第41話 悪役令嬢はじめますっ! ~前編~
「泣いておられるのですか?」
王宮バラ園の奥深く。そこには小さな窪みがあった。
蹲る小さなドレスの少女は、肩を揺らし、ポロポロと泣きじゃくっている。
「お... おかあ様は、わたくしがお嫌いなのだわ」
顔をくしゃくしゃにして見上げる少女には、彼の御方の面影がある。
一世を風靡し、自分の心を拐ったまま虹の橋を駆け抜けてしまった女神。
心の奥の疼きを上手に隠し、さらりとした翠の髪を風に擽らせながら、彼は少女を切なげに見つめる。
「そうですね。後添えですから.... 正直、好かれてはおられないでしょうね」
男性は、たまたま見つけた少女を抱き上げると、風香るバラ園のベンチに座った。
負けず嫌いな小さな王女様は人知れず隠れて泣いていたらしい。
変な処が似ているんだな。
彼は泣きじゃくる王女を抱き締め、涙を隠してやると、昔話を始めた。
「貴女に良く似た御令嬢でしたよ、負けん気が強くて、実際に腕っぷしもあって。色々な困難に立ち向かい、打ち負かし、女王になられました」
「亡くなった、おかあ様?」
男性は小さく頷く。
その男性の顔に浮かぶ笑みは、輝くような麗しい微笑みだった。
子供心に、ときめいたあの瞬間。
わたくしは恋に落ちたのだろう。
シュリーナ・アズハイル。今日から悪役令嬢目指します!!
彼女の入学する貴族学園は、両親の母校である。王族であるシュリーナは、御学友とともに学び、勤しんできたが、ある日、不思議な話を耳にした。
それは、数十年前。稀代の悪女と呼ばれた御令嬢の話である。
図書館にある恋愛小説だと聞き、探してみると、確かにあった。作者の名前も間違いない。
「おじ様の小説だわ」
ペンネームではあるが、その昔、ついて回った彼の私室で同じ名前の原稿を見た事がある。間違いない。
わくわくしてページをめくると、そこには情緒溢れる世界が広がっていた。
IFの文字から始まる物語は、稀代の悪役令嬢と呼ばれる女性が、紆余曲折して初恋に身を捧げた幼馴染みの男性と幸せになる話だった。
その女性に対する描写が事細かく描かれており、作者の並々ならぬ愛情が感じられ、シュリーナは思わず食い入るように読み耽る。
そして確信した。これが作者の理想の女性像なのだろうと。
「理解したわ。待っていてね、おじ様。あたくしは貴方の理想の女性になってみせますわ」
悪役令嬢。誇り高く優雅で他の追随を許さない淑やかな女性。そして強く優しく.... 前に聞いた、御母様の話に似ていますわね。
まあ、よろしいわ。
まずは淑女としての勉強だ。幸い、自分には淑女の鑑と呼ばれるミルティシア夫人が教師について下さっている。
今までは、厳しすぎる指導にサボったりもしていたが、今日から心を入れ換えよう。
拳を握りしめるシュリーナを、不思議そうな顔で司書が見つめていた。
「まあ.... 悪役令嬢になりたいのですか?」
ミルティシア夫人は、軽く瞠目して、音もなく優雅にティーカップをソーサへ戻す。
その美しい所作に、シュリーナは初めて感動した。
一体自分は今まで何を見てきていたのだろう。
一通り形を覚えればそれで良いと思っていた。出来ていると自分では思っていた。
しかし、こうして良く良く見てみれば、全く出来てはいなかった。
夫人の淑やかな柔らかい動き。滑らかに音もなく、魅入られてしまうような優雅な仕草。
どれ1つとってもシュリーナとは雲泥の差である。
夫人と比べたら、シュリーナなど山猿も同然。
『そこに在ると言われるまで気づかないのは三流の証拠だ。一流ならば、常に全てを認識し、意識している』
おじ様の本にあった一節。
本当にその通りだとシュリーナは頭を抱えた。
でも自分は気づいたのだ。気づかないよりは、幾分マシだろう。
ぐぬぬぬと百面相するシュリーナを見つめ、ミルティシア夫人は、しっとりと微笑んだ。
血は争えないのかもしれないわ。あの方の娘御が、同じ道を目指すなんて。
「懐かしいわね。わたくしも以前に目指しましたのよ。悪役令嬢」
「ミルティシア夫人が?」
「ええ。強くて優雅で淑やかで。それまで我が儘な小娘だったわたくしは、痛恨の一撃を頂いて、心を入れ換えましたの。今の王女と同じですわ」
「えー......」
信じられない。目の前の御婦人は誰が見ても完璧な淑女である。
そんな夫人にも我が儘な小娘の時代があったのか。
茫然とするシュリーナを懐かしそうに見つめ、ミルティシア夫人は何度も小さく頷いた。
「そうです。今の貴女と同じ。一撃で眼から鱗の落ちたわたくしは、必死に彼の御令嬢から学びましたわ。見て盗り聞いて盗り。それでも未だに彼の御令嬢には及びません。まだまだ、わたくしも修行の身ですの」
シュリーナは驚きに眼を見張る。
これだけ優美な佇まいでありながらも、まだ満足はしておられないのか。
これが悪役令嬢を目指した夫人の姿.....
「人生も悪役令嬢も一日にしてならずですわ。わたくしに教えられる全てを授けます。精進なさいませ」
ぴっと背筋を伸ばすシュリーナを微笑ましく一瞥し、ふとミルティシアは思った。
あの時の御姉様も、こんな御気持ちだったのかしら。
彼の方と過ごした、賑やかで大騒ぎだった日々。
過去を振り返り、ミルティシアは思う。
あの時学んだわたくしが、あの方の娘御に教えるなんて。人生は面白いものね。
しっとりと優美な仮面の下に苛烈な心を宿し、ミルティシア夫人のスパルタ指導が幕を上げた。
「なんか叫びが聞こえなかったか?」
「なんの?」
「ま、いっか」
王宮で父王とともに実務の見習いに励む兄王子達は、妹が悪役令嬢を目指し出した事を、まだ知らない。
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