第10話 悪役令嬢とネル婆様 ~2~


「良い物は見つかったかえ?」


 どっしりとした存在感のある声音。


 思わずエカテリーナの背筋がしゅっと伸びる。

 臨戦態勢の条件反射。件の声音は警戒するにあたる威厳があった。隙を見せてはならない相手だと、本能が認識した。

 静かに振り返ると一人の老婆。確認するまでもない。この方が噂に聞く前公爵夫人であろう。

 ミルティシアと共にある老婆といえば他には考えられない。


 優美に口角を上げ、とびっきりのカーテシーを決めながら、エカテリーナは涼やかな透る声で自己紹介する。


「御初におめもじいたします。ハシュピリス辺境伯が娘、エカテリーナ・ハシュピリスにございます。以後よしなに」


 しっとりと佇むエカテリーナに軽く頷き、老婆は懐かしいモノを見るような眼差しで微笑んだ。


「サリュガーニャ公爵家の老骨だ。すでに隠居して久しいゆえ初会わせかね。そうさな。ネル婆とでも呼んどくれ」


「ネル御祖母様。かしこまりました」


「そんなにかしこまる事はないよ。今は孫に無駄遣いするただの婆さんだ。ミルティシア、どれにするか決まったのかい?」


 あちらこちらとアクセサリーを物色しながら、ミルティシアはエカテリーナを見上げて、モジモジと呟いた。


「御姉様はどれになさいますの? よろしければ、わたくしと御揃いにいたしませんか?」


 少し上目遣いにねだられ、その無垢な眼差しにエカテリーナの心臓が射抜かれる。


 なんっ...て、可愛いのかしら。妹がいたら、こんな感じ? 今まで兄馬鹿とか思ってて、ごめんなさい兄様達。

 妹に馬鹿になる気持ち、初めて知りましたわ。


 けど予算がない。御揃いにしたいのは山々だが、先立つものには限りがある。


「ごめんなさいね。舞踏会のアクセサリーは決まっているの。今日は晩餐会のアクセサリーを探しにきたのよ」


 あからさまに落胆の色を隠せないミルティシアと、切なげな眼差しで謝るエカテリーナ。

 そんな二人に鼻を鳴らし、老婆は何でもない事のように呟いた。


「お揃いか。良いじゃないか。私から婚約祝いにプレゼントしよう。孫馬鹿な婆さんにつきあっとくれ」


「そんなっ、いけませんわ、奥様っ!」


「ネル婆だ」


 ワクワクと見上げるミルティシアと、ニタリと微笑む老夫人。


 あれよあれよと絡めとられ、エカテリーナは幼女と御揃いでサファイアのアクセサリー一式を贈られる事となった。


「申し訳ありません」


「祝いの品にケチつけなさんな。そこは、ありがとうだろう?」


「ありがとうございますっ、おばあ様っ」


 遠慮がちに困惑顔をするエカテリーナを余所に、公爵家の二人は御満悦である。


 はあ。金銭感覚違いすぎて怖いわ。


 辺境伯令嬢とは思えない思考を脳裏にえがき、エカテリーナは本来の目的である昼用のアクセサリーを探す。

 しかし、石はともかく気に入るデザインがない。どれも華美過ぎて彼女の好みではなかった。

 複雑な顔で思案するエカテリーナに、ネル婆が声をかける。


「どうしたい? えらく悩んでるみたいじゃないか」


「ええ。気に入るデザインが無くて。晩餐会用ですし、もっと落ち着いた物が欲しいのです」


 ふぅっと溜め息をつくエカテリーナに、ネル婆は苦笑した。


「あんた若いのに奥ゆかしいね。そのドレスも飾り気がないし、今時珍しい子だよ」


 今エカテリーナが身に付けているのは膝下丈のシンプルな紺のワンピース。襟と袖口に白のレースがあしらわれ、胸元には赤いリボンが結ばれている。

 靴は踵の低いショートブーツ。

 素材の良さが光る出で立ちだが、形だけを見れば商家の娘といっても通りそうな姿だった。


 地味って事かしら? 実家では当たり前の格好なんだけど。


 辺境伯家は、誰もが戦う家系である。隣国との小競り合いもあれば、海岸の海獣、樹海の野獣、手の届く範囲の争いは全て引き受けて来た。

 エカテリーナとて例に漏れず、幼い頃より訓練を重ね、今では一端の戦士である。事が起きれば家族と共に馳せ参じる。

 ゆえに華美な装飾を厭う傾向があり、夜会や茶会でない限り、常に戦える服装が日常なのだ。

 首を傾げるエカテリーナを見つめながら、しばし思案し、ネル婆はついてきなさいと、彼女を公爵家の馬車に押し込んだ。


 そして到着した公爵家の自室へ招くと、大量の装飾品を並べ、エカテリーナに合わせてみる。


「ああ、綺麗な黒髪だし肌も白いから映えるね。どうだい?」


「....え?」


 間抜けに返すエカテリーナの目の前にはスタールビーのアクセサリー一式。他にも真珠やスターサファイア、黒ダイヤなど、普段は御目にかかる事のない逸品が勢揃いしていた。


「たぶん、あんたの好みはこんな感じなんだろうと思ってね。古臭いデザインだけど、リメイクされるのが嫌で誰にも譲らなかったんだが。あんたなら、このまま使ってくれそうだ。もらってくれないかい?」


「はい?」


 再び間抜けに返すしかないエカテリーナだった。


 困惑気に首を傾げ、遠回しに辞退を仄めかすエカテリーナに、老婆は、とつとつと昔話を始めた。

 ここに並んだ品々にまつわる端的な説明だったが、どれもが大切な贈り物であり、社交界から離れても手離し難かった品々なのだとエカテリーナは理解する。

 ネル婆様は思い出を変えられたくなかったらしい。


 彼女は思い入れがある品々を大事に使ってくれる相手を探していた。タンスの肥やしにするのも偲びなく、かと言ってデザインを変えて使われるのも嫌で、死んだら好きにして良いと家族にも言っていたらしい。


 そこへひょっこり現れた地味目な娘。


 ミルティシアのシスターなら自分の孫も同じと、数ある装飾品の中でも逸品な物を数種譲ってくれた。というか、押し付けられた。

 一周回って、今時なデザインなドレスも数着頂き、エカテリーナに降って湧いた難題は、事もなく終わりを告げる。


「長い事生きてると面白い事もあるもんだ」


 この数十年前のドレスが今時の流行なのだと知って、ネル婆様はカラカラと笑う。

 さすが公爵家。保存状態も良く、色褪せも綻びもない。サイズを直せば、そのまま着られそうだ。


 助かったなぁ。ほんと、有難い。これもミルティシアとシスターになったおかげね。今度あらためて御礼にうかがわないと。


 頂いた品を大切に抱え、エカテリーナは急な晩餐会の招待に準備が整い、馬車の中で安堵に胸を撫で下ろした。




 そうして迎えた舞踏会当日、晩餐会。


 王太子のエスコートで席についたエカテリーナは、物珍しそうな人々から奇異の眼差しで集中砲火を受ける。


 まあ慣れたものよね。この八年間浴び続けてきた視線だし。


 エカテリーナはネル婆様から譲られたドレスをサイズ直しし、頂いたアクセサリーからスタールビーの一式を身に付けていた。

 ドレスは淡い紫で裾から金糸銀糸の繊細な刺繍が入り、コルセットで絞られた辺りと胸元からは、ユルフワなドレープの黄緑色の薄い絹が蔦のようにいくつも垂れ下がるデザインである。

 葡萄をイメージした物だろう。垂れ下がるドレープには、上から下にかけてレース編みの濃い紫の房が所々に鏤められていた。


 それ以外には特に飾りはない。形としては今時なドレスだが、背中も肩甲骨までしか空いておらず、胸元も鎖骨辺りまでしか見えない。

 細かいカッティングで立体感を出しており、過度な膨らみもなく、シックで上品な仕立てでエカテリーナは気に入っている。


 古臭いなんてとんでもないわ。素材も最上級だし、素晴らしいドレスだわ。


 本物の持つ光沢は、何時も以上にエカテリーナを高貴に際立たせていた。


 満足なこしらえに御満悦なエカテリーナは、自分に注がれている眼差しの大半が羨望によるモノだと気づいていない。


「あれはジュスラン織りの絹ではないか?」


「あの幻の? 技術が絶えて久しいと聞くが、現存したのか」


「ドレープの絹も見事なものですこと。向こうが透けているではありませんか。まるで噂に聞く女神の羽衣のようですわ」


「何より、あのアクセサリー。あんな大粒のスタールビーなんて見た事ございません。くっきりと星が浮かんで... さすが辺境伯家ですわね」


 ちらりと視線が辺境伯に流される。


 父親である辺境伯は、軽く眉を上げて見せた。しかし、内心は心臓がバクバクである。


 娘よ、それらの逸品は何処から手にいれた? 正直、そのルビー一式で、我が領地の季節一つ分の税収値段なんだが?

 しかもジュスラン織りのドレスって.... その金糸銀糸、本物だぞ? わかってるか??


 冷や汗たらたらな辺境伯。


 半世紀も前についえた技術の事など、知識としてしか知らないエカテリーナに、ドレスの真贋が分かろうはずもない。

 絹は絹。それだけである。


 後日、知識として知っていたジュスラン織のドレスだと判明し、無駄だと覚りつつも、公爵家へ返却に爆走するエカテリーナだった。




 御父様、眼が泳いでません? 


 晩餐会の常連な父親の不審な視線に首を傾げ、エカテリーナは、もう一人の不審人物に眼を向ける。


 王太子殿下だ。


 後宮にエカテリーナを迎えに来た事にも驚いたが、扉を開けた途端に瞠目し、そこからずっとそのままである。

 軽く眼を見開き振られた話題に相槌を打ちながらも、チラチラとエカテリーナの様子をうかがっていた。


 それを盗み見ながら、したり顔で口角を上げるネル御婆様。


 子供だと思っていたが、どうしてどうして。一端な男の面構えになったじゃないか。


 エカテリーナの本質に気づいているだろう王太子の様子に、満足気なネル婆様は、いかにも楽しそうな面持ちで注がれる果実酒を見つめていた。


 御満悦な老夫人に気づき、しっとりと微笑むエカテリーナに、ネル婆は軽くグラスを上げて応える。


 すると周囲に微かなざわめきが起こった。


 訝る人々を一瞥し、国王陛下が疑問を口にする。


「エカテリーナ嬢は叔母上と知己であられたか?」


「はい。最近ですが。わたくしの学園シスターであるミルティシア公爵令嬢の関係で。このドレスや装飾品も、御譲りいただいたり、もったいなくも良くしていただいております」


「なんとっ、素晴らしい品々だと思っておったが、叔母上の品であったか。道理で」


 はにかむエカテリーナに、ふむふむと得心顔な国王。


「古臭い品だ。若い御令嬢に身につけてもらえてドレスも宝石も喜んでいるさ」


 ネル婆の口調はぶっきらぼうだが、その顔には照れ臭気な苦笑が浮かんでいる。


「良いお品です。大切にいたしますね」


「そうしな。古い物は禍を払うという。他にも合いそうな物があれば貰っておくれ」


「もったいない御言葉ですわ」


 微笑む二人の親しげな雰囲気に、晩餐会の誰もが言葉を失う。


 厳しく気難しい元王女は、厳格で近寄りがたい存在だ。他の御方は鬼籍であり、前国王に列なる最後の一人。

 国王陛下を始め、誰しもが畏怖と敬愛で見上げる、そんな方が屈託なく笑っておられた。

 甥である国王陛下すら見た事のない笑顔。まるで家族のように微笑む二人に周囲は絶句するほかない。


 一見異質に見える光景だが、理由を知っている王妃だけが唇に軽く弧を描いている。


 後宮を知らぬ貴族や殿方には分かるまい。作法や礼儀が完璧なれば、王女殿下は御機嫌なのだという事を。

 質の低迷を辿る貴族らや、そういった事に無関心な王族の殿方。あの方の言外や態度に含まれるそれらに気づかない限り、王女殿下の笑みを見る事はないだろう。

 知識や教養が深く、話術に富み、完璧な礼儀作法を身につけたエカテリーナだからこそ引き出せた笑顔である。


 王妃も努力し、何度か微笑んでもらった事はあった。しかし、常時とまではいかない。エカテリーナには王妃も脱帽である。


 悪役令嬢としての努力が、本人にも分からない変な所で実を結んでしまっているエカテリーナだった。 

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