第28話 最後の舞台 ~前編~


 学園の卒業式が終わり、プロムのダンスパーティーが始まる。


 エカテリーナは帰還してから後宮で受け取ったフィルドアの贈り物一式を身につけて、鏡の前に佇んでいた。


 見事な一式ね。彼にこんなセンスがあったなんて意外だわ。


 くるりと一回して、彼女は鏡の中の自分に、にっこりと微笑む。

 蒼を基調にした柔らかな印象のドレス。金細工のアクセサリーも細く繊細な作りで、とてもエカテリーナ好みのモノだ。

 真っ直ぐな髪を高く結い上げ、満足げな面持ちのエカテリーナの耳に、控えめなノックの音が聞こえる。


 それに応えて、彼女は控え室を後にした。




「........綺麗だ。良く似合う」


「有り難う存じます。素敵な贈り物、嬉しいですわ。初めてですわね」


 浮かされたかのような眼差しで、とろんと可愛い婚約者を見つめていた王太子は、エカテリーナの最後の台詞に、ぴゃっと背筋を震わせる。

 じわじわと冷や汗をたらして、ニコニコ微笑む婚約者から、そっと眼を逸らした。


「初めて......? か?」


「左様ですわね。あ、幼い頃にお庭の花を一輪頂きました。それ以来かしら?」


 愛されている自覚のないエカテリーナは、容赦なくフィルドアの黒歴史を抉り出す。

 男女の意識がないため、気の合う悪友的なそれは、実に的確にフィルドアの急所を貫いた。


「そうか。これからは気をつけよう」


「いやですわ、殿下。これからは側妃様を労らないと。良い御嬢様はおられまして? わたくしとしては宰相閣下の御孫様などお勧めですわよ」


 魅惑的な笑みを浮かべ、鈴を転がすように軽やかな声音で打ち込まれるクリティカルヒット。


 恋しい女性の口からまろびる数々の忠告という名の、重く鋭利な一撃。


「側妃様には気を配らなくてはいけませんよ? わたくしのように放置したり、厭うような態度はなりません。罵るなどもってのほかですわ。女性は繊細なのですから。まあ、御好きな女性にそんな事はなさいませんわよね。わたくしのように嫌われている訳でもありませんし。仲睦まじく、ぽこぽこ御子を拵えてくださいませね。早く正妃を交代しませんと、わたくしも嫁き遅れになりかねませんもの」


 全く王太子を眼中に入れていない、歯切れの良い彼女の言葉。

 無自覚という最強の鎧をまとい、ドスドスと致命傷を連打するエカテリーナに力なく頷きつつ、王太子は満身創痍なまま、ふらふらパーティー会場へ向かった。


 その背中に漂うそこはかとない哀愁に何人かが気づいたが、あえて口には出さず敬礼で見送る。


 御武運を、殿下。


 王太子がエカテリーナに情を寄せている事を知っている宮内人らは、複雑な面持ちで二人を見つめていた。


 全身包帯まみれで地獄のプロムを気力で乗り切り、フィルドアは今日という本番の宴に全力を傾ける。


 いっぱしの貴族となった卒業生らを含み、今年最大の宴は、その幕を上げた。

 



「わたくしフィルドア・アズハイルは王太子の地位を返上したく存じます」


 ここは王宮の大広間。舞踏会の関係から主要な貴族ら全てが集まっている。


 溢れた森の攻防で傍観を決め込んだ貴族らは揃って降爵。下のない男爵らには準がつき、目立つ功績がない限り、一代で終わることとなる。

 さらには領地を五分の一から二分の一ほど没収。

 これらは功績をたてた貴族らへの報償として与えられた。


 悲喜交々な結末を迎える中、国王陛下の許可をとり、王太子が広間中央に進み出る。

 それぞれに感謝と報償を与えている場で、防衛ラインの一角を担った王太子は、国王から望みがあるかと問われて、冒頭の一文を口にしたのだ。


 驚き、ざわめく貴族達。


 それらを軽く一瞥し、国王は考え込むように顎髭を撫でた。


「それは....なにゆえか? 理由を説明せよ」


 穏やかな顔で問いかける父王に、フィルドアは真摯な眼差しで答える。その顔には揺るぎ無い決意が浮かんでいた。


「わたくしは....心を捧げて贖罪せねばならぬ身です。王たる資質がございません。ゆえに辞退したいと存じます」


「贖罪? 誰にだ?」


「我が婚約者であるエカテリーナにです」


 途端、広間のざわめきと視線がエカテリーナに注がれる。


 辺境伯一家と共にいたエカテリーナは思考が纏まらず、内心パニック状態。いったい何事なのか。

 表情には出さず、扇で口元を隠したまま視線で家族と会話する。


『これはいったい?』


『分からぬ、何も聞いておらぬ』


『王太子の独断か?』


『でも陛下の御様子から、御存知のようですわ』


『どちらにしたって、こちらには契約がある』


『約文は違えられませんね』


 この間数秒。


 その数秒間の間にフィルドアはエカテリーナへ歩みより、その細い手を取った。

 瞬間、吹き出る辺境伯らの殺気をものともせず、フィルドアは真っ直ぐエカテリーナを見つめる。


「私はそなたに酷い事を言った。酷い行動を取った。その償いをし、改めてそなたに求婚したい」


 訝るエカテリーナに微笑み、フィルドアは契約に至るまでの経緯を洗いざらい貴族らに説明した。

 愚かな契約でエカテリーナを縛り、これ以上の負担を彼女にかけたくない事。

 彼女の名誉を回復するために全力を注ぎたい事。

 そして何よりエカテリーナの傍らに立ちたい事。


「それには王太子の肩書きが邪魔なのだ。この肩書きがある限り、私は常に公人であり、エカテリーナのみに心を捧げられない。こんな愚かな王子が王太子など、質の悪い冗談だ」


 国王はしばし無言でエカテリーナを見つめ、覚悟を決めたように口を開いた。


「第二王子はまだ七つ。王女は嫁ぎ済みであるし、余も高齢だ。いつ何時、王座が空くかもわからない。ゆえにエカテリーナ嬢。今回のそなたの活躍に対する報償に、我が王位をそなたに譲りたいと思う」


「何故ですかあぁぁぁあっっ??!!」


 思わぬ爆弾発言に、エカテリーナは懐かしい台詞を絶叫した。

 これには辺境伯一家も黙ってはいられない。


「陛下、お戯れがすぎましょう」


「戯れではないぞ。これは叔母上も御承知だ。賛成しておられる」


 眼を見開いて振り返った辺境伯に、ネル婆様は微かに口角を上げた。

 思わぬ相手の援護射撃に狼狽えるが、それでも足掻く辺境伯。


「しかし....エカテリーナは王となる教育を受けてはおりません、国をおさめるなど....」


「問題ありませんわ」


 今度は王妃が口を開く。そのねっとりとした眼差しは愉快そうに弧を描き、辺境伯をじっと見つめた。


「エカテリーナ嬢は既に妃教育を済ませております。王の傍らに立つ資格があり、さらには王婿としてフィルドアが補佐をします。何処に問題がありまして?」


 にっこり笑う王妃様が悪魔に見える。


 次々と外堀を埋められ、エカテリーナは顔面蒼白。


 王? 私が女王? 嘘でしょう??!!


 王と王妃が認め、さらには元王女殿下が後見する新たな女王の誕生に、周囲の貴族らも口をつぐむ。

 悪女と名高い御令嬢であれど、その見事な淑女ぶりは彼等も認める所であるからだ。

 既に妃教育を終えているとは初耳だったが、なればこその高貴な姿だったのだろうと得心もする。

 形は違えど、王子と辺境伯令嬢が婚姻を結ぶのならば、問題はなかろう。


 貴族らまで反論もせず納得顔。


 四面楚歌な状況に狼狽し、エカテリーナは眼が絶賛クロール中。


 そんな彼女の珍しい姿に苦笑して、フィルドアは両手でエカテリーナの手を包むと、愛おしそうに口付けた。


「私を王婿に迎えてくれるか? エカテリーナ」


 これでもかと切な気に眉をひそめ、心許ない口調で問いかけるフィルドアに、エカテリーナの気が遠くなる。

 これは抗いようのない罠だった。

 王太子にここまでやらせて、通常なれば断る選択肢はない。


 すがるような眼差しで、上目遣いにエカテリーナを捉える王太子。

 彼の脆い光を宿す瞳に、彼女は困惑する。


 なに? その変貌はっ? 傍若無人な俺様殿下だったじゃないっっ! 子犬みたいな顔で見ないでくださいっ!!


 たがしかし、そこでエカテリーナはスカートの下の秘め事を思い出した。

 常に自分を尊重し、傍らにあってくれた幼馴染み。何も望まない彼が、唯一口にした我が儘。

 それをエカテリーナは受け入れたのだ。ここで間違えてはいけない。

 ズルズルと王太子を許し続けていては元の木阿弥だ。


 待つからと、静かに笑ったラシール。


 その笑顔を脳裏に浮かべ、エカテリーナは真っ直ぐフィルドアを見つめた。

 その瞳に揺れる仄かな光。力強く揺らがぬそれは、フィルドアの胸に言い知れない恐怖を感じさせる。


「御断りいたします」


 据えた眼差しで、きっぱり一刀両断にするエカテリーナ。

 フィルドアは、己の目の前が真っ暗になるのを止められなかった。

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