第35話 来訪者と悪役令嬢 ~後編~
「んじゃ、これな」
千早はインベントリからポーション五本とエリクサー三本を五セット取り出す。そしてそれぞれをエカテリーナ率いる精鋭部隊に持たせた。
「樹海の中がどうなっているかは予想もつかない。危険だと思ったら引き返すように。情報を照らし合わせて仕切り直そう」
五人は小さく頷き、樹海に向かって駆け出した。
ハシュピリス騎士団、歴戦の強者四人。
女神様から御加護と祝福を受け、結界内にいた人々はレベルとスキルを授かった。
祝福で自動回復中と状態異常無効。御加護で結界魔法小と空間魔法小。あとは各々が磨いてきた技術が、そのままスキルとなる。
みなぎる力に驚きつつ、辺境伯はエカテリーナと共に世界樹を目指そうとした。
しかし王都の警備との兼ね合いもあり、泣く泣く別な騎士に護衛を任せる。
鑑定で人々のステータスを確認出来るという幼女が、件の四人を選んだ。
王太子がついていくときかなかったが、あんた一度死んでるだろう、と幼女が地面に引きずり倒し、押さえている間に出発する。
まったく、あの方は。
エカテリーナは呆れたように溜め息をついた。
道理でね。悪役令嬢を止めた途端に態度が変わった訳だわ。
大嫌いだと言いつつも、ずっとエカテリーナから離れなかった王太子の心を知り、彼女は少々複雑だった。
だが、あからさまに罵り、エカテリーナを御飾りにして側室を持つと断言する殿方に好かれても、嬉しくもなんともない。
見事な執着心ではあるが、初志貫徹。
彼が王太子であるかぎり、彼女の恋愛対象とはなりえないのだ。
まあ、悪い気はしないけどね。わたくしだって王太子様を嫌っている訳ではないし。死んでしまって号泣するくらいには、好きよ。友人としてね。
ようやく届いた王太子の歪んだ愛情は、エカテリーナの中で処理済みな箱に投げ込まれてしまった。
のんびりライフを手に入れるため爆走するエカテリーナの眼に、王太子は映らない。王太子が王太子である以上、これが覆る事はない。
途中、何度か獣に襲撃を受けながら、エカテリーナ達は世界樹に向かって走り続ける。
レベルの作用もあり、元々べらぼうな体力持ちな彼女だが、共にある騎士らも負けていない。
自動回復があるせいだろう。彼らは足を緩める事なく樹海中央に向かって走り続けた。
そして森を抜けた時、眼前に広がる水面に驚く。なんと美しい湖か。
世界樹周辺はセーフティゾーンである。
穏やかな顔つきの動物達が寛いだり水を飲んだりしていた。
なんの変哲もない、長閑な風景。しかし....?
「おかしくない?」
「何がでしょう?」
「おかしいとは....?」
動物達は虚ろな眼で放心状態。
だいたい、わたくし達に襲いかかってきていた狼や熊なども、微動だにせず、宙を見つめていた。
するといきなり熊の輪郭がぶれる。
驚き、見開くエカテリーナらの視界の中で熊は分裂し、虚ろな眼差しではない熊が獰猛に牙を向き、エカテリーナ達を睨めつけた。
「散開っ!!」
明らかな殺意の塊に反応し、エカテリーナは甲高く叫ぶと、分裂した熊に斬りかかる。
分厚い体毛の上から、浅くはない傷をいくつか負わせ、彼女は背後に飛び退いた。
瞬間、後方から立て続けに矢が放たれる。キュラキュラと音をたてて回り、つがえられる矢は熊の眼に命中し、両目を潰された熊は、転げ回りながら忌々しげに咆哮を上げていた。
その熊に斧と大剣を構えた二人が飛び掛かる。
一際大きな雄叫びをあげ、分裂した熊は事切れた。
倒した熊を見下ろしながら、エカテリーナは怪訝そうな顔をする。
「なんなの? 意味がわからない」
湖周辺にいる動物達は動きが鈍く、のたりのたりと動いては、また宙を見つめて、胡乱げに眼をさまよわせた。
そして先程分裂した熊に、変な煙のような物がまとわりついている。まるで意思を持つかのように、その煙は熊の口や鼻から吸い込まれていった。
あれは?
そのたなびく煙の軌跡を追えば、そこは湖。水蒸気のように漂う靄が煙となり、湖周辺にいる動物達に吸い込まれていた。
訝るエカテリーナが湖を覗き込むと、そこには巨大な魔法陣。たぶん地下に描かれていたのだろう。湖の底は陥没し、内部には見知らぬカラクリと煌めく何かが無数に転がっている。
「あれが古代の術式タランテーラ?」
湖のさらに下にあったとは。探していたら、とんでもない時間がかかった事だろう。数千年の月日が天井を侵食して壊したらしい。幸運だった。
幼女によれば、魔法陣は二重になる中央の円陣が欠ると効力を失うらしい。ならば....
「ファスタ、鏑矢でアレを壊せる?」
「水の中じゃ鏑矢でも難しいですね」
考え込むエカテリーナを横目に、ファスタは上空へ矢を放つ。魔法陣を見つけたと言う合図だ。
ピイィィーっと鋭い音を上げながら、矢は高い角度で世界樹の上に緩やかな弧を描いて通過していく。だが、それを見送る彼の耳に、けたたましい轟音が聞こえた。
何事かと振り返った五人の視界には一直線に迫り来る光の柱。
轟音をとどろかせ走る光の柱を間一髪で避けて、五人はそれぞれ地面に転がった。
何事っ??
慌てて背後を振り返ったエカテリーナの見たモノは、世界樹に向かって走る光の柱が、湖を抉り底の魔法陣に重なった瞬間、凄まじい閃光を上げて弾け飛ぶ場面だった。
光の柱の正体は幼女の放った結界が数珠繋がりに展開された姿。魔法陣同士が重なることで、タランテーラの術式を破壊したのだ。
数珠繋がりに並んだ結界魔法の光が消え、辺りに静寂が訪れる。湖周辺にいた動物達はいつの間にか消えていて、唖然と佇む五人の背後から騎士団が駆けつけてきていたが、エカテリーナ達は茫然としたまま気付かなかった。
「すまんな、無我夢中で加減出来なかった」
しれっとした顔でやってきた幼女は、肩に真っ白なフクロウを乗せて世界樹に歩み寄る。
「立派な樹だ」
柔らかな笑みをはき、幼女はフクロウを大樹の根元に置いた。
途端に目映い閃光が辺りを満たし、周囲の人々が思わず眼を背ける。しばらくして薄れた光の中には巨大な植物があった。蘭にも似た肉厚な葉や茎をしており、全長十メートル近くある。
「それが、あんたさんの本当の姿か」
これが精霊王?
感嘆を帯びた幼女の呟きに応えるように、巨大な蘭はユサユサと揺れ、内側から次々と蕾が現れた。
それらが一斉に花開き、なんとも香しい芳香とともに、光に満ちた何かが飛び出してくる。
宙を舞うように漂う光は精霊達。
まだ生まれたてで自我が薄いらしく、方向性もなく、ふよふよと風にのって人々の周りに浮いていた。
夢のような美しい光景に、タランテーラの人々は絶句したままである。
ぽかんと口を空けたまま、エカテリーナは視界の端に千早がしゃがみこんでいるのに気づいた。
幼女は水辺で何かをせっせと集め、インベントリとかいう亜空間に投げ込んでいる。
その後ろ姿を眺めながら、エカテリーナはまとわりつく精霊らと戯れていた。
背後に、恍惚とし魅入られた眼差しで自分を見つめる王太子がいるとも知らずに。
「いやぁー、お騒がせしました、アンド ありがとう♪」
すちゃっと敬礼し、幼子は一旦自国へと戻っていった。
魔力や魔術を知らぬアルカディアに、教師や司教、魔法技術者の支援を約束し、準備が整ったらまた訪れるとにっかり笑い、シュルンっと姿を消した。
消えたのだ。いきなり。跡形もなく。
眼を皿にして凝視する人々に、千歳は苦笑い。
あれは神域と言うスキルを持つ、神々と幼女にのみ使える転移魔法だと説明する。
はい? 神々のスキル? なんで、あの子が持ってるの? 女神様の妹だから? は? 比喩とかでなく、本当に妹??
理解が追い付かない。
取り敢えず、幼女と仲良くしとけば問題ないとだけ理解し、タランテーラに穏やかな日常が戻ってきた。
後日判明したのは、古代の術式が壊れかけていた事。
幼女いわく、術式の効果が薄れ、さらにはカラクリのある地下の部屋が陥没した事により、大量に放置された魔石から膨大な魔力が湖に溶け出していた。
なにせ数千年分の魔石である。
壊れかけた術式では、溢れる魔力を回収する事が出来ず、溶け出した魔力は森の野獣らを活性化させた。それだけでなく、大量の魔力に侵された獣らを苗床とし、魔獣が生まれ始めていたのだという。
エカテリーナ達が見た熊の分身。あれがそうだ。
もし、辺境伯が森の異変に気づいて警戒していなかったら。
もし、舞踏会で王都に多数の領主らが集まっていなかったら。
もし、千歳がおらず、幼女がやってこなかったら。
ハシュピリス騎士団の応援もなく、各領主からの援軍もなく、王都は野獣魔獣に呑み込まれ、この国は失われていたかもしれない。
多くの偶然が、この国を救った。
エカテリーナは薄く人の悪い笑みをはく。
破壊された街や村の復興を支援するため、議会に参加するつもりだ。国王陛下より参加を打診されている。
女である自分が参加出来るのだ。ワクワクが止まらない。
無邪気な期待に瞳を輝かせる彼女は知らない。
その議会には、彼女の命運を左右する逃れようのない陥穽が用意され、口を空けて待ち受けているのだと言う事を。
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