エピローグ ~別離と会遇~

「ごめん、ランを守れなかった」


 雪那せつなが消えた直後に聞こえた海翔の謝罪。町田に雪那と、続いた二戦の結果、ボロボロの体でありながら、彼は自分に頭を下げている。


「……謝らないでよ。別に、アンタのせいじゃないし……むしろ、助けてくれて、ありがとう」


 本心から出た言葉だった。海翔がいなければ、自分は死んでいた。ランを……満月みつきを助けられなかったのは、間違っても海翔のせいではない。不甲斐ない自分への苛立ちを込めてしまったことは、とても申し訳ないのだが……今の優花には

それを正すだけの元気もない。


 以降、その帰り道に会話はなかった。

 俯きながら帰る優花と、かける言葉を失っている海翔。互いが互いに喋る気になれなかったのだ。


「おかえりなさい。ご飯、できてますよ」


 海翔の家の扉を開けると、美鹿子みかこが出迎えてくれた。明るい笑顔を見せる美鹿子だが、二人の様子を見て、笑顔が引っ込んでしまう。


「ただいま。ありがとな、美鹿子」

「い、いえ……その、勝手に色々使っちゃってごめんなさい」


 自分の家らしく一切の遠慮をせずに、ずけずけと入っていく海翔。優花は玄関に立ち尽くしていた。美鹿子はそんな優花の顔を覗きこむ。


「優花さん……その……」

「……ごめん、ちょっとアタシは食べる気ないや」


 心配する美鹿子に、短く言い放った優花。キッチンから食事のよい匂いが漂う物の、今は食欲がわかない。重い足取りで寝室へと歩いて行った。


「ほっといてやってくれ」

「……はい。あの、海翔さん、一つお聞きしたいことが――」


 後ろに聞こえる二人のやりとりをよそに、優花はベッドに向けて倒れかかった。


 ほんのり漂う、ランの柔らかな残り香が、ぐるぐると渦巻く優花の胸中を更に複雑にさせていく……。


 ***


 結局、あれから寝付けたのだろうか。ねっとりと体に張り付く重さが取れたような気はしない。無慈悲にも時間だけは流れていたようで時間は午前二時。ふと隣を見れば、そこで美鹿子がすやすやと寝息を立てていた。海翔の姿は見当たらない。


 少し前まで、隣で笑っていたのが嘘みたいに、"ラン"は忽然といなくなってしまった。

 "ラン"と出会ったこの三日間。振り返ってみると、夢幻だったようにさえ感じてしまう。


 それでも……ベッドに残る香りや、握ったあの小さな手の感触は未だに残っている。


 ランの、朱崎あかざき 満月みつきの再度の終焉が、リフレインする。


 隻腕になりながらも、優花の頭に手をやって、言い聞かせるように話した言葉だった。


 ――『――ごめんね、ゆうちゃん――不安にさせて、怖い思いばっかで――本当に――ごめん、ね』


 真っ先に伝えた言葉が謝罪であったことに、優花は満月らしいなと感じてしまった。

 最後まで、優花の身を案じてくれたその温かさが、優花にとって嬉しくて……誇らしかった。

 自殺をする人間は、多かれ少なかれ他人に攻撃的な部分があるとどこかで聞いた事がある。その話を聞いて、どうしても生前の満月の人物像がぶれていた。しかし、姿こそ変わっても、あの満月は間違いなく満月だった。


 満月の自殺。あれにはきっと、何か別の真実がある。満月が自殺をするなど、やはりおかしいことだったのだ。


 ――『――だから、ゆうちゃん――絶対に、死なないで――』


 満月は言った。

 この町にわざわいが訪れること、そして、


 、ではなく、

 、と。


 ケンカで青あざ作ってくる度に、目くじらを立てていた満月らしからぬ言葉だが、そこにはきっと意味がある。


 恐らく、このわざわいから優花が逃げる事はできない。

 きっと、優花が"裏"の騒動に巻き込まれる事は必然で、そして優花がそこから逃げるわけがないことも分かっているからこそ、満月はその言葉を選んだのだろう。


 死なないで――か。と優花は独り言つ。


「自分は"そっち"にいるくせに、ずるいなぁ、本当に」


 満月に会って、聞きたい事は山ほどあった。

 それでも、不思議と空っぽだった胸の内が、今はぽかぽかと暖かい。


 別離した筈の人間と、会遇した有り得ざる三日間。

 謎は深まるばかりだったけれど、それでも――


 "ラン"と笑い合った日々は、間違いなく優花の胸の中に残っている。

 "満月"が伝えたかった思いは、間違いなく優花の脳裏に焼きついた。


 そして、満月の謎を解く鍵は、目の前にぶら下がっている。


 ――「ワタシは雪那せつな。朱崎 優花、知りたい事があるなら、自分で求めたらどう?」


 であれば、自分がすべきは一つだけだ。


 ***


「――――以上が顛末だ。町田は"天使"、雪那って女の爆発によって即死」


 明くる日の美容院"コラージュ"の店内。臨時休業となって下ろされたシャッターのでは、"裏"の会話が繰り広げられている。


 美容院側の待合席に腰掛け、コーヒーを啜りながら海翔は報告を終わらせた。

 対して、少し離れた場所で報告を聞くのは、目の下に薄らとクマを作った切絵。机に手を突いて、どこか物憂げで疲れた表情を浮かべながらも、時折頷きながら聞いていた。


「お陰で、結局連続放火事件の……三件目の製薬会社がなんだったのかは分からずじまいだった」

「そうなるか。本当、私がそっちに行けてれば――」

「もしも、なんて話してもしゃーないですし、何より……」


 コーヒーカップを皿に戻す、小さな音が響く。


「そっちも、""だったんすよね?」

「えぇ。私とはっくん達とを分断させるために暴れさせた、って見えなくもないよね」

「その、"生徒"ってのはなんなんですか?」


 そんな二人の間で、ぼんやりと話を聞いていた優花が口を挟む。

 雪那も話していた"生徒"と言う単語。話を聞く限り、切絵が追っていた犯人や町田がその"生徒"らしいのだが、学校の生徒のことではないだろう。


 その質問に、"コラージュ"店内は静寂に包まれる。切絵は困ったように優花の方を見ていて、海翔はコーヒーを再度啜っている。

 そもそも、この場にいる事すら、本来許されざることであるはずだ。切絵が言葉に詰まっていることを、薄々と感じる。


「あのね、優花ちゃん。ここから先は――」

「今、渦波うずなみ市で増えている、謎の魔術師達の総称だ。性別、年齢、様々だが共通項はただ一つ」


 イスから腰を上げ、つかつかと優花の方に歩きながら海翔はポケットの中をまさぐる。


「ちょっと、はっくん?」

「急に魔力が覚醒し、魔術を行使できるようになった、ってことだ……それこそ、お前と同じ、な?」


 そう言って優花に突きつけるのは、オレンジ色のダーツ。証拠品としてか、パウチされた袋に入っている。矢の先にこべり着いた真っ黒な血の塊から、いつ投げたダーツなのかがなんとなく分かった。


「……はっくん? どういうこと?」 

「そのまんまの意味です。コイツは最後の最後で、雪那に突き刺したダーツを介して、なんらかの魔術を働かせていた」

「……え、アタシそんなことしてたの?」

 

 何故か視線を泳がせていた雪那の様子を思い浮かべる。最初は挑発でもしているのかと思ったが、続いた雪那の台詞は、まるで優花を探しているようだった。見失う筈もないと思うのだが……しかし、優花すら知らない間に魔術を使っていたとしたら……なんとなく、話の辻褄があってくる。


「しかし、優花コイツは他の"生徒"とは明らかに違う。それがなんでなのかはちょっとわからない……てことを、言おうとしてた矢先だったんすよ? いや、本当ですって」

「それは話の流れでなんとなく分かります。私が言いたいのは、それをどうして優花ちゃんに話すのか、ってことだけど?」


 端々に怒気を感じさせる切絵の言葉に、海翔は困ったように頭を掻く。


「姐さん、この"跳ねっ返り"は自分が決めた事を曲げない、樫のような女っすよ。だから、伝えた」


 海翔はダーツの入った袋を懐にしまい、優花と目を合わせる。

 キリッと釣り上がった瞳に浮かぶは強い意志の色。茶色の瞳は、真っ直ぐに海翔を見つめていた。


「だろ、優花?」

「……えぇ」


 ぷいと、優花は切絵の方を真っ直ぐに見る。

 その視線が込める強さは、切絵も見て一瞬たじろぐほどに――優花の、強い意志で溢れていた。


「知りたいことがあります。それは、この"裏"の世界でしか、見つからないことだけど――それでも、アタシは追い求めたいんです」


 ランが、満月が、最期に遺した言葉を思い出しながら、優花は切絵に頭を下げる。


「アタシに、追いかける力をつけさせてください」

「……険しくて、危ない道のりなのはわかってるよね」

「はい。それでも、アタシは絶対に進みたいんです」


 優花の真っ直ぐな瞳を、切絵はじっと見つめ返す。


 短いながらも、永遠に感じるほどの沈黙が流れる。


「安全は保証できないよ?」

「いいんです」


 揺さぶりに一切動じない優花に、切絵ははぁ、と溜息をついた。


「優花ちゃんの気持ちはよく分かった。女の子のお願いは、聞くのがお仕事だしね」

「ありがとうございます!!」


 優花はぱぁっと顔が明るくなる。その顔に切絵は困ったような笑みを浮かべた。

 その言葉に海翔は「よかったな!」と優花の背中を強く叩く。


「あー、よかったよかった。断られたらどうしたもんかと思ったんすよ」

「……はっくん、こういう流れになるって、なんとなく分かってたでしょ?」

「バレました? まぁ、ほっとけないんすよ」


 背中を叩かれた痛みで声を出せず、視線だけで海翔に抗議の意を示していた優花が、その一言に少しだけ絆されてしまう。

 自分を考えてくれるというのは決して悪い気は――

「いや、コイツはきっと、断られても一人で追いかけるぜ? それなら、ここで首輪つけとく方が幾分マシってもんでしょ」

「ちょ、海翔! なに、そんなこと考えてたの!?」

「事実だろ?」

「……否定できない!」


 先の沈黙が打って変わってどこかほぐれた雰囲気になる。優花の言葉に、切絵は「まったく」と小さく言葉を漏らした。


「それで、切絵さん、お願いがあります」

「なーに?」

「その、厚かましいお願いなんですけど、」


 一昨日、初めてこのコラージュに足を運んだときのことだった。


 ――「ゆうちゃんはミドルが似合うんだけどなぁ……」

 自分を置いて勝手に自殺した、満月の言葉を否定したい、ただそれだけの意地だった。


 それも、結局は満月の髪型を真似て、一種の同一化をしたがってただけの、子供だましにもならない変な意地だったと、今なら気づく。


 自分のを押し殺してまで、満月に通したいと思った、変な意地だった。


「髪を切ってください。ミドルぐらいの長さに」

「……いいの、それで?」


 優花の発言の意図が分かってか否か、切絵はわざとらしく問い返してくる。


「はい、大事な人がそっちが似合うって言ってくれたんです」


 満面の笑顔を浮かべながら、優花は自分が真に好きな髪型を口にする。


 優花に、拗れた意地は既になくなっていた。

 満月の言葉を信じ、彼女の死に向き合う覚悟を決めた。


 その笑顔の裏にある、強かな覚悟を見抜きながら、"裏"の狩人達はそれぞれが笑顔で優花の思いを受け入れた。


「ようこそ、世界の"裏"側へ――」

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