第14話 悪役令嬢と舞踏会 ~2~


「伝令? 何事か?」


 宴もたけなわ、会場に不似合いな騎士達がゾロゾロと広間に入ってきた。

 軍鎧に身を固め、王の前にかしずく彼らは真摯な眼差しに陰を落とし、絞り出すような声で呟く。


「森が...樹海が氾濫を起こしました。近辺の村や街はほぼ壊滅状態。そのため発覚が遅れ、多数の野獣らが王都に迫りつつあります」


 騎士の言葉に貴族らから悲鳴が上がり、広間は甲高い喧騒に包まれる。

 駆け込んできた騎士達を不審に思い、引き返してきたエカテリーナ達も彼等の言葉に息を飲んだ。


「領地が...っ、お助け下さい、陛下っ! 騎士団の派遣を!!」


「何をいう、貴殿の領地は海沿いではないかっ、我が領地にこそ派遣をっ! 樹海に接しておりますっ!!」


 狼狽し、恥も外聞もなく見苦しい有り様な貴族達。


 鎮まれと国王が叱責を飛ばすが、無秩序なざわめきに掻き消され、誰の耳にも入っていないようだ。


 すると突然、悲鳴や怒声が飛び交う大広間に、ガシャーンっっと、けたたましい音が鳴り響いた。


 瞬間、人々が驚きに声を失う。


 一斉に振り返った人々の視線の先には、漆黒の髪を携える一人の少女。いわずと知れたエカテリーナである。

 彼女はシャンデリアのチェーンロックを外し、人がいない事を確認してから廊下のシャンデリアを床に落としたのだ。


 その大音響が人々から一時の間、思考を奪う。


「陛下のお声が聞こえませぬか?」


 扇で口許を隠し、エカテリーナの瞳が、ふっくりと弧を描く。あからさまな侮蔑を浮かべたその冷たい眼差しに絡め取られ、人々はみるみる熱を失い冷静になった。


 そして今度は一斉に国王を見上げる。


「助かった、エカテリーナ嬢。ハシュピリス辺境伯、ガルラシル騎士団長、これへ」


 人々が落ち着いたのを見て、国王はエカテリーナに軽く頷き、近くに来ていた辺境伯を手招きした。舞踏会に招かれていた騎士団長も足早にやってくる。


「騎士団長は現状を確認して騎士団の指揮を頼む。民の避難誘導や、冒険者ギルドへ救援の要請も。辺境伯は自領から軍の派遣を頼みたい。他の領地からも援軍を樹海近辺に送って欲しい。連絡には王宮の伝書鳩を提供する、急いでくれっ!!」


 言われて即座に動く者と、何を思ってかまごつく者。


 エカテリーナは剣呑に眼を光らせて貴族らを冷たく見据えていた。




「一式ありますね? 御母様」


「もちろんだわ。ハシュピリス家の者が持ち歩かない訳はなくってよ」


 エカテリーナと辺境伯夫人が阿吽の呼吸で駆け出していく。

 それを見送りながら、兄ら二人も肩を竦めつつ、同じように駆け出していった。


 舞踏会は終わりを告げ、招待客らは、それぞれが王都の邸宅や宿に戻る中、辺境伯一家のみが後宮に向かっている。

 エカテリーナが滞在する賓客室のエリアに彼等も滞在する予定だったからだ。


「母上やエカテリーナは止めといた方が良いんじゃないかな」


 長兄のアドリシアが無駄だと思いつつも口にした。次兄のラルフレートも同意するかのように頷いている。


「バカを言わないで。わたくし達は貴婦人ではないのよ」


「そうですわ。それに稼ぎ時じゃない。わたくし金欠ですの」


「御令嬢の台詞か、それはっ!!」


 ほくそ笑む二人が部屋に入るのを見届け、落胆気味な兄二人は致し方なく自分らの部屋に入っていった。


 あれはもう、教育を間違ったとしか思えない。


 子供達に自律心を養うための荘園貸与。あれは小遣いを賄わせるもので、決して生活を賄わせるためのモノではないのだが。


 ある時エカテリーナは悪役令嬢装備にかかった金額を知り、あまりの桁の多さに茫然とした。

 そして荘園を譲られてからこちら、一切の経費を請求しなくなったのだ。

 王太子関係以外は非常に慎ましく暮らし、全力で自分にかかる金子を減らすように心掛けている。

 それが度を越して、最近では冒険者の真似事まで始めるようになっていた。


 ああ、これは教育を間違ったんじゃなくて、悪役令嬢をやらすはめにさせた王太子が悪いんだな。


 有無を言わさぬ完全な八つ当たり思考を頭に浮かべ、二人は酷薄な笑みで顔を見合わせる。


 あのボンクラ、いつか絶対に殺す。


 支度を済ませ、部屋から出ていく兄二人の脳内は、完全に一致していた。




 所変わって王宮会議室。


 国の要人らが集まり、今回の災厄にあらゆる手段を講じていた。王太子も騎士団を率いて遠征するつもりで、ここにいる。


「ハシュピリス領から早馬と騎士団、後続に冒険者らが派遣されます。幸いな事に我が領地は大事に至らず鎮静化出来たようです。他の領地も迎撃に当たっており、海側からの支援待ちとなります」


 現在の状況を報告から照らし合わせ、辺境伯は国王と王太子に説明していた。

 するとそこへ戦鎧のフルプレートではない軽装の一団がやってくる。胸当てと腰当て、あとは手甲と武器のみを携えた四人。


 辺境伯一家である。


 夫人を筆頭に、清しい顔で立っていた。


「おお、支度は済んだか」


 話し合いのテーブルから顔を上げた辺境伯に、夫人と子供らはニッコリ微笑む。


「準備はよろしくてよ。何処から参りますか?」


 まるで世間話でもしているような柔らかい声音。しかし、その夫人こ姿はバッチリ武装されている。

 いきなり現れた辺境伯一家に、唖然とする人々の前で、彼の御仁はしばし考え、夫人には連れてきていた辺境伯騎士団の指揮を。

 息子ら二人には冒険者を率いて樹海に向かうよう指示し、エカテリーナには王宮騎士団と共に、王都に迫る野獣らの掃討を命じた。


 その瞬間、唖然と事態を傍観していた王太子の氷結が溶ける。


「待てっ!! エカテリーナを戦いに出すつもりかっ?!」


 絶叫にも近い王太子の叫びに、同じように固まり傍観していた人々の氷結も砕けた。

 それをさらりと聞き流し、何でもない事のように辺境伯は口角を上げる。


「戦える者は戦いに出るべきです。違いますかな?」


 辺境伯の言葉に王太子は絶句した。それでも掠れたような声を絞り出す。


「....エカテリーナが? ....戦える?」


 その呟きを訝しげに受け止め、辺境伯は唾棄するような眼差しで王太子を睨めつけた。


「貴方は王都での娘しか御存知ありませなんだな。わたくしが辺境伯である事をお忘れか? ハシュピリス家で戦えぬ者はおりませぬ。わたくしが倒れれば息子らが。息子らが喪われれば妻や娘が戦線に立ち、指揮し、戦うのです。それがハシュピリス辺境伯家です」


 我が娘を侮るなかれ。


 切れそうなほどに凍えた辺境伯の辛辣な眼差しが、そう物語っている。


 言葉もなく立ち尽くす王太子に微かに微笑み、エカテリーナは踵を返すと高らかな靴音をたてて消えていった。




「戦いが終わったら素材の剥ぎ取りしても良いわよね」


「かなりの数だし、冒険者らは同じ事するだろうから、デフレ、インフレしないか? 労力に見合わないかもな」


「そっか。仕方無いわね。大物狙いで報償に期待しましょ」


「だから、それって御令嬢の台詞じゃないからっ!」


「貧乏なのよ、わたくしは」


 王宮入り口で詰め掛けた冒険者達が馬車に乗り込むのを待っていたハシュピリス兄妹の、残念極まりない会話。


「貧しいのか?」


「そうよ。御兄様だって知っておられるでしょう? 悪役令嬢装備の値段。あんな金額を溝に棄てたなんて....信じられないわ」


「悪役令嬢装備?」


「ええ、もう用済みだけどね。あの金額を返し終わるまで、とてもじゃないけど御父様に経費なんかねだれないわよ」


「いくらだ?」


「は.....?」


 なんだろう? 気のせいか会話が噛み合ってなくない?


「エカテリーナっ!」


 え?


 惚けるエカテリーナの正面には二人の兄がいる。


 じゃあ後ろから聞こえる、この声は?


 恐る恐る振り返ったエカテリーナの瞳に映るのは、見事な金髪碧眼の姿。


「王太子様....」


 固唾を呑む彼女の視界で、王太子は訝しげに眉を寄せていた。


「悪い。立ち聞きするつもりではなかったが.... その... 貧しいなれば、私が援助するのはどうだろう? 私も荘園をもっている。独自の収入からだから、誰にも咎められはしない」


 この会話を聞いていて、ピンポイントするのはソコですか。


 エカテリーナの顔に乾いた笑みが浮かぶ。


「婚約者が野獣の素材剥ぎ取りとかは、出来ればして欲しくない」


「何処から聞いていたんですかぁぁーっ!!」


 そこから聞いていて脳内に残ったのは貧しいって単語だけなのねっっ!!


 思わず淑女の仮面をかなぐり捨てたエカテリーナに、大叔母の面影を重ねる、お馬鹿な王太子様だった。

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