第42話 悪役令嬢はじめますっ! ~後編~
「だから、戻って来いっつーの!!」
「やだ」
子供かっ!!
四十近くにもなって結婚もしないわ、王宮勤めやめるわ、実家領地にひきこもるわ、何を考えているのか、全く分からない。
亡くなった女王の側近筆頭であった男は、飄々とした雰囲気の優男だった。
しかし、その実力は騎士団長をも唸らせる折紙つき、さらには政務や執務も右に出る者がいないくらい有能な男である。
女王が亡くなり自分が王となったが、二十年ほど前に起きた多数の事象により、未だ不安定な国内を統べるには、有能な片腕が必要だった。
比翼と呼ばれた愛しい妻を失い、さらには懐刀たった有能な筆頭側近も失うとか、どんな罰ゲームだよ。
泣きっ面に蜂も良い所だろうが。
こうして国王自らが迎えに来ていると言うのに、この男は眉一つ動かしはしない。
「頼むよ、ラシール。戻ってきてくれ」
「ふざけるな。あの女が居る王宮になど脚を踏み入れたくもないわ」
鋭利な視線でラシールはフィルドアを睨めつけた。
事の起こりは十年前。
最愛の妻、エカテリーナが末娘の出産で亡くなり、二年後にフィルドアは後添えの妻を迎えた。
本当は迎えたくなかったが、一国の王が独身なのは外聞が悪い。子供らにも母親が必要だろうと、状況を理解してくれる女性を迎えたのだ。
だが、それが失敗だった。
新しい王妃は外面が良いだけの口の上手い女だったのだ。
フィルドアには上手く誤魔化し、王子らのみを大切にして、王女であるシュリーナには辛く当たっていた。
シュリーナを生んだためにエカテリーナは死んでしまったのだという蟠りがフィルドアにあり、それを知る王妃は増長した。
知らなかったは言い訳にならない。
それはエカテリーナとの確執のさいにも思い知った事だ。
さらに運悪く、毎日泣いていた王女を見つけたのがラシールである。
泣き暮らすシュリーナを保護し、フィルドアを殴り付け、辺境伯に王女を預けると、ラシールは王宮を辞してしまった。
辺境伯から王女を返してもらうにも苦労したが、ラシールを戻すにも、さらに苦労しているこの現状。
自業自得ではあるが、腑に落ちないフィルドアだった。
なんか、いつも見合わない苦労ばかりしてるよな、俺。
事態が明るみに出て、王妃と離縁しようと思ったフィルドだが、間の悪い事に王妃は懐妊していた。
結果、離宮に幽閉という形しか取れなかったのである。
「我が子を見棄てる訳にもいくまい。呑み込んでくれ、ラシール」
「シュリーナ様は見棄ててたのにな。都合の良い事だ」
フィルドアの頭が、カッと沸騰する。
だが返す言葉がない。
「リーナをお前に譲るんじゃなかった。浚ってでも奪い取れば良かった.....っ。後悔なんて、もう沢山だっ!! 忘れ形見すら失う所だった!!」
絶句するフィルドアを睨めつけ、ラシールは凍えた刃のごとき炯眼を携えたまま、席を立った。
「貴族としての義務は果たした。これ以上、俺に望むな」
完全に切り捨てる訣別の言葉。
なんだ? 何を言っている?
フィルドアには、ラシールの言葉の意味が理解出来ない。
恋に殉じた男は、最愛が儚くなった事で脱け殻同然になっていた。
もう何も考えたくはない。このまま彼女を想い、ゆるゆると朽ち果てていきたい。
しかし、そう考えるラシールの殻をブチ破る強者がやってきた。
バンっと開かれた入り口に立つのは彼の御令嬢。
母親譲りの黒髪に黄昏色の瞳。
「おじ様っ!! わたくし悪役令嬢になりましたのよっ、気高く美しく、おじ様の御側でお仕えいたしますわっ!!」
「シュリーナ?」
呆気にとられる父王を一瞥し、シュリーナは扇で口元を隠したまま唾棄するような眼差しを向ける。
「嫌だわ、なぜ御父様がおられるの?」
冷たくすがめられ、温度の消失した瞳。エカテリーナの若い頃のドレスだろうか。見覚えがある。
懐かしいその姿に、ラシールの唇が戦慄いた。
「リーナ...?」
その呟きを拾い、しっとりとした微笑みで少女は瞳に弧を描く。
「はい、ラシール様」
バラ園で抱き締めてから八年。幼かった少女は立派な淑女になっていた。
ああ、君は此処にいた。
奇しくもそれは、ラシールがエカテリーナを待ち続けた日々と同じ年数だった。
「リーナ.... リーナっ」
夢現のラシールは、シュリーナを抱き締めた。
君はここにいる。この少女の中に。
抱き締め合う二人を茫然と見つめ、フィルドアは一人蚊帳の外で困惑している。
いきなり娘のラブシーンを見せられるとか。新手の罰ゲームか?
やくたいも無い事を考えるフィルドアの視界で、二人は見つめ合い、無邪気に微笑む。
こうして一気に事は解決し、シュリーナとの婚姻を条件にラシールは王宮復帰を受け入れた。
フィルドアに反論の余地はなく、満面の笑顔で娘は思い切り良く嫁ぎ、ラシールは宰相の地位とともに公爵位を受け、領地はないが王都に広大な屋敷を用意してもらった。
「悪いな、フィルドア」
「娘の門出だ。ケチな事はやらん」
罪悪感もあるのだろう。
ラシールは苦笑し、可愛い花嫁を見つめる。
リーナ.... いや、シュリーナだ。
彼の御令嬢を生き写しにした姿形。さらには優美で、しっとりとした佇まい。
まるで彼女が戻ってきたようだ。
「今度こそ幸せにするよ、リーナ」
「....いいえ、わたくしが幸せにしますわ、旦那様」
虚ろなラシールの淀んだ瞳。
壊れかけた彼が夢現の中をさ迷っているのだとシュリーナは知っていた。
エカテリーナ仕込みの聡いミルティシア夫人は、ラシールの恋心に気づいていたのだ。
エカテリーナ本人も、しばらくして気付いたという。
「哀しい人よ。国を支える貴族として、己を犠牲に出来る強い人でもあるわ。だけど限界だったのでしょう」
ミルティシア夫人とシュリーナは、彼が書いたであろう物語の本を静かに見下ろした。
これは彼が手にいれたかった切ない未来。
シュリーナは、挑戦的に眼を輝かせ、ミルティシア夫人を見つめる。その深い瞳の中に、夫人は彼の御令嬢が女王となった時の光を見た。
「御母様の代わりでも構いません。わたくしはラシール様をお慕いしております。御母様を忘れるくらい幸せにして差し上げたいですわ」
シュリーナが辛くて死にたかったあの日。
救ってくれたのはラシールだった。
シュリーナを抱き締め、父を殴り倒し、母の実家である辺境伯家まで送ってくれた優しい人。
あの日、わたくしは白馬の王子様を見つけたのだ。
「あの方が哀しいのなら、わたくしが寄り添います。つけこんで妻になり、わたくしで一杯にして差し上げますわっ!!」
「つけこんで..... 素敵ね。情熱的だわ」
「だって、わたくし悪役令嬢ですもの。どんな困難も味方につけて転機に変えてみせます、夫人から教わった五年間を無駄にはしません事よっ!」
そう誓ったシュリーナは、ラシールを甘やかしまくり、いつの頃からか、ラシールは彼女をリーナではなくシュリと呼ぶようになっていた。
宣言どおり、夢現なラシールの錯覚につけこんで花嫁となったシュリーナだが、彼がリーナでなく、シュリと呼んでくれた時には大泣きする。
お帰りなさいと何度も叫び、抱きつく可愛らしい妻を、ラシールも甘やかしまくった。
長い夢現から抜け出し、現実に眼を向け始めた彼は、いずれ新しい恋物語を書くのだろう。
きっと、その物語からはIFの文字が削られているに違いない。
二千二十一年 三月二十日 脱稿
美袋和仁
後書き。
これにて悪役令嬢物語完結でございます。
連載版が先にあり、こちらには改訂版から投稿してしまったため、回りくどく分かりづらい事になってしまいました。ごめんなさい。
でも、これで肩の荷がおりました。
ここまでお読み頂き、本当に、ありがとうございます。
皆様に心からの感謝を込めて。
さらばです♪
By.美袋和仁
《改訂版》悪役令嬢やめますっ!! ~バットエンドから始まるハッピーエンド♪~ 美袋和仁 @minagi8823
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます