第1章 "狩人"と"式装"

プロローグ ~表と"裏"の景色~

「にしても、驚いたぜ。まさかユーカがサボるなんてさ」


 講義の合間の休憩に来た学生もいれば、講義はなくともその安さに惹かれてブランチを摂りに来る学生もいる。黙々と携帯の画面を見つめながら食事を摂る者もいれば、一区画を占領してカードゲームに興じて和気藹々とする集団もいる。十人十色では足りない程の個性的な色が広がる、大学内部にある学食。


 朱崎あかざき 優花ゆうかも例外ではなく、同じ経済学部の友達と共に昼食を摂りに来ていた。女子グループで食べる事が多いのだが、今日はたまたま合流した男子グループと一緒に食事を摂っている。


「ホント。僕らのなかで、一番に自主休講するのが朱崎さんとは思わなかったよ」

「ねー。あたしが寝坊する方が先だと思ってたー」


 今の話題は、昨日、一昨日と続けて起きた優花の欠席。大学に入って二ヶ月、初々しさが抜け始めた中で起きた出来事に、経済学部のメンバーは浮き足立っていた。

 優花は戸惑ったように笑みを浮かべながら、先の神凪かんなぎ 桔梗ききょうの言葉に返事をする。


「でも、桔梗って寝るの早いよね? 大体十時過ぎると返事こないじゃない。それぐらいには寝てるんじゃないの?」

「寝てるよ~。ちなみに、起きるのは大体八時!」

「寝過ぎじゃない!? よくそんなに寝られるわね」

「え、無限に眠くなんないの? ってか、寝坊で来なかったんだと思ってたんだけど」


 既読つかなかったし、と続ける桔梗に、周りからは「そりゃお前だけだ」とツッコミが入る。そのツッコミに笑いながら優花は返事を誤魔化した。


 当然だがこのは、最も仲が良い桔梗にも話していない。携帯をロクに見る事もできないほどの、大騒乱の二日間を思い返しながら、優花は定食のサラダを口に含んだ。


 話が桔梗の寝坊話にシフトしつつある中で、向かいの席に座る男子学生、黒岸くろぎしが口を開く。中性的で整った顔つきを僅かに綻ばせながら、


「でもさ、朱崎さんはどうして休んだの? サボるタイプには見えなかったんだけど」


 黒岸を初めとして、皆の視線が優花に集まる。悪意も善意も特にない、純粋な興味の視線。その視線から逃げるように視線を泳がせて、優花は「あー」と短く呟いた。

 

 日常生活にいることに違和感を憶えるほどの事があった。

 平和な現在社会の"裏"側に潜む、強烈な悪意を実感した。


 そして――"裏"の世界に入っていく覚悟を決めた。


 当然だが、こんなことを彼らに話すことはできない。

 沈黙が続けば不審がられてしまう。元々暗い雰囲気は苦手なのだ。優花は笑顔を取り繕いながら、


「大したことじゃないって。急だったけど、実家の方に呼ばれてさ」

「あー、実家絡みか。色々あるよね、あたしも未だに門限あってさぁ」

「桔梗の家って過保護気味よな。今時、門限ってオレ初めて聞いた」

「僕も聞いた事ないなぁ。そっか、ごめんね、朱崎さん」


 余計な事聞いちゃったね、と黒岸は小さく謝ってくる。「別に気にしないでよ」と優花は軽く返しながら、話題は徐々にそれぞれの実家の話へとシフトしていく。踏み込んだ話というよりは、笑いぐさになるような話題ばかりで、複雑な家庭環境を持っている優花でも決して嫌な気分はしない。知らぬ環境に思いを馳せながら、優花は昼食の唐揚げを頬張っていった。


 ――『お姉ちゃんも食べよ、おいしいよ!』


 一昨日まで隣にいた、ある小さな女の子がいない事に、一抹の寂しさを憶えながらも、"表"の日々は続いていく。


 ***


「桔梗、ありがと」

「なにが~?」


 黒岸達は「講義がある」と行ってしまい、残っているのは優花と桔梗だけになった。二人とも、今日は昼からは講義はない。向かい合って雑談をしている中で、ふと優花は唐突に感謝の言葉を告げたのだ。

 とぼけた様子の桔梗に優花は「も~!」と言葉を返す。


「その、さっき話題変えてくれたじゃん」

「あー、なんだっけ、自主休講の理由のとき? 別に変えた気はなかったんだけど、ユーカそこまで乗り気じゃないなって思ってさ」


 たった一ヶ月ほどの付き合いであるが、桔梗は気配り上手であることを幾度も実感してきた。眠たそうにぼんやりとしていても、どこか鋭い。触れずにおいて欲しいところを、見抜いているような節がある。


 彼女にだけ、本当の事を打ち明けるのもやぶさかではない……そう思って口を開こうとしたとき、桔梗はさっと手のひらを見せた。


「桔梗?」

「皆まで言わなくても分かるよ。言いにくい事って、あるもんね」


 眠そうにしている細い目から漂う優しさに、優花は思わずうなずいてしまう。


 あの美容院を勧めてくれたのは他ならぬこの桔梗だ。もしかしたら、本当にすべてを知っているのかも知れない――。


 喧噪が去った静かな学食の中。二人の間にある沈黙を、桔梗が破った。


「ずばり、男でしょ?」

「……は?」


 すべて見抜いていますよ、と言わんばかりの得意げな表情の桔梗。気の抜けた優花の声に気づいた様子もなく、桔梗は


「ほら、二日間連絡が取れず、それでロングの髪の毛も大胆にミドルにカット! それに、どこか悩んでいた表情――。いや、皆まで言うなって。男でしょ、男?」

「んー、残念! 違います! てか、美容院教えてくれたの桔梗でしょ?」

「えー、そうだったっけ? そうだった気もするな。あれ、なんで教えたんだっけ?」


 見当違いの答えにガクっと来ながらも、優花は少しだけほっとする。

 教えられた"美容院"の"裏"側で起きた事を、もしかして言い当てられるのではなかろうか、そう思ってしまったのだ。この肝心なところが抜けている感じ、まさしく桔梗たり得るところである。


「えー、あたしの予想は一番が寝坊で、二番が男、それも失恋だと思ってたんだけど、違うのかぁ。じゃあもう、なんでか分かんないや~!」

「あはは、本当、大した理由じゃないから心配しないで」

「わかったー、了解! まぁ、ユーカが言うならそうなんだろうね」


 それ以降、余計な詮索をすることなく、桔梗と二人で駄弁っていた。

 時刻はそろそろ午後二時。次の予定があるから、と優花が帰ろうとしたところで、桔梗が呼び止めた。


 なに? と振り返るとその笑顔が目の前にある。のんきさすらも感じられる穏やかな微笑み。見ているだけで和らぐその顔は、視線を優花の髪へと移していく。


「新しい髪型、似合ってるね」

「えへへ、ありがと! 桔梗がいいところ教えてくれたお陰だよ」


 大学でできた初めての友達にお礼を言いながら、優花はその"美容院"へと向かい始めた。


 ***


 迫り来る木刀を、優花はしゃがみ込んで避ける。

 虚空を払いながら、その木刀が起こすは突風。

 突風から想像できる一撃の威力に、優花は冷や汗をかいた。


 しかし、振り払った今、相手は隙だらけ。そう睨んだ優花は、しゃがみ込んだ勢いと共に右足を相手の臑目がけて振り払った。木刀のなぎ払いに勝らずとも劣らぬ、正確な狙いの一撃――転倒を狙いとした攻撃は、しかし失敗に終わる。踏みしめた脚は、ピクリとも動かなかったのだ。その体幹は細身の体からは想像できない程に強い。サンドバッグを打った方が、まだ感触がある。


「甘いんだよ!」


 振り払った直後の木刀を僅かに持ち変えると、足下にいる優花に向けて振り下ろす。かわすには間に合わない。優花は右腕と左腕を交差させて咄嗟にガードを試みるが間に合わず――


「――っっっ!!」


 響くのは、コン、という小気味の良い音。

 間の抜けた音だが、直に頭にくる衝撃は悶絶するのに充分だ。声を上げないように歯を食いしばる物の、その痛みにクラりと目眩が訪れる。そのまま、情けなく優花は倒れてしまった。


 短く刈り揃えられた草原の上で、痛みに転がる優花に向けて、木刀を持った男――狗淵いぬぶち 海翔かいとは呆れ気味に笑う。


「おいおい、実戦だったら致命傷だぞ?」

「うっ、うるさい!! あー痛っ!!」


 優花は目に小さく涙を浮かべながらも優花は再度立ち上がる。白い歯をニヤリと見せながら意地悪く微笑む海翔は、時計を見ながら大げさに驚いてみせる。


「十秒! こいつはおかしいなー。『三分ぐらい楽勝よ』って言ってたのはどこのどいつだったかなー?」

「うー!! も、もう一回!」

「へいへい。はい、スタート~」


 気の抜けたかけ声に更に苛つきながらも、優花は海翔に向かって駆け出していく。向かってくる優花を前にしたとき、海翔の目の色は真剣な物に変わっていた。


 三分間、攻撃を避け続ける、もしくは一本決める事。

 それが海翔から出された最初の課題である。


 "裏"の世界――ファンタジーや物語の世界でしか存在しないような、魔術が実在する、"表"の世界に秘められた世界。

 先日巻き込まれた一件から、"裏"の世界に入ることを決意した優花は、"裏"の世界の住民である海翔から、こうして戦闘の手ほどきを受けている。

 元々空手をしていただけのこともあり、三分ぐらいなら、と高をくくっていた物の、このやりとりも既に五度目。所々に青あざを残しながらも、優花は未だに三十秒の壁すら越えられていない。


 避けるだけならば、と思っていた一回目の時、一瞬で距離を詰められて五秒と持たずに一撃を入れられた。恐らく、リーチの外に出ようとしても容赦なく海翔は追いついてくるだろう。


 ならば、と一本取る事を目標にして、懐に果敢に突っ込んで行くと二回目にして優花は指針を変更していた。振り払いを極め抜いた海翔の一撃は、加減をされて尚視認すら難しい。一撃躱すが関の山、そうこうしている内に二撃、三撃と猛攻が続く。

 何度か隙を見つけて攻め込もうとするも、海翔はその攻撃を的確にいなしていく。隙を見つけて蹴りを入れるも、防がれたと思った時にはもう遅い。


 優花の脇腹に、海翔の木刀が食い込んだ。


「いったー!」

「そっちの方が実感出るだろ?」


 このように、攻撃を返されて痛い目を見ているのだ。

 寸止め等ではない。加減はされている、と言っても、それは殺す一撃をケガさせる一撃に変えている程度なのだ。容赦しない攻撃に体中が痛む物の、優花は諦める事なく立ち続ける。


「ま、習うより慣れろだ。長物相手の立ち回りは体に覚え込ませろ!」

「望む所よ! これでも空手、黒帯まで行ってるんだからね!」

「そうか、ならもうちょい本気でもいいってことだな!?」


 恐ろしい事を口にする海翔の猛攻をくぐり抜けるべく優花は奮起するも――


 十二回。

 十五秒。


 この日、優花が挑んだ回数と最長記録であった。


 ***


「本当、跡残ったらどうするの!!」

「安心しろ、目立つ所には残さないようにしてるから」

「悪趣味! お腹の辺りとか残る、ってこと!?」

「どうせ誰にも見られねぇだろ?」

「はっ――ちょ、勝手に決めつけないでよ!!」


 聞いてんのか海翔ォ! と、全身が青あざだらけになりながらも、けたたましいサイレンのように詰め寄る優花を海翔は適当にあしらう。


 二人が戻ってきたのは閉店した美容院コラージュの店内。昼間は黄色い声で溢れる店内も、閉店した今は最低限の照明が灯り、様々な髪型に彩られたマネキンヘッドが物言わずに鎮座するだけだ。

 三日前にも、こうして夜の"コラージュ"を訪れたのだが、この不気味さには未だに慣れない。


 そんな店内の様子を意に介した様子もなく、一人の美女が文庫本を片手に紅茶を嗜んでいた。優雅さすらも感じられる、その女性は、入ってきた優花と海翔に気づくと、ニコリと落ち着いた笑顔を見せる。


「あらあら、ユッカちゃん、派手にやられたね」

「そうなんです! 本当、手加減なくて」

「抜かせ、手加減してなきゃお前とっくに死んでるぞ?」

「ふふふ、まだまだ先は長そうだね。ファイト!」

 

 このコラージュの店長である衛島えとう 切絵きりえ。指名も多い人気な美容師である彼女だが、それは"表"の姿。

 今、この場の彼女は、少し違う。


「そういえば、今日の集合ってなんなんですか?」

「あー、それはね――」


 切絵の言葉は、バタンと開かれた扉の大きな音に遮られる。

 勢いよく開かれただけではここまで大きな音にはならない。耳を押さえながら見てみると、控え室と裏口が同時に開いていたようだった。


「お待たせしました」


 控え室の方から出てきたのは、白いブラウスを洒脱に着こなし、長い足を黒いズボンで覆った細身の女性。睨んでるような細い目を覆う黒縁眼鏡は、その女性のカッチリした雰囲気を表すように四角。真っ直ぐな髪質をそのまま流しているような、綺麗なショートヘアも相まって、できるキャリアウーマンといった印象の女性だった。


「こんばんは~。寝坊して遅くなりました!」


 裏口から入ってきたのは、白地のTシャツに水色のタータンチェックの長そで、紺色のジーパンをはいた、ラフな格好の少年。少年と青年、あどけなさと精悍さの狭間にいそうな端正な顔つきと、優花と同じぐらいの背丈から、高校生ほどの年齢かと想像させる。しかし、その右の目元から頬にかけて、大きな古傷が残っている。人懐こそうな笑みや爽やかな大声が、少年の性格を表しているように思うのだが、どうにもその傷に目が行ってしまう。


 どちらも、優花とは初対面である。不意に現れた二人に、優花は目をパチパチとさせながら、海翔と切絵の方を見る。


 海翔は片手を挙げて「久しぶりだな」と声をかけて、

 切絵は立ち上がって「出張お疲れ様」と労っている。


 その意味を、優花は感じ取っていた。

 この二人は、海翔や切絵の""なのだ、と。


「じゃあ、みんな揃ったわね」


 と、手を叩きながら話す切絵の言葉は、先の質問への回答であった気がした。

 その笑顔に大きな変わりはない。しかし、昼間に見せる時と比べて、どこか緊張感を感じさせる笑みだった。


 美容院"コラージュ"が持つ"裏"の貌。


を始めましょう」


 "裏"の事件を影ながら処理する組織"魔物狩まものがり"の活動が、今宵も始まった。

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