第40話 連載版番外編 IF物語後編 ~貴方だから~


「あれが王太子だよ」


 忌々しげにラルフレートが顎で示した先には金髪碧眼な男の子。

 少し固い表情で、従者に囲まれて立っていた。


 あれがリーナの.....


 これからは学園内で彼と共に学ぶのだ。

 来期に入学してくるリーナのためにも、王太子の信頼を得て、傍にいられるようにしないと。

 ラシールは手を握り締めて双眸に剣呑な光を揺らめかせた。


 ラルフレートの協力もあり、三人は仲の良い友人となっていく。気安い彼等の話題には、何かとエカテリーナが上がってきた。


「そなたの妹御は少々派手すぎないか? もう少し子供らしくあっても良いと思うのだが」


「そうですか? 女の子の我が儘なんで可愛いもんじゃないですか。リーナは少しおませさんなんですよ」


 それとなくエカテリーナを諫めて欲しい王太子の言葉に、ラルフレートは気づかない振りで兄馬鹿を披露する。


 リーナが派手? 子供らしくないってのは同意するが、王太子の韻を含んだ物言いは悪い意味に聞こえた。


 仏頂面な王太子に首を傾げていたラシールだが、翌年入学してきたエカテリーナを見て、合点がいった。


 大きく巻かれた黒髪に、やや切れ長でキツイ印象のメイク。まだ十歳だというのに、これはない。似合っているけど、これはない。


 あんぐりと顎を落とすラシールに、王太子は自分と通ずる物を感じたのだろう。


「なっ? 分かるであろう??」


 切実な眼差しで同意を求める王太子に、ラシールは高速で頷くしかなかった。


「ラルフっ、あれは一体なんだ?? リーナに何が起きたっ?」


 ラルフは苦笑しただけで、何も教えてはくれなかった。


 それからも波乱万丈な日々が続き、高飛車な態度で罵詈雑言を吐き、横暴を尽くすリーナの姿に目眩がする。

 だが、眺めているうちに彼女は彼女のままなのだと気づいた。

 容赦なく罵りはしても、理不尽な事は言っていない。

 王太子は苦虫を噛み潰し、叱責するが、リーナは涼しい顔。

 逆に正論で王太子を言い負かしていた。その眼には蔑みが浮かび、何故こんな事も分からないのかと落胆を隠していない。


 そんな二人のやり取りから、リーナが王太子に情を寄せていないのは明らかだった。


 彼女が王太子に身体を寄せ、魅惑的に微笑むたびに嫉妬に焼かれ、眠れぬ夜を過ごすラシールだったが、その冷めた眼差しに気づいてからは、一周回って面白くなってくる。


「あんなド派手なドレスて.... 俺の横に立つんだぞ? 香水も凄いし。妃候補の自覚があるのやら」


「そうだねぇ。まあ、個人の趣味だし、仕方なくない?」


「あれが??」


「腐りなさんな。なんならハシュピリス嬢は俺が引き受けるから、今度は別な婚約者候補をエスコートしたらどうだ?」


「....いや。ラシールに嫌な役は押し付けたくない。アレには俺しかいないしな。エスコートくらいするさ」


 俯いて溜め息をつく王太子を、辛辣な眼差しでラシールは睨め下ろしていた。眼光で人を殺せないのが口惜しい。


 お前にリーナの何が分かる。


 愚痴を聞いて慰めてやれば、面白いようにフィルドアは距離を縮めてきた。たまに苦笑して、褒めて、励ますだけで煌めく仔犬のような瞳。


 腐ってるのは俺の方だな。


 王太子の信頼を掌で転がし、仮面の笑顔で過ごした七年間。腹黒い裏側を隠して、親切面を装い、遠隔的に他の婚約者候補を娶る益と、リーナを娶る損を刷り込んでいく。


 そして今日、事は成った。


 ほくそ笑むラシールは、広く腕を広げる。そこにエカテリーナが手を添えた。彼女をホールドすると、ラシールは満面の笑みで軽快に滑り出した。

 心底嬉しそうな彼に、知らずエカテリーナの笑みも零れ、無邪気なその微笑みを、周囲は信じられないような顔で見つめている。


 その筆頭は王太子。驚愕に見開かれた彼の眼が心地好い。


 リーナは魅力的だろう? 最後の最後まで悩んでいたものな、おまえ。まあ、結局は国益を取った訳だが、正しいよ、それが。


 ラシールは王太子の執着を知っていた。なんとかリーナを妃に迎えたいと努力していたのを知っていた。

 だが彼は王太子だ。ラシールはその矜持を擽るだけで良い。


 少し遠くでラルフがグラスを掲げて微笑んでいる。


「もう一曲いこうっ、リーナ」


「ええ、こんな楽しく踊るのは久し振りだわ」


 八年ぶりに愛しい少女の手を握り、ラシールは子供のように笑っていた。




 二人はパーティーを抜け出して王都にある辺境伯家の別邸へ馬車で向かう。ラルフも一緒だ。

 三人で辺境伯家の馬車に乗った。まだ陽は落ちておらず、外は明るい。


「辺境伯家の別邸には私達の両親がいるから。私の卒業を祝うためにね」


 息せき切って馬車に乗り込んだ三人は、肩を揺らしながら呼吸を整えている。


「私の両親もいるはずだ。前以て今夜の事は話してあるからな」


「なんの話?」


 訝るエカテリーナに、ラシールの眼が弧を描いた。


「今夜、王太子が君を選ばなかったら求婚すると両親には話してある。だから、早馬が来たら辺境伯家の別邸へ向かってくれと。両親込みで婚約の話を詰めよう」


 すでに早馬はたててある。伯爵夫妻は辺境伯別邸へ向かっているだろう。

 用意周到なラシールに、辺境伯兄妹は空いた口が塞がらない。


「相変わらず手際が良いな、ラシール」


 ラシールは剣呑に眼をすがめた。


「当たり前だ、八年も指を咥えて待ってたんだぞ? これ以上待てるか。それに時間との勝負だ」


「「え?」」


 何の事かと首を傾げる二人に、ラシールは溜め息をつく。


「おまえら、王太子を甘く見すぎ」


 ラシールは逸る心を押さえて、遠くなるパーティー会場を窓から見ていた。




「辺境伯っ、リーナを私の妻にくださいっ!!」


 別邸へ着くやいなや、ラシールは挨拶も前置きもなく、辺境伯夫妻にリーナとの婚姻を申し出る。

 眼を丸くする辺境伯夫妻と、真っ青な顔の伯爵夫妻。


「おまっ....っ、ラシールっ、無礼であろうっ」


「無礼は百も承知ですっ、リーナの返事は頂きました、今すぐにでもに婚約しないと、王太子に先回りされかねないのですっ」


 窘める父親を振り切り、ラシールは辺境伯に詰め寄る。その焦燥感溢れる瞳に、辺境伯は理由を覚り、大きく頷いた。


「わかった。幸い両家の当主もいる。すぐにな婚約を取り計らおう」


 ラシールの瞳が歓喜に満ちる。




「父上に話しがあるんだ。面会を」


 卒業パーティーが終わり、王宮にもどったフィルドアは、父である国王に面会を求めた。


「どうした? パーティーは終わったのか?」


 今はまだ夕刻。午後三時から始まった卒業パーティーが終わるには、やや早い。

 王太子から話があるとの事で、王妃も同席して話を聞く。


「ハシュピリス辺境伯令嬢の婚約が申し出されても保留にしていただきたいのです。私は... 彼女を愛しています」


 国王夫妻は揃って瞠目した。


 目の前の王太子は顔を歪め、絞り出すような声で説明を口にする。

 国益を考え、悪評の高いエカテリーナを妃にするのは諦めた事。いずれ側室にと考えていたが、ラシールからの求婚を受けたと聞いて、初めて彼女への感情を自覚した事。

 気もそぞろでパーティーどころではなく、早めに戻ってしまってきた事。


「今さらですが、エカテリーナが誰かの物になるなど耐え難いのです。後生です。アナスタシア嬢との婚姻を早めて、エカテリーナを私の側室に....」


 そこまで聞いて、国王はゆっくりと首を振った。横に。


「それは出来ぬよ、フィルドア。そんな恥知らずな事をしようものなら、我々は暴君に成り下がる。それに....」


 国王夫妻は複雑そうに顔を見合わせる。


「エカテリーナ嬢の婚約は、既になされておるのだ。数刻前にな」


 フィルドアの瞳が凍りついた。ラシールの行動が早すぎる。


 聞けば、辺境伯権限の謁見が申し込まれ、両家、両人揃って婚姻の許可を申請に来のだと言う。

 卒業祝いにすぐにでもと言われ、王太子の婚約者がサリュガーニャ公爵令嬢に内定している事から、国王は快く婚姻の許可を出したのだ。


 愕然と俯きながら、フィルドアはしたり顔な友人を思い出していた。

 飄々として掴み所のないラシールが、何を考えているのかは分からない。しかし彼の傍は気楽で、楽しい学園生活だった。

 かけがえのない友人だ。そんな彼を裏切ろうとした報いなのだろうか。


 今さらだ。本当に.....


 言葉もなく項垂れる王太子を、国王夫妻は痛々しい眼差しで見つめていた。




「これでもう王太子にも手は出せないな」


 駆け足で求婚から婚約まで突っ走り、ようやくラシールは胸を撫で下ろす。

 辺境伯権限を使って行われた婚約だ。国王にも覆す事は出来ない。そんな事をしようものなら、辺境伯を敵に回す事となる。

 安堵のあまり、ソファーで脱力するラシールへ、アドリシアが苦笑しながら、ワインの入ったグラスを手渡した。


「お疲れ様。本当....頼りになる義弟だよ」


 受け取ったグラスを一気に煽り、ラシールは悪戯気に笑う。


「リーナを得るためなら、悪魔に魂だって売りますよ、俺は」


 挑戦的な眼差しの彼に、辺境伯は眼を細めた。


 若いのに大したものだ。口約束の婚約など、国王であれば覆せる。もし王太子が国王に望めば、エカテリーナの婚約を阻む事は可能だ。

 それを見越しての見事な立ち回り。

 エカテリーナから求婚の返事を得て、前以て伯爵夫妻を呼び、速攻で国王から婚約の許可をもぎ取った。

 辺境伯権限を使えば可能だとの計算もしていたのだろう。


 幼い頃よりラシールを見てきた辺境伯にとって、彼は我が子も同然だった。そんな彼がエカテリーナの夫になるならば大歓迎だ。


「でさ、リーナ。これからの事なんだけど。....しばらくは、子供作らない方向で行きたいんだ。ほら、羊の小腸の不細工袋あるだろう? あれでさ。本当に申し訳無いんだけど、三年....いや、王太子に子供が出来るまでで良い。御願いしますっ」


 いきなり頭を下げるラシールを凝視し、エカテリーナは、ある事を思い出した。


「あ...妾妃の可能性?」


「それ」


 短く答えるラシールに兄らは首を傾げたが、辺境伯は獰猛に眼を剥く。すでに廃れた古い風習だが、可能性は皆無ではない。


「そこまでやると考えているのか?」


「分かりませんが、フィルドアは執着しますよ」


 妾妃は本来正しい妻ではなく仮腹と呼ばれ、正式な妃に子供が出来ない場合に家臣より妻を借り受けるシステムだ。

 この場合、経産婦である事が条件になる。

 間違いなく子供が出来る身体を持つ身分ある女性を家臣から借り受け、子供をなした場合、側室として召し上げるのだ。

 正妃にも側妃にも子供が出来なかった時のみの緊急避難的な措置で滅多にある事ではない。

 王に子種がない事を証明するための物なので、行うこと事態が恥にもなるからだ。

 辺境伯は元より、厳しい淑女教育を受けてきたエカテリーナも、知識としては知っている。


 本当にそこまでやるだろうか?


「俺がフィルドアならやる。リーナを手に入れるために、正妃や側妃に薬を盛ってでもやる」


 研ぎ澄まされた剣呑な光を眼に宿し、ラシールは断言した。


 その虚ろな眼差しに悪寒を覚え、周囲は背筋を震わす。


 何の事はない。ラシールは、自分がやるであろう事を予測し、先回りして潰してきたに過ぎないのだ。


「ラシール.... ありがとう。そこまでは考えてなかったわ、わたくし」


 疲れ気味なラシールを労うエカテリーナに、ラシールは薄く笑みをはき、彼女の頬に軽く口付けた。


「君の八年間を思えば.... 辛かっただろう? これからは俺が守る。絶対に。淑女なんかでなくて良い。君はあるがままに...ね?」


「うん。...嬉しい、ラシール」


 内に外にと常に戦い続けていたエカテリーナ。もう君は戦わなくて良いんだ。


 何が来ようと迎え撃つ。心に固く誓うラシールだった。


 しかし、そうこうするうちに、森の氾濫や国王陛下による国の改革が行われたりで、タランテーラは大騒動となる。が、ラシールとエカテリーナは互いに協力して乗り切った。


 そして更にはラシールの嫌な予測が当たり、翌年王太子と結婚したアナスタシア様には二年たっても御懐妊の兆しは見えず、新たに娶られた側妃様にも子供は出来なかった。


 勘弁しろや、フィルドア。


 ラシールは苦虫を噛み潰し、王太子の執念を毒づく。


 長く婚約期間をおき、ラシールとエカテリーナは三年後に結婚した。二十歳前には結婚しておかないと、彼女が嫁き遅れと呼ばれてしまうからだ。

 婚約者がいるのに結婚しないのは、何か問題があるとも思われかねない。


 ラシールは王太子の側近筆頭についていたため、王太子から結婚に対する苦言も多く、致し方なしな部分も否めない。

 さっさとラシール達を結婚させて子供をもうけさせ、リーナを妾妃として召し上げたいのが丸分かりの慌てぶり。

 

 半年ほど前に迎えた側妃様にも御懐妊の兆候はないというし、誰がしかの家臣から妻を借り受ける話もチラホラ出ているため、フィルドアも必死である。


 しかしエカテリーナはラシールの願い通りに避妊に協力をしてくれたので、子供が出来ない王太子への妾妃の話は来なかった。


 別な家臣に話がいったらしいが、それがなされる前にアナスタシア様が御懐妊し、国を上げての盛大な御祝いがされた。


 狡猾なラシールの勝利である。


 やっと観念したかよ、フィルドア。長かった.... 


 思わず人知れぬ場所で、ひっそりとラシールは男泣きした。

 ここに来て、ようやく、ラシールは完全にエカテリーナを手に入れたのである。感無量だ。


 だが、散々あざとい真似をし続けた。自己防衛とはいえ、腹黒さ全開だった自分を、リーナはどう思っただろう?




「俺の事、軽蔑する?」


 恐る恐る尋ねるラシールに、エカテリーナは、とびっきりの笑顔で答えた。


「全力で護ってくれた夫を軽蔑ですって? 有り得ないわ。貴方だから、わたくしは此処にいるのよ」


 感極まり、泣き出しそうな顔でラシールはエカテリーナを抱き締め、諦めかけていた初恋の成就に咽び泣いた。


 ラシールは王太子の側近を辞職し、家督を弟に譲り、思い切り良く辺境伯家へ婿入りして領地から滅多に出なくなる。


 稀代の悪女の噂もしだいに消え、王都には辺境伯家の兄妹全てが領地内に住み、どの家も子沢山で賑やかだという微笑ましい噂だけが届いていた。


 中でも妹夫婦は仲睦まじく、その噂を聞いた現国王フィルドアが、微かに項垂れた事には誰も気づかない。


 ラシールの企みは辺境伯家で称賛されるにとどまり、決して外部に洩らされる事はなく、各々が墓の中へと仕舞い込んだのであった。



 二千二十一年 二月二十一日 脱稿

               

      美袋和仁



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