第16話 剣と野獣と悪役令嬢 ~後編~

「落ち着け、リーナっ!!」


「ラシール.....」


 エカテリーナは王太子を支えたまま、背後の熊を切り殺した騎士を見た。

 それは王太子の親友とも言われる御学友。

 ラシールはエカテリーナから王太子を受け取り、地面に横たわらせ、受けた怪我を確認する。


「範囲は広いが深くはない。おいっ! すぐに衛生兵をっ!! 動かすな、まずは手当てだっ!!」


 受けた傷の衝撃で軽く失神していた王太子は、そのラシールの叫びに眼を覚ました。

 飛んできた衛生兵らに手当てを受けながら、フィルドアはしばし茫然と友人の顔を見つめる。


 そして、はっと瞠目した。


「ラシールか....... エカテリーナはっ?!」


「無事だよ、よくやった、フィルドア。リーナっ、王太子が意識を取り戻したぞ」


 慌ててフィルドアは、無意識にエカテリーナの姿を探す。

 すると、すぐ近くに彼女はいた。彼女の悲鳴を聞き付けた兄達に抱えられ、覚束ない足取りでエカテリーナは王太子の傍までやってくる。


「「良かった........ 本当に」」


 どちらともなく呟かれる異口同音。

 しかし次には、凄まじい怒号がフィルドアを襲った。


「貴方は一体、何を考えておられるのですかーっ!!」


 声の主はエカテリーナ。


 大きな瞳に涙をためて、薄い唇を小刻みに震わせ、彼女の全身は怒りに戦慄いている。


「王族たる者が前線に出てきて、しかも臣下を庇うなど......っ、愚かにも程がありますっ! 御身の尊さを御存知ありませぬかっ?!」


 ほたほたと流れる小さな雫。それを拭いもせずに、彼女は叫び続けた。


「貴方に万一があれば取り返しはつかないのですよっ?! それを......っ」


 眼を剥いて怒鳴るエカテリーナをラシールが止める。軽く手をかざして、彼女の意識を呼び寄せた。


「リーナ、そこまで。気持ちは解るけど、フィルドアは怪我人だからね? しかも君を守ろうとした名誉の負傷なんだよ? 婚約者の面目躍如じゃない?」


 唇を噛み締めて悔しそうなエカテリーナを見つめ、ラシールは軽く苦笑する。

 そしてふわりと抱き締めて、その背中をポンポンと叩いた。


「ほんとに君は変わらないね。立派な淑女になったと思っていたのに、そんな所は子供の頃のままだ」


 フィルドアは目の前の光景が理解出来ない。


 なぜ、ラシールがエカテリーナを抱き締めている?

 なぜ、エカテリーナは、それを素直に受け止めている?


 そして何より違和感があったのは、辺境伯家兄弟の態度だった。


 あの、妹溺愛な二人が、エカテリーナを抱き締めるラシールを微笑ましそうに見つめていた。


 フィルドアが指一本でも触れようものなら、烈火の如く睨み付けてくる猛獣二人が。


 訳が分からないまま、王太子は再び意識を失う。

 長い戦いの疲れもあったのだろう。泥のように吸い込まれる意識の中で、フィルドアは延々と、何故を繰り返していた。




 今回の樹海の氾濫は各国で起きたらしく、幸いにも援軍の間に合ったタランテーラの被害は少なかった。


 夜半であったことも災いし、他の国々ではかなりの被害が出たようで、この国の損害が軽微だったのは、樹海の異変に気づき警戒していた辺境伯のおかげだと、国中が感謝に沸き返る。


 そして中でも、戦場を縦横無尽に走り回っていた少女に人々の関心は集まっていた。


 獣を切り払い、民を避難させ、兵士達の指揮を取る勇ましい乙女の姿。神々しさまで感じるほどに美しい顏。

 それが王太子の婚約者であり、辺境伯令嬢だと知った民らは、畏敬と崇拝にも近い面持ちで、祈るように王宮を見つめる。


 ありがとうございました。


 人々の眼に浮かぶ感謝は、嫌が上にもエカテリーナを王族へと押し上げていった。




「勇ましくもお優しいお妃様の話題で市中は持ちきりらしいな」


「いずれ離縁するのにな。夢を見せても良いのかな?」


「その話、もっと早く知りたかったんだけど?? どうするのさっ、俺、フィルドアに悪知恵貸しちゃったじゃんっ!!」


 新聞片手に暢気な呟きを洩らすのは辺境伯家兄弟。それを忌々しく睨み付け、がっくりと頭を項垂れているのはラシール。


 実はこの三人、エカテリーナを含めて幼馴染みである。

 まだ洗礼前のラシールとエカテリーナは、ひょんな事から樹海で知り合い、隣領地だったラシールは、辺境伯騎士団に武術を習いに足げく通っていたのだ。

 長年の付き合いがあり、辺境伯家からは家族同然の扱いを受けている。


 学園ではもちろん一線をひいていた。エカテリーナは王太子の婚約者候補だ。下手に親しくして、妙な誤解は受けたくない。

 ラシール自身もフィルドアの側近となる事を狙っていたため、弁えた行動をとる。


 その動機は、明らかに歪でゆがんだものではあるのだが。


 婚約者候補ではなく婚約者になったのだ。未来は確定した。ならば、実は幼馴染みだったんですと暴露しても良かろうと、ラシールは以前のようにリーナ呼びをする。


 フィルドアは、それに違和感を持ったようだが、構うものか。

 妹同然な幼馴染みを掠め取っていったんだ。精々、悋気を起こして転げ回るが良い。

 

 そんな意趣返し的な暗い思惑もあった。


 しかし、今になって真実を知る。


 契約が確定したからと、辺境伯家兄弟は、初めてエカテリーナの悪役令嬢計画をラシールに教えてくれた。

 その片鱗はラシールも掴んでいた。あのエカテリーナの豹変ぶりを見れば、何かしら訳があるのだろうとは察することが出来る。

 だから、あの日、ラシールは王太子に策を与えてしまった。


 舞踏会で婚約が整い、エカテリーナが正妃に確定した日。


 契約の条件を聞き、ラシールはしばらく考えてから、フィルドアに耳打ちした。


「それって王太子でなくば半分は無効に出来るぞ?」


 王太子には寝耳に水な発言だった。


「ついでに、彼女を王位につけたら、全て無効になるぞ?」


 ほくそ笑むラシールに、天啓を受けたかのごとき衝撃受けるフィルドア。


 条件の殆どは王家と彼女にまつわる事だ。彼女自身が王となり、婚姻を解消する必要が無くば、白の婚姻である必要もない。

 エカテリーナが女王となれば、王太子を辞したフィルドアが王婿となるのも自然な流れだ。


 問題はどうやってエカテリーナを王位につけるか。


「簡単だよ。おまえが王太子を辞めれば良い。そうすれば、お前の子供を次代にしたい貴族らが、緊急措置的な理由をつけて勝手に彼女を女王にしてくれるさ。ただし、国王夫妻には説明しておけ。いずれ元サヤに収まるとしても混乱は必須だからな」


 確かにそうだ。今回のみの変則的な形で婚姻が成されても、次代の王がフィルドアの子供なら、結果的に元に戻る。

 フィルドアが王太子を辞すれば、残るは七歳の弟王子のみ。

 既に齢六十近い父王の事を考えても他に選択肢はないだろう。


 ただ、この計画の中心はエカテリーナだ。彼女が王婿としてフィルドアを厭えば話が変わってしまう。 


 他の貴族らも黙ってはおるまいし、最悪、国を割る内乱が起きかねない。


 しかし、確信もある。


 エカテリーナは決して人々を苦しめる選択はしないと。

 彼女の優しさにつけこむ謀だ。最悪、彼女から唾棄するような謗りを受けるかもしれない。

 辺境伯らからも信頼を失い、針のむしろに座るような人生を送る可能性もある。


 それでも.....


「やるんだろ?」


 ニヤリと人の悪い笑みを浮かべるラシールに、フィルドアは大きく頷いた。

 エカテリーナを正式な妻とする絶好のチャンス。これを逃せる訳がない。

 覚悟を決めたフィルドアの瞳を確認し、ラシールはさらに計画を詰める。


「問題はエカテリーナ嬢の心象だ。すでに最悪なんだと思ってるだろ、お前」


 これまでの自分の態度や言葉を思いだし、情け無さそうに頷くフィルドア。その姿に思わず噴き出し、ラシールは軽く手を振った。


「大丈夫だから。エカテリーナ嬢は、お前の暴言もなんも、全く気にしてないから。今の彼女を見れば分かるだろう? 大して好かれてもいないが、嫌われてもいない」


 言われてフィルドアは納得する。


 確かに彼女から嫌悪のようなモノを感じた事はない。....逆に自分が嫌悪丸出しで針ネズミのような態度であった事を思い出して落ち込むフィルドアである。


 全く正直な奴だよ。何を考えたのか丸分かりだ。


 過去の己を悔いているのだろう。正論なれど、彼女を傷つけてきた事をようやく自覚したフィルドアを微笑ましく眺め、ラシールは彼に言い聞かせた。


「正直に話せ。自分の愚かさも、彼女への想いも。お前は謀に向かない。何も考えるな。自分に正直に想いを伝えろ。それだけで、彼女なら分かってくれる」


 真摯に諭すラシールの瞳には不可思議な光が宿っている。

 それに首を傾げ、フィルドアは何故にそう思うのか尋ねた。

 しばし瞠目し、ラシールは苦笑しながら答える。


 そんなん見てたら分かるだろうと。


 フィルドアの恋心も、エカテリーナの優しい心根も。


 こういうのを慧眼と言うのだろうか。フィルドアが気づきもせず、右往左往し、のたうち回っていた問題に一筋の光明を示してくれた。

 ラシールに御礼を言い、国王夫妻に相談すべく、フィルドアは大広間に戻っていく。


 それを見送りながら、彼は獰猛に眼をすがめ、残忍に口角をまくり上げた。

 人ならざる殺気を放ち、それを落ち着けるべくテラスへ凭れかかる。


 見てたら分かるさ。もう、十年も見つめ続けて来たんだからな。を。


 彼女が常にフィルドアと共にいるから、自分も共にいた。

 彼女の言葉や態度とは裏腹に、僅かな熱量も感じない眼差しから、王太子に愛情を持っていないのは察していた。

 何ゆえ彼女が悪女を演じているのか知らないが、婚約者候補になる前の彼女の知るラシールは、彼女に某かの考えがあるのだろうと、疑問を口にはしなかった。


 卒業ダンスパーティー当日。仏頂面な王太子を面白そうに眺めながら、ラシールは婚約者候補の中から彼が誰を選ぶのか楽しみにしていた。そしてふと彼女を思い出す。

 悪女たる彼女が王太子の婚約者にはなれまい。そこでようやくラシールは彼女の意図を理解した。

 婚約者から外れるために、悪女を演じていたのだと。


 悪辣非道と言われる暴挙の数々。たしかに誉められたモノではないが、ラシールから見たら多少苛烈な程度である。

 姿形は下品スレスレなれど、そんなモノで彼女の魅力を隠せはしない。それを理解しない馬鹿な貴族らへの虫除けにもなるし問題ない。


 王太子の婚約者候補から外れれば彼女に求婚出来る。


 彼女が王太子の婚約者候補になってから、歯噛みし続けた八年間。それがようやく終わろとしていた。


 しかし、結果は惨憺たる有り様。


 人に本気で殺意を抱いたのは初めてだ。


 .........それでもラシールはタランテーラの貴族である。


 国王を支え、国を栄えさす責務を担う者だ。この矜持に傷をつける訳にはいかない。


 出来うるなら彼女の幸せに貢献したい。それがラシールに残された最後の選択肢であった。


 ゆえに全力でフィルドアの恋の成就に協力する。たとえ血を吐く思いであろうと、彼が一生エカテリーナを大切にするよう仕向ける。


 そして一生、二人の傍に仕えるのだ。


「マゾか、俺は」


 それでもエカテリーナの笑顔と共にありたい。


 拗らせも極まれりな人間が此処にもいた。


 こうして人知れず1つの恋物語が終わりを告げた。


 ..........はずだった。


 フィルドアから聞いた話では、出来れば側妃を迎えてもエカテリーナを妃のままにしておきたいとか、出来るなら、エカテリーナと正しい夫婦となりたいなど、王太子の願望混じりな話だった。


 それが、なに? 辺境伯家の話と総合すれば、実はいずれエカテリーナは自由になる予定??


 ふざけろよ、神様っ! 俺の苦悩を返せっ!!


 辺境伯家が、今後を確定出来るまでラシールに話せなかったのは分かる。しかし....... 


 ああ、もう良い、俺のやりたいようにやる。貴族なんてクソ食らえだ。そんな爵位は弟にくれてやる。


 瞳を爛々と輝かせ、ラシールは諦めた恋心を甦らせた。

 策を与えたのは自分だが、全力で妨害させてもらおう。


 そう心に誓い、ラシールは愛しい少女を脳裏に描いて、人知れず陰惨に微笑んだ。





 

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