第24話 悪役令嬢の心得


「そう、常に頭の天辺を糸で吊られているような気持ちで。顎を引いて...... 違うわ顎を下げるんじゃなく、こう。首を後ろに引く感じに。そうそう、そうすると顎も内に引かれるでしょう?」


 辺境伯家に着いた一行は、別館にミルティシア達を滞在させ、午前中は作法や学術をし、午後から自由時間とした。

 丸っと遊ばせる事をエカテリーナはしない。

 やる事をやって、初めて解放感が得られるのだ。飴と鞭である。


 こういったメリハリが意欲を上げるのよね。


 今は立ち姿と歩行の練習。


 立ち居振舞いは基本さえキッチリ出来ていれば、ダンスでも何でもこなせるものだ。

 頭の位置を固定し、滑るように歩くエカテリーナに倣い、ミルティシアも後に続く。

 若干の揺れはあるが、小さな貴婦人は周囲の侍女や側仕えらを感嘆させるほど見事に歩いてみせた。


 さらにエカテリーナは右足を出して左足を半歩引き、くるっと向きを四十五度変える。

 ミルティシアも真似して向きを変えた。ややぎこちない動きだが、良く出来ている。


 エカテリーナは軽く笑みをはき、今度は右足を半歩後ろに下げて、それを捻り、左足をクルリと回転させて真後ろに向き直った。

 流れるように流麗な所作。

 頭を微動だにせず、するりと回転した彼女を真似しようとして、ミルティシアは足を縺れさせた。


「きゃあっ」


 思わず傾いだ幼女を支え、エカテリーナは柔らかい微笑みを浮かべる。

 

「よく出来ていたわ。今日はここまでにしてお昼をいただきましょう」


「はいっ、ありがとう存じます」


 勉強の終わりを告げられて、ミルティシアは可愛らしい顔を上げる。


 何か言いたげな公爵家の側仕え達を一瞥し、エカテリーナはミルティシアと食堂へ向かった。


 まあね。公爵令嬢ですもの。もっとさせたい勉強があるのでしょうけど、ここは辺境伯家ですから。


 朝から晩まで勉強漬けでは辺境伯家まで来た意味がないではないか。


 エカテリーナの目論見は、緩急つけた猫の被り方を妹分に教える事と、それを補佐出来る側仕えや侍女の育成である。

 実は後半がメインだった。

 こういった機会がないと、ミルティシアの使用人らに彼女が会う接点はない。

 エカテリーナは随員された公爵家の使用人らを吟味し、若手で実直そうな二人を常にミルティシアへ同行させていた。


「美味しいですわ、御姉様っ」


「そうね、卵もフワフワだし、酸味のきいたソースが良く合うわね」


 きゃっきゃうふふと食事をとる二人の周囲には、それぞれの使用人。

 食事の世話をしつつ、彼等は流れるように食器を下げていく。

 

「さてと。今日は樹海の方に行ってみましょうか」


 何気なく言われた言葉に、ミルティシアの侍女らは、ぎょっと眼を見開いた。


「まあっ、森は危険だと聞いていますわ。大丈夫でしょうか」


 やや怯えを見せる妹分に、エカテリーナはふっくりと眼を細める。


「わたくしと一緒なのよ? 危ない事なんてなくてよ」


 言われてミルティシアも納得した。

 道中で見たエカテリーナの勇姿。はぐれ野獣らを畳んだ剣術、体術。

 護衛が反応するより速く獣に気付き、あっという間に倒していた。

 あまりの興奮に、その話を兵士らに披露したのはミルティシアの記憶にまだ新しい。


「樹海には珍しい植物や花があると聞きますわっ、楽しみですっ」


 あわあわする公爵家の使用人らを余所に、午後の予定を決定する二人である。




「御再考を。御令嬢方の出向くべき場所ではございません」


 ずらっと居並ぶ公爵家使用人一同。それを見渡して、エカテリーナは小さな嘆息を噛み殺す。


「我が辺境伯領内を訪うならば外せない視察場所でしょう?」


「ですが危険すぎますっ、樹海が溢れて、まだ数ヶ月。街道にはぐれ野獣が出るほどなのですよ? 村や街には無惨な爪痕も残っておりましょう、そんな所へ訪うなど、ミルティシア様の心に良くありませんっ!」


 侍従の一人が声高に叫ぶ


 それに冷たい眼差しを向け、エカテリーナは腕組みし、自分の頬を軽く指で叩いた。


「だから? 醜いモノ、汚いモノから遠ざけて、柔らかい絹で包むのが彼女のためだと?」


 問われた意味が分からない。


 公爵家の使用人らは各々眼を交わして困惑げに首を傾げた。

 危険を排除し、居心地の良い場所を作る。常に気を配り、仕える主人の生活空間を調え、追従するならば、その足元に石ころ一つも残してはならない。

 それが側仕えというものだ。


 エカテリーナの言葉は、その原点を否定するモノである。


 言葉の意味が理解出来ず、やや嫌悪感を浮かべる面々を見渡して、エカテリーナは彼等の物分かりの悪さに頭痛を覚えた。


「サリュガーニャ公爵家は広大な領地をお持ちよね? そこが災害に襲われたら、それから眼を背けて蓋をするのかしら? 見て見ぬふりをして、被害や死傷者を放っておくのかしら?」


 そこまで言われて、ようやく公爵家の使用人らはエカテリーナの言葉の真意を理解する。


「ですが、それは公爵様の領分です。内向きを預かる婦女子には縁のない事ではないですか?」


「そうね。でも、その肩に背負う義務に変わりはないわ。知らないと、知ろうとしないは別物なのよ? そして知らないが通らないのが王侯貴族というものなの。分からないかしら?」


 何も知らず真綿でくるむように育てるのは容易い。

 だが、それをしては彼女の未来の可能性を潰す事になる。

 多くのモノを見て、それに触れ、何を考え、どれを選ぶのかはミルティシアの自由なのだ。

 世の中は理不尽に満ちている。将来、そういった憂き目に合った時、それを知るのと知らぬのとでは、対処に雲泥の差が出る。

 エカテリーナは可愛い妹分に多くの経験をさせ、多くの選択肢を選べるようにしてやりたかった。


 実地に勝る学びはなし。


 彼女は獰猛な光を瞳に浮かべ、さらに言葉を紡ぐ。

 後に王族と婚姻した場合にも同じ事を言うつもりなのか? 王族に連なる者が、民の嘆きを知らなくても良いと?

 王族でなくとも貴族であれば、伴侶と不幸な別れがあるかもしれない。そんな時、子供が小さくて夫人が爵位を継ぐ場合もあるだろう。知らぬ存ぜぬで領地を回せるのか?


 剣呑に捲し立てるエカテリーナに思わず腰を引き、公爵家の使用人らは言葉を詰まらせる。


「無知は害悪以外の何物でもないの」


 あんた達を含めてね。

 

 むんっと仁王立ちして睨めつけるエカテリーナに、公爵家の者らは白旗を上げた。


 苛烈な御令嬢と聞いてはいたが、ここまでとは。


 己らの無知を浮き彫りにされ、公爵家の者らは顔が上げられない。

 エカテリーナの言った可能性は確かに存在する。

 限りなく低い確率だが、皆無とは言えない。

 皆無でない以上、それに備えるのは大切だろう。最悪を想定して、常に手を回しておく。それは為政者の義務だ。

 そんな根本的な事すら理解していないのかと嘲る瞳。

 唾棄するかのように、冷たくすがめられた眼に、反論していた侍従は全身を総毛立てた。

 睫毛がビシバシで整った美貌であるだけに、その辛辣な冷たさがことのほか際立っている。


 背筋を震わせて怯える公爵家の面々を一瞥し、エカテリーナは軽く手を上げて二人を指差した。


「そこの貴方と貴女。午後からミルティシアにつきなさい。よろしくて?」


「は? え?」


 いきなり指名を受けた二人は、眼をしきりに泳がせて侍従を見る。

 侍従はしばし眼を伏せてから、重苦しく頷いた。


「「か.... かしこまりました」」


 微笑む御令嬢が悪魔に見える。


 こうしてエカテリーナの目論見は、思わぬ機会を得て、ちゃくちゃくと進んでいった。


 悪役令嬢は一日にしてならず。完璧を目指してこそ、真の悪女になれるのだ。

 ミルティシアは、それに憧れているのだから、スパルタは当然。


 必死に学ぶ妹分の姿に、幼い頃に誓った己の姿を重ねて、少し苦いものが脳裏に広がるエカテリーナだった。

 

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