第12話 悪役令嬢と指輪


「はぁ....」


晩餐会に出席した貴族らが待機する別室のさらなる奥に、王族専用の控えの間と賓客用の控えの間がある。

 今回賓客用の控えの間には辺境伯一家がいた。

 賑やかに談話する妻や子供らを見つめながら、父親である辺境伯は溜め息しか出てこなかった。


「エカテリーナよ。王女殿下と親しいならば報告しておいてくれ。私は心臓が縮みあがったぞ」


 うっすらと眼にクマを浮かべる辺境伯。さもありなん。現国王陛下と同い年な彼は陛下の御学友でもあった。

 悪友の尻拭いを散々やらされ、しまいには現王妃である伯爵令嬢に惚れた腫れたの悩みや、内緒の外出に巻き込まれるなど、かなり陛下に振り回されてきた御仁である。

 出来の悪い弟を叱咤する兄のように寄り添ってきた二人は、とても気安く、むしろ力関係であれば、辺境伯の方が強かった。

 陛下は散々面倒をかけた自覚があるので、辺境伯に対して少々弱腰な所がある。


 ゆえに現在の国王一家には不遜な態度すら取る辺境伯だが、前国王一家は別。

 心からの忠誠と敬愛を抱いた前国王とその方を補佐しておられた元王女殿下は辺境伯にとって雲の上のお方である。


 そんな方と娘が睦まじく語らい、王侯級の品を頂いたとあれば心中穏やかならざるも無理はない。


 げっそりと窶れた父親を見つめながら、エカテリーナは少し眉を潜めた。


「仕方なかったのです。急な晩餐会の招待に準備が間に合わなくて。ほら、わたくし悪役令嬢装備しか持っていませんでしょう? ドレスはリメイクして何とかなるとしても、アクセサリーはどうしようもなくて.... あんなケバケバしい物を晩餐会には着けていけませんから。新たに購入しようと訪れた宝飾店に公爵家のお二方がいらしたのです」


 小さく首を傾げ、エカテリーナは斯々然々と一連の流れを説明をする。


「そういう時は親を頼れ。何のために我々がいるんだ? 形だけとはいえ、娘の晴れ舞台だぞ? そういう楽しみは親の特権じゃないのか?」


「嫌ですわ。自立している娘が親の脛を噛るなんて。結果としてこうはなりましたが、わたくし自分の事くらいちゃんとやれますもの。たまたま気に入るアクセサリーがなくて、こんな事になりましたけど」


 たまたまで王侯級の一式を手に入れるんじゃないっ、それも王女殿下の鳴り物入りでっ!!


 悪運の強すぎる娘に、思わず遠い眼をする辺境伯だった。




 そんなこんなで時間がたち、辺境伯一家の部屋に王太子が現れる。

 瞬間、エカテリーナ以外の家族から据えた眼差しをぶつけられ、王太子は少し眼を泳がせた。

 婚約に至った経緯は全て家族にも伝わっているのだろう。辛辣で容赦ない侮蔑の視線。

 それに怯みつつも、王太子は意を決して言葉を紡ぐ。


「あ... その... 今回は申し訳ない事をした。エカテリーナ嬢の後宮生活は保証する。本当にすまなかった」


 いきなり頭を下げた王太子に、辺境伯一家は眼を見張った。

 今さら感は拭えないが、彼にも思う処があったのかもしれない。本当に今さらだが。


 それにふっと眼を緩め、エカテリーナが立ち上がる。


「よろしいのですよ、王太子様。たかだか数年の事ですわ。参りましょう。エスコートしてくださるのですよね?」


 すっと出された細い手を見つめ、王太子は慌てて手を差し出した。


「もちろんだっ、ありがとう、エカテリーナ」


「では行って参ります」


 二人が静かに部屋を出ていくと、辺境伯一家になんとも言えない沈黙がおりる。


「今の見た?」


「言うな、許さん」


 エカテリーナの兄達から、どす黒い殺気がぶわっと放たれた。

 部屋に溢れるどす黒い殺気を無視して、辺境は怪訝な顔をし、夫人は瞠目したまま微動だにしない。


 エカテリーナが家族を振り返り声をかけた時。


 王太子は顔に微かな朱を走らせ、微笑んだのだ。


 一瞬の事ではあったが、それを見逃す辺境伯らではない。




「それも大叔母様から?」


 エスコートする彼女の出で立ちに、王太子は眼を細めた。


「ええ。とても素晴らしい衣装でございましょう?」


 しっとりと微笑むエカテリーナは、淡いクリーム色のドレスに着替えている。

 スラリとした光沢のあるAラインのドレスに、左肩から薄い絹のドレープが腰まで伸び、そこから華のように後ろへ広がっていた。フワフワと広がるドレープは動きに合わせて揺れ流れ、なんとも軽やかで柔らかい印象を与えるデザインだ。

 余計な装飾もなく、シンプルでありながら華やかな逸品は、さすがは王女殿下の品である。


 そして王子の視線を捉えて離さないのはサファイアの装飾品。


 細やかな細工でシンプルに纏められた金細工に、煌めく大粒のサファイア。


 王太子は無意識に髪をかきあげた。


 俺の色.... 少しは期待しても良いのだろうか?


 金髪碧眼な王太子様。女性が好いた相手の色をまとう事を好むのも、男性が自身にまつわる贈り物を女性にするのも、この国では当たり前の風潮である。当然、知識として彼も知っていた。


 さすがなボンクラ王子とて、今になれば己の感情を理解しない訳がない。自分は彼女に情を寄せている。


 思えば幼い頃よりそうだった。


 エカテリーナを貶められたくなくて。明らかに悪い部分を指摘し、改めて欲しくて。何度も彼女と罵り合いになった。

 傲慢で不遜で高飛車な幼女に、なんで、素晴らしい淑女なのに、そんな態度なのかと落胆しつづけた長い日々。

 下品すれすれなケバケバしさや、溺れるほどの香水。人々を睨め下ろす冷ややかな眼差しや歯に衣を着せぬ罵詈雑言など。

 彼女には貴族としての欠落が多すぎた。

 しかし、それらを上回り凌駕する完璧な礼儀作法や、見るものを魅了するゆったりとした美しい所作。

 彼女の一挙一動に見惚れて虜となったがゆえに、誰もがエカテリーナの暴言や態度に呆れつつも、彼女を非難する事は出来なかったのだ。

 事実、あんな酷い見てくれでありながら、黙って立つ彼女のしっとりとした風情には、近寄りがたい高貴さが滲んでいた。


 評判は地に落ちれど、エカテリーナがとびっきりの淑女である事に異論を唱える者は、誰一人としていないのだ。


 何故もっと早くに本来の彼女に戻せなかったのか。


 今のエカテリーナなれば、正妃とするに誰も反論しまい。

 しかし彼女は社交から遠退く。後宮にこもり公の場には出てこなくなる予定なのだ。

 そうなれば、本来の彼女を国に認識させる事も出来ず、以前の彼女の噂が独り歩きし、尾びれどころが背びれ胸びれまでつけて世間を駆け抜けるだろう。

 来年の春、卒業と同時に挙式をしたら、そこからは契約が発動してしまう。

 そうなれば、自分は勿論、王家すらも彼女に関われなくなる。


 是正をするなら今しかない。


 春になるまでにエカテリーナの悪評を払拭し、彼女を正しく妃に迎えたい。

 己の出した条件が契約となり王太子の首を絞めていた。


 まずはアレをどうにかせねば。


 王太子はエカテリーナをエスコートしながら、持てる知識の全てを総動員して、ニューロン回路を全速力で往復させる。


 このすぐ後に、彼を打ちのめす事態が待ち受けているとも知らずに。




 二人が現れて壇上に上がると、すぐに国王陛夫妻も現れ、国王陛下の新年のことほぎと共に音楽が流れ出した。


「新年だ。皆盛大に祝うがよい。その前に一つだけ。我が息子の婚約も祝ってくれ。今宵、我が国王太子フィルドア・アズハイルと辺境伯令嬢エカテリーナ・ハシュピリスの婚約を果たす。サルガーニャ令嬢、こちらへ」


 満面な笑みの王様が手招きすると、壇上のカーテンに控えていたミルティシアが、しずしずと小箱を運んできた。

 ゆったりとした所作で美しい箱を開け、国王陛下に差し出す。

 そのしっとりとした奥ゆかしい動きに、周囲は勿論の事、会場中の貴族らが眼を見張った。


「これはこれは... 幼いのに大したものだ。流石は公爵令嬢であらせられるな」


 好好爺な眼差しで箱を受け取る国王に、ミルティシアは見事なカーテシーで答えた。


「もったいない御言葉。恐悦至極に存じます」


 すると再び会場が感嘆に満たされる。


「ふははは。先が楽しみな御令嬢だ」


 国王陛下に賞賛を受け、薄く笑みながらミルティシアはチラリと壇上のエカテリーナに視線を振った。

 王太子の横に立つ彼女は、笑みを深め、ゆうるりと小さく頷く。

 途端にミルティシアは破顔し、いかにも嬉しそうに壇上から降りていき、そのままネル婆様の元へ駆けていった。


 あらあら。最後の最後で..... まだまだ詰めが甘くてよ。


 どうやらネル婆様も同じ事を思ったらしい。小さな声でお説教されているようだ。しかし次には嬉しそうに孫の頭を撫でている。


 良く出来ていましたものね。びっくりしたわ。


 ミルティシアは学園で常にエカテリーナと共にあり、見盗り聞き盗り、多くの礼儀作法を学んできた。

 共にあるというのが大きいのだろう。エカテリーナの眼から見ても、ミルティシアの成長は著しいものだった。

 最初に出会った頃の悪童ぶりが嘘のようである。


 本当に嬉しいわ。


 思わず涙ぐみそうになるエカテリーナだが、ふと隣の王太子が愕然としている事に気づく。


「どうかなさいまして?」


 首を傾げるエカテリーナに、王太子は掠れる声で尋ねた。


「そなたの装飾品は....今の御令嬢と同じなのだな」


「ええ。婚約祝いにとネル御祖母様が贈ってくださったのです。ミルティシアとお揃いで♪」


 語尾の音符が凶悪だ。


 自分には向けられた事のない情のこもった心底嬉しそうな言葉に撃沈される王太子殿下。


 微笑む婚約者が悪魔に見える。


 いや、まだこれからだ。


 崩折れる訳にもいかず、王太子は国王陛下から指輪を受け取り、エカテリーナの左手薬指にそっとはめた。


 途端歓声が上がり、多くの貴族らから祝福を受ける。


 それに応えながらも、王太子はエカテリーナの胸元や耳に輝くアクセサリーから眼が離せない。

 自分に含む意味は全くなく、むしろ学園シスターへの親愛が一杯な代物だったとは。


 まだ、これからだ....たぶん。


 落胆に萎れる王太子を余所に、歓声に応えるエカテリーナの左手には金細工をあしらったサファイアの指輪が輝いていた。


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