた。


「そんな怖がらなくてもいいって! ね、あたしの作品見てってよ」

「いや! だってそれ、最近流行りの落書きでしょ!」


 優花の拒絶に、UBは小さく笑みを浮かべる。

 何か仕掛けてくるのではないか? そう思った優花は、再度構えを見せる。前に突き出した右手の内に、ビーズを生むべく魔力を奔らせた。


 しかし、こちらの構えを見て、UBは拍子抜けしたように口を小さく開ける。右手に持った筆を肩に担ぐと、


「へぇ、見てくれないんだ。ふぅん、つまんないの」

「当たり前じゃない! ここで寝たくないんだもの」

「あっはは、そりゃそうだよね~」


 「そうか、そうか」と笑い飛ばすUB。見た目とは裏腹に、気さくな印象すら受ける所作だった。年が近い同性と言うことも手伝っているのか、一目会った印象だけで言えば、決して悪くはない。町田まちだあくたと言った"生徒せいと"達と比べれば、まだ話が通じそうに見える。

 その雰囲気に絆されて、思わず優花も右手に込めていた力をふっと解く。先の作品に向かう姿勢と言い、どうにも敵意を向けにくく調子が狂う。思わず、優花はUBに向けて問いかけた。


「どうして、こんなことしてんの?」

「どうして? そりゃ、こんなステキな力をもらったら、使わなきゃソンで――あ、今のナシナシ!」


 「やべ、これ言って良かったっけ?」とUBは口を押さえながら独り言つ。どうも、優花のことを一般人であると思い込んでいるようだった。これはギリギリまで伏せておいた方がいいのかもしれない。わざとらしく首をかしげながら、優花はUBに言葉を返した。


「素敵な力? 何それ、絵で人を眠らせる力ってこと?」

「んー、これナイショね? まぁ、そんなところ」

「……折角の力なら、それを人のために使えばいいのに?」

「ん~、そういう物かなぁ?」


 空いている左の手で、ポリポリと右の手を掻き始めるUB。首をかしげながら、難しそうな表情を浮かべている。

 話が通じそうだ、と。そう思った優花は、一歩踏み出しながら、畳みかけるように口を開いた。


「えっと、今ならまだ間に合うと思う! だから――」

「アッハハハハ!」


 優花の言葉を遮る、高い笑い声。ひとしきり響いた後も、ポリポリと右手を掻く音だけが残響のように残っている。

 笑い疲れて、目尻に涙を浮かべながら、UBは言葉を続ける。


「間に合うって、アハハ、分かってないなぁ!」


 浮かべるのは依然として笑顔。しかし、ただの喜色であった笑顔に、今は二つの色が混ざっている。


「アーティストってのは、エゴの塊なの! 自分を出したい! 自分のすべてを見せたい! そんなエゴがなきゃ、やってられない。あたしにとって、それは絵ッ! 見てもらうためなら、なんだってしたいし、人がどうなろうが知った事じゃない!」


 一つは狂喜の赤。

 言葉の端々に笑い声を秘めながら、既に血すら滲んでいる右手の甲を、それでも掻きむしっている。滴る血を忌々しげに払い、周りに赤を散りばめていく。


「それにね、それにね? を手に入れてから、もう創作意欲が止まらないの! 次から次に、新しい物が浮かんでくる! 描かずにはいられないのーッ!」


 一つは闘志の黒。

 様々な色で彩られた全身の中で、その双眸だけが爛々と黒く輝いている。歪んだ笑顔を見せながら、その瞳は笑っていない。持論を闇雲にぶつけながら、優花を虎視眈々と狙っている。


「そんなの、ぶつける他ないよね? で、ぶつけるなら見てもらいたいよね? だから、あたしは描き続けてるの!」


 先までの人のいい姿はどこへやら。黒と赤の二色をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせたその表情。狂喜と闘志の入り交じった、官能的なまでの恍惚とした笑み。今までの"生徒"達に決して劣らぬ、異様なまでの妄執に染まりきっている。


 その豹変を、優花は呆然と見つめることしかできなかった。


 ふぅー、とUBは顔を下ろして溜息をつく。

 だらりと上半身を垂らした全身。掻きむしった右手の傷と、左手に残った血がポタポタと垂れていて、地に赤が貯まるのを胡乱な瞳で見つめている。


「だー、かー、らーッ!!」


 不意に、UBは顔だけを上げて、血走った目で優花を見る。

 強烈なまでの表情えがおに、体の全身に鳥肌が立った。


「あたしの作品見ていきな! くだらない正論塗りつぶしてあげる!」


 弛緩しきった体を、発条バネの如き勢いで起こしながら、UBは右手の筆を振り上げる。たった一度の動作だが、赤と緑、二色のペンキの飛沫が無造作にぶちまけられて、路地裏が色づいていく。


 そのうちの一つ、鮮やかな赤いペンキが優花の腹にべたりと着く。ほんの少量ながら、パーカー越しでも伝わる気持ち悪い感触。反射的に払おうと優花だが、


「触らない方がいいよ~!」


 気の抜けるようなUBの声に、優花はその手を止めた。

 服についたペンキからは、シューッと何かが溶けるような音が聞こえてくる。


「えっ、うそっ!?」


 腹の辺りが熱くなる。赤いペンキは優花のパーカーとシャツを溶かしていき、インナーが露わになる。そのインナーですら、僅かに溶けていた辺り、もう少し当たっていたら危なかっただろう。


「ほらほら、よそ見なんかしないで? あたしの作品だけを見て?」


 その声は目の前から聞こえてくる。気づくと、UBは目の前まで来て、優花の手をとっているのだ。華奢な見た目にそぐわぬ、強い力で引っ張ってくる。ブランクはあるとはいえ、空手の有段者である優花を引っ張る程の力だ。


「お断りよ! アンタは、少しぐらいしなさい!」」


 優花は踏みとどまりながら、左手に"ビーズ"を生み出す。不意の抵抗にUBがつんのめった瞬間、優花はできたばかりの"ビーズ"を投げた。

 "ビーズ"は真っ直ぐにUBの後頭部を狙いながら、ぷるぷると振動していき、炸裂。


「きゃっ!?」


 "ビーズ"を払おうとしたUBだったが、思いがけぬ攻撃に、反射的に顔を覆い隠す。掻きむしられた手の甲に破片が当たり、更なる傷を残していく。


 炸裂した"ビーズ"をやり過ごしたUBは、恐る恐る手を下げる。

 そして、その景色に目を疑った。


「あれ、どこ行ったの!?」


 結論から言えば、。先までと変わらずに、目の前でUBの出方を伺っているのである。


 ――多分、入れ替わったのはゴミ箱!


 優花の"見た目を入れ替える魔術"は、今朝の特訓で、"優花と何かを入れ替える"ことはかろうじてできるようになってきた。それでも、未だに成功率は五分五分なので、賭けに近く動けなかったのだが、UBの反応を見るに、どうやら上手くいったようである。


 そして、今この場で"入れ替えられる候補"は、落書きの向かいにあるゴミ箱程度……案の定、UBはゴミ箱を見た時に、「いたっ!」と嬉しそうな声を上げて駆け出している。


「自分から見に来るなんて、やっぱり見たいんじゃない!」

 ――よっしゃ、今ならっ!


 不意打ちになるのは気が引けるのだが、そうも言っていられない。無防備になったUBの背中に向けて優花は駆け出す。

 先ほど散らされた赤や緑のペンキを避けて、距離を詰める。UBはゴミ箱を手に取りながら、絵の近くまで引っ張ろうとしている。


「あれ、ゴミ箱!?」


 魔術は解け、UBは再度驚きの声を上げる。何かに気づき、振り向こうとするが、もう遅い。助走の勢いも乗った跳び蹴りが、UBの無防備な胴体に振り払われて、


 強い衝撃音が、路地裏に響く。


 吹き飛ばされたのは、


「がはっ!?」


 跳びかかっていた己の身が、今は空中に投げ出されている。その事実に優花は納得ができなかった。

 少し遅れて来た痛みは、背中から。左斜め後ろから打たれた痛みに、優花はようやく後ろから不意打ちを食らったのだと気づく。


 時間にすれば、短い間。皮肉にも先のゴミ箱があった場所に、優花の体は投げ出された。壁に当たった右半身が悲鳴を上げるように軋む。


 痛みに呻きながら、優花は不意打ちをした物の正体を見る。


 そこにあるのは、斜めに生えている長細い直方体。それぞれの面には木目が走り、所々に節がある。いわゆる、角材だった。地面から突き出る様は中々にシュールであるが、より一層シュールさを際立たせているのはその根元である。


 その色は緑。

 先ほどUBによってばらまかれた緑色のペンキから、角材は生えているのだった。


「なんだ、アンタも力使えるんだ!」


 ちょうど真横に来たUBは、未だに倒れる優花の顔をじっと見つめる。隙だらけの姿に一撃かましたい気分ではあるが、しかし今の優花は立ち上がることができない。

 恍惚の笑みが、ほんの僅かに曇る。


?」

「……はっ?」


 妙な言い回しをするものだ。なにが「だから」なのだろう。

 優花の疑問をそっちのけに、UBは言葉を続ける。


「生憎、あたしはに興味ないからさー。狙われても困るって言うかなー」

「そ……そっち、って?」


 背中を打たれた痛みで、中々声が出てこない。弱り切った声は、UBにはまるで届いていないようだった。

 UBは「んー」と何かを考えているようだった。


「一応、今絶好のチャンスじゃん。でも、はイヤだなぁ」

 ――殺……人?


 物騒な言葉を思わず反芻してしまう。

 そんな優花をよそに、UBは力強く頷くと、優花の体を掴んだ。


「それよりも、もっと近くで見て欲しい!」


 とどめの一撃ではない。優花の体をずるずると引っ張っているのだ。

 抵抗しようにも、力が入らない。大きな傷を負ったわけではないのだが、強く打った分呼吸すら苦しい。荒い呼吸を整えようにも、痛む体を無理矢理引き摺られては、肺に空気が入ってこない。

 時間にすればほんの僅か。しかし、窒息状態に似た感覚で行われると、西部劇で見るような引きずり回しに他ならない。


「よいしょっと」


 下手人は、優花の痛みなどどこ吹く風と言いたげだった。

 目的の場所まで引っ張ると、優花の身を適当に投げ出す。今はUBの体で隠れているが、その先には例の絵がある。抵抗しようとするが、全く腕が上がらない。


「や、やめ――」

「聞こえなーい!」


 UBはご丁寧に優花の目を押さえている。目を閉じるという最大限の抵抗すら封じられたまま、UBは体をどかす。


「じゃ、ゆっくり楽しんでね」


 視界に飛び込んできたのは、チカチカする程の鮮やかすぎる赤と緑。頭頂部には特徴的な角が生えていて、四足歩行の脚にはそれぞれ蹄がある。イメージに即した細い目。牧場にもよくいるその動物は、――


「あっ」


 目が覚めるほどの鮮やかすぎるハレーション。


 それでも、この絵を見ていると――


 奈落の底へと吸い込まれるように、優花の意識は急激に落ちていく。


「お代は勝手にもらっていくよ」


 光を失う世界から僅かに届く声は、そんな言葉だっただろうか。





 ***


 遠く聞こえるバイクの音に、優花の意識は覚醒する。しかし、体を思うように起こすことができなかった。


 目の前に飛び込むのは、眠る直前に目にとまったUBの落書き。ヤギの描かれたその絵を見ると、沸々と優花の中に悔しさが沸き起こってくる。


「ッッ!!」


 打たれた痛みが少しは引いたが、口からは声にならない慟哭の声しか出せない。


 叫び出したくとも、中々叫べない痛みに悶えていると、こちらに駆け寄ってくる音が聞こえてくる。


「ユッカ、大丈夫?」


 クールで低い声だが、優花に対する心配の声色には違いない。目の前には、漆黒のライダースーツに身を包んだ沖田おきた 撫子なでしこがいた。美容師の格好とはまた違う、流水を思わせる滑らかな肢体がくっきりと現れた姿だった。僅かに息を切らしながら、声の主、沖田おきた 撫子なでしこは優花に向かって手を伸ばす。


「酷くやられたね。すぐ手当てするよ」

「いえ……大丈夫、です」


 昔、遊具から落ちて似たように呼吸が上手くできなかった事がある。既に、肺には正常に呼吸が入ってくるし、声も少しずつ出せるようになってきた。

 殺人はいやだと言うUBの意識が働いたのか、角材によって殴られた背中と打った右半身が痛むぐらいで、そこまで重傷ではなかった。

 目に浮かんだ涙を拭いながら、撫子の手を取って立ち上がる。そのまま、撫子は優花に肩を貸した。


「でも、撫子さんよくここが分かりましたね……」

「そりゃまぁ……あー、少し酷なこと言うとさ、少しだけ試した」


 優花より低いその背丈でありながら、優花を支える体はぶれることを知らない。

 言われて優花は「あはは」と所在なさげに笑いを漏らした。

 優花が辿り着いた推理である。プロである撫子が気づかない筈がない。


 力ない笑い声が、震えてくる。

 前を向く撫子は、そんな優花を敢えて見ない。


「……気を落とさないで。ユッカをケガさせたのは、あたしのミス」

「……いえ、そんなことないです。撫子さんのせいじゃないです……」

「分かってて行かせたのに、間に合ってないからね。ごめん、二択を外しちゃった」


 彼女の格好からも分かるが、撫子の移動手段はバイクである。UBが眠らせられる時間はごく僅かであることを考えると……今回で、UBを確保できたかもしれないのだ。


 表通りに出た優花と撫子は、公園のベンチまで進んでいく。既に人の気配はなくなっていて、さっきまでの喧噪が嘘のようだった。公園のベンチに優花を座らせると、撫子はすぐに携帯電話で連絡を取り始めた。


 撫子が切絵を相手に何かを話しているのが聞こえる。頭を殴られたように、ぼんやりと聞こえるその声を聞きながら、優花はあることに気づいた。


 ポケットにしまった、財布を取り出す。中身を改めてみれば――


「あー、やられた……!」


 勢いこそないものの、それなりの声で出した苦悶の声。電話する撫子も、びくりと背筋を強ばらせた。


 「見学料 弐千円也 UB」

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名もなき物語 ~修羅に染まる町~ 白カギ @white_key

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