#3-2 商店街 ひったくり事件
「おう、辰巳! 折角だし寄ってけよ」
あれから数件の店を回ったが、どこも大した情報はない。優花達の耳に入ってくるのは若い女性の声。張りのある若い声を聞くと、それまでの元気さとは打って変わって怪訝な顔つきを見せる辰巳だった。
「
「なんだその顔! 嫌なら別に来なくていいよ!」
「えー、そっちじゃないですか呼び止めたの」
年の頃は二十代前半だろうか。茶色の髪の毛をポニーテールにして、黄色のエプロンを着た派手な見た目の女性だった。つり目にアイシャドウも相まって、気の強さが感じ取れる。言葉こそつんつんしているのだが、その表情はどこかニヤケを隠し切れていない。対する辰巳はそのことに気がついた様子もなく、くたびれたような顔をしている。
「うっせーなー、男がそんな細かいこといちいち気にすんなっての!」
三木は豪快に辰巳の肩を叩く。店の前には新鮮な野菜がたくさん並べられていて、古くからある八百屋と言った趣だった。
「わかりました。今日のおすすめとかありますか?」
「あぁ、今ならニラとか新鮮だな。刻んで食うもよし、餃子もよし、レバニラもよしだ」
「悪くないですけど、どっちも昨日食べたんですよね」
「なっ、ウチ以外のニラを買ったのか!?」
「いえ、お店で食べたんです」
「自炊しろよぉ!」
文句を垂れながらもその表情は嬉しそうな三木と、対照的に疲れ切っている辰巳。深山の方をふと見ると、退屈そうに空を仰いでいた。どうやら所在がないのは自分だけではないらしい。そうこうしていると辰巳が戻ってきた。
「僕ここだけは嫌なんです! 三木さんに嫌われてて!」
「なっ!! 嫌ってねーし! むしろ――あーいや、なんでもないって!」
「ほら、嫌われてます!」
照れ隠しの如く辰巳をぽかぽかと軽く殴るという、非常に分かりやすい反応を見せる三木と、その真意に気づいていない辰巳。
今時マンガでも見ないような分かりやすい三木の態度から、薄々察しが付いた優花は誤魔化すように辰巳に微笑んだ。深山は「末恐ろしいガキだな」と一人ぼやいている。
「え、そっちの人って彼女?」
「優花さんのことですか? いいえ、違いま――」
「ちょっと名前呼び!? ウチですらまだ呼ばれてないのに!!」
なぜかその怒りの矛先は優花に向かってくる。三木は優花の胸ぐらを掴むと、耳元で囁いてきた。
「てめぇ、ウチの辰巳に手出したら承知しないからな!? 胸だけのあばずれ女!」
「言われなくても取りませんって!」
正直気にしていることを言われてカチンと来そうになったのだが――三木の初々しいまでの真意に気づいている優花は、その気持ちをぐっと抑える。言葉尻には怒りが出てしまった物の、別に辰巳に気があるわけでもなし。三木は優花の大声に少しだけ怯むと、その隣にいる深山に目線を向けた。
「そっちの人も知り合いか?」
「どうも。警察です」
「警察ぅ? なんだい、はやりの薬物でも調査してんのか?」
「……おい、辰巳。手短に聞いてやれ」
深山は相手にするのが面倒だと言わんばかりに辰巳にバトンタッチする。辰巳は溜息をつきながら、三木に困ったような笑顔を見せる。
「三木さん、ちょっと教えてもらってもいいですか?」
「な、なんだい?」と辰巳の笑顔に動揺する三木に対して、辰巳は質問を続けていく。
「最近不思議なことって起きてません?」
「あぁ、巷で噂のひったくりか? そうだな、生憎この八百屋の前では何もなかったよ」
「そうなんですか。」
「そうさ。そもそもそんな目の前でひったくりがあったら、ウチなら突っ込んで止めてやるっての!」
ガシッと拳を合わせる三木。姉御肌な見た目も相まって、本当に止めてくれそうだから頼もしい。
「あの、聞いてもいいですか?」
「なんだ、ドロボウ女!」
どうやらとことん嫌われてしまったようである。恋は盲目と聞くがここまで惚れているとは――「え、優花さんなんか盗ったんですか?」と三木の心を盗った事に気づかない辰巳は優花の顔を覗きこみ、その姿がより三木の怒りを買っている。
「魚屋さんだったかな? なんかポスターみたいなのが飛んでったって聞いたんですけど、なんかそう言うでかいの見ませんでした?」
「あー? そんなん飛んでけば気づくって――」
言葉が止まる。三木は頭をかしげながら「あー」と言葉を選んでいた。
「いや、そういえば変なことはあったなぁって」
「変なこと?」
全員の顔色が変わって、三木の方に注目する。不意に真剣みを帯びた一行の豹変に、三木は戸惑っていた。
「いや、変って言っても気のせいな気もするんだけどよ、そこの屋根見えるか?」
三木が指さす先は向かいに建っている民家。ちょうど屋上がテラスになっているのだが、遠目でも分かるほどにさびた手すりと、何も置かれていない閑散とした景色には物寂しさを覚える。
「あそこがどうかしたんですか?」
「あそこな、長いこと取り壊されてない空き家でよ。その屋上でこないだ幽霊見たんだ」
「幽霊だと?」
不穏な響きに深山が眉をつり上げる。三木はそのまま話を続けた。
「真っ昼間に、はっきりと。でも、瞬きしたらその瞬間いなくなってたんだよ」
「なるほどねぇ――」
「いや、別にヤクとかやってないからな!? とにかく、それぐらいだよ」
深々と頷く深山に向かって三木は吼える。
「三木さん、ありがとうございます。お礼にニラでも買いますよ」
「毎度あり! あ、あの何だったら後で作りに行ってやっても――」
「なんか言いました?」
古典的な返答をしながら辰巳は三木に代金を渡す。
どうも、三木の恋心は鈍感な辰巳には届かないようであった――。
***
「結局、目撃証言なかったですね」
聞き込みを始めてから一時間ほど経っただろうか。とりあえず端から端まで歩ききり、優花はペットボトルの紅茶を片手に、辰巳と深山に声をかけた。
「まぁ、そうだろうな。そっちに関しちゃ、手に入りゃ儲けモンぐらいのもんさ」
「ですね。いい情報自体は多かったですし」
「え、どういうこと?」
ここまで聞いても犯人の目撃証言はなく、手に入った情報と言えば風が吹いただの、何かが飛んでいっただのその程度である。碌な情報ではなかったと思うが――
気づくといろいろな店の袋を山ほど両手にぶら下げた辰巳が答えた。
「僕、商店街の皆さんになんて聞いてたか分かります?」
「え、確か"不思議なこ"とかって聞いてたよね」
思えば、それこそ不思議な言い回しだ。直接ひったくりのことを聞けばいいのに……。
「その通りです。ひったくりのことを話してくれた人もいましたけど、正直僕にとって、目撃証言はどうでもよかったんですよ」
缶コーヒーを口にしながら深山がコクリと頷く。
「まぁ、俺は目撃証言を一割ぐらいは期待してたがな」
「じゃあ、何が目的だったわけ?」
「訊ねた通り、「不思議なこと」の収集ですよ」
ますます意味が分からない。ぐいっとお茶を飲み干すと、辰巳は続きを口にした。
「"魔物狩り"の仕事は、どうしても直接戦闘になるケースが非常に多いです。そんなとき、大切なのはなんだと思いますか?」
「え、なんだろう……相手の魔術とか?」
「その通りです。魔術は人によって千差万別。僕らは多くの場合初見でそれに対応しなきゃいけないんですよ」
言われてなんとなく優花も意図が分かってきた。気づくと飲みきっていたコーヒーをゴミ箱に入れて、深山が言葉を続ける。
「辰巳の言う通りだ。こういった"裏"の事件で真っ当な目撃情報が手に入る確率はきわめて低い。だから、魔術の情報を集めることに専念して、その手口をはっきりさせることに重きを置くんだ」
「じゃあ、犯人はどうやって捕らえるんですか?」
「現行犯逮捕だな。今回の場合は繰り返し起きる可能性は極めて高いと見ている」
この事件は昨日だけで五件起きていると聞く。再犯を行う可能性は高いと言うことを、優花はなんとなく理解した。辰巳が空になったペットボトルをゴミ箱に投げ入れようと狙っている。
「犯人はわざとこの事件を繰り返し起こしているでしょう。連続で起こっている時点で、見せつけたいのは明らかですからね」
狙いを定めた辰巳は、ペットボトルを投げる。放物線の軌道から、その狙いはばっちりに見える。放物線の頂点に達したその瞬間――
ペットボトルを吹き飛ばすほどの強風が吹きすさぶ。
思わぬ突風に、優花と深山は目を覆ってしまった。ペットボトルは優花の脇を掠めて飛んでいく。
「あれ!? 荷物がない!?」
「クソ、しくじった!」
その直後に聞こえる声は甲高い女性の声と、深山の舌打ち。唐突な出来事に思考が麻痺していたが、聞き込んだ情報から、ようやくこの声の意味が分かった。
今まさに、ひったくりの事件が起きたのだ。慌てて優花は被害者の方を確認しようとしたが、ぐいっと肩を引っ張られる。
「優花さん!」
引っ張ったのは辰巳だった。辰巳の指さす方を見上げると、そこには三階ほどの背の低いビルが建っている。屋上には、ひらひらと何か紙のような物が舞っていて――
「耳をふさいで!」
「へ!?」
辰巳の声に咄嗟に反応した優花は耳をふさぐ。押さえた手越しに、甲高い発砲音が響き、優花は思わず身をすくめる。周りの人々の小さな悲鳴が響いた。
恐る恐る優花は辰巳の方を見る。その右手に握っているのは黒光りする拳銃……その銃口からは、一筋の硝煙が風に揺らいでいる。
俄には信じがたい光景ではあるが、車内の打ち合わせで見ていたからこそまだ受け入れられている部分もあるが、それでも理解が追いついていない。いち早く冷静に戻った深山が辰巳に詰め寄った。
「おい、バカ野郎!」
「お二人とも、目を閉じて!」
白昼堂々の発砲を諫めようとする深山の事など意にも介さず、辰巳は次の指示を出している。もはや優花は何をしていいか分からずに目を閉じると――
瞼を閉じても、漂白されかねないほどの目映い光。強烈な光に、優花は瞬きを繰り返しながら怖ず怖ずと目を開けた。
「あれ、辰巳くん!?」
そこには辰巳の姿はなく、同じように目を開いたばかりの深山が深々と溜息をついている。辰巳がいた場所に転がっているのは、小さなランタンだった。
「大丈夫か?」
深山の伸ばしてくれた手を支えに優花は立ち上がる。周りの風景に愕然とした。
今この喧噪を見ていた商店街の人達は全員気を失って倒れている。その中には先ほど荷物を盗られたと言っていた女性の姿もあった。
そして当の辰巳はというと――パルクールの要領で、近くの建物を使いながら、身軽に駆け上がっている。三階建ての屋上までもうあと僅かと言う所だった。
もはや理解が全く追いつかない。ランタンを拾ってまじまじと見つめる深山に向かって優花は疑問をそのまま投げかける。
「ええ!? 本当どういうこと!?」
「発砲で注意を引きつけ、コイツでまとめて市民を昏睡か。手際はいいが、言ってからやれよ……事後処理がめんどくせぇな」
気怠そうながら、素早く正確な分析をする深山は、どんよりと溜息をついた。お陰で何が起きたのかは分かった物の、早すぎる辰巳の判断にやはり着いていけていない。
「優花はどうするんだ? アイツを追うか?」
「えっと、はい! 追いかけます!」
「いいよ、行きな。ただ、アイツに追いつくのは手間だろ?」
ぬちゃ。
優花の足下から、妙な音が聞こえる。コンクリートを踏みつけた音では断じてないその音は、まるでぬかるみでも踏んだ音みたいで――
いや、優花の周りには、コンクリートを覆うように泥があふれかえっていた。慌てて泥から出た優花だが、その景色に深山は落ち着いてこう答える。
「安心しろ、それやってんの俺だ」
どこからか溢れ出した泥は、気づくと一カ所に集まって行き、やがて巨大な腕となる。人をすっぽり覆えるほどの手の形を取った泥は、優花に向かってゆっくりと伸びてきた。
「てことは、深山さんの魔術ですか!?」
「あぁ。これで送ってやるよ」
その言葉を信じて、泥の手に身をゆだねる。その手は優花の体を優しく包むと、更なる泥が腕の根元に集まってくる。少しずつ高度を上げて、辰巳が向かう屋上までぐんぐん伸びていくではないか。
「辰巳と二人で犯人の確保は頼む。後始末はこっちに任せとけ」
「行ってきます!」
下から聞こえる深山に向かって、優花は声を張り上げる。
情報の奔流に追いつかぬ頭だが、久々の戦闘だ。呼吸を整えながら、優花は屋上へと向かっていった。
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