第36話 来訪者と悪役令嬢 ~終幕~
「わたくしフィルドア・アズハイルは王太子の地位を返上したく存じます」
ここは王宮の大広間。舞踏会の関係から主要な貴族ら全てが集まっていた。
今回の異常事態が収まり、協力してくれた各位を労う宴が開かれ、それぞれに感謝と報償を与えている場で、防衛ラインの一角を担った王太子は、国王から望みがあるかと問われて、冒頭の一文を口にする。
驚き、ざわめく貴族達。
それらを軽く一瞥し、国王は考え込むように顎髭を撫でた。
「それは....なにゆえか? 理由を説明せよ」
穏やかな顔で問いかける父王に、フィルドアは真摯な眼差しで答える。その顔には揺るぎ無い決意が浮かんでいた。
「わたくしは....心を捧げて贖罪せねばならぬ身です。王たる資質がございません。ゆえに辞退したいと存じます」
「贖罪? 誰にだ?」
「我が婚約者であるエカテリーナにです」
途端、広間のざわめきと視線がエカテリーナに注がれる。
辺境伯一家と共にいたエカテリーナは思考が纏まらず、内心パニック状態。いったい何事なのか。
表情には出さず、扇で口元を隠したまま視線で家族と会話する。
『これはいったい?』
『分からぬ、何も聞いておらぬ』
『王太子の独断か?』
『でも陛下の御様子から、御存知のようですわ』
『どちらにしたって、こちらには契約がある』
『約文は違えられませんね』
この間数秒。
その数秒間の間にフィルドアはエカテリーナへ歩みより、その細い手を取った。
瞬間、吹き出る辺境伯らの殺気をものともせず、フィルドアは真っ直ぐエカテリーナを見つめる。
「私はそなたに酷い事を言った。酷い行動を取った。その償いをし、改めてそなたに求婚したい」
訝るエカテリーナに微笑み、フィルドアは契約に至るまでの経緯を洗いざらい貴族らに説明した。
愚かな契約でエカテリーナを縛り、これ以上の負担を彼女にかけたくない事。
彼女の名誉を回復するために全力を注ぎたい事。
そして何よりエカテリーナの傍らに立ちたい事。
「それには王太子の肩書きが邪魔なのだ。この肩書きがある限り、私は常に公人であり、エカテリーナのみに心を捧げられない。こんな愚かな王子が王太子など、質の悪い冗談だ」
これは....何というか、瓢箪から駒?
エカテリーナは淑女の礼も忘れて瞠目し、心の中で処理済みだった箱からフィルドアの釣書を取り出す。
ただの婿として考えれば、フィルドアは優良物件であった。
王太子の立場にあった彼は仕事は出来るし、武芸にも秀でている。すぐに辺境伯領の戦力になるだろう。
彼女が頭の中で色々な計算を弾いていると、国王はしばし無言でエカテリーナを見つめ、覚悟を決めたように口を開いた。
「第二王子はまだ七つ。王女は嫁ぎ済みであるし、余も高齢だ。いつ何時、王座が空くかもわからない。ゆえにエカテリーナ嬢。今回のそなたの活躍に対する報償に、我が王位をそなたに譲りたいと思う」
「何故ですかあぁぁぁあっっ??!!」
思わぬ爆弾発言に、エカテリーナは懐かしい台詞を絶叫した。
これには辺境伯一家も黙ってはいられない。
「陛下、お戯れがすぎましょう」
「戯れではないぞ。これは叔母上も御承知だ。賛成しておられる」
眼を見開いて振り返った辺境伯に、ネル婆様は微かに口角を上げた。
「しかし....エカテリーナは王となる教育を受けてはおりません、国をおさめるなど....」
「問題ありませんわ」
今度は王妃が口を開く。
「エカテリーナ嬢は既に妃教育を済ませております。王の傍らに立つ資格があり、さらには王婿としてフィルドアが補佐をします。何処に問題がありまして?」
にっこり笑う王妃様が悪魔に見える。
次々と外堀を埋められ、エカテリーナは顔面蒼白。
王? 私が女王? 嘘でしょう??!!
王と王妃が認め、さらには元王女殿下が後見する新たな女王の誕生に、周囲の貴族らも口をつぐむ。
悪女と名高い御令嬢であれど、その見事な淑女ぶりは彼等も認める所であるからだ。
既に妃教育を終えているとは初耳だったが、なればこその高貴な姿だったのだろうと得心もする。
形は違えど、王子と辺境伯令嬢が婚姻を結ぶのならば、問題はなかろう。
貴族らまで反論もせず納得顔。
四面楚歌な状況に狼狽し、エカテリーナは眼が絶賛クロール中。
そんな彼女の珍しい姿に苦笑し、フィルドアは両手でエカテリーナの手を包むと、愛おしそうに口付けた。
「私を王婿に迎えてくれるか? エカテリーナ」
これでもかと切な気に眉をひそめ、心許ない口調で問いかけるフィルドアに、エカテリーナの気が遠くなる。
なに? その変貌はっ? 傍若無人な俺様殿下だったじゃないっっ! 子犬みたいな顔で見ないでくださいっ!!
間近に迫る整った美貌に詰め寄られながら、エカテリーナは再び、フィルドアの前で気をうしなった。
「エカテリーナ」
「少し黙ってください」
後宮の貴賓室。
意識を取り戻したエカテリーナは憮然としたまま、目の前のフィルドアを睨めつけている。
何故こうなった。これなら妃のがまだマシだったわっ! こんなん報償じゃない、たんなる罰ゲームよっ!!
うーっと唸り続けるエカテリーナを不安気に見つめ、フィルドアは小さく呟いた。
「そんなに私と結婚するのは嫌か?」
今にも消え入りそうなフィルドアの呟きに、エカテリーナは改めて考えてみた。
悪役令嬢を演じていた事もあり、彼女の側に異性は近寄らない。それで困る事も無かったから気にもならなかったが、改めてフィルドア個人を見たとき、自分は優良物件だと思った。
長い付き合いだし、罵りあって言いたい放題してきたせいで気安いし、人として見れば十分に魅力的な男性だ。
少し融通が利かず頑固なところもあるが、そこはエカテリーナが補えば良い。
そこまで考えて、エカテリーナは何のかんのとフィルドアを気に入っている自分に気づく。
そして、大広間での一件。
彼は王族にとって致命傷となりかねない自分の過ちを認め、誠実にエカテリーナと向き合おうと、全てを捨てた。
地位も名誉も財産も。
この真っ正直さは彼の美徳だ。過去には散々泣かされた事もある真っ直ぐさだが、これからを思えばかけがえの無い財産だ。
わたくしも応えなくてはね。
エカテリーナは覚悟を決め、全てをつまびらかに告白する。
妃になりたくなくて、王家側から断ってもらおうと悪役令嬢を演じていた事。
フィルドアのやらかしを逆手に取って、さも被害者ぶり、契約に持ち込んだ事。
ぶっちゃけ、自由に暮らせるなら、地位も名誉もどうでも良い事。
全てを聞いたフィルドアは無言だった。
すっとんきょうな顔のまま眼を見開き、微動だにしない。
そして静かに口を開いた。
「つまり....妃になりたくなくて、わざと悪女を演じてた?」
「そう」
「ああ、悪役令嬢装備とか....辺境伯もグルだったんだな?」
「ええ」
「君は何を望んで?」
戦慄く王子の唇を一瞥し、エカテリーナは正直に答えた。
「わたくしは政治に向きませんの。日々穏やかに暮らしたいのです。公務や政務に縛られ、息もつけないような生活は真っ平御免なのですわ」
そこまで言って、エカテリーナはフィルドアの顔を見る。
彼は今にも泣き出しそうな瞳でエカテリーナを見つめていた。
「そんな事....何故にもっと早く言わないのだっ!!」
そう叫ぶと、フィルドアはエカテリーナを抱き締める。
「煩わしい事など全て私が引き受ける。そなたに苦労はかけない。だから結婚してくれっ!!」
思わぬ言葉にエカテリーナは眼を見開いた。
「わたくし、公務も政務も致しませんよ?」
「ああ」
「社交も最低限でしてよ?」
「それで良い。むしろそうしてくれ」
「....何故?」
信じられないと呟きに含まれていたのだろう。
フィルドアはしばし沈黙した後、ぶっきらぼうに呟いた。
「俺が嫉妬せずに済む。そなたをなるべく人前に出したくない」
首まで真っ赤なフィルドアに、エカテリーナはえもいわれぬ愛しさを感じる。
ああ、勝てないなぁ。
腹黒い自分にはない、この真っ直ぐさが眩しい。
「分かりました。そのように仰ってくださるなら....わたくしと結婚してくださいませ」
満面の笑みを浮かべるフィルドアに、しっとりと微笑み、二人は今まで擦れ違っていた長い月日を埋めるがごとく、一晩中話をした。
夜が更けても出て来ない二人に、辺境伯一家が鬼のごとき形相で焼きもきしているとも知らずに。
フィルドアの明日に合掌。
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