第7話 悪役令嬢、再び


「何をしておられるの?」


「あ...いや...」


 見つめ合う二人の間には一通の封筒。どうやらエカテリーナの机に入れようとしていたらしい。

 挙動不審に眼を泳がせる男性には見覚えがある。確か生徒会の会計役、ダスディルス子爵令息だったか。


「これを...」


 誤魔化す事を諦めたのか、彼は直接エカテリーナに手紙を差し出す。

 それを受け取り、エカテリーナは彼の目の前で開封した。

 中には一枚の便箋。内容に眼を走らせ、彼女は困惑気に眉を寄せた。


「わたくしを生徒会長にとは、どういうことでしょう?」


 以前、王太子が生徒会長の頃、エカテリーナは王太子の傍に侍るため、執拗に生徒会へ加入しようと押し掛けまくっていた。

 当然、嫌がる王太子によって阻まれたが、それを承知で嫌がらせ的にやっていたので、生徒会その物に興味はない。


 なのに何故今さら?


 不可思議そうに首を傾げるエカテリーナ。そんな彼女に、子爵令息は、しどろもどろな説明をした。


 話をかいつまむと、王太子が卒業したからだという。


 エカテリーナの生徒会加入を反対していたのは王太子だけで、他のメンバーは、上位貴族で成績優秀なエカテリーナの参加を望んでいたのだとか。

 王太子も卒業したし、今の生徒会には上位貴族がいない。王太子の指名で生徒会長になった伯爵令嬢では力が足りないらしい。

 今期入学した公爵令嬢の押しが強く、生徒会の誰がしかを辞めさせて自分を入れろと、かなり強引に要求してきているとか。

 生徒会加入年齢は社交界デビューしている事が条件になっているので、入学したばかりの十歳では加入出来ないと断っているらしいが、身分の低い伯爵令嬢の言葉など聞こえていない現状で、彼女は胃を痛めていると言う。


「社交界デビューは十三から十五ですものね。そこは上級生の威厳を持って、しっかり断らないと」


「....難しいです。学園は社交界の縮図。公爵令嬢の不興を買えば、後々の家門の進退に関わります」


「そうですわね。分かりました。王太子様に相談してみます。わたくしは来期卒業ですから、どちらにしろ一時の応急措置にしかなりませんわ」


 ふわりと微笑むエカテリーナに深々と頭を下げ、ありがとうございますと言い残し、子爵令息は教室を出ていった。

 それを見送り、エカテリーナはしばし思案する。


 公爵令嬢か。確か前国王陛下の妹君が降嫁されておられたわね。王家と血が近しいわ。少し難しい問題ね。


 エカテリーナは踵を返して学園図書館へ向かった。




「王太子様とお話がしたいのだけど使いを御願いするわ」


 後宮へ戻ったエカテリーナは王太子に面会をするため、急いで女官を使いに出した。


 何時ぐらいなら時間が空くかしら。今は政務中だから、夕刻くらいかな?


 そんな事を考えていると、女官が封筒をトレイにのせて持ってくる。恭しい金の縁取りの入った封筒を持ち上げ、エカテリーナが中身を確認すると、なんと今から来いとの返事だった。


 ちょっと待って。私まだ制服を着替えてもないんだけど?


 慌ててドレスに着替え、エカテリーナは淑女にあるまじきスピードで足音もなく廊下を滑っていく。

 もし見ている人がいたら、あまりの早さに幽霊か何かと勘違いされた事だろう。

 必死に追いすがる侍女を置き去りにし、エカテリーナは指定されたテラスへ入ると、既に着席している王太子に一礼した。


「御時間頂き、ありがとう存じます」


「いや。丁度一息入れようと思っていた所だ。座るが良い」


 侍従に引かれた椅子に腰掛け、エカテリーナは出されたお茶をストレートでいただく。たまにレモンも入れたりするが、彼女はお茶そのままを好んでいた。

 それを知る王太子が手元にあったレモンの輪切り入りの蜂蜜をエカテリーナ側に差し出す。

 慣れた手つきで差し出されたそれを、何の疑問もなくエカテリーナは一枚取りお茶に落とした。


「それで? 話とは何だ?」


「実は....」


 エカテリーナは斯々然々と子爵令息から聞いた話を王太子に話した。公爵令嬢はエカテリーナと世代が離れているため、噂の範囲でしか知らない。

 ゆえに確認してからになるが、もし本当に生徒会に害を及ぼしそうな人物ならば王太子の協力を御願いしたいとエカテリーナは言う。


「私に協力出来るならするが、すでに卒業した身だ。大した発言権はないぞ?」


「いえ、学園にではなく公爵家にです」


 エカテリーナの眼がすがめられ、すうっと柔らかく口角が上がった。王太子の眉がピクリと反応する。


「公爵令嬢の社交界デビューを一年遅らせて欲しいのです」


「一年? まあ、そのくらいならば。だがどうして?」


「来年入学する中にハルベレト伯爵令息がおられます。王太子様の従兄弟にあたられる方です」


「ああ、伯爵の夫人は父上の妹だからな」


 そこまで口にして王太子は理解した。


「なるほど。伯爵令息を先に社交界デビューさせて生徒会長に任命する気か」


 ふくりとエカテリーナの笑みが深まる。


 図書室で確認済だ。貴族年鑑によればハルベレト伯爵の祖父はカリヒュア侯爵。カリヒュア侯爵の父親は前々国王の弟君だ。爵位は劣れど、バックグラウンド込みで現国王の甥にあたる伯爵令息は公爵令嬢に劣らない。


「承知した。そこらは私に任せろ。ついでに公爵にも釘をさしておく。公爵令嬢が社交界デビューするまで生徒会に害がないようにな。だから....そなたは生徒会に関わらないように」


「.....? かしこまりました」


 不可思議そうに小首を傾げ、しばらく王太子と雑談した後、エカテリーナは静かにテラスをあとにした。


 退出するエカテリーナを見送りながら、王太子は久々に見たエカテリーナの酷薄な微笑みに背筋をゾクリとさせる。

 隠し切れない獰猛な冷たい焔が揺らめく眼窟。獲物を見据えた時のエカテリーナ独特な眼差し。如何にも愉しそうに煌めくあの瞳に、いったい何人の御令嬢が餌食となった事か。


 落ち着いたように見えるが本質は変わらないな。


 エカテリーナは自分にも厳しいが、他人にも厳しい。自分に出来る事は他人にも当たり前に出来ると思っている節がある。


 誰もが彼女のように努力を重ね克服出来る訳ではないのだが。


 自分を特別視していないエカテリーナには、そういった事が分からない。常に努力で苦手を克服してきた彼女は驚異的な人間だ。凡人には真似しようもない。


 公爵令嬢か。気の毒にな。


 もし公爵令嬢が子爵令息の言う通りの人物ならば、久方ぶりにエカテリーナの教育的指導が入るだろう。


 今の彼女なら、そんなに酷い事にはならない気がするが、先程の眼差しを見る限り.....うん、やめよう。考えるだけ無駄だ。


 王太子はお茶が冷めているのにも気づかず、改築中の離宮をじっと見ていた。




「少しお話しても宜しいかしら?」


 人気のない静かな渡り廊下。取り巻きをつれた公爵令嬢は、いきなり声をかけられ驚いて飛び上がる、

 その中心には大人しそうな少女が一人。

 完全に囲まれ、半泣きでしゃがみ込んでいた。


「お話中ごめんなさいね。少しサリュガーニャ公爵令嬢にお話がございますの。御借りしても宜しくて?」


 しっとり優美な微笑みに絡めとられ、少女らはコクコクと頷き、蜘蛛の子のように散っていく。


 可愛らしい事。少しは恥じる気持ちがあったのね。


 イジメの現場を現行犯で押さえられ、件の公爵令嬢はキッとエカテリーナを睨めつけた。


「わたくしはミルティシア・サリュガーニャよっ、何の御用なのっ?! わたくしのおばあ様は王族なのよっ!」


「存じておりますわ。初めまして、わたくしはエカテリーナ・ハシュピリス。辺境伯家の娘です」


「伯爵? そんな底辺貴族が、わたくしに何の用?」


 あらぁ。困ったちゃん確定ですわね。貴族階級の位階分けも理解しておられないなんて。どうしましょう。


 ふんぞり返って胸を張る幼女を眺めながら、エカテリーナは久々の悪役モードに切り換える。


「口を慎みなさい、小娘が」


 いきなり雰囲気の変わった目の前の女性に、公爵令嬢はビクリと身体を震わせた。

 それを高みから見下ろし、汚物でも見るような眼差しで幼女を見据える。


「貴女が何をなさろうと興味はないわ。貧しい下級貴族を虐げるとか、浅ましくさもしい愚かな行いだと思うだけよ。ほんと、中身が貧しい安価な娘だとね」


 あからさまに罵られ、公爵令嬢は茫然とエカテリーナを見つめた。


「貴女、生徒会に入りたいそうね。絶対に無理だわ。あそこは家柄は関係ないの。行動、心根、成績。中身がモノを言うのよ? 少なくとも正義感の一つもないと、足もかけられないわ。今の貴女には絶望的ね」


 茫然としていた幼女の眼がみるみる見開いていく。


「富を持つ者は持たざる者より多くの義務を負う。貴女は持つ者として、義務を果たしてる? これは貴族として最低限のラインよ? 身分や地位を何だと思ってらっしゃるの? 上に立つ者として、誇りある矜持をお持ち?」


 エカテリーナは扇の代わりに右手の甲で唇を隠し、据えた眼差しで公爵令嬢を射抜く。


「わざわざ下々を虐げるなんて情けない事極まりない。名のある御令嬢のする事ではなくてよ。ほんっとにみっともない。貴女、生きている意味がないんじゃなくて? 民を守りもせず虐げる貴族なんて、ゴミも同じでしてよ? あら? 貴女、塵芥なのね。ごめんなさい、汚物に御高説垂れても意味が有りませんでしたわね」


 さも愉しそうにクスクス嗤うエカテリーナに、公爵令嬢は涙目だった。鼻を啜りながら、ふーふーと肩で息をし、盛り上がった涙が零れないように少し顔を上向けている。


 あら....泣きわめいて癇癪を起こすかと思ったのだけど。存外期待が持てるのかしら?


 それにエカテリーナの話をちゃんと理解しているように見えた。でなくば、こんなに悔しそうな涙目にはならないだろう。

 しばしミルティシアを見つめ、エカテリーナはポケットからハンカチを取り出した。

 それで幼女の涙を拭うと鼻を押さえるように持たせる。


「泣けるという事は矜持を持っておられるのね。ならば話す事はないわ。自分のやっている事を常に考えなさい。それが貴女のおばあ様に胸を張って報告出来る事かどうか。貴女が貴族でありたいのなら、考える事を止めてはダメよ」


 自由にやりたいなら貴族をやめるくらいの気持ちでやらないとね。....やめたいわー。マジで。

 家族に泣かれるから言わないけどww 悪役令嬢やるのが精一杯。


 思わず遠い眼をするエカテリーナを、ミルティシアは不思議そうに見つめていた。

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