第26話 王宮の画策と悪役令嬢


「やはり。......するべきだな」


 執務を終えて、フィルドアは小さく呟いた。


「何か仰いましたか? 王太子殿下」


 居並ぶ文官らの一人が呟きを聞きつけ顔を上げる。

 それに微かな笑みを返し、フィルドアは首を横に振ってみせた。


「いや、大した事ではない。後の処理は任せる」


 頷く事でそれに答え、文官は再び書類に眼を戻した。それを見て、フィルドアは、今はおらぬ側近を思い出す。

 王太子は、このように執務室に専属の文官をつけ、側仕えらには生活一般を回させていた。

 明確なラインをひき、それぞれに独自性を持たせ、どちらか片方だけになっても問題なく回るようにしたのは、ラシールの考えだった。


 通常、側近らも文官らもそれぞれ交わり、仕える主を支えるものだが、そうするとそこに優劣が発生する。

 文官達には身分の低い者が多く、側近らには身分の高い者が多い。

 結果、文官らの進言を潰し、仕事の成果を横取りするなどの不具合が生じ、仕事の塩梅や人間関係が悪くなるのだ。

 フィルドアはそれを知らなかった。


「王宮に限らず、市井でも良くある事さ。力ある者が無い者を食い物にする。だから、上に立つお前は、それが起きないよう気を配る事が大事なんだよ。分かるな?」


 このやり方に首を傾げたフィルドアに、友人は薄い笑みをはいて説明した。

 王が優秀な事にこしたことはないが、一番大切なのは人を見る眼を養う事。

 適材適所に人ををすえ、その仕事を円滑に回す事。

 それが出来れば、上の人間の仕事も滑らかに進む。


「俺が皆の面倒を良く見てるって、前に感心してたよな、おまえ。何でか教えてやろうか? それは俺が楽をするためだよ。周りが仕事を覚えて円滑に進めば、結果、俺の仕事が減って、楽になるのさ。そのための布石だよ」


 にっと口角を上げて宣うラシール。

 あの時はイマイチ意味が理解出来なかったフィルドアだが、今なら分かる。

 この場にあの側近らが居たならば、きっとラシールの危惧した事態が起きていただろう。


 あれらはフィルドア自身が選んだ側近だった。

 執務と分けて選ばれる側仕えに高い能力は必要ないとラシールが言ったので、その勧めに応じて、フィルドアが気楽に傍に置ける者を選んだのだが。


 ........失敗だったと思わざるをえない。


 彼等は可も不可もない普通の貴族だった。身分が高く、成績も社交も目立つものではないが、無難にこなせる者達だった。気楽に付き合える彼等であれば、自分の周囲は穏やかになるだろう。そう思っていたのだ。


 だが、蓋を開ければ虚栄心が強く、身分に見合うプライドを持ち、王太子の側近となった事で、その悪い部分が顕著になった。


 執務、政務にも口を出したがり、何かにつけて文官らを貶めようとする。

 仕事の種類が違うのに、難癖をつけて、文官らの仕事を取り上げようとし、本来の側仕えの仕事が疎かになっていた。

 政務に関わる文官らの仕事の方が明確に結果を生む。王太子の側近として仕えるようになって、それが目に見えてきたのだろう。

 側仕えの枠を越えた横暴が目立つようになってきた。


 そしてフィルドアは思う。


 真実、側近としての実力があったのはラシールだけなのだと。

 側近と呼ばれる側仕えや文官らの間を取り持ち、上手くフィルドアの周囲を回してくれていたのはラシールだった。

 王太子の生活や仕事の両方に携わり、フィルドアはラシールを中心に心地好い生活を送っていた。


 それを実感する。


 以前の側近筆頭だったラシールを知る側仕えらは、自分がその位置に着こうと、実務にも食指を伸ばしているのだ。

 ラシールは重要な案件にも携わり、フィルドアと共に机を並べて政務を行っていた。

 側近筆頭という立場をフルに活用して、他より一段上のその位置にいるのが当たり前のように、上手く周囲へ印象付ける狡猾さ。

 それを羨望の眼差しで見ていた側仕えらは、彼が居なくなった事で空いた席を奪い合っている。

 両方をこなせるだけの実力もないのに、高望みをしていた。

 その人選をしてしまったのはフィルドア自身だ。頭が痛い。


 醜悪なやり取りを交わす側近らに辛辣な眼差しを向け、フィルドアは王妃が用意した熟練の側仕えを側近筆頭に置く事を決める。

 彼の身分は低いが、実務経験やその実力は折り紙つき。

 今もその人物は少し後ろに控えて、静かな眼差しでフィルドアの側近らを見聞していた。

 そして微かに首を振ると、柔らかくフィルドアに微笑んだ。


「任せても良いか?」


「かしこまりました。王太子殿下の憂いを払いましょう」


 初老の側仕えは恭しく頭を下げて、扉から出ていくフィルドアを見送り、扉を閉じる。


 フィルドアは深い溜め息をつき、疲れた足取りで王妃の宮へ向かった。




「あらあら、まあまあ。酷い顔ね、フィルドア」


「もう、手一杯です、母上」


 ぐったりとソファーに凭れかかり、フィルドアは出されたお茶にすら手を伸ばさない。

 その窶れぶりに軽く眼を見張り、王妃は痛ましそうに我が子を見つめる。


「ラシール様がおられた頃が上手く行き過ぎていたのね」


 彼は爵位を捨てた。今は個人名で呼ばれる平民の身分だ。それでも、その実力から、彼を軽んじる者はいない。

 いや、居るにはいるが、表立ってそれを口にする愚か者は、無知なフィルドアの側近達ぐらいだろう。

 切れすぎで狡猾とも言える頭脳と、猛獣を容易く切り伏せる獰猛な腕っぷし。

 王宮で地位の高い者ほど、ラシールの才能を評価していた。王太子の側近筆頭として歓迎されていた。

 彼が辺境伯の愛弟子であった事すら、知られたのは最近だ。それまで、辺境らとの接点を誰も知らなかった。

 ラシールが口にしなかった事もあるが、その周囲がひけらさなかった事もある。

 誰もが羨む立ち位置にいながら、それをおくびにも出さなかった。


 辺境伯らと共に樹海警備を担っていたのなら、あの強さにも頷ける。

 伯と懇意にしていたのならば、ハシュピリス家の家族らと仲が良いのも当たり前だ。


 そんな彼の前で、俺はどれだけエカテリーナを罵ってきた事だろう。


 今さらながら羞恥に身悶えるフィルドアである。学院に上がった頃の自分を殴り倒してやりたい。


 エカテリーナとも懇意であったならば、彼は彼女の本質も理解していたはずだ。

 彼女の美しく優美で穏やかな中に燃える、慈愛のさざめきと、苛烈な激情の炎を。

 それを歪めてしまった王太子の存在を、ラシールはどの様に思った事だろう。


 極悪令嬢とまでおとされた彼女の汚名をフィルドアは増長させる事しかやってこなかった。

 王宮の中では、その汚名が未だに根強く蔓延り、彼女を貶める噂が尽きる事はない。

 それを王太子が諫めれば、新たな心無い流言蜚語が飛び回る。


 どうやっても払拭出来ない。何の役にも立てない己を、どれほど呪った事だろう。

 せめてエカテリーナの名誉だけでも回復してやりたいのに。


 複雑に絡まり、出口の見えない問題に苦悩し、フィルドアは頭を抱えた。


 懊悩煩悶する息子の様子に、王妃は心の中で嘆息する。


 あらゆる不条理が短期間にフィルドアを襲った。

 致し方ない物もあれば、自業自得な部分もある。その問題の全てはエカテリーナとフィルドアの仲が致命的だった事に帰結していた。


 悩ましいわね、フィルドア。


 扇で口元を隠して、息子を見守っていた王妃に、フィルドアは絞り出すような声で呟いた。


「もう、他に道はありません。私は王太子を辞したいと思います」


 呟かれた言葉に王妃は瞠目する。


「私は王に向いていない。私生活ではエカテリーナに、国政や宮内ではラシールに頼りきっていました。その二人がいなくなった途端に、この愚かしい体たらくです」


 前回のエカテリーナの帰郷に同行する経緯すら御粗末過ぎて笑えない。

 自身の事一つ、まともな采配が出来ない者に、国の采配など出来ようもない。


「エカテリーナと共にあれば....... 変われるかもしれません。だけど、それでは彼女を良いように利用するだけ。今までと変わらない。だから..........」


 真摯に見つめるフィルドアの瞳には揺るがぬ光。それの示すモノを察して、王妃は鋭い視線を息子に向ける。


「よろしいのね? それをすれば、後には引けなくてよ?」


「覚悟の上です。後の歴史家に愚王と罵られても、それが最善なのだと信じます」


 諦めにも似た脆い口調。


 フィルドアはフィルドアなりに頑張った。己の過ちに心を打ちのめされつつも、足掻き、必死に頑張ってきた。

 それでも足りないのは、もう仕方がない。頑張っている本人の実力以上に、さらに頑張れとは、とても言えない。


 王妃はしばし眼を伏せて、決心したかのように顔を上げた。


「分かりました。そのように陛下に御伝えしましょう」


 母親の言葉を耳にして、フィルドアは大きな安堵に満たされる。


 これで、エカテリーナだけは手に入るのだ。他は全て捨てても構わない。

 地位も名誉も財産もいらない。彼女が傍にいてくれたら良い。


 奇しくもそれは、ラシールの思い描いた決意と全く同じモノだった。


 己の掌の上だと思っていたエカテリーナとの未来が、大きく傾ぎ変貌していくのを、今のラシールは知らない。

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