第29話 最後の舞台 ~後編~


「何故にわたくしが王家の犠牲にならなくてはなりませんの?」


 犠牲?!


 ギクリと王太子は肩を揺らす。


 周囲の貴族らや国王夫妻も驚愕に眼を見開いていた。

 それに軽く息をつき、エカテリーナは声高に叫ぶ。


「王太子殿下の御説明どおり、わたくしは彼の醜聞を隠すために偽りの正妃となる予定でした。近い将来、子供を為した側妃様と交代するための白の婚姻を条件にです」


 そこまで話して、彼女は周囲の反応を窺った。

 フィルドアの説明にはなかった部分だ。彼は己の過ちと、失言やそれに伴うエカテリーナへの精神的苦痛などをつまびらかにはしたが、契約内容については一切触れなかった。

 腐っても王族。こういう強かさは流石と言わざるをえない。

 エカテリーナへ同情を集めながらも、都合の悪い部分は狡猾に隠す。

 彼も所詮は王族なのだ。


 案の定、エカテリーナの話を聞いた貴族達は困惑気味に視線を見交わす。


「フィルドア様。貴方が今行おうとしている行為は奸計に過ぎません。わたくしとの約定を御破りになるおつもりですか?」


 剣呑に眼を据わらせるエカテリーナを凝視し、王太子は大きく息を呑んだ。

 ここで彼女が頷かないのであれば、計画は破綻だ。

 彼はまだ王太子を辞すると宣言したのみで、実際には王太子のままである。

 エカテリーナを女王にしない限り、その地位から退く事は出来ない。


「これ以上わたくしを失望させないでくださいませ」


 はくはくと唇を戦慄かせ、フィルドアはエカテリーナの手を離した。

 それを静かに手繰り寄せ、彼女は優美に微笑んだ。


「約定は守ります。しかし、このように白日のもとにさらされた約定に意味がありましょうか? 御飾り王妃にと望まれ、白の婚姻で子も為せず、いずれ側妃様と正妃を交代する。このまま続けても茶番にしかにりますまい?」


 改めて聞くと、凄い理不尽な約定よね。自ら望んだといえ。


 エカテリーナは思わず失笑した。しかしその自嘲の笑みは、自身に向けたモノであったにも関わらず、周囲の貴族らの眼にはフィルドアを嘲笑う冷笑に見えたようである。

 先に発言した不敬な台詞もあいまり、辛辣な侮蔑の眼差しが彼女に注がれていた。


「至高の玉座を賜りながら、犠牲などと宣う痴れ者など必要ありませぬっ、そうでしょう?」


 怒り心頭の面持ちで赤ら顔をするのは某侯爵。彼は周囲を巻き込むように、居丈高な態度で大きく叫んだ。

 芝居じみた大仰な身振り手振り。今の状況には効果的だろう。

 それに呼応するかのよう、次第に人々の声が大きくなっていく。


「そうだ、嫌なら王太子の横に立つ必要はないっ」


「まさに痴れ者ね。王家に仕えるべき貴族にあるまじき言葉だわ」


 フィルドアが何をやらかしたのかは綺麗に忘れ、エカテリーナの不遜な態度のみを執拗に責める貴族達。

 それにニタリと口角を歪め、エカテリーナは花もかくやな微笑みを浮かべる。

 神々しいまでの美貌に蠱惑的な色香を添えて、彼女は優美にカーテシーを決めた。

 指先まで神経の行き届いた見事な所作に、気勢をあげていた貴族らも思わず見惚れて黙りこむ。


「では退場いたしましょう。皆様、御機嫌よう」


 優美も極まれりな柔らかい笑みをはき、エカテリーナは音もなくすべるように大広間から出ていった。


 泡沫の夢でも見るかのごとく、人々は何時までも彼女が消えた扉から眼を離せない。

 今も彼女の颯爽とした後ろ姿が皆の眼に焼きついていた。


 だが、胡乱な眼差しでエカテリーナを見送った王太子は、言葉もなくその場に崩折れる。


 蝶は飛び立ってしまった。己が不甲斐ないばかりに。


 彼女は花ではなかったのだ。自由気儘に空を飛び回る蝶だった。それに気がつくのが遅すぎた。


 蝶に慕われとどまってもらうには、自分は魅力も努力も足りなすぎたのだ。


 いくら後悔したところで時は戻らない。戻れるならばやり直したい。彼女を抱き締め、愛でる権利を持っていたのに、自分はそれを軽んじてなおざりにした。


 声もなくほたほたと涙を零す息子の姿を、国王夫妻は痛ましそうな眼差しで、黙ったまま見守っていた。


 こうして最後の大舞台の幕が閉じる。




「リーナ........」


「ラシール?」


 広間から歩いてきたエカテリーナは、柱の陰に隠れていたらしい幼馴染みから、いきなり声をかけられ驚いた。

 彼は身分がないため、今回の宴には参加していない。伯爵と弟君は確か居たような気がする。

 そんな他愛もない事を考えていた彼女を、ラシールは壊れ物を扱うかのように、そっと抱き締める。


「.......警備に紛れて、見守っていたんだ」


 掠れるように小さな声。


 ラシールは、自分の貸した悪知恵を消す事が出来ず、憤っていた。

 なぜ、あんな馬鹿な提案をしたのか。リーナの婚約が確定してしまったからといって、自暴自棄にも程がある。

 だが、口にした言葉は消せない。

 王太子のみならず、両陛下や元王女殿下とまで懇意にしているリーナを見ていて、ずっとハラハラしどおしだった。

 何も出来ない己が歯痒く、リーナにマーキングを執拗に繰り返すしかない情けなさ。

 王太子には熱量のない彼女の瞳が、自分の一挙一動で高揚する。

 それが嬉しくて、何度もエカテリーナの心を揺さぶった。


 今夜もそうだ。心配で、不安で、いてもたっても居られず、こうしてやってきてしまった。


 物陰からフィルドアの演説全てを耳にして、かっと頭が沸騰する。

 思わず飛び出したくなる両足を、死に物狂いで必死に押さえ込んだ。


 今さら何を言っている。戯言をほざくのも大概にしろと。


 妙なる幸運を手にしておきながら、散々蔑ろにしておいて、今さら許してくれ? ふざけるなっ!


 ああ、リーナにだって悪い処はあったさ。君を騙していたし、周囲を騙していたし。でも、それに見合う報いを覚悟した上でだ!

 極悪令嬢のレッテルを貼られ、貴族としては致命傷を負う覚悟があってやらかした事だ!


 何の覚悟もせず、リーナを貶め、庇われ、言いなりにさせようとしたお前とは違うんだよっ!


 ギリギリと奥歯を噛み締めて、全身を震わせるラシールの耳に、聞きなれた声が聞こえる。

 鈴を転がすかのように清しい耳触りの良い声音。


 それはリーナの啖呵だった。


 わざと自分を貶め、嘲る物言い。巧みな言い回しで、過不足なく説明し、王太子に向くべき侮蔑を一手に引き受け、天女の微笑みで退場してきた愛しい少女。


 ラシールは涙が出そうになる。ここまで来ても、あそこまでされても、君は王太子を庇うのだね。悪役を貫くのだね。

 フィルドアはエカテリーナを謀ろうとした。

 誠実そうに見える裏側で、彼女に逃げようもない陥穽を仕掛けた。

 通常の貴族であるならば、如何なる理由があろうとも王家からの申し出は断れない。

 だけど最初に暴言をはく事で、君は周りの悪意をそのか細い身に集めた。

 さらに貴族らの神経を逆撫でして、衆人の意識を操った。


 最後の最後までの、見事な悪役令嬢ぶり。


 なんで、そこまでフィルドアを庇うの? 被害者は君じゃないか。御人好しにも程があるんじゃない?


 声もなく抱き締めるラシールの腕を叩き、エカテリーナは無邪気な声で囁いた。

 

「ようやく自由だわ。ラシール、帰ろ?」


 何の感慨もない軽ーい一言。


 そうだ、やっと彼女は悪役令嬢を卒業出来る。それで良いじゃないか。


「そうだね。帰ろう」


 何とも言えない複雑な笑顔を浮かべ、ラシールも大きく頷く。


 適当に切り上げて後を追ってきたらしい辺境伯らと合流し、ラシールは王都の辺境伯別邸に招かれた。


「リーナの卒業祝いと婚約破棄祝いだ。呑むぞっ!」


 超御機嫌な辺境伯ら。


 そして、知る人ぞ知る、悪女エカテリーナは、この日を境に姿を消した。


 王家の不興を買い国外追放になったとか、外国の王侯貴族に見初められ嫁いだとか、様々な憶測が飛び交ったが、誰も消息を知る事は出来なかった。


 密かにフィルドアも捜索させていが、雲を掴むかのように、彼女の足跡は消えていた。


 後日談が王都を席巻するのは、件の宴から数年後である。

 

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