第22話 王宮と悪役令嬢


「今日はここらで一泊かしらね」


 ブリューネの街で一泊してから、馬車で走る事1日。


 程好い木立に囲まれ、ひらけた草原。そこに天幕を張り夜営をする事になった。


 こうして野で煮炊きをするのも久し振りだ。護衛の半数は領地から呼んだ辺境伯騎士団。なんの気兼ねもいらない。

 残る半数はサルガーニャ公爵家の護衛や侍従達。

 彼等はミルティシアを天幕にこもらせ、出さない気のようである。

 

 こちらをチラチラ見ながら天幕へと向かうミルティシア。


 それを見つめて、にっと口角を上げ、エカテリーナは大きな声でミルティシアを呼んだ。


「シアっ、食事の支度をするわ、手伝って」


 シア。


 これは二人きりの時に呼ばれるミルティシアの愛称である。

 

 ミルティシアは、ぱあっと顔を輝かせ、淑女にあるまじき速さでエカテリーナに駆け出した。


「リーナ御姉様っ」


 この呼び方をする時は、何も気にしなくて良い。

 二人だけの暗黙の了解だった。


 茫然ととする公爵家の家令達。


 それを置き去りにして、満面の笑みでミルティシアはエカテリーナに抱き付く。


「今か今かとお待ちしておりましたわっ、ここからは淑女でなくて宜しいのねっ?」

「もちろん♪ せっかくの息抜きなのだから、めい一杯楽しみましょう。あなたのお婆様から許可はいただいているわ」


 憤慨した公爵家の侍従や護衛がズカズカとエカテリーナに詰めよってきていたが、彼女の口から出た、ミルティシアの祖母という言葉で、ピタリと足を止める。


 それすなわち元王女殿下。


 彼の御仁の許可がある?


 何も知らされていなかった公爵家の面々は、顔をひきつらせたまま微動だに出来なかった。



 エカテリーナが淑女の仮面を外した、その頃。


 王宮には冷たいブリザードが吹き荒れている。


 そこはフィルドアの宮の応接室。


 極寒の冷気を醸し出し、ソファーに鎮座する人物は、辛辣な眼差しで王太子を見つめていた。


「フィルドア。貴方、エカテリーナの帰郷に同伴するのではなかったの?」


 にっこりと優美に微笑み、王妃は眼に弧を描く。

 薄く笑みをはく母親の顏とは裏腹に、極寒の冷気が満たされる部屋の中で、フィルドアは伏し目がちに答えた。


「その...... 断られました。馬車の席がないと。........王族を迎える準備もしていないと」


 フィルドアの言葉に、王妃は開いていた扇をぴしゃりと閉じる。

 その甲高い音に背筋を震わせ、王太子は顔を上げた。


「聞き間違いかしら? 王族を迎える準備? それをエカテリーナに望んだの?」

「は...... その、驚かそうと思って、同伴する事を内密にしておりました」


 王妃の手の中で、たたんだ扇がビキリと音をたてて軋む。

 弧を描く眼が、鋭角な蔑みを浮かべていた。フィルドアと、その側近らに。


「あらぁ。秘密にしていたのぉ。じゃあ、その準備は貴方の側近達がしたはずよねぇ? まさか、何も知らないエカテリーナが、その準備をしているとは思ってないわよね?」


 王妃は優美な仕草で側近らを睨めつけた。

 じっと温度の失われた眼差しで見据えられ、側近達は盛大に眼を泳がせる。


「同伴するのなら、相手の負担にならないよう、馬車や人員を用意して、準備万端で申し出たのよね? 何も知らないエカテリーナが、貴殿方の席を用意しているはずないものねぇ? そのくらい、貴族なら子供でも分かるもの」


 辛辣な眼差しに侮蔑を浮かべ、王妃は側近らに首を傾げた。

 すると側近達は、居心地悪げにみじろいだ。


「側近たる者、そのくらいは理解しているわよね? 王太子に不自由がないよう用意は出来ていたはずでしょう?」


 旅の荷物だけで、あとはエカテリーナの馬車に便乗する気だったとはとても言えず、側近らは視線でフィルドアに助けを求める。

 フィルドアも旅の支度を命じただけで、これと言った指示は出していなかった。

 今までは、そんな事を考える必要もなく、過不足ない準備をラシールが整えていてくれたからだ。


 おいおい、待てよフィルドア。ちょいと時間をくれないか?


 そう言って笑うと、翌日あたりには大抵の準備がされていたものだ。

 今回も、彼が居たならば、このような無様に陥ってはいなかったはずである。


 今の側仕えらでは足りていない。自分の認識も改めねば。


 王妃の叱責で、ようよう己の仕出かした馬鹿さ加減を、フィルドアは自覚した。


 項垂れる息子を一瞥し、王妃は小さく嘆息する。


「これからは、何をやるのか、わたくしに相談なさい。一度経験すれば、次には抜かりなく出来るでしょう。何事も」


 王妃も、まさか、ここまで王太子に思慮が足りないとは思っていなかったのだ。

 エカテリーナの帰郷に同伴したいと聞き、それは良いわねと同意した。

 しかし、蓋を開けてみれば、エカテリーナに迷惑をかけただけという、酷い体たらく。


 だが王妃は知らない。


 そのようにラシールが誘導してきていた事を。

 何につけても世話を焼き、細かい配慮や思慮に疎くなるよう、ラシールは微に入り細に入り手助けをしてきた。

 長年、阿吽の呼吸で全てが過不足なく揃えられる生活だったフィルドアが、浅慮な思いつきや行動に走るのも致し方無し。

 それを調節し整えるオブザーバーを失った彼は、今になって一からそれを学ばなくてはならない。


 自分なしではいられぬよう、ラシールが暗躍していた結果である。

 真綿でくるむかのように快適な生活でスポイルし、フィルドアを骨抜きにしていたのだ。

 それもこれもエカテリーナの傍にいるために。


 まあ、用無しになったフィルドアのその後など、彼の御仁にはどうでも良い。

 しれっと切り捨て、ラシールは自由気ままな人生を謳歌していた。


 エカテリーナの眼を据わらせるフィルドアの残念っぷりは、ある意味、ラシールの謀の一環だったのだ。


 悪魔のような男である。


 それを知らぬ王妃は、今になってフィルドアの足りないところに気付き、それを補うよう動き出した。


 王族としての行動、言動、それらを常に考え、感情を抑えるよう。

 新たな教師と側近を入れるべく、王妃は王に相談しようと、王太子宮を後にする。


 あそこまでフィルドアが物知らずとは思わなかったわ。

 王族どころが、貴族としても落第じゃないの。

 あのままでは、いずれ取り返しのつかない失敗をするわ。


 いや、すでにやらかしていたっけ。


 エカテリーナとの事件を思い出して、王妃は思わずこめかみを押さえる。


 真面目過ぎて融通が利かないところはあるが、成績も良く、行動力もあり、衆目を集める王子に、以前は不安はなかった。


 それに一抹の不安を抱いたのは、エカテリーナとのいさかいが起きた時。

 実直というには、あまりにも愚昧な行動、言動。

 それが取り返しのつかない愚行だと理解していないフィルドアに、国王夫妻は戦慄した。

 たまたまエカテリーナの気転で窮地を脱したが、あの一件だけでも廃嫡待ったなしな状況だった。


 このままでは危うい。


 貴族の機微や裏側を察せれない。自分が王太子であり、その一挙一動に責任がつきまとう事を理解していない。

 それなりに理解しているのかもしれないが、上滑り感満載。


 なんて事かしら。何故、今まで気づかなかったのかしら。


 懊悩煩悶にのたうつ王妃を余所に、その元凶たるラシールは、最愛の少女とその妹分が御揃いのエプロンをつけて料理する姿を、しまりのない顔で堪能していた。


 ああ、なんて幸せなんだろう。


 全てを捨てた甲斐があった。


 己が幸せをしみじみと噛み締めるラシール。 


 全ては彼の思うがままである。腹黒万歳。

 不均等に口角を歪めるラシールの脳裏には、すでに王太子の事など欠片も存在していなかった。

 

 

 







 

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