第4話 悪役令嬢やめました♪ ~前編~
「ああ、穏やかね」
皆様、御機嫌よう。わたくしエカテリーナ・ハシュピリスは、ゆえあって後宮に滞在いたしております。
王太子様との婚約も整い、わたくしが学園を卒業したら、婚姻がなされる手はずになっているはずなのですが.....
「お妃様教育が不要とは、どういった了見でおっしゃっておられますやら。嘆かわしい」
いきなり押し掛けて来てから、ずぅぅうっと、この玉葱頭な御婦人はつらつらと文句を並べ立てておられます
まあ、どうでも良い事なので、絶賛スルー中。小さな欠伸を一つ噛み殺し、わたくしは陽当たりのよいテラスで刺繍に興じております。
そこへ顔色を変えた王妃様がお越しになりました。
メイドの案内ももどかしかったらしく、お一人で扉を開けて、凄い勢いでこちらに来られます。淑女らしく足音もなく、滑るような動きは流石王妃様です。
「エッテンフェルガー夫人っ! 誰の断りを得て、エカテリーナ嬢の居室に入られたのですかっ?!」
挨拶もなく玉葱夫人を怒鳴り付けた王妃に、エカテリーナは眼を丸くした。有り得ない事態である。
ここは後宮と言っても触りな辺り。王宮と後宮の狭間で、うっかり後宮に迷い込んだりするお馬鹿な貴族らを問題なく退場させるためのセーフティエリアだ。
触りと言っても後宮に代わりはない。
警備も厳重だし、賓客以外は滞在出来ず、男性が迷い込もうものなら烈火のごとく追い払われる。
国王の賓客、あるいはそれに準じた者のみが滞在許される、おもてなしエリアだった。
先ほどまでの勢いはどこへやら。玉葱夫人は王妃に睨め下ろされ、小さく萎んでいる。
「正妃様となられる御方が妃教育も受けず社交もなさらないと聞き、臣下として苦言を呈しに参りました.....」
蚊の鳴くような声でボソボソ話す玉葱夫人。
それを呆れたかのように一瞥し、王妃は大仰に溜め息をつく。
「今回の婚姻は特例だと申し上げたはずです。王太子の有責を免れるための緊急措置なのです。彼女は王族籍に入らず、地位として正妃になるのです」
そう、数日前に開かれた後宮会議で、そう決まったのだ。
王妃が信頼する後宮の主だった要人に、王妃は全てを打ち明け良い案がないか募る。
同席していたエカテリーナは、愕然とする人々から視線の集中砲火を受けるが、知らん顔。
「婚約破棄してしまえば宜しいでしょう?」
「王太子が有責なのに? 公にして、慰謝料は何処から出すのですか?」
「辺境伯に頼んで秘密裏に行う訳には?」
「王太子が既にパーティーで明言してしまっているのです。秘密には出来ません」
プラス、あのお馬鹿さんが御父様を怒らせなくば、あの場でこちらが辞退するという選択肢もあったのですけどね。
エカテリーナは小さく嘆息する。
王家の意向に逆らうと言うのは最後の選択肢だった。
貴族である以上王家には逆らえない。しかし辺境伯家は国の重要な防衛ラインを担う要である。
他の貴族らとは一線をかくし、王家に対してもいくらかの発言力を持っていた。その伝家の宝刀を御父様は使おうとなさっていたが.... あのお馬鹿さんが、全てを台無しにした。
怒り心頭なエカテリーナの家族を止められる術はない。
王家の意向に歯向かう形にならなかったのは幸いだが、それは逆に、全てをつまびらかにしなくてはならない状況を作り上げてしまった。
その理由も王妃は説明し、あまりの四面楚歌な手詰まりに臣下共々苦悶の表情を浮かべる。
どう考えても王太子が迂闊過ぎた。真摯で嘘偽りが無いのは統治者として得難い資質だが、真っ当過ぎて腹芸の一つも出来ないのは、外交に携わる為政者として致命的な欠陥だ。
しかも海千山千な辺境伯に言質を取られるなど痛恨の極み。辺境伯が無欲で中枢に興味がない人物だったからこそ大事には至らなかったものの、これが他の有力貴族だったらと思うと、ぞっとする。
だが、出された七つの条件も叶えがたい。元々は王太子が出した条件を明文化しただけの物らしいが、これを実行した場合、辺境伯令嬢の仰有るとおり側室側が黙ってはいないだろう。
あの王太子は、こんな理不尽が罷り通ると本気で思っていたのだろうか? 辺境伯の怒りも理解出来るし、貴族にとって矜持たる物が、どれ程重要かは熟知している面々である。
むしろ、御令嬢がとりなしたからと言って、こんな簡単に辺境伯が引き下がってくれたこと事態が奇跡に思える程だ。
無言な時間がしばらく流れ、エカテリーナは致し方無く助け舟を出す事にした。
「わたくしは辺境伯家と王家の確執を望みません。ゆえに御飾りの妃であれという王太子様の御希望に従いました。だけど、御父様のお心も理解出来ます。わたくしを想って不必要な苦労をさせたくないと。なので、こういたしませんか?」
にっこりと優美に微笑むエカテリーナの言葉は、集まった後宮の面々の度肝を抜く物だった。
「わたくし王族籍に入らず、文字通り形として象徴として妃になるというのは如何でしょう。どうせ白の婚姻です。一手間省きましょう。形だけの挙式、形だけの誓い。そして妃教育を受けないのも、政務をしないのも、全てわたくしの我が儘にすれば良いのです。わたくしは離宮に籠りますから、後始末は御願いいたしますわね?」
爆弾発言である。
思わぬ提案に、慌てて王妃が椅子から立ち上がった。
「それでは貴女に悪評がたつだけですよ、エカテリーナ」
「今さらですわ。わたくしの悪評など掃いて捨てるほどございます。二つ三つ加わったところでいかばかりなものでしょう。そんな物より王太子様の体面の方が重要ですわ。わたくしの我が儘に振り回され、呆れて不干渉になった王太子様という図式を嵌め込めば宜しいのよ。婚姻の条件も理由も公開は出来ないのですから、これが一番ですわ」
そして私に平穏な引きこもりライフをください。そのためなら汚名の三つや四つ幾らでも引き受けますわ。
扇で口許を隠し、ふわりと微笑むエカテリーナに、周囲の人々は絶句した。
「それで宜しいのであれば....」
「問題は全て解決しますな」
エカテリーナは王太子側との齟齬をなくすため、後宮の人々と基本的な取り決めをした。
白の婚姻である事を隠すために、子を為すまで王族籍に入らないと、私が言っている事にした。王族ではないのだから、妃教育も政務も何もやらないと言っていると。
他人がいると落ち着かないからと、私が離宮をねだり、実家から家令を呼び寄せた事に。これで御父様の立場も守られる。
おかげで王家も辺境伯家もギスギスして疎遠なのだと、周囲には説明しよう。
全ては私の我が儘が原因と。
「これはあまりに....」
出来上がった図式の内容の酷さに、後宮の主だった面々も顔をしかめる。これではエカテリーナ嬢が割りを食い過ぎていた。
流石に憐れに思ったのか、先ほどまで集中砲火だった慇懃無礼な視線がみるみる和らいでいく。
「宜しいのよ。面倒事を最小限に出来るなら、わたくしの悪名を幾らでも御使いなさい」
伏せ眼がちに視線を流すエカテリーナに、誰ともなく溜め息が洩れた。
今の彼女はドギツい色のドレスもなく、化粧も最小限。何より目立つのはしなやかで真っ直ぐな黒髪。
その姿は今まで夜会で見てきた彼女とは全くの別人である。
仄かに香るのは香水ではなく、百合の移り香。何とも清楚で、しっとりとした風情の御令嬢だった。
「貴女、変わりましたね、エカテリーナ」
こういった変化に敏感なのは女性陣だ。今のエカテリーナは男性らすらも瞠目するほどに変わっている。
「もう戦闘服も虫除けも要りませんもの。寵を得られないのに、着飾る意味はございませんでしょう? 王太子様が側妃を迎えられ、子を為して正妃が用済みなのだと周囲が認めるまで、気楽に静かに暮らしとうございます」
白の婚姻で子は生まれない。
側妃を迎え子を為せば、エカテリーナは子が出来ない身体なのだと周りは認識するだろう。正妃を交代する理由としては十分である。
それまでの我慢だ。大して長くもないだろうし、まったり離宮で好きな事をやって暮らしていこう。
こうして、エカテリーナの我が儘計画が発進したのである。
王妃に叱られる玉葱夫人を眺めながら、話は伝わっているだろうに、玉葱夫人は何故理解しないのか不思議なエカテリーナだった。
そして、つとテラスの外に視線を振ると、そこには改築中の離宮がある。エカテリーナが学園を卒業する頃には完成する予定だ。
離宮が完成するまで、後宮に慣れるためという理由で招かれたが、正直なところ意味が分からない。婚姻を終えたら離宮に引きこもる予定のエカテリーナには必要ないだろう?
しつこい玉葱夫人にも、後宮の招きにも、何かしっくりこないエカテリーナは小さく小首を傾げる。
それを静かに見つめる王妃様の深く慈愛に満ちた眼差し。なにがしかを含むそれにエカテリーナは気がついていなかった。
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