第2節 鍛錬

 #1-1 "放蕩匠"

「あぁ、もう!」


 苛立ちが籠もった荒い息を吐きながら、地面に横たわる。若草の柔らくて、ひんやりとした感触が、火照った体をじわじわと冷やしていくが、それでも優花の苛立ちは中々納まりそうにもない。打たれた腹を押さえながら、その痛みに小さく毒づいた。


 腹を打った張本人、狗淵いぬぶち 海翔かいとが優花の顔を覗きこむ。端正な顔をにやつかせながら、呼吸を整える優花に言葉をかける。


「さっきからなに怒ってんだ。カルシウム不足じゃねーの?」

「なんでもいいじゃない! カルシウムなら毎日牛乳で摂ってるし、余計なお世話よ!」

「じゃあ、あれだ。栄養、胸にばっか行ってるんじゃねぇの?」

「うっさい!」


 怒りにまかせて足を振り上げるが、海翔はひらりと避けていく。


 ここは鬱蒼と茂った森の中。先日、町田の企みを逆利用して罠にはめた空き家のある場所だった。少し足を運べば、海翔と町田が戦った――そして、初めて雪那と出会ったあの場所がある。好き好んでこの場所には来たくないのだが、海翔の都合もあって、今日の修練はここで行う運びとなった。


 今日はこれで五度目だったか。海翔の懐に飛びかかって攻撃をしかける方針をとるが、未だに届きそうにない。隙と思って打ち込んだ蹴りを、海翔は対処してしまうのである。時には蹴りを避けられて、時には軸足を払われて――結局の所、攻撃の後隙をつかれて、逆にやられてしまう結果には変わりがない。


「さ、もう一回!」


 先のセクハラ発言に対する怒りも相まって、冷えていく草の感覚すら鬱陶しく感じる。優花はガバッと身を起こし、海翔に向けて構えを作った。


 しかし、海翔は構えを作らない。それどころか、焼け落ちた壁にもたれ掛かって煙草に火をつけ始める始末だった。ふぅ、と吐き出した煙から漂う匂いに優花は鼻を押さえる。


「何やってんのよ! 早く次やろ!」

「そそられん。もうちょっと色気を覚えろ」

「あーもう!! なんでそんなノリなのよ!」


 何気なく優花が漏らしたその一言に、海翔は眉をつり上げる。対する優花は、それに気づかぬままに怒り続けていた。

 海翔は紫煙と共に言葉を投げかけた。


「なあ、優花。何をそんなに怒ってるんだ?」

「はぁ!? そりゃアンタが変なことばっか言うからでしょ!」


 流れてくる煙草の匂いが、優花の心をより逆撫でする。地団駄を踏む優花を見て、海翔は溜息をつきながら、まだ火が残る煙草を捨てて踏み消した。


「それ差し引いても怒りすぎだ。なんかあっただろ?」

「なんかって! ……そりゃ、まぁその」


 図星を指されて口籠もる優花。


「ちょっとは落ち着けって。おちょくったことは謝るが、今のお前じゃ俺の太刀筋は見きれねぇ。ぐだぐだやってケガするだけじゃ意味ねぇだろ?」


 「もうちょっと寝っ転がってろ」と言い捨てると、海翔は焼け落ちた家の壁にもたれかかった。

 海翔の態度が気にくわないのは変わらない。いっそこちらから仕掛けてやろうかとも思うが――しかし、海翔の実力から言って無理な話であろう。モヤモヤとした気持ちを抱いたまま、優花は地面に腰を下ろした。


 会話はなくなり、二人の間には沈黙が流れる。静寂とした空間の中、ぼんやりと優花は虚空を眺めた。

 そこに浮かぶのはぽつぽつと見え始めた星達。そして、ぼんやりと浮かび始めた月だった。柔らかな光が優花の視界を優しく照らす。


 ――「お姉ちゃん見て! 今日の月とっても綺麗だよ!」


 憧れの人の名前だったからだろうか。小さな頃からの癖で、優花は夜になると月を探してしまう。そして、月が見えるとすぐさま優花はお姉ちゃん――満月みつきに声をかけて、のんびりと眺めるのが一種のルーティンだった。


 そんなかつての日々を思い出しながら、優花はぼんやりと月を眺めている。その優しい光に当たっている内に、ささくれ立っていた心が、次第に落ち着いてきた。


「で、どうしたんだ?」

「ッッ!」


 気づくとその声は隣から聞こえてきて、慌てて顔を引っ込める。

 海翔が近づいてきた事にも気づかないぐらいに、月に釘付けになっていたのだ。海翔から漂う煙草の匂いが、優花の意識を現実に引き戻す。


「今日、辰巳たつみと任務行ったんだろ? そん時か?」

「そこでじゃなくって! その後よ、その後」


 半ば観念して、優花は怒りの原因を話していく。

 そう、あれは昼間のこと。あくたとの戦いが終わり、"放蕩匠ほうとうしょう"涸敷こしき はじめと出会ってからのことだった。


 ***


 芥の身柄を深山みやまに引き渡した一行は、その後、迎えに来た切絵きりえの車に乗り込んだ。「助手席座らせて!」と、本人たっての希望もあって、創は助手席に座っている。


「キリエちゃん、久しぶり! 元気してた!?」

「お陰様で。ツクリちゃんは元気そうね」

「そりゃもう! 食べて寝て作っての三拍子揃いよ! いろんな意味でね!」

「要するに、仕事もプライベートも順調ってこと?」

「プライベートは爛れてるけどねぇ~! 退屈はしてないけど!」


 助手席に座った創は、切絵と親しげに話をしている。色素の薄いミドルの金髪を後ろでまとめている。何気なく髪の毛をさっと払った際に、柑橘系の混ざったフローラルな香りが鼻腔をくすぐった。適度に主張しながらも、決して不快にさせない甘い香りは、どこか心地よい。


「うちのドラくん、未成年だから話題はある程度選んでね?」

「えー、つまんない~! キリエちゃんの赤裸々な生活とか、きっと興味あるって!」

「ツクリちゃん?」

「はーい。もう、目が怖いぞ~」


 切絵の流し目に対して軽薄な返事をする創。ちなみに、当の辰巳は疲れ果てたのか、車に乗ったその時からうとうとしていた。


「でも、どうしてこの辺来てたの?」

「山奥にリュドアの巣があるって聞いてさ。ちょっと牙と"術核じゅつかく"が欲しくなってね」

「あぁ、今年は噂聞かないなぁと思ってたら、もう狩ってたんだ。てことは、鉱脈えさばも狙ったの?」

「モチのロン! リュドア狙いの八割は鉱脈そっち狙いだって!」

「ちゃっかりしてるなぁ。仕事減って助かるけど」

「あっはは。まぁ、その分こっちの仕事頑張ってよ~」


 未だに創の立ち位置がよく分かっていない優花は、二人の会話を後部座席からぼんやり聞いている。色気こそあれど、どこか爛漫な笑顔が似合う創は、"裏"に関する話を次から次に切絵と繰り広げていた。


 車内でのやりとりもそこそこに、切絵の車はコラージュへと着く。今は午後五時。美容院の方は夜八時までの営業だそうで、それまで待ってて欲しいとのことだった。

 辰巳は「控え室お借りします」とだけ言い残して眠りに行ってしまった。

 優花と創は喫茶店の方へと入り、適当な席に腰掛ける。優花がブレンドコーヒーを、創がウィンナコーヒーを頼んだ。


 改めて正面に座る創の格好をまじまじと見つめる。モデルや女優を思わせるような細い腰つき。それでいて、ぱっくりと開けた胸元には、色白で豊満な胸を惜しげもなく覗かせている。タイトスカート故によく目立つ足下を大胆にも組んでいて、全身が彼女の持つ色香を放っているようだった。同性である優花が見ていても、クラクラ来てしまう。

 爛漫な微笑みと共に喫茶店コラージュの店内を眺めている。色気を振りまく大人の体つきでありながら、純粋無垢な瞳で見渡して内装を楽しんでいるようだった。

 そんな彼女の、形のいい唇がふっと笑顔の形を作る。


「ふふっ」


 笑顔と共に漏れた小さな声が、耳に残る。内装を眺めていた瞳は真っ直ぐに優花に向けられる。


「なーに、情熱的な目で見つめちゃって。わたしに興味あるの?」

「え! いえ、そう言う意味ではないんですけど!」

「あら、どういう意味で受け取ったの? ウブそうな感じさせて、案外興味津々?」

「だから、そう言う意味じゃないんですって!」


 ニヤニヤとしながら頬杖を突く創。その些細な動作一つとってもどこか魅惑的である。


「あっはは! からかってごめんね。あー、かわいい!」


 いちいち調子を狂わせてくる女性だ。給仕されたコーヒーを口に含みながら、優花はなんとか気持ちを落ち着かせる。


「時に、あなたは誰なの!? 見かけない顔だけど、新人さん?」

「はい。朱崎 優花って言います。訳あって"魔物狩り"でお世話になってるんです」

「へぇ! いつから?」

「つい最近です。まだ一週間も経ってないぐらいですね」


 言葉にして驚いたのだが、思えば優花がここを訪れてからまだ五日である。いろいろなことが起こりすぎていて時間の感覚がいい加減麻痺してきそうだった。


「そうなんだ。なーに、どこかで魔術の勉強してたとか?」

「そういうわけじゃないんです。それこそ、一週間前まで魔術の"ま"の字も知らなかったぐらいでして」

「…………へぇ~」


 クリームとコーヒーを混ぜて口に含む創。口元に僅かについたクリームをペロリと舐め摂りながら、優花の全身をくまなく眺めては小さく頷いている創。その意図が優花にはよく分からなかった。

 視線だけでもどこかこそばゆい。客観的に見ればプロポーション自体は決して優花も悪いわけではないのだが、やや不本意な発達――主に胸部や背丈について――をしてしまった体つきを見られるのは好きではない。無理矢理話題をそらすこととした。


「あの、"放蕩匠ほうとうしょう"ってどういう意味なんですか?」


 周りにはそれこそ利用客が大勢いる。"裏"の話題故に声を潜めての問いかけだったが、創は特に気にした様子もなく、あっけらかんと答えを返してきた。


「ん? あぁ、わたしの二つ名よ。"魔物狩り"ってそういうのつけたがる人多いんだよね~」

「じゃあ、切絵さん達にもあるんですか?」

「どうだったかなぁ。キリエちゃんやカイトくんにはあったはずだけど、また聞いてみて?」

「はい! それで、創さんはどうして"放蕩匠"って呼ばれてるんですか?」

「ふふん、よくぞ聞いてくれました! 放蕩って言葉は、まぁ響きから察してくれ!」

「そっちはなんとなく分かります! 気になるのは"しょう"の方です」


 "放蕩"とは「思うままに振る舞うこと」とか「酒や色事にふけること」だっただろうか。そこについては、これまでの所作でもはや説明不要だ。


「こう見えて、"式装しきそう"作りの達人だからです!」

「"式、装"……?」

「あれ、知らないの? そっか、それぐらいの素人ちゃんかぁ」


 どこかカチンとくる言い方だが、流石にここで怒るのは違うだろう。苦笑いを浮かべながら、コーヒーを口に含んで、少し心を落ち着かせた。


「"式装"ってのはね、"術式装具じゅつしきそうぐ"の略称よ。その名前の通り、"術式じゅつしき"が込められている武器や道具のこと」

「"術式"、ですか」


 響きから察するに、魔術に関係する言葉なのだろうか? 創は溜息と共に答えを返した。


「"術式"は、魔術の基盤となるもののこと。術式に魔力を流すことで、魔術は発動するの」


 「詳しくはキリエちゃん辺りにでも聞いて」、ややつっけんどんな言葉だった。これぐらいも知らないのか、とどこか馬鹿にしているような言い方に思えてしまうが、ぐっと優花は怒りを堪えた。


「なるほど。"式装"って、辰巳くんの銃とか、その辺のことですか?」

「そうなるわね。さっきの凧とかもだけど、あれは適切な属性の魔力さえあれば、誰でも使うことができるの」


 優花も先ほど使ったばかりなので、そのことはよく分かる。平たく言ってしまえば、魔術を発動することのできる武具の事でいいのであろう。


「で、そういう"式装"を作る職人だから、"しょう"なんて大仰な物が着いちゃってるわけ!」

「へぇ。"狩人"にもいろんな人がいるんですね」

「ん? わたしは"狩人"じゃないよ?」


 残っているウィンナコーヒーを一息に飲み干しながら、創はあっけらかんと言い放つ。思わぬ答えに優花は目をみはった。


「そっちは引退したの。結果的に似たようなことはしてるかもだけど、もう正式に"狩人"の仕事はしてないわ」

「そうなんですか!? てっきり"狩人"なのかと思ってました」

「"狩人"と"職人"を兼ねてる人もいるけど、わたしは今は作るの専門! 必要に応じて魔物を狩りにいくけど、もっぱら"式装"の素材集めに行く程度だからね~!」


 「さっきのリュドアの話題じゃないけど!」と朗らかに付け足しながら、創はまじまじと優花の方を見やった。

 先ほどまでの仕事の視線とは少し違う、どこか楽しそうな視線だった。


「ねぇ、そんなことよりユウカちゃんは彼氏とかいるの?」

「なっ、なんですか急に!?」


 思わず飲んでいたコーヒーを噴き出しそうになってしまった。


「いいからいいから! Yes!? No!?」

「うっ……の、ノーです!」

「あーやっぱり! 肌とか綺麗ですらっとしてるけど、男っはなさそうだからさ。ダメよ、恋愛しなきゃ!」

「いえ、今あんまり興味ありませんし!」


 褒められてるようなそうでもないような……あまり色恋沙汰に興味を示してこなかっただけあって、優花はこの手の話題は苦手としている。逆に、目の前の創からは百戦錬磨の雰囲気がにじみ出ている。


「じゃあいつ興味出すのよ! 恋愛に遅いはあっても早いはないわ」

「それはご尤もですけど! アタシにはアタシのペースがありますから!」

「元はそこそこいいんだから、早めに男捕まえときなさいって! いいよ、色々教えてあげる!」


 「まずはメイクからいこっか!?」と創は聞く耳を持たない。望まずとも語り続ける恋愛術を、優花は次々と浴びせられたのであった。


 ***


「へぇ、創さん来たのか」


 ここまでの話を、海翔は適当な相づちを打ちながら聞いていた。


「だけどなんだ? まさか男がいない云々だけであそこまで切れてたんじゃないだろうな?」

「ないとは言わないけど、そこは別にいいの」


 優花の言葉通り、別にここまでであれば優花も気にするほどの所はなかった。所々でカチンと来ていたが、それでも基本的には気のいいお姉さんなのだろうと思えたからである。


「問題は、その後よ。コラージュの営業が終わって、辰巳くんと一緒にひったくり事件の報告を終えて――」


 と、優花は話を続けていった。

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