第8話 悪役令嬢見習い


「何がどうなったのでしょう?」


「はい、わたくしエカテリーナ御姉様のシスターに立候補しましたの。よろしく御指導くださいませ」


 目の前には昨日の幼女。


 ミルティシア・サリュガーニャ公爵令嬢。


「わたくしは来期で卒業なのですよ? たった一年のシスターで宜しいの?」


「はいっ、一年でも半年でも、エカテリーナ御姉様の御側で学びたくぞんじますっ」


 ふんすと胸を張る幼女。


 エカテリーナはやや首を傾げ、困ったように初等科の教師を見つめた。


 ブラザーシスターという制度は、上級生が下級生を学園内の兄弟姉妹として御互いを尊重し、学ぶシステムだ。

 上級生は目下の者を導き慈しむ心を。下級生は目上を敬い労う心を育てるためのモノだが、実際は上級生が下級生をこきつかうに成り下がり瓦解している。

 上級貴族にはちゃんとしてる兄弟姉妹もあるが、半数以上はなぁなぁな成り行き任せ。

 だいたい、このシステムでは初等科の生徒が中等科の生徒に申し込み、姉が卒業したら妹だった者が新たな姉になる。

 三つ違いのシスターを選ぶものだ。既に最終学年なエカテリーナでは、サイクルが回らない。


 止めろよ、おい。


 眼は口ほどにモノを言う。


 エカテリーナの無言な微笑みの裏を察し、初等科の教師は軽く咳払いをした。


「サリュガーニャ公爵令嬢に釣り合うシスターがおりません。何より本人たっての希望なので.....」


「あら? おかしいですわね。中等科にはマクレスター侯爵令嬢もオマシィア伯爵令嬢もおられたような気がするのですが?」


 ふざけんなや、こら。


 全く笑っていないのに深まるエカテリーナの笑み。教師は滝のような冷や汗を流しつつ、眼がバタフライしている。

 御互いの裏を読み取る神経衰弱みたいな攻防を見つめ、ミルティシアはキラキラ輝く瞳でエカテリーナに微笑んだ。


「それですわっ、教師を教師とも思わない唾棄するような眼差しっ、それでいて優美で、しっとりとした佇まい。わたくしは、それを学びたく存じますっ!!」


 .....悪役令嬢志願ですか? 酔狂すぎません? まだ幼いのに、末恐ろしい子だこと。


 無邪気な羨望の面差しで凝視され、エカテリーナはいたたまれなくなり、そっと視線をそらした。


 こうして悪役令嬢は、大変不本意だが、悪役令嬢見習いを手に入れたのである。


 秋も終わりに近い今日この頃。後宮に新たなメンバーが加わった。



 時を遡る事、一日前。


「わたくし、エカテリーナ御姉様をシスターに希望したいと思いますの」


 公爵は含んでいたお茶が噴き出しそうになるのを堪え、無理やり飲み込むと、信じられない面持ちで末娘を見つめた。


「エカテリーナ様と言うと、エカテリーナ・ハシュピリス様の事かな?」


「そうですわ。凄く素敵なお方ですの」


 キラキラした眼差しで熱く語るミルティシアに、思わず公爵の眼が遠くなる。

 ハシュピリス嬢といえば悪評に事かかない御令嬢だ。罵詈雑言は当たり前、鞭のごとく扇をふるい、傍若無人で苛烈な女性である。

 今回、何の冗談か王太子の婚約者におさまり、さらに過激さが増す事だろうと、まことしやかに噂されていたが。


「御母様はなんとおっしゃっておられるのかな?」


「....ダメって」


 だろうな。


 妻の至極真っ当な反応に、公爵は胸を撫で下ろす。


「だから、御父様から御母様に御願いしてくださいませっ、わたくしはエカテリーナ御姉様とシスターになりたいのですっ」


「聞き分けのない事を言ってはいけないよ。淑女たるもの、両親の言葉を良く聞かなくてはならないよ」


「淑女....はい」


 おや? 珍しい。


 公爵は少し拍子抜けした。


 何時もなら、ここで癇癪を起こし宥めるのに一苦労する所だ。


 しょんぼりと項垂れて立ち去る末娘の後ろ姿に罪悪感を感じながら、公爵は大人しく引き下がったミルティシアを不思議そうに見つめていた。




「何故ダメなのかしら。わからないわ」


 不貞腐れたミルティシアはエカテリーナと世代が離れている。彼女の武勇伝にもなる数々の逸話を知らない。

 何の説明もなくダメだと言われ、彼女はベッドでヌイグルミに八つ当たりしていた。

 すると彼の御令嬢の言葉が脳裏に浮かぶ。


 それは貴女のおばあ様に胸を張って言える事?


「....ごめんね、八つ当たりして」


 幼女はヌイグルミに謝ると、力一杯抱き締めた。


 そして、ふと祖母を思い出す。


「そうだわ、御母様も御父様もダメなら、おばあ様に御願いしてみよう」


 ぱっと顔をあげ、ミルティシアは祖母の部屋へと向かう。


 祖母は元王女様で、非常に厳格な人だった。


 口煩く、冷たい感じの祖母をミルティシアは好きではなかったが、それでも天上人である祖母はミルティシアの誇りである。

 幼女にも厳格な祖母は、両親には更に厳しい。

 祖母を味方につけられたら、きっと両親も文句は言えまい。


 ミルティシアは途中で通りすがったメイドにお茶を頼み、小さな身体をパタパタさせて急いで祖母の部屋へ向かった。


「おばあ様。ミルティシアです」


「お入り」


 扉をノックしてミルティシアは祖母の部屋に入る。祖母は大きなソファーに座り、神経質な眼差しでレース編みをしていた。

 そして静かに顔をあげると、厳めしかった顔を少し和らげ、孫を見つめる。


「珍しいね。学園はどうだね?」


「はい、楽しく勉強しております」


「そうか」


 手にしていたレース編みをテーブルに置き、老女は孫を手招きする。それに応じ、ミルティシアは祖母の隣に座った。


「それでどうしたね。お前が来るなんて珍しい」


「おばあ様に御願いがあるんです」


 老女は少し眼をすがめる。この末孫娘は、かなり両親に甘やかされて我が儘に育っていた。

 叱れば理解はするのだが、その後からまた甘やかされるため、非を正せない悪循環に陥り、現状、とても良い淑女とはいえない性格だ。

 こうして、御願いという我が儘を何度も繰り返しては祖母に叱られ、ここしばらく姿を見せなかったのだが。


 やはり変わってはいないか。


 残念なモノを見る眼でミルティシアを見つめていると、幼女はキラキラした眼差しで祖母を見上げる。


「わたくし、エカテリーナ御姉様のシスターになりたいのです。でも御母様達が許してくださらなくて....おばあ様から御願いしていただけませんか?」


 孫の御願いに老女は軽く瞠目する。またもや我が儘かと思いきや違うようだ。

 孫の真摯な瞳に頬を緩め、老女は詳しく話を聞いた。


「なるほど。エカテリーナ嬢の噂は、わたくしも聞き及んでいる。とても褒められた御令嬢ではないようだ。しかし、お前の話どおりなら、質は悪いが真っ当な淑女のようだね」


 コクコクと頷くミルティシアに、老女は微笑ましい眼を向ける。

 エカテリーナ嬢の噂は老女も聞いていた。かなり破天荒な御令嬢だと。しかし苛烈な言動や行動が悪評の主体で、作法や教養はピカイチだとも聞いている。

 たいていこういった悪評があるならば、他への採点も辛くなり、人並み程度では払拭出来ない。

 だとすれば、彼の御令嬢は類い稀なる淑女としての嗜みをお持ちになっておられるという事になる。


 面白いね。


 すでに齢八十にもなる老女は、息子が家督を継ぎ結婚してから、しばらくして社交を引退していた。

 幸い嫁は良く出来た御令嬢で、屋敷の全てを任せられたため十数年前に楽隠居させてもらっている。


 どうやら十数年の間に老女の知らぬ社交界の図式が出来上がっているようだった。




「エカテリーナ嬢の話なんだが」


 夕食の席で老女は息子夫婦を一瞥し、ミルティシアを優しく見つめた。


「ミルティシアがシスターに望んでいるらしいじゃないか。何故ダメなんだい?」


 いきなり振られた話題に、公爵夫妻は顔を見合せる。


「あまり評判の宜しくない御令嬢なので.....」


 歯に挟まった物言いな息子夫婦に、老女はやや眼をすがめ、口を拭ったナフキンをテーブルに置く。


「それをちゃんとミルティシアに説明したのかい? 頭ごなしにダメと言われても納得出来ないだろう?」


 ぴしゃりと言われ、公爵夫妻はエカテリーナの逸話をたどたどしく祖母と孫に説明した。

 可愛い末娘に、こんな話を聞かせたくはなかったが、諦めさせるためには致し方ない。

 両親の口から語られた極悪令嬢の噂話に、さすがのミルティシアも驚いた。


「そんな事がねぇ。まあ、貴族としては致命傷だ。噂がたつだけで落第だからね。....真偽はともかく」


 老女はチラリと孫を見つめる。


 ミルティシアは泣きそうな顔で祖母を見上げていた。


 話を聞いて驚きはしたが、幼女は自分が見たエカテリーナを信じている。きっと何か訳があるのだと、根拠もないのに正しい確信を持っていた。


 ここまで聞いても考えは変わらないか。


 余程その御令嬢に傾倒しているのだろう。老女はしばし思案げに黙り込んだ。

 すると別な方向から思わぬ援護が現れる。


「....エカテリーナ様に非はございません」


 公爵夫妻の長女。王太子の婚約者候補の一人であったアナスターシアが、意を決したかのように両親を見つめた。


「たしかにエカテリーナ様の横暴はございました。でも、相手の方に問題があったのも事実でございます。遣り方は褒められたものではなかったかもしれませんが、一方的にエカテリーナ様が悪者にされるのは許せません」


 普段から慎ましく大人しい長女の言葉に、公爵夫妻は眼を見張る。同世代の娘は、噂でしか知らない両親と違って現場を目撃していたようで、詳細な情報を持っていた。


「そうかい。そういう事なんだね」


 アナスターシアの話を聞き、得心顔の老女と唖然とする両親。


「王太子様が絡むと暴走なさる傾向はございますが、普段は素晴らしい淑女であらせられます。わたくしなんて何度も美しい所作に見惚れておりましたわ」


 ほぅっと溜め息をつく長女に、公爵夫妻は何故今まで話さなかったのかと詰め寄った。

 それを、じっとりと睨めつけアナスターシアは軽く嘆息する。


「わたくしの話なんか聞いてくださらないじゃありませんか。何時も淑女らしく両親の言う事に従いなさいと仰有るばかり。わたくし、御母様達には話す事を諦めましたの」


 ツンとそっぽを向く長女に、公爵夫妻は自分らの勘違いを覚った。長女は大人しいのではなく、ただ自分達と話すのが面倒になっていただけなのだと。だから正しい情報が伝わってこなかったのだ。

 それをニヤリとしたり顔で見渡し、老女は口角を歪める。


「話は決まったね。エカテリーナ嬢を厭う理由はないようだ。むしろ淑女の見本のような女性じゃないか」


 老女の一言が場の空気を染めた。不安気にオロオロする公爵夫妻を無視して、老女はミルティシアに大きく頷いて見せる。


「ありがとうございます、おばあ様、御姉様っ!!」


 優美に微笑む二人にお礼を述べ、翌日ミルティシアは渋る教師を連れ出して、高等科の校舎に爆進していくのである。


 この日、悪役令嬢見習いは己の人生初の勝利をもぎ取った。

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