第30話 エピローグ


「んーっ、良い天気ね、ラシール」


「そうだな、冒険日和だ」


 雲一つない澄みわたった空の下。


 エカテリーナとラシールはバディを組み、冒険者として大陸を回っていた。




 あの日、エカテリーナはフィルドアから貰ったドレス一式を脱ぎ捨て、軽鎧をまとい、ラシールの前に立つと、睨めつけるかのようにうっそりと笑う。


「あれから散々考えたんだけどね?」


 神妙な面持ちのラシールに、彼女はくしゃりと顔を歪めた。そこには幼い日の彼女の笑顔がある。


「ごめん、本当に分からないの。アタシがラシールを愛してるかどうかって」


 拝むかのように手を合わせて、エカテリーナはラシールに頭を下げた。

 気心の知れた幼馴染みだ。好きか嫌いかで言えば、もちろん大好きである。しかし、これが男女のそれかは分からない。

 家族同然、あるいはその延長のような気もするし、そうでない気もする。つまり、あやふやなのだ。

 ラシールの求めに答えられる自信がない。


「ぶっちゃけ、こういう家じゃない? ごつい騎士達ばかりの男所帯で、男女の色恋が分からないのよね」


 困ったような顔でラシールを窺うエカテリーナのあざとい仕草。これが計算でないならば、天然のたらしである。

 何とも言えぬ反論を呑み込み、ラシールは未だに上目遣いな愛しい少女を見下ろした。


「それで? フィルドアとは終わったよな? 俺にもチャンスはある?」


 つっけんどんだが、何時もと変わらぬ態度の幼馴染みに胸を撫で下ろして、エカテリーナはお茶目に眼を輝かせた。

 以前に何度も見た事がある、彼女の好奇心に満々ちた眼差し。こういう時は大抵ろくでもない事を言い出すのだ。


 それを良く知るラシールの胸に、一抹の不安が過る。


「まずは時間をくれないかな。人の噂も七十五日って言うじゃん? アタシ、ちょいと旅に出るよ」


「は?」


「いやぁ、前々からね? 冒険者やってみたかったのよねっ」


 にっこり笑う生粋の悪魔。


 いや、何を言っているのか意味が分からないから。


 開いた口が塞がらないまま、ラシールはエカテリーナの話を聞いた。


 今回の樹海の氾濫で壊滅的な被害を受けた各国を調べるため、辺境伯騎士団から有志を募り、秘密裏に視察を行う予定があるのだそうだ。

 それに挙手し、参加するのだと目の前の御令嬢は宣う。


 隠れ蓑として冒険者登録を行い、各地を回るつもりのエカテリーナに、ラシールはこめかみを押さえつつ待ったをかけた。


「待ってくれ、それって一人で行くわけじゃあるまいな?」


「そのつもりだけど?」


「辺境伯らが許す訳ないだろうっ?」


「あ~、ね~。だから、こっそり出ようかなって」


 テヘペロ的に足をモジモジさせ、エカテリーナは秘密よ? とラシールにウインクをする。


 秘密よ?、じゃねーっ!


 眼を限界まで見開き、口をへの字にして、プルプルと戦慄くラシール。あまりの怒りに頭が沸騰した。目の前が真っ赤に染まるのが自覚出来る。


 自分が見目の良い少女だという意識はないのか? 無いんだよね? でなきゃ、そんな暴挙しないよね?


 彼女の腕っぷしは良く知っている。だけど世の中には、その上を行く強者がいくらでもいるし、エカテリーナごとき小娘を手玉に取る悪辣な不心得者だって腐るほどいるのだ。


 警戒心皆無にも程があろうっ!


 言いたい事は山ほどあるが、ラシールは上手にそれを呑み込み、次には、細く長い溜め息をつき、澱んだ肺の中の空気を全て吐き出す。


 言うだけ無駄なのだ、コイツには。


 達観した据えた眼差しで、ラシールは吐き捨てた。


「俺も行く」


「え?」


「行くったら行く。反論は認めないからな」


 狼狽えるエカテリーナの太股辺りをパンっと叩き、彼は妖しく眼を光らせる。


「ここに着けてるんだろう? 俺のモノな証を」


 何故にバレた。


 顔全面に疑問符を浮かべるエカテリーナに、ラシールは心の中で毒づく。


 バレバレだわ、ぼけっ! 知られたくないなら、せめてレギンスではなく、緩いズボンを履けっ! 気づいたこっちも心臓がバクバクしとるわっ!


 アンダー・ザ・ローズ。


 花の下には秘め事がある。ドレスを花に見立てて込めたラシールの欲望。


 そんな色っぽい意味で贈ったモノだが、まさか本当にずっと身につけるとは。


 それを贈った男の眼にどう映るのか、君は知らないんだろうね。無意識にでも、それを着けている自分の気持ちにも。


 逸らす事を許さない真摯な眼差しで凝視され、思わずエカテリーナの顔に朱が走る。

 それを確認して、残忍に歪んだラシールの口角と据えた眼差しに灯る業火。


 古今東西、戦と恋愛は手段を選ばないものと相場は決まっている。己の腹の奥で燻る初恋の焔。あの真っ当なフィルドアすら、奸計を用いるほどに狂うのが恋だ。


 この感情が何というのかラシールは知らない。愛と言うには殺伐としすぎていた。だが、恋愛と狩りは良く似ているとラシールは思う。焦がれ、追い詰め、手に入れる。


 暗くギラつくラシールの瞳。まるで樹海の野獣と錯覚してしまうような凄まじい眼力で彼に見据えられ、エカテリーナは言葉を失った。


 自覚がないならさせてやろう。


 呆然とする彼女の手を取り、ラシールは無遠慮に、ズカズカと辺境伯別邸の応接室へ向かった。


「え? ちょっ、ラシール?」


「伯から許可をもらう。俺が同行するなら貰えるだろう?」


「えーっ、やだやだ、ちょっとぉっ、絶対にアタシ怒られるぅーっ!」


「当たり前だ、搾られろ」


 ふんと鼻を鳴らすラシールにズルズル引き摺られ、父親から大目玉を食らい、兄達に苦笑されたエカテリーナは、ラシールが同行するという事で、渋々父親から許可をもぎ取った。


 ラシールを含め、ちゃっとサムズアップする三兄弟。


 出立のおりに、頑張れと兄達に見送られた意味が、未だに理解出来ないエカテリーナである。




 そして二人はタランテーラから姿を消し、ただいままったりと冒険者ライフを満喫中。


「今日の御飯は何にしようか?」


「街が近いし宿屋で食うかな」


「んー、持ち込みありなとこが良いなぁ。何か狩る?」


 馬に二人乗りで、ぽっくりぽっくりと歩きつつ、ラシールは後ろからエカテリーナを抱きすくめる。

 彼の馬術は非常に巧みで、両手を離していても足の締め付けだけで馬を操れた。

 愛おしげに内股を撫でられ、エカテリーナの肩が大きく震える。

 それに薄く笑みをはき、ラシールは舐めるかのように彼女の耳元で囁いた。


「着けてる?」


「.....てる」


 蕩けるような熱さを伴う囁きに、エカテリーナの全身が昂る。

 もどかしいまでにぎこちないエカテリーナ。しかし、その恥じらう姿がラシールの眼には甘く眩しく映った。


 どれほどこうしてきただろう。


 ラシールは、分からないなら考えるなっ、感じろっ、と、あの手この手でエカテリーナを揺さぶり、これでもかと雄の色香を撒き散らし、狂暴な劣情を発散させていた。

 無体はしない。ただ、態度や言葉の端々に、今まで隠していた情感を堂々と表すようになっただけ。


 手を握る、抱き締める、彼女を欲しているのだと、熱く囁き睦言で鼓膜を溶かす。

 タガの外れた甘い言葉に、免疫ゼロなエカテリーナは抗う術もない。


 貴族同士の騙くらかし合いならば、百戦錬磨の悪役令嬢にも弱点はあったようだ。


 ここまで来れば、いくら色事に疎いエカテリーナとて意識せずにはいられなかった。


 ときおりどころが、隙あらば悩ましい手管を使い、彼女を翻弄するラシール。

 あからさまな行為には及ばないが、その淫猥な手つきに遊ばれ続けて、早三ヶ月。七十五日はとうに過ぎ、それでも二人は未だに各国を旅していた。


 そしてその旅路の中で、エカテリーナは、ようよう自分の気持ちに気がついたのだ。


 多くの土地、多くの人々と触れあっても、彼女の胸が高鳴る事はない。

 彼女の美貌に誘われ、数多の男達が甘く囁きもしたが、どれもただ気持ち悪いだけ。

 ラシールとは別の意味で背筋を這い上がる悪寒に苦労した。


 ラシールなら、こんな事にはならない。


 心地好い昂りと甘やかな震えが背筋を襲う。滅茶苦茶恥ずかしいし、逃げ回る事もあるが、他の人のように気持ち悪くはない。


 ラシールなら。ラシールなら。ラシールなら。......あれ?


 ここまで来て、ようやく自覚の芽生えた鈍感令嬢。


 あれぇー??


 自覚すれば、あとは早い。今までは気にもしなかった触れあいにも意識を持っていかれる。


 そしてその好機を、ラシールの中の獰猛な獣は見逃しはしなかった。


「そろそろかなとは思ってるんだよねぇ。リーナ」


「え?」


 彼はするりとエカテリーナの細い指を取り、その左手の薬指に指輪をはめた。

 小ぶりなエメラルドを囲うように小さなダイヤを鏤めた、如何にも高価そうな指輪。

 慎ましやかな中にも華がある繊細な銀細工は、彼女好みな逸品である。

 思わず後ろを振り返り、エカテリーナはラシールを見た。


「これ?」


「もう分からなくはないよね? 俺を男として見てるでしょ?」


 いつもと違う、困ったかのように柔らかなラシールの微笑み。

 彼はエカテリーナが自分を意識しだした事に気がついていた。ぎこちない動きや、戸惑いや逃げ。

 その初々しさが堪らなく、彼は動けない馬の上で、わざと彼女に触れたのだ。

 今もラシールの手は愛おしそうにエカテリーナの足を撫で、その下にあるガーターベルトを指でなぞる。


 その淫猥な指先に踊らされつつも、うなじまで真っ赤になるのがエカテリーナの答えだった。

 思わず噛みつきたくなる衝動を抑え、ラシールは、こういった忍耐を、べらぼうに培ってきた己の境遇を振り返る。

 妄想するだけの八年間。我ながら、よくぞ耐えたモノだと思う。


 唇を落としたら? 舌を這わせたら? 彼女は一体どんな反応をするだろう。


 そして切なげに眉をひそめた。もう、そんな虚しい思いをしなくても良い。


 真っ赤に俯く愛しい少女。


 これが答えならば、最初から彼女は盛大に彼へ答えていたのではないか。

 ラシールは、ある意味、鈍感だったのは自分なのだと自嘲する。


 彼女の言葉を鵜呑みにし、こんなあからさまなサインにも気づかず見落としていた。


 この紅いうなじに気づいたのは何時だっただろう? 


 ラシールは記憶の糸を手繰る。


「前の帰郷の時か」


「え?」


「いや、何でもない」


 薄く笑みをはき、彼は改めてエカテリーナを見つめた。

 その深い瞳に吸い込まれ、エカテリーナは眼を逸らせない。


「俺と結婚してください」


 熱い吐息とともに耳を擽る甘やかな声に、彼女はボンっと湯気をたて、小さく『はい』と答えた。

 一瞬の衒いもなく淡い言葉を紡いだエカテリーナ。

 思わず破顔するラシールの凄絶な美貌をまともに食らい、エカテリーナは視界の暴力に思わず眼をつむる。


 いや、きらびやかすぎるって! 何なの、その笑顔っ! 凶器でしょっ!


 わたわたと暴れるエカテリーナの照れ隠しが微笑ましい。

 以前の彼女なら、ラシールの整った顔など鼻であしらったはずである。その態度の端々に垣間見える特別感。


 貴方は特別なのよ? と、その華奢な全身が物語っていた。


 ほんとに色事に疎いよね、君って。それがまた、そそられるんだけどさ。


 至極真面目な本人を余所に、旅の本懐を達したラシールが、急ぎタランテーラへと帰還して、半年もたたないうちに結婚式を挙げたのは御愛敬。

 ラシールが各国を巡っていたのはエカテリーナを落とすためだったのだ。

 求婚し、それに頷いてもらう。その為だけに彼女に同行した。


 出立時に辺境伯兄弟が頑張れと応援したのは、ラシールにである。




 貴族籍を抜いていたラシールに嫁ぐため、エカテリーナも市井に降り、平民として挙式したのを王太子が知ったのは、それからさらに半年たっての事だった。


 元貴族であっても平民同士の結婚は王宮に報告されない。

 ここまで全てラシールの画策どおりである。


 想定外もあったけど、概ね予定調和な結果に、ラシールは大いに満足し、それはそれはエカテリーナを大切にした。


 後日、二人が回った国々から多大な感謝と褒美がタランテーラに届けられ、冒険者としての多くの武勇伝が国中の吟遊詩人を沸かせるのだが、それはまた別のお話。

 この話が王宮に届けられたため、二人の婚姻がバレてしまったのだ。


 それまで一縷の望みをかけてエカテリーナを捜索させていたフィルドアが、二人の婚姻を知り、失意のままサリュガーニャ公爵令嬢のアナスタシアと婚約したのは余談である。


 長く語り継がれる二人の物語は、悪役令嬢から始まり、悪役令嬢で終わった。


 知る人ぞ知る、稀代の悪女エカテリーナ。


 彼女のバッドエンドは、こうしてハッピーエンドで幕を閉じる。


 おとぼけだが寛大な王家と、自由気儘に平民となった唯我独尊の二人に幸あれ♪



 二千二十一年 九月二十七日脱稿


      美袋和仁



 ☆あとがき☆


 はい、ここまでお読み頂き、本当に有り難うございました。

 元々は別連載の一つの舞台として思い付いた設定を短編で投稿したのが始まりの物語。

 短編だけで止めておけば良かったのに、その連載と絡めてリンクさせ、感想でプチ炎上を初めて経験した物語でもあります。


 ちなみにその短編部分は、最初の三話です。


 なので、こちらでは、その連載に絡めない改定版をしたためてみました。


 いかがでしたでしょうか。楽しんでいただけたなら、光栄なワニがいます。


 本当に長々と有り難うございました。心からの感謝と皆様の御健勝を御祈りしつつ、さらばです。


 また何処かで♪


       By.美袋和仁。

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