第38話 エピローグ ~後編~


「まあ、わたくしも賢い選択ではなかったと後悔してますわ」


 思い返せば、馬鹿な事をしたと思う。

 親に散財させ、辺境伯家の評判に泥を塗り、多くの人々を騙し続けて来た。

 いくら家族が認めてくれたからと言って誉められたものではない。木を見て森が見えない狭窄に陥っていた。

 大きな溜め息をつくエカテリーナに、フィルドアが小さく呟く。


「あの...な、エカテリーナ。その話は聞かなかった事にしたい」


「悪役令嬢を演じていた事ですか?」


 エカテリーナが首を傾げると、フィルドアは頷いた。


「今さら持ち出しても仕方無い話だし、何よりそこまで厭われていたかと思うと....俺が傷つく。他に知られたくはない」


 しゅんと落ち込むフィルドアの姿に、ヘタレた犬耳と尻尾の幻覚が見える。思わず噴き出し、エカテリーナはクスクスと笑った。


「貴方様を厭うた訳ではありませんよ? わたくしは妃になりたくなかっただけなのです」


「それでもだ。」


 少し膨れっ面なフィルドア。それをさも楽しそうに見つめ、エカテリーナは、しっとりとした面差しで口を開く。


「わたくし、公務も政務もしませんわよ?」


「うん? 分かってる。俺が全て引き受ける」


「社交も最低限でしてよ?」


「もちろんだ。離宮の改装も終わるし、後宮から出て来ないでくれた方が俺は嬉しい。心安らかでいられる」


「....お手伝いくらいはしますわ」


「え?」


 フィルドアは彼女の言葉を脳裏で反芻する。


「貴方が、わたくしの自由と権利を認めてくださるなら、わたくしは妻として、貴方を支えますわ。それが当たり前でございましょう?」


「いや、それでは....そなたが妃の立場から逃れるために悪女を演じたように、私も...そなたを正式な妻とするため、今回の茶番劇を仕組んだのだ」


 思わぬフィルドアの言葉に、エカテリーナは眼を見張る。


「俺の気持ちは本心だ。だけど、そなたが俺の正式な妻となるよう....女王に.... すまない」


 あ~... なるほどねぇ。


 あまりに見事な一幕は、仕組まれた罠だったか。

 鮮やかな手並みであった事は認めざるをえない。フィルドアに、こんな才能があったとは、以外である。

 いや、国王夫妻か? 違うな、ネル婆様か?


 思案する彼女を、フィルドアはすがるような眼差しで見つめた。


「本当にすまない。だから、仕事は俺が全て引き受ける。そなたに苦労はかけない。一生大事にするっ!!」


「もし、わたくしが結婚を拒否して貴方を婿にしなかったら、どうするおつもりでしたの?」


 フィルドアは、うっと声を詰まらせて、渋々な感じで話した。


「大叔母様は、それでも良いと.... むしろ、そちらの方が国のためになると笑っておられた」


 ネル婆様ェ....


 エカテリーナは少し遠い眼をして、天井を仰ぐ。


「謀に謀で返されただけですわ。わたくしらよりも王女殿下の方が上手だっただけ。完敗ですわ」


 苦笑いするエカテリーナに、フィルドアは一瞬固い顔をして、唇を引き結んだ。


 大叔母様ではない。ラシールの企みだ。しかし、自分に協力してくれた友人の名誉に傷をつける気はない。


 フィルドアにしては珍しく余計な事を言わず沈黙した。


 たがまあ、話したとしてもラシールは気にもしなかっただろう。彼の本来の目的は達成されたのだから。

 エカテリーナの幸せな未来と、ライバルを玉座から蹴り落とす事。ラシールは、どうせ仕えねばならぬなら、エカテリーナに仕えたい。そんな思惑から今回の策を講じたのだ。


 知らぬはフィルドアばかりなりである。


 そんなこんなで夜も更け、御互いに腹を割って話した二人は前向きな未来を約束し、安堵に胸を撫で下ろしながら、フィルドアは部屋を辞した。


 幸せにほくそ笑む彼だが、部屋を出た途端、辺境伯一家に捕まり、延々と説教や嫌みや愚痴の洗礼を朝まで受ける事となる。


 涙目なフィルドアだった。




 そして無事に戴冠式や結婚式も終わり、王となったエカテリーナが最初に行った事は政務の見直しと振り分けである。


「だいたい国王の仕事が多すぎるのですわ。王妃や王女まで駆り出される仕事量は明らかなオーバーワーク。ブラック企業もびっくりですわよ」


 オーバーワーク? ブラック企業?


 頭を傾げる周りに、エカテリーナは側近や部署の増員、増築、それに伴う人材を広く募集した。

 身分を問わず試験を受けさせ、合格した人々を適材適所に投げ込み、結果、フィルドアの仕事は半分に減る。


「余分な仕事まで抱え込み過ぎていたのですわ。責任ある仕事は人に生き甲斐を与えます。それを王が独り占めするなど、愚の骨頂」


 逆転の発想だ。責任ある仕事だから人に任せないではなく、責任ある仕事だからこそ臣下に任せるのである。

 それは王からの信頼でもあり、任された貴族達は眼を輝かせて政務に勤しんだ。

 今まで貴族らがやっていた、誰にでも出来るような仕事は外部に発注し、王宮は本来やるべき大切な政務を中心とする。


 そして次にエカテリーナが着手したのは議会制度の見直し。


 今までは身分が絶対的な資格だった。しかしエカテリーナはそれを良しとせず、参加資格に実績を盛り込む。


「現実を知らぬ者に、どんな案が出せましょう。現場を知る声が一番大切ですわ」


 しっとり微笑む女王に反論も出来ず、結果、議会席の半数が空席となった。


 今まで、どんだけ雑な選び方をしていたのか。


 うんざりと天井を見上げ、エカテリーナは議会にも適材を放り込んだ。各部署の現場を知る下級貴族らから気概の有りそうな者を選び出し、身分をモノともせず意見する彼等によって議会は白熱し、繊細な上級貴族らが辞退を示し、さらに空席が出来る結果となる。


 海千山千の猛者が揃うべき議会は、余分なモノが削ぎ落とされ、活発な政治討論の場に発展していった。

 身分を考慮し、なあなあで流されていた今までが払拭され、今日も元気に議論が交わされる。


 これが、在るべき議会の姿よね。


 にっこり微笑みつつ、エカテリーナは更に身分制度にも見直しを入れた。


 身分の世襲を不動のモノとせず、三代以内に功績を上げない場合、降格という制度を作る。

 タランテーラでは基本的に爵位が上がる事はあっても下がる事はない。

 それこそ重大な失態などが起きない限り、降格も剥奪もないのだ。


 ゆえに上位貴族が半数を占めている現状。


 大きくなくても良い。隠れた功績でも見逃されないよう、彼女は影の査察部を作る。

 身分制度の改革に伴い動き出した査察部が、各領地を担当して住み込み、逐一情報が挙げられるようになった。


 結果、少しでも領地を良くしようと貴族らは目に見えて働き、エカテリーナの治世は改革と進展の時代と呼ばれるようになる。


 転生者であるエカテリーナは、無意識に物事の道理をしっていた。在るべき姿を知っていた。

 歪んでいる部分を敏く見抜き、在るべき方向に導く。


 彼女が行ったのは、たったそれだけである、


 そして昨日。新たな法案が可決された。


「王位を世襲ではなく、指名制にいたします。無論議会の可決が必要で、王女王子であれども能力がなければ、貴族への降家を基本とします」


 つまり一代限りの王とする法案だ。


「それとは別に本家を作ります。今のわたくし達が引退したら本家となり、その家は代々のタランテーラ王家の血筋に継がせてゆき、王とは違う呼称....仮に宮家とでもしましょうか。わたくし達の新たな家を作ります」


 王を役職とし正しく政を行える者に譲り、専横は許さず、議会の可決を必須とするシステムだ。


 無論、いざという時の独自裁量もある。


「王となるに相応しければ誰でも王になれます。切磋琢磨し、次代を目指し、励んでくださいませ」


 しっとりと微笑むエカテリーナの最後の言葉が、貴族らの反論を封じた。


 実力を示せば、自分達の係累から王が誕生するかもしれない。


 そのチャンスを見逃す貴族らではなかった。




 この数年を振り返り、肩の荷の下りたエカテリーナは、ようやく以前の目的だった、のんびりライフを手に入れた。


 時折、女王としての依頼が入るが、殆どの仕事は臣下に振り分け、フィルドアの仕事も元の半分もないので、手伝う事も稀である。

 今では後宮の離宮に閉じ籠り、本を読み耽ったり、刺繍を刺したり、離宮横に作った畑を世話したり。


 長閑でまったりな日々を過ごしていた。


 こうして時々来客もあったりで、満足な生活である。


「御姉様、わたくしにも女王になれる可能性はあるのでしょうか?」


「勿論だわ。努力を重ねる全ての貴族に可能性はありましてよ」


 ぱあっと明るく笑うミルティシアに苦笑し、ネル婆様はエカテリーナを優しく見つめた。


「しかし、大胆な事をやらかしたもんだ。あの狐や狸な老害どもに口を挟む隙も与えずに。あっという間だったね」


 さも楽しそうなネル婆様。それを少し険しく一瞥し、皇后陛下はやや不満顔である。


「だけど、貴方達の子供が王位につけなくなるかも知れないのよ。それでも宜しいの?」


 エカテリーナはお茶を啜りながら、静かに皇后陛下を見つめた。


「愚か者が王位に着くより、遥かにマシでございましょう」


 エカテリーナの瞳には冷たい炎が揺らぎ、それは淑女ではなく、民を担う為政者の眼光だった。


「わたくしは努力が実を結ぶのだと示しただけ。努力すれば平民でも役人や官僚になれる。下級貴族でも議会に参加できる。王族でなくとも王位に着ける。だだ、それだけでございます」


 こんな改革が成功したのは、一重に魔力の復活が切っ掛けだ。身分も権力も通じない、問答無用で押しとおる原始の力。

 新たな力の存在が、従来の力関係に歪みを入れた。

 その混乱に乗じて改革を行い、全てに結果が伴っただけである。それもこれも王位に着いたからこそ出来た事。

 妃であったなら出来ようはずもない。人生、何が好機となるか分からぬものだ。


「もし、わたくしの子供達が王位に着きたいのであれば、それに相応しく努力すれば良いだけの話ですわ。王子王女と生まれただけで、他の方々よりも良い環境で学べるのですもの。それでも相応しくないと判断されたなら、それはもう、向いていないとしか言いようがないでしょう」


 きっぱり言い切るエカテリーナの背後から、複雑そうな声がする。


「それはそうなんだろうが。少し冷た過ぎやしないか?」


 エカテリーナが振り返ると、そこにはラシールを連れたフィルドアが立っていた。

 彼も激減した仕事の合間に、こうしてエカテリーナの離宮を訪ねてくる。


「女王陛下の御言葉はごもっともです。身に覚えがありましょう、フィルドア様も」


 過去の黒歴史を持ち出され、フィルドアは言葉を詰まらせた。

 気さくな言い合いを眺めつつ、エカテリーナは隣領地嫡男のラシールが、まさかフィルドアの側近筆頭になるとは思いもしなかった。

 国王夫妻の側近筆頭と領地経営を両立は出来ないとし、彼は弟に爵位を譲り、王都に移り住んで今に至る。

 別に爵位を持ったままでも良かったのだろうが、領地経営の一切を弟に押し付けるのに、そんな図々しい真似はと、苦笑していた。

 いずれは宰相になるだろうし、それも英断かなとエカテリーナは思う。


「立ち話も何ですわ。御二人ともおかけください」


 新しいお茶を用意させながら、遠回しに辞退するラシールをフィルドアが引っ張り、和やかに時間が過ぎていく。


 ああ、わたくしの目指した未来が、今ここにある。


 家族と仲良く過ごし、やりたい事をやって、まったり日々が過ぎる穏やかな生活。


 澄み渡る青空に流れる雲。世は事もなし。


 理想と形は違えど、エカテリーナは己の手で、未来と人生を勝ち取った。


 後の人々はこう語る。改革の母、女王エカテリーナ。彼女は稀代の悪女であり、淑女であったと。



 二千二十一年 二月十八日 脱稿。

         美袋和仁



 後書き。


 はい、番外編終了しました。連載版の結末です。

 異世界版、女王エカテリーナとして〆るため、フィルドアとのハッピーエンドになりました。

 改訂版の元になった物語です。


 そしてこの物語には後日談があります。明日からは、そちらも投稿します。チラ見していただけると嬉しいワニです。

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