#6 火造

 銃を撃たれた事に気づいた芥だが、もはや行動を変える暇はない。"風の刃"を纏わせた指をそのまま優花に向かって振りかざして来ている。


 優花の放った弾丸は、朱い輝きを放ちながら芥の脇腹に反れていく。

 狙いは胴体であった。当然だが、優花にとっては、これが初めての発砲なのだ。空手で培ってきた体幹があっても、銃を撃った反動は思っていた以上に優花の体を揺さぶった。


 ――えっ?


 芥の脇腹に当たる刹那の瞬間、優花は目を疑った。

 。まるで、内側から溢れ出すエネルギーを堪えるように震えている。そのまま芥の肌を掠めようとした時――


 パリン、とガラスが砕けるような音と共に、銃弾は炸裂したのだ。

 内側からの衝撃で破壊された弾丸は、崩れ落ちていく。その破片のいくつかは芥の脇腹に当たっていくし、事実芥は足を止めている。しかし、それは痛みというよりは驚きでの制止だった。


「……なんだ、今のは!?」


 芥は脇腹をさする。芥自身も、当たると思っていた弾丸が思いがけない形になって驚いているのであろう。現に、優花の放った弾丸は、この戦闘の中で負ったどの傷よりも軽い一撃だった。


 疑問を抱いていた芥の顔色が、見る見る喜色に変わっていく。


「なんだよ、大したことねぇな!」


 芥の引きつった邪悪な笑みは依然として消えていない。優花の不意打ちが不発に終わったのだ。圧倒的優位を得たり、と言いたげに腹の底からの笑みを浮かべている。


「なんだ、まだ弾はあるのか? まぁ、いずれにせよ終わりだがなぁ!?」


 打つ手のなくなった優花を、精神的に追い詰めようとするかのように。芥は足を引きずりながらも、じわじわと歩みを進めていく。

 芥の向かうその先には――


 室内へと続く、出入り口があった。


 ――こいつ、どうしたの?

 

 その足には迷いがない。口ぶりから察するに、優花への攻撃の姿勢を崩したわけではないのだろう。しかし、当の優花の眼前を通り過ぎて行き、真っ直ぐに出入り口の方へと向かっているのだった。


 ――なんで、アタシがそっちにいるって勘違いしてんの?


 先の銃弾が炸裂したその時から、芥の様子がおかしいのである。芥は扉の前まで行くと、その手に宿した"風の刃"を振るう。回転する"風の刃"は扉を切り刻んでいき、その度に芥は歓喜の声を上げている


「なんだ、堅ぇなぁ!? ゴリラかよこの女!?」


 「誰がゴリラよ!」と言いかけた優花だが、しかしこの状況でここから返事をするのも妙な話である。芥はあくまで扉に話しかけているのだ。どれだけ切り裂かれても、うんともすんとも言わない扉を、ただ高笑いと共に引き裂いている。


 異様な光景に唖然としている優花だが、ふと前にも似たような光景があった事を思い返す。


 あれは雪那せつなと相対した時――厳密には、ダーツが当たった時だった。あの時の雪那も、そういえば自分に話しかけているようで全く違う所を向いていたのである。

 

 あの時は挑発かと思い込んでいたのだが、どこか今回の芥の様子と重なる。芥は、のだ。

 

 ――もしかして、これがアタシの魔術なの?


 先の弾丸と同じように、あの時のダーツも渾身の力を込めて投げていた。

 知らず知らずのうちに魔術が発動していたのではなかろうか。


「……あん!? なんだこれはぁ!?」


 優花の考察を怒号が遮る。

 それは、嬉々として扉を切り刻んでいた芥の放った物だった。ズタズタに引き裂かれた扉を手にして、ようやく今起きていることに気がついたらしい。勢いよく振り向くと、今度は真っ直ぐに優花の方を見ている。


「てめぇ、何をしやがった!?」


 芥は優花に向けて吼えている。扉をそこらに捨てた後、優花に向けて詰め寄ろうとするが――


 目にもとまらぬ早さで芥の顎に何かが飛来する。

 遅れて聞こえてくるのは、乾いた発砲音。


「はい、そこまで」


 芥の顎がカクリと傾いたかと思うと、そのまま芥の目がぎょろりと白目に変わって倒れたのだった。

 発砲音の方を見れば、銃口を芥に向けたままの辰巳の姿。西部劇のガンマンよろしく、左指でくるくると銃を回転させていた。華麗なガンプレイを魅せながら、ホルスターに収めるかのように銃は"装備の魔術"によって虚空へと消え去っていく。


「お疲れ様でした、優花さん」


 ニコリと敵意のない爽やかな微笑みを辰巳が向けていた。

 何が起きたのか、色々と考えが追いつかない優花だが、その笑顔を見て小さく微笑んだ。


「お、お疲れ~。え、今何したの?」

「あぁ、今撃ったのは"光"の弾丸です。さっき撃った"闇"とは真逆で、"弾速が出る代わりに、威力は劇的に落ちる"んです」


 「急所に当てて、怯ませたりするときに使ってますよ」と辰巳は続ける。顎を強く打つと脳震盪を引き起こすことは、優花も知っている。一瞬の隙を突いての拘束手段なのであろう。車内で言っていた「速攻で撃ち抜くぐらい訳がない」という言葉は掛け値なしの言葉だったのだ。


「しかし、優花さんの魔術もお見事でした。いやぁ、さっきの気迫、素晴らしかったです!」

「ありがとう! ねぇ、辰巳くんから見て、どんな魔術だと思った?」

「うーん――すみません、僕にはぱっとは分からないです!」


 少しだけ逡巡を見せたが、辰巳はあっけらかんと言い放つ。


「えー! さっき凧については格好良く説明してたじゃん!」

「あれは状況証拠があれだけ重なったから言えただけですよ。それこそ、僕相手に魔力を込めて撃ってもらえれば別ですけど、できます?」

「できない! というか、あれだって大分覚悟したんだからね!?」

「あはは!」


 ふと、優花は気になってしまう。目の前で朗らかに笑う彼にはどんな覚悟があるのだろうか。

 こうして無邪気に浮かべる笑顔と、戦闘中の不敵な笑みのギャップには驚かせる。どちらも素の笑顔なのであろうが、だからこそ彼の底知れなさを伺わせる。


「ねぇ、辰巳くんはどうして戦ってるの?」


 急な問いかけに、辰巳の笑顔がふっと消える。なんて答えようか困っているように、辰巳は空を仰ぎ始めた。優花もそれに倣う。

 芥が浮かべていた凧は、気づくとすべて落ちている。芥からの魔力が切れたのであろう。雲一つない爽やかな青空を見ながら、辰巳は右頬にある古傷を軽く撫でた。


「僕には、そこまで崇高な理由はありません。ただ、戦いが好きなだけですから」

「そうなの?」

「はい。別に、他人を痛めつけたいとか、命を奪いたいとか、そう言う趣向があるわけではありません。だけど、僕は戦い続けたいんです」

「それはどうして?」


 優花の問いかけに、辰巳は視線をこちらに向ける。困ったように、うっすらと微笑みを浮かべていた。


「――勝ち続けたいだけ、ですよ」

「勝ち続ける……?」

「はい。勝ちたい相手がいる。だから、勝ち続ける。たったそれだけが、僕の戦う理由です」


 ほっそりとした指先で、芥から食らった傷をなでる。どこか艶めかしさすら孕んでいる、たおやかな所作だったが、その指先には未だ流れる血が付いている。危うい美しさがあった。


 勝ちたい相手って? そんな問いかけが口をこうとしたとき、


「こんにちは~! いきなりお邪魔しまーす!」


 底抜けに、そして場違いに明るい声が聞こえてきた。優花も辰巳も、思わずその声の方へと振り向いてしまう。そこにいたのは、胸元が大胆に開いた、明るいピンクの服を着た女性だった。外れた扉を意にも介さずに、コツコツとヒールを響かせて歩み寄ってくる。


「いやー、お見事お見事! 胸躍る戦いで、ちょっと濡れちゃった」


 爛漫と笑いながらも危険な言葉を放っている。辰巳と目が合ったが、辰巳も首をかしげていた。知り合いではないのだろうか。


 しかし、この声はどこかで聞き覚えがある――どこだったか、考えていた優花はあることに気づく。


「もしかして、さっき荷物盗られた人ですか?」

「正解!」


 ピースと共にウィンクをしながら、女性は優花の問いに軽く答える。しかし、その顔には憂いや困惑と言った物はまるで感じられない。


「やー、焦ったけどタツミくんいたじゃない? じゃあ任せとこっかなぁって思って!」


 その女性は屋上を見渡しながら、ある方向へと歩みを進める。荷物を盗られた芥の方――には目もくれず、穴を開けられた凧の方へと歩み寄っていた。


「へぇ、いい物使ってる! このレベルの"式装しきそう"なんて、そこらのトーシロじゃ手に入らないのに。いやぁ、この町やっぱおかしいわー! もう、サイコー!」

「……あの、あなたは何者なんですか?」


 先の戦いでは見せなかった動揺を見せながら、辰巳は女性に問いかける。先ほど辰巳の名前を呼んでいたのだが、どうやら辰巳は女性に心当たりがないらしい。 


「えー、辰巳くん、忘れちゃったの?」

「忘れたも何も、僕は知りません」

「あ、でもそっか。わたしもキリエちゃんに聞いただけだし」


 じゃあ改めて! と女性はこちらを向く。豊満な胸を更に強調するかのように腕組みをしながら、


「どもども~! わたしは涸敷こしき はじめと言います!」


 まるで、その一言ですべてが完結していると言いたげに、女性――創はどんと構えている。優花には当然心当たりなどないが、それは辰巳も同じようだった。疑問符を浮かべたままの優花と辰巳を見て、創は「あれ?」と首をかしげた。


「えーちょっとー! タツミくん、わたしのこと知らない?」

「はい」

「ショックー!! そんな、わたしそこそこ有名だと思ったんだけどなぁ。若い子には知られてないのかな?」


 よよよ、と崩れ落ちる。

 が、すぐさま「じゃあこっちで名乗るか!」と立ち上がる。ペロリと下を出してウィンクを見せながら、その名を告げた。


「"放蕩匠ほうとうしょう"でーす☆」


 色っぽさすら感じられるその所作と共に、創は名乗りを上げた。


 芥との戦闘を終わらせたと思えば、突如現れたおかしなテンションの女性に、優花は目を白黒させている。


 大胆な格好で嫌が応にも異性を魅了し、危険な発言をする。酒か薬か、はたまたその両方か――素面しらふとは思えない謎のテンションも相まって、まさに、"放蕩"の名にふさわしい自由気ままな女性だった。


 できれば、関わり合いになりたくない。そう思っていた優花は、まだ知らない。


 "放蕩匠"涸敷 創に、これからぶんぶんと振り回されていくことを。

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