第37話 エピローグ ~前編~


「こうしてお茶をするのも久しぶりね」


「はいっ」


 後宮のテラスで、四人はテーブルを囲む。


 エカテリーナと皇后は嬉しそうに客人らに微笑んだ。


「あんたがたも元気そうで何よりだ」


 公爵令嬢のミルティシアと付き添いのネル婆様。


 皇后の招きで開かれたお茶会。


 怒涛のように起きた出来事。婚約、舞踏会、森の氾濫。

 あれから三年の月日がたっている。


 エカテリーナは女王に即位し、フィルドアを王婿に迎え、タランテーラは新たな時代の幕を上げた。

 何しろ、数千年ぶりに魔術が復活したのだ。人々は混乱を極めた。

 スメラギ様によって、あらかじめ多くの司教や魔術師らが派遣されていなくば、どうなっていた事か。

 手に入れた魔力を持てあまし、事故が多発し、あわや大惨事という事態も幾つかあった。

 女神様による儀式も復活し、今までのような神々のいない形だけの儀式ではなく、御加護や祝福を賜る本当の儀式に、誰もが感動し、心を奮わせる。

 秋津国から教師として派遣された司教や魔術師達が魔法の理や危険性を説き、人々に正しい魔術の在り方を教え、一時期は酷く混乱が起きたものの、今は落ち着いていた。


「我々はいずれ秋津国に戻ります。多くの人々に学びを与え、正しく魔術を使えるよう、次代の育成を御願いいたします」


 柔らかな物腰で、丁寧に人々を導く秋津国の人達。


 彼等の進言に応じ、タランテーラには幾つもの学習塾が出来上がった。

 魔術を学ぶには読み書き計算が必須なのだ。

 貴族階級で独占する事を口にする者もいたが、そこに物申したのは冒険者達である。

 この大陸には幾つかのダンジョンがあり、そこに魔獣が復活し始めた。これと対峙するのは多くの冒険者達だ。

 樹海にも魔獣が復活しているし、早急に魔術を得て学ばねばならないのは、冒険者や騎士団を筆頭とする平民達なのだと彼等は声高に主張した。


「あんたら貴族は前線には立たないだろう? 立つのは精々指揮を取る辺境伯くらいだ。貴族にこそ魔術なんぞ必要ないだろう」


 冒険者ギルドを代表して議会に参加したガリウスは、剣呑な眼差しで貴族らの提案を一蹴する。

 魔力や魔術はステータスではない。貴族様らの優越感を満たす御飾りではない。生活に密着した、神々からの恩恵だ。秘匿は悪手、独占は愚行。

 そう宣うガリウスの横に座る千歳は、何故か生温い眼差しで貴族らをみつめていた。


 結果、ガリウスに押し負けた貴族らから可決をもぎ取り、学習塾と言う魔術を学ぶ教室がタランテーラに幾つも作られた。


 とは言ってもレベルが低いうちは大した魔術は使えない。基本は生活魔術と呼ばれる可愛らしい魔術を教わり、人々は初めての魔法を興奮気味に覚えていった。


 しかも魔術を使うには素養が必要で、生活魔法くらいならば精霊の助けを借りて誰でも使えるが、正式な魔術となると、精進を重ねて努力せねば簡単に使えるものではない。


 ある時、海岸に巨大な魔獣が現れ、甚大な被害を出した。


 初めて魔獣を見たタランテーラの人々は恐怖に震え、対峙した騎士団すらも、魔獣の操る魔法に背筋を凍らせる。


 魔獣が使っていたのは水魔法。


 まるで濁流のように吹き出し、うねる水が、瞬く間に街を破壊し、逃げ惑う人々を蹂躙していく。

 それを聞き付けた千歳や魔術師達がやってきて応戦し、ようやく事態は終息したのだ。


 魔法には魔法で対峙するしかない。


 騎士団の話によれば、魔術師達の攻撃によって魔獣は瞬殺されたという。


 右往左往し、試行錯誤を重ねた数年間。


 冒険者達や騎士団らが中心となって魔術を会得し、それなりの形が定まった辺りで、秋津国の人々は帰っていった。

 彼等はタランテーラだけでなく、他の国々にも派遣されており、そちらへの紹介状を書いてくれと、いきなりスメラギ様が王宮に転移してきて貴族らの度肝を抜いたのも良い思い出。


 一年ほどたってから行われた戴冠式のおりに、招待に応じ集まった各国の王族達。

 同じく招待され、現れたスメラギ様に眼を見張って驚いていた。

 タランテーラの紹介状を持ってやって来た魔術師らから話は聞いていたのだろうが、実際に眼にして、やはり困惑を隠せないのだろう。

 まだ五歳ほどの少女が一国の主なのだとは信じられないに違いない。しかも、王族などではなく、多くの国民に選ばれた元首なのだ。


 しかし、タランテーラの人々は知っている。


 彼女がいかにして我が国を救ってくれたのかを。彼女の都合が合わさったのもあるだろうが、もしそれが無くば、間違いなくタランテーラは瓦解していた。


 恭しく礼をとり、エカテリーナは幼女に頭を下げた。他のタランテーラの貴族らも頭を下げる。


「御足労頂きまして感謝に言葉もございません。スメラギ様の御恩に報いられるよう、誠心誠意国に貢献する所存にございます」


「御互いに、人生はままならんものよな。まあ、なるようにしかならないさ。気楽にやろまい♪」


 まるでエカテリーナの心の内を知るような言葉。


 思わず眼を見開くエカテリーナに、にかっと破壊顔する幼女。


 すると、タランテーラの人々の脳裏にシグナルが走った。


《全属性精霊支援小を取得しました。同系統は、これに統合されます》


 え? なにこれ? 天啓??


 レベルアップやスキル取得時などに聞こえる天啓。


 驚嘆に顔を上げたエカテリーナの周囲でも、似たようなざわめきが起きている。


「なんだ、今のは?」


「全属性精霊支援?」


「貴殿にも聞こえたか?」


 狼狽える人々をしれっと見つめる幼女。


「あんたなら取得出来ると思ったよ。他はおまけだ。アタシからの御祝いな。まあ、頑張れww」


 そう言い残してスメラギ様は秋津国へ帰られた。


 それからも多忙な日々が続き、半年後にはフィルドアと結婚。


 森の氾濫事件の後、エカテリーナとフィルドアは長い時間をかけて話をした。

 完全に擦れ違っていた二人の想い。


「卒業ダンスパーティーで指名された時は、どん底だったわ」


「そなたが心配だったのだ。嫁き遅れなまま、女性として辛い生活になるのではないかと」


「それで側室込みの人生計画たてた訳? 女の事、馬鹿にしてない?」


「いやっ、してないっ!」


「まあ、そうよね。わたくしに指摘されるまで、側室に正室の仕事やらせるつもりだったんだものね。分かってなかったのよね」


「.....すまない」


 しょんぼりと項垂れるフィルドア。


 彼は本当に分かっていなかったのだ。自分の口にした言葉が、どんな結果を招くのかも、どれだけ人々を軽んじていたのかも。


 エカテリーナに対する暴言は、全て己に返ってきた。両親を巻き込み、臣下らに苦労をかけ、彼女自身にも新たな侮辱を与え、それにも気づかず、暢気にも側室はエカテリーナと仲良く出来る女性が良いなぁなどと世迷い言を考えていた。


 過去に戻れるなら、己をぶちのめしてやりたい。


 何故にここまでエカテリーナに執着していたかにも気づかず、ラシールから仄めかされていた事に、ようやく最近気づいた。

 あいつもあいつだ、気付いていたなら教えてくれれば良かったのに。

 そこまで考えて、フィルドアは頭の中で首を振る。


 言われたら言われたで、きっと自分は全力で否定した事だろう。あいつは無駄な事はしない奴だ。


 だからこそ、俺がようやくエカテリーナへの気持ちを自覚し、現状に苦労しているのを見て、今回の策を示唆してくれたのだ。


 あの舞踏会の日。俺は天啓を得た。


 契約の条件を聞き、ラシールはしばらく考えてから、フィルドアに耳打ちをする。


「それって王太子でなくば半分は無効に出来るぞ?」


 寝耳に水な発言だった。


「ついでに、彼女を王位につけたら、全て無効になるぞ?」


 ほくそ笑むラシールが与えた天啓。衝撃。


 条件の殆どは王家と彼女にまつわる事だ。彼女自身が王となり、婚姻を解消する必要が無くば、白の婚姻である必要もない。

 エカテリーナが女王となれば、王太子を辞したフィルドアが王婿となるのも自然な流れだ。


 問題はどうやってエカテリーナを王位につけるか。


「簡単だよ。おまえが王太子を辞めれば良い。そうすれば、お前の子供を次代にしたい貴族らが、緊急措置的な理由をつけて勝手に彼女を女王にしてくれるさ。ただし、国王夫妻には説明しておけ。いずれ元サヤに収まるとしても混乱は必須だからな」


 確かにそうだ。今回のみの変則的な形で婚姻が成されても、次代の王がフィルドアの子供なら、結果的に元に戻る。

 フィルドアが王太子を辞すれば、残るは七歳の弟王子のみ。

 既に齢六十近い父王の事を考えても他に選択肢はないだろう。


 ただ、この計画の中心はエカテリーナだ。彼女が王婿としてフィルドアを厭えば話が変わってしまう。 

 他の貴族らも黙ってはおるまいし、最悪、国を割る内乱が起きかねない。


 しかし、確信もある。


 エカテリーナは決して人々を苦しめる選択はしないと。


 彼女の優しさにつけこむ謀だ。最悪、彼女から唾棄するような謗りを受けるかもしれない。

 辺境伯らからも信頼を失い、針のむしろに座るような人生を送る可能性もある。


 それでも.....


「やるんだろ?」


 ニヤリと人の悪い笑みを浮かべるラシールに、フィルドアは大きく頷いた。

 エカテリーナを正式な妻とする絶好のチャンス。これを逃せる訳がない。


 覚悟を決めたフィルドアの瞳を確認し、ラシールはさらに計画を詰める。


「問題はエカテリーナ嬢の心象だ。すでに最悪なんだと思ってるだろ、お前」


 これまでの自分の態度や言葉を思いだし、情け無さそうに頷くフィルドア。その姿に思わず噴き出し、ラシールは軽く手を振った。


「大丈夫だから。エカテリーナ嬢は、お前の暴言もなんも、全く気にしてないから。今の彼女を見れば分かるだろう? 大して好かれてもいないが、嫌われてもいない」


 言われてフィルドアは納得する。


 確かに彼女から嫌悪のようなモノを感じた事はない。....逆に自分が嫌悪丸出しで針ネズミのような態度であった事を思い出して落ち込むフィルドアである。


 全く正直な奴だよ。何を考えたのか丸分かりだ。


 過去の己を悔いているのだろう。正論なれど、彼女を傷つけてきた事をようやく自覚したフィルドアを微笑ましく眺め、ラシールは彼に言い聞かせた。


「正直に話せ。自分の愚かさも、彼女への想いも。お前は謀に向かない。何も考えるな。自分に正直に想いを伝えろ。それだけで、彼女なら分かってくれる」


 真摯に諭すラシールの瞳には不可思議な光が宿っている。

 それに首を傾げ、フィルドアは何故にそう思うのか尋ねた。

 しばし瞠目し、ラシールは苦笑しながら答える。


 そんなん見てたら分かるだろうと。


 フィルドアの恋心も、エカテリーナの優しい心根も。


 こういうのを慧眼と言うのだろうか。フィルドアが気づきもせず、右往左往し、のたうち回っていた問題に一筋の光明を示してくれた。

 ラシールに御礼を言い、国王夫妻に相談すべく、フィルドアは大広間に戻っていく。


 それを見送りながら、彼は獰猛に眼をすがめ、残忍に口角をまくり上げた。

 人ならざる殺気を放ち、それを落ち着けるべくテラスへ凭れかかる。


 見てたら分かるさ。もう、十年も見つめ続けて来たんだからな。を。


 彼女が常にフィルドアと共にいるから、自分も共にいた。

 彼女の言葉や態度とは裏腹に、僅かな熱量も感じない眼差しから、王太子に愛情を持っていないのは察していた。

 何ゆえ彼女が悪女を演じているのか知らないが、婚約者候補になる前の彼女の知るラシールは、彼女に某かの考えがあるのだろうと、疑問を口にはしなかった。


 卒業ダンスパーティー当日。仏頂面な王太子を面白そうに眺めながら、ラシールは婚約者候補の中から彼が誰を選ぶのか楽しみにしていた。そしてふと彼女を思い出す。

 悪女たる彼女が王太子の婚約者にはなれまい。そこでようやくラシールは彼女の意図を理解した。

 婚約者から外れるために、悪女を演じていたのだと。


 悪辣非道と言われる暴挙の数々。たしかに誉められたモノではないが、ラシールから見たら多少苛烈な程度である。

 姿形は下品スレスレなれど、そんなモノで彼女の魅力を隠せはしない。それを理解しない馬鹿な貴族らへの虫除けにもなるし問題ない。


 王太子の婚約者候補から外れれば彼女に求婚出来る。


 彼女が王太子の婚約者候補になってから、歯噛みし続けた八年間。それがようやく終わろうとしていた。


 しかし、結果は惨憺たる有り様。


 人に本気で殺意を抱いたのは初めてだ。


 ....それでもラシールはタランテーラの貴族である。


 国王を支え、国を栄えさす責務を担う者だ。この矜持に傷をつける訳にはいかない。


 出来うるなら彼女の幸せに貢献したい。それがラシールに残された最後の選択肢であった。


 ゆえに全力でフィルドアの恋の成就に協力する。たとえ血を吐く思いであろうと、彼が一生エカテリーナを大切にするよう仕向ける。


 そして一生、二人の傍に仕えるのだ。


「マゾか、俺は」


 それでもエカテリーナの笑顔と共にありたい。


 拗らせも極まれりな人間が此処にもいた。


 こうして人知れず1つの恋物語が終わりを告げた。....いや。新たな物語が始まったのかもしれない。


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