#3-1 商店街 ひったくり事件

 ハザードランプを焚いて、切絵は軽やかに車を路駐させる。辰巳と打ち合わせをしていた優花は、目的地に着いたことに気がついた。

 扉を開けると活気の良い喧噪の声が聞こえて来る。一足先に降りた辰巳は伸びをしながら商店街に目を輝かせていた。

 遅れて降りた優花は、男が歩み寄ってくる事に気づく。警察の制服を軽く着崩した、がたいのいい高身長の男だった。初対面のはずだが、しかし何かが引っかかり、思わずその顔を観察してしまう。

 サイドミラー越しに来訪者に気づいた切絵は、助手席のドアガラスを下ろして優花と辰巳に声をかける。


「詳しいことは深山みやまさんに聞いてね! じゃ、よろしく~」


 とだけ言い残して走り去ってしまった。深山みやま、とはこの警察官のことでいいのだろうか? そう思っていた優花の疑問に答えるように辰巳は「深山さーん」と声をかけている。


「ご無沙汰してます!」

「おう、久々だな、辰巳」


 厳つい顔を僅かに崩して辰巳と親しげに話している。顎に髭を蓄えて、どこか睨んだ印象を与える厳つい目線。筋肉質の高身長も相まって、警察のようにも、そっちの筋の人のようにも見える。簡単なあいさつを済ませた深山は、優花の顔をまじまじと見つめた。


「――新人か?」

「はい。ウチの期待の新人です」


 検分するかのように、深山は優花をじっと見ている。職業が職業なだけあって、その真剣な表情に優花は気圧されてしまう。後ろめたいことなど何もないのだが、思わず背筋が伸びてしまう。静かな迫力に飲まれながら、絞り出すように優花は名乗る。


「は、初めまして。朱崎 優花です」

「どうも。深山 たけるだ」


 警察手帳を見せながら名乗る深山は、それでも優花の顔をじっと見つめている。厳つい目線を合わせること数秒……あっ、と優花は声を上げる。


「あのー、前お会いしませんでした?」

「……あぁ、それだ。なんか小骨引っかかってたんだよ」

「え、優花さんと深山さん知り合いなんですか!?」


 辰巳の驚く声と共に、緊張の糸が切れる。深山は納得したように頷いていた。


 そう、あれはランと初めて出会った河原でのこと――。あの時声をかけてくれた警察官が、他でもない深山だったのだ。深山も覚えていたみたいで、先のにらめっこはどうも想いだそうとしていたからであるらしい。


「やっぱり! その節はお世話になりました」

「別になんもしてないけど。なんだ、の人だったの?」

「えーっと話せば長くなるんですけど、今はそうです」

 

 少しだけ緊張感も和らいでくる。奇妙な縁もあるもんだと優花は笑顔を浮かべながら深山に質問をした。


「深山さんこそ、"裏"の人だったんですね」

「まぁな。で、辰巳や。どの辺まで聞いてる?」

「ひったくり事件が起きて、ってことぐらいですよ」

「そうだ。まったく、ただのひったくりなら俺らの仕事じゃないんだがなぁ」


 深山は溜息をつく。しかし、この仕事を聞いたときに優花も不思議に思ったのだ。


「思えば、どうして"裏"の事件扱いになってるんですか?」

「おっと、その辺も説明せずか――。ご存知の通り、荷物を一瞬のうちに奪い取って逃げる犯罪がひったくりだ。当然顔を隠しているとか、プレートを隠したバイクでの犯行だとかもあるわけだから、必ず風貌を特定できるわけじゃないんだが――それでも、大ざっぱな背丈とか車種とかは情報として出てくるだろ?」


 深山の話を聞いている内に、優花も察しが付いてきた。


「目撃情報が一切ない、というのがポイントなんですね?」

「そう。これが夜とかならまだ"ウチ"には回ってこないんだが、事件は白昼堂々、五件も起きている。だが、一件たりとも犯人の姿に繋がる情報がない。つったく、"怪盗チェスター"だけでも手一杯だっつーのに、最近は模倣犯も増えてて商売がったりだ」


 独特な言い回しだが、どことなく言いたいニュアンスは伝わってくる。商売がったりの逆の意味、"余計な仕事が舞い込んできて仕事が増えていること"を皮肉交じりに言っているのであろう。


「で、こういう"裏"のことが関わってそうな事件は俺達"零課れいか"に回されるんだ」

「大変そうですね。深山さん以外にはいらっしゃらないんですか?」

「今は別件に大半が割かれてる。だから、こういうときはお前さん達に依頼するんだよ」

「なるほど、なんとなく分かってきました」


 初めて聞いた言葉だが、恐らく"零課"とは"裏"の事件を担当する秘密裏の部隊なのだろう。


「とりあえず、今日は警備をしつつの聞き込みだ。頼むな、辰巳、優花」


 よろしくお願いします、と辰巳と共にあいさつをする。顔を上げると、辰巳は目を輝かせて商店街の方を見ていた。今すぐにでも飛び出したそうに、どこかうずうずしている。


「さぁ、聞き込みしましょ、聞き込み!」

「辰巳くん元気ね」

「僕、ここら辺住んでるので、ちょっと詳しいんですよ。商店街は情報の宝庫! 色々聞けると思いますよ!!」


 爛々と目を輝かせる辰巳に、優花の気分も明るくなる。たしかに、ここの商店街は優花も未だ来たことがない。スーパーとは違って、広い通りに人が闊歩し、それぞれの店が活気を出して呼び込んでいる風景に、仕事中ながら少しワクワクしているのも事実だった。


「まずはコロッケでもいかがですか?」

「え、気になる! 行こ行こ!」

「あのなぁ……いや、まぁどこからでもいいか。さっさと行くぞ」


 ずんずんと進んでいく辰巳と、それに着いていく優花、溜息をつきながら追いかける深山という――まるで二匹の犬に引っ張られる飼い主のような構図で優花達は商店街へと足を運んでいった。


 ***


「あら、たっちゃん!」

田村たむらさん、こんにちは! お腰、大丈夫ですか?」

「お陰様で大分楽になったわ。ありがとね」


 聞き込み二割、コロッケ八割ぐらいの目的意識で訪れた肉屋。そこを切り盛りしている田村というお婆さんと辰巳は親しげに話している。


「どういたしまして! あれぐらいでよければ、いつだってしますよ!」

「あらあら。それは嬉しいわぁ」


 朗らかに笑いながら田村さんと世間話に興じる辰巳。深山は「ほう」と顎髭を撫でながら眺めていた。


「なるほど、うってつけの人材ってことか」

「本当ですね。顔が利くって強いなぁ」


 切絵が今回の任務に辰巳を当てたことは恐らくこれが狙いなのだろう。折角ならばその調査の腕を盗み見ねば――優花も負けじと二人の所に歩み寄り、話を聞いてみることにした。


「こんにちは!」

「こんにちは。あら、たっちゃんの彼女?」

「そうだったら嬉しいですけど、生憎違います。同じ部活の知り合いですよ」

「もう、辰巳くんったらお世辞上手ね」


 優花の言葉に田村も「こんな若いのにしっかりしてるわよね」と頷いている。

 計算なのか天然なのか――年下ということも相まってか、庇護欲を掻き立てられる上に、本人も世渡り上手というのは辰巳の強みなのだろう。次男とかのイメージに当たるのだろうか。元々年下のお世話は大好きだったこともあってか、優花は必然悪い気はしない。


「あれ、たっちゃん、部活やってたっけ?」

「はい。町の不思議を調べる、"推理部"なる物に入ってるんです! それで、ちょっと聞きたいんですけどいいですか?」


 辰巳の手管に舌を巻く。彼の雰囲気から織りなす自然なやりとりで、そのまま本題へと入っていくのだった。田村は「いいよ」と快諾して、辰巳の話に耳を傾ける。


「最近、ここらで変なことってありませんでした?」

「ひったくりの事かしら? そっちは知らないけど、そういえば最近、妙な突風が多い気がするのよね」

「突風、ですか?」

「そう。台風とまではいかないにしても、商店街を一気に吹き抜けていくような風よ。吹き飛ばされるんじゃないかって怖くなるぐらい」


 穏やかな顔つきもあって、冗談なのだろう。辰巳は「そうなったら、僕が助けてあげますよ!」と優しく答えを返した。


 ***


「おう辰巳ぃ! てめぇいつも肉屋ばっか行きやがってよぉ! ちったぁ魚も食え魚も!!」


 コロッケをもらって店を出ると、向かいにある魚屋から怒号が聞こえてくる。そこを見ると、はげた頭にねじり端巻を撒いた、お爺さんがいた。先の田村さんよりも少し上なのだが、ぴんと伸ばした腰と威勢のいいかけ声もあって年を感じさせない。


「あぁ、鈴木すずきさん。ごめんなさい、最近あまりその気分じゃなくて!」

「なーにが気分だよ、テメェ。魚食わねぇから、お前からっきしバカなんじゃないかよ!」

「ここの魚食べても賢くなれません! なんて評判ついたらいやでしょ?」

「なに、ナマ言ってんだこの野郎! 炙っちまうぞ!」


 負けず劣らずの元気の良さを見せつける辰巳は、コロッケを一息に食べきると鈴木と呼ばれた魚屋さんの方に駆け寄っていく。


「元気のいい爺さんだな」

「ですね。後、辰巳くん本当に顔広いなぁ」

「だな。楽できるのは悪くない」


 もはや傍観している方が早いと悟ったのか、深山はコロッケを静かに食べている。とはいえ、言葉とは裏腹にその鋭い眼光は周りをじっと観察している。気を抜いているわけではない深山を見て、優花もコロッケを食べきると辰巳に続いた。


「辰巳くん、魚も食べないとダメだよ。サワラとか、塩振って焼くだけでも食べやすいよ」

「おう、連れの嬢ちゃんの言うとおりだよ!」

「げ、優花さん魚食べるタイプの人でしたか……わかりましたよ。今日は買っていきますが、一つ先に教えてください! 不思議なことってなんか最近なかったですか?」


 魚屋の鈴木さんは急な問いかけに目をぱちくりとさせていた。「何を急に」と軽い返事をしながらも、思い当たる節があったのか腕組みをする。


「そういや、見間違いかもしれねぇけどよ――」


 そう言って鈴木は指をさす。そこにあるのは、近くの神社で行われる祭りの案内が書かれたポスターだった


「突風が吹いた時によ、あれぐらいの大きさのポスターが飛んでった。ただ、別に剥がれた後もないし、よくわかんないんだよな」

「へぇ。ポスターですか」

「そりゃお前、あの大きさでぺらぺらっつーとポスターぐらいなもんだろうさ。で、不思議なことによ、目で追ってみりゃ、気づくとなくなっててよ」

「耄碌しましたか?」

食ってないお前に言われたくねぇよ、たわけ!」


 鈴木は辰巳ににげんこつを食らわせる。しかし、二人の表情はどちらも笑顔だった。二人だからこそ通じる冗談みたいで、その風景に優花は微笑ましくなっていた。

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