第21話 街と屋台と悪役令嬢
「まったく。王太子様にも呆れたものね。昨日、今日で長期の旅程が組めるはずないでしょうに」
うんざりと呟くエカテリーナに、ラシールは苦笑した。
「まあ、そう仰らず。彼も貴女に同行するため、政務を頑張っておられたのでしょう」
改まった口調の幼馴染みに、エカテリーナは歯茎の浮いたような顔をする。
久々に見るリーナらしい顔に、ラシールは心の中でだけ破顔した。
「馬車の中くらいは止めてちょうだい、その口調。ここは、もう王宮ではないのよ? 少しくらい気を抜かせてよ」
「しかし........」
ラシールは、ちらりとミルティシアを見た。
小さな貴婦人は、二人の会話を静かに聞いている。
それにほくそ笑み、エカテリーナは扇をたたんで膝に置いた。
「いつまでも猫被りばかりではいられないわ。どうせ、領地に帰ればバレるもの。ミルティシア?」
「はいっ」
真剣な眼差しの少女に、エカテリーナは快活な笑みを浮かべる。
「人生、息抜きも必要なのよ? がんじがらめては疲れ切ってしまうわ。時と場所に応じて自分を甘やかすことも大事なのよ?」
エカテリーナの言葉に頷き、ラシールも砕けた口調で微笑んだ。
「そうだね。まあ、リーナほど極端ではないが、誰しも顔の使い分けはしているものさ。この解放感があるから、人は日々の努力を続けられるんだよね」
うって変わった二人の雰囲気に驚き、ミルティシアは瞳をキョロキョロさせる。
それを優しく見つめながら、エカテリーナは、この旅でミルティシアが、上手く自分の感情をコントロール出来るよう教えるつもりだった。
張りつめるだけの弦は、容易く切れる。
緩め、引き締め、絶妙な加減をつけて、エカテリーナは生きてきた。
この加減を、ミルティシアにも教えたい。
漠然とした感覚的なモノだ。言葉にして伝えるのは難しい。だから、実家で家族として暮らし、その加減を肌で感じ取ってもらいたい。
エカテリーナの中で、すでにミルティシアは妹も同然だった。
「御姉様、これは?」
「串焼きよ。これはお肉だけど、私の荘園では海鮮の串焼きもあるわ」
王都を出て半日。
一行は、ブリューネの街にいた。王都に近いだけあり、中々に栄えた街だ。多くの店や屋台が並び、いかにも観光地という風情である。
宿に荷物や従者を置き、エカテリーナはラシールとミルティシア、あとはミルティシアの侍女だけを連れて街に繰り出した。
御忍びにしても身軽過ぎる。
そう心配して、護衛の増加を望む従者らだったが、ラシールは人の悪い笑みを浮かべて、一刀両断。
「樹海の氾濫に、最前線で戦っていたハシュピリス伯令嬢と私以上の護衛がおられると?」
狼狽える従者らを一睨みで黙らせ、ラシールとエカテリーナはミルティシアを連れて宿から出てきたのだ。
貴族としては落第だ。しかし、こういう時間も、たまには必要なのである。
三人は街を散策し、屋台や土産物屋さんを回った。
「わぁぁっ」
初めて歩く市井の街並み。滑らかに設えられた貴族街とは違い、うっかりすると踵を取られそうな、ゴツゴツとした道。
焼きたて、出来立ての料理が醸す魅惑的な香り。
いたる所で客を招く大きな声が上がり、無作為に歩く人々が作る、長閑でゆったりとした風景。
そのどれもが新鮮で、ミルティシアは夢中になる。
「御姉様、あれは??」
「飴細工よ。まだ固まっていない飴を、あのように形作って、色々なモノにするの」
ミルティシアが見つめている男は、掌の中で器用に飴を捏ね、糸切り鋏でパチンパチンと切れ目を入れたり、伸ばしたり。
ちゃちゃっと食用色素で彩飾し、出来上がった飴に、ミルティシアは感嘆の溜め息を漏らした。
「鳥ねっ? 御姉様、あれは鳥ですよね?」
「そうね。たぶん、メジロかしら」
言われて、ミルティシアは飴を見る。
翼を広げて、今にも飛び立ちそうな鳥は、淡い緑に愛くるしい黒い瞳。その眼の周りは丸くて白い。
「眼の周りが白いわ。だからメジロ?」
「ええ、その通りよ」
瞳を輝かせてあれやこれやと見て回るミルティシアに、エカテリーナはゆうるりと微笑んだ。
こういう経験は大事である。そこにあると言われるまで気づかないのではお粗末様極まりない。
自ら眼を配り、常に疑問を抱く事が、何物にも通じる最大の学びなのだ。
見たことがない。知らないから、疑問に思う。
見たことがある。知っているから、疑問に思う。
どちらも差違に疑問を抱き、その違いを考えるという、大切な気付きだ。
こうして普段は見ない市井の暮らしを知り、理解する事はミルティシアの良い成長に繋がるだろう。
キョロキョロと落ちつかず、うろつきまわるミルティシアを見守るエカテリーナを静かに見つめ、ラシールは己が至福に酔う。
こんなに早く護衛として彼女の傍にいられるとは。
フィルドアの横槍には少々驚いたが、まあ、予想の範疇内。
置き去りにしてきた王太子の情けない狼狽え顔を思い出して、どす黒い笑みで溜飲を下げるラシールだった。
あんな思いを自分がどれだけ繰り返してきたか。
フィルドアも少しは思い知るが良いさ。
そう。エカテリーナと言う生き物を理解しない王太子の、歯に衣を着せぬ物言いで、散々苦虫を噛み潰してきたラシールは、今になってエカテリーナを理解し始めたフィルドアに、仄かな怒りを持続させていた。
眼には見えぬ複雑な憤り。
それが如実になるのは、まだ先の話。
今は愛しい少女とその妹分を、柔らかな視線で見守るラシールである。
一通り市場を回ると、三人は噴水近くのベンチに座り、購入した食べ物の包みを開いた。
エカテリーナはプレッツェルと串焼き。ラシールは鶏肉のケバブと揚げ芋。
ミルティシアは悩みに悩んで、肉の入った揚げパンと串焼きにした。
出来立ての香ばしい匂いが食欲をそそる。
ゴクリと生唾をのみ、ミルティシアはエカテリーナを見上げた。
「カトラリーはどうするのですか?」
一瞬、眼を見開き、エカテリーナは、ふっくりと眼に弧を描く。
「これは、このままかぶり付くのよ。周りをごらんなさい」
言われてミルティシアは周りを見た。似たような包みを持った人々が、その包みのまま大きな口を開けて食べている。
「はしたなくはないのですか?」
モジモジと上目遣いで戸惑うミルティシア。
「郷に入れば郷に従えといってね。その場の雰囲気に合わせるのも大事なのよ。まあ、悪い御行儀はスルーでね」
そう言うと、エカテリーナはパクりと串焼きを歯で抜き取った。
モシャモシャと食べる彼女の横で、ラシールもケバブをそのまま頬張っている。
彼は、食べる傍ら空いてる方の手で揚げ芋を摘み、横のエカテリーナの口に差し出した。
エカテリーナも、ラシールの指から揚げ芋を食べ、いかにも美味しそうに顔を綻ばせる。
「んーっ、揚げたてのお芋ってホクホクしてて最高よね」
「だよね。こういうのが市井散策の楽しみだ」
微笑み合う二人に押され、ミルティシアも思いきって揚げパンにかぶり付く。
オロオロと見守る侍女を余所に、ミルティシアはサクリとした揚げパンの中から溢れる肉汁に感嘆の眼を向けた。
「美味しいっ、サクサクして香ばしくて、中の具も肉汁たっぷりでっ」
夢中になって食べる少女を暖かな眼差しで見つめ、エカテリーナとラシールは顔を見合わせる。
「こういうのも久し振りだわ」
「俺は、まあ、王都でも街に出歩いていたから。お疲れ様、リーナ」
ラシールに差し出された芋をパクリと食べつつ、久方ぶりの解放感を満喫するエカテリーナだった。
これらが、後々、大騒動を起こすのだが、今の彼女らの知るところではない。
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