第39話 連載版番外編 IF物語前編 ~貴女だけを~
ここからは連載版女王エカテリーナの番外編です。
改訂版とは全く無関係ですが、IF物語の次に連載版の後日談的なものがあるので、投稿する事にしました。
五時と十一時に投稿します。
~貴女だけを~
「アナスタシア・サリュガーニャ嬢。貴女を我が妃に迎えたい」
学園の卒業ダンスパーティー壇上。声高に宣言した王太子に向かい、アナスタシア嬢は静かに歩いていった。
その眼はチラチラとある御令嬢を確認している。
その視線の先には赤から黒にグラデーションする奇抜なドレスの御令嬢。
豪華絢爛な金糸の刺繍に、これでもかと括れたウェスト。
豊満な胸を強調して大きく胸元の開いたドレスは酷く扇情的で、ジャラジャラつけた装飾品もあいまり、下品スレスレな娼婦のごとき出で立ちである。
しかし、その物腰は優雅の一言。
しっとりと佇む件の御令嬢は、開いていた扇を閉じ、柔らかな微笑みを浮かべて拍手をした。
「御婚約おめでとうこざいます。王太子様。サリュガーニャ公爵令嬢。心より御祝い申し上げます」
彼女が寿ぐと、周囲もそれに倣い、おめでとうこざいますと、口々に祝いを述べた。
途端、会場が歓喜に湧きたち、あっという間に祝賀ムード一色に彩られる。
壇上の王太子は有り得ない物を見る眼で件の派手な御令嬢を見つめていた。
彼女の名はエカテリーナ・ハシュピリス。辺境伯令嬢で、今日のこの日までは王太子の婚約者候補であった。
見掛けは前述の通り。中身は派手で傲慢で高飛車な御令嬢である。罵詈雑言は当たり前で、鞭の如く扇をふるい、時には実力行使も辞さない苛烈ぶり。
溺れるような香水を香らせ、王太子に近寄る御令嬢には容赦ない事この上ない問題児。
だが、それらを凌駕する高貴な物腰や、見惚れるような優雅な所作から、一部の親派を持つ不可思議な御令嬢でもある。
五人いた婚約者候補の中で、特異な煌めきを放つ毒花のごとき御令嬢は、当然、自分が婚約者になると思っていただろう。
身分も教養も申し分ない。
だが人となりが最低であった。
どんなに叱っても懇願しても彼女は変わらなかった。
淑女としての彼女はピカイチで他の追随を許さない。
なのに中身も見掛けも残念過ぎる。
最終的に残った候補五人から、王太子は宰相の孫娘であるサリュガーニャ公爵令嬢を選んだ。
公爵はいずれ祖父の後をついで宰相になるだろう。辺境伯令嬢のエカテリーナ嬢と遜色ない。
エカテリーナが意義を申し立てて暴れるかとも思っていたが、杞憂だったようだ。まさか彼女に祝福されるとは青天の霹靂である。
彼女は非常に悪評高い御令嬢だ。縁談も来るまい。サリュガーニャ嬢との婚姻が滞りなく終われば、折を見て側室にめしあげよう。
あの性格では公務も政務もさせられない。側室なれば、後宮で大人しくしていてくれれば良い。
.....あれが大人しくしてくれるかは分からないが。
会場にひしめく学生らから祝福を受けながら、王太子はサリュガーニャ公爵令嬢をエスコートしてホールに出る。
そして始まるファーストダンス。
軽快な音楽に乗り、二人は軽やかに足を滑らせていた。
皆が注目する中、王太子の視界にラシールが入る。
ラシール・ヴァルバレッタ伯爵令息。彼は王太子の御学友で、就学中は常に共にあった。
苦楽を共にし、少し羽目を外すような事にも快く付き合ってくれ、御学友の枠を越えた親友である。
その彼が向かう先にはエカテリーナ嬢。
ラシールはエカテリーナ嬢の前で膝を着き、某かを囁きながら手を差し出していた。
対するエカテリーナは軽く瞠目し、次には優美な眼差しで口角を上げる。
そしてラシールの手を取り、魅惑的に微笑んだ。
何が起きた?
訝る王太子はダンスを終えると、サリュガーニャ公爵令嬢にしばしの暇を告げ、思わずラシールの方へ歩き出した。
「今晩は、ラシール。エカテリーナ嬢」
二人は穏やかな顔で王太子を振り返る。
「王太子。いや、フィルドア。婚約おめでとう」
微笑むラシールを軽く一瞥し、王太子はエカテリーナにダンスを申し込む。
だが、エカテリーナは首を横に振り、申し訳なさそうに眉を潜めた。
「わたくし、ラシール様から求婚されましたの。御受けいたしましたから、ファーストダンスはラシール様と踊りたく存じますわ」
言われた意味が分からない。
しっとりと微笑む彼女は初々しく、微かに頬を染めてラシールを見上げていた。
ラシールも愛おしげに彼女を見つめている。
二人は王太子に暇を告げ、二人並んでホールへと向かった。
取り残された王太子の顔は真っ青で、今になって己の気持ちを自覚し、愕然とする。
そんな王太子に、サリュガーニャ公爵令嬢がそっと寄り添った。
「どうかなさいましたか? 王太子様」
「いや....何でもない。他の婚約者候補にも挨拶をしたい。付き合っていただけるか? アナスタシア嬢」
「アナスタシアとお呼びください。わたくしは婚約者となったのですから」
大人しく穏やかな優しい少女。彼女ならば、堅実な王妃となってくれるだろう。
可愛らしい婚約者を見つめ、王太子は己の自覚を心の奥底に閉じ込める。
「ならば、私の事もフィルドアと」
「はい。フィルドア様」
頬を染める婚約者の腰を抱き、王太子も並んでホールへと戻って行く。
今更ながら後悔に身を委ねながら。
時を遡る事、ほんの少し前。
王太子のファーストダンスに会場の視線が集まる中、遠目にそれを見ていたエカテリーナの元にラシールがやってきた。
「終わったな」
「それは嫌味ですの?」
妃に選ばれなかった自分を笑いたいのかしら?
そう言いたげにすがめられる黄昏色の瞳。
それを柔らかく見返し、ラシールはさも嬉しげに眼を細めた。
「違うよ。君の努力は実った。もう悪女を演じる必要はないだろう?」
思わず瞠目するエカテリーナの前で膝を着き、ラシールは真摯な眼差しで彼女を見上げる。
「幼い頃より共にあった私を騙せるとでも? 樹海で君に救われたあの時から、私の眼には君しか映っていないんだ。騙せる訳がないだろう?」
そしてエカテリーナに手を差し出し、清しく微笑んだ。こぼれるような満面の笑み。
「今、君は婚約者候補から解放された。私の妻になってくださいませんか? 十年も貴女だけを見つめ続け、八年間待ち続けた男に祝福を下さい」
驚嘆に見開くエカテリーナの瞳。
ああ、あの頃から君は変わらない。
あの日、ラシールは己を過信し、領地の端にある樹海で獣を狩っていた。
護衛もおり気が大きくなった彼は、途中の沼で深みにはまり、にっちもさっちも行かない所を複数の熊に襲われたのだ。
必死に応戦する護衛達。目の前に迫る猛獣。動けない自分。
絶体絶命のその時に現れたのが辺境伯騎士団とエカテリーナだった。
彼等は、あっという間に熊らを倒し、沼にはまって動けない自分を引き上げてくれる。
安堵に泣き出しそうなラシールを、エカテリーナは、いきなり殴りつけた。しかも拳で。
茫然と見上げるラシールの眼に映った幼女は怒りに眼を剥き、さくらんぼのような小さく赤い唇を歪ませている。
「あなたねぇっ、この時期は繁殖期で、森の動物は気が立ってるのよっ、なんでこんな奥にまで進むの? 死にたいの? 馬鹿じゃないのっ??」
立て続けに怒鳴られ、ラシールは思わず泣き出してしまった。怖かった。熊もエカテリーナも。
それを見て、エカテリーナも泣き出した。沢山の熊にびっくりした。男の子が死んでしまうかと思った。
泣きじゃくる二人を微笑ましく眺めながら、護衛と騎士団は子供らを背負い、樹海を後にした。
そこから、お隣さんである辺境伯との交流が始まる。
元々友好的な両家ではあったが、七つの洗礼を受けるまで子供を他領へ出す事はない。
ゆえにラシールとエカテリーナは初顔合わせだった。
最悪の初対面。まだ六つのエカテリーナが何ゆえ騎士団と共に樹海にいたのか。
不思議なラシールが問うと、辺境伯騎士団の面々は顔を見合わせて苦笑する。
「御嬢様は.... 普通ではないのです。すでに多くの武術をおさめ、辺境伯騎士団の第二班の隊長をなさっておられます」
つまり、騎士団と共にエカテリーナがいたのではなく、エカテリーナが騎士団を率いて森の巡回をしていたと言うのだ。
護衛をつけて剣術の真似事をしていたラシールは、信じられない顔で眼を丸くしていた。
そしてラシールの辺境伯家詣りが始まる。
嫡男である彼が武術に興味を示すのは良い事だと、伯爵家も快く送り出してくれた。
辺境伯家には二人の令息がおり、妹と変わらない年齢のラシールを可愛がってくれる。
「無理はしないようにね。リーナはおかしいから、あれを基準にしてはいけないよ」
苦笑する長兄アドリシア。真っ赤な髪に黄昏色の瞳。五つ上の彼は、立派な大人に見えた。
「リーナは可愛いですっ、おかしくなどないですよ、兄上っ」
黒髪に赤い瞳の次兄ラルフレートは、ラシールと同い年。二人とも、エカテリーナをとても可愛がっている。
エカテリーナとアドリシアは騎士団の訓練に加わるため、ラシールとラルフレートは騎士団の数名に付き添われ、剣の練習をした。
「ラシールは騎士になるの?」
「ううん。僕は強くなりたいんだ。二度と泣かない。泣かせないために」
ラシールが樹海の出来事を持ち出し、エカテリーナはぷくっとふくれて見せる。
「貴方がいけないのだわ。そうね、強くなりましょう。わたくしも負けないわ」
無邪気に微笑み、顔を見合わせたあの頃。
楽しく過ぎていく毎日はあっという間で、辺境伯家の兄妹とも仲良くなり、このまま一緒に大人になるのだと疑ってもいなかった。
そんな中に訪れたいきなりの別離。
「リーナが王太子の婚約者に?」
「まだ決まった訳ではないけどね。そういう話が来たのでリーナは王都で暮らす事になったんだ」
複雑そうに顔をしかめるアドリシア。ラルフレートも苦虫を噛み潰したような顔をしている。
リーナが王太子の妻に?
胸が大きく脈打った。幼いながらもラシールはエカテリーナを好いていた。それが恋心だと初めて自覚した。
茫然と項垂れるラシールを痛まし気に見つめ、兄らは顔を見合わせる。
彼がエカテリーナに好意を抱いているのは知っていた。
共に武術に励んだ仲だ。兄達もラシールが可愛かったし、気に入ってもいた。
今回の事がなくば、いずれエカテリーナの婚約者筆頭に上がった事だろう。
ある計画が存在するにはするが、何処から漏れるかも分からない。
教える訳にもいかず、二人は茫然とするラシールを抱き締めた。
「まだ決まった訳じゃないし、来期は二人とも学園に上がるだろう? 王都で待ってるよ」
微笑むアドリシアに頷き、ラシールは絶望的な喪失感を抱いたまま、隣の伯爵領へと帰っていった。
これから起こる試練の限りを知りもせずに。
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