第五夜 夏の魔物②

 せっかくなので、サンマートに行ってみることにした。というのも、深見さんと飲んだ公園から俺の家はそう遠くはなく、どうやら少し歩けば、葉室はむろ学園大学までたどり着けるようだ。

「あ、意外と近いな。駅にも近い……へぇ、知らなかったなぁ。あの辺、大手のコンビニだけだと思ってたのに」

 サンマートは、深見さんの言う通り、国道沿いの葉室学園大学近辺にあるということが地図アプリで証明された。

 いくらか土地勘はあるのだが、駅周辺の西側にはあんまり足が向かない。学生が多い街というイメージなので、用事がない限り行かないのだ。

 どんよりと暗く、空は重たい灰色だった。足元を見ると、水たまりが大人しかったので、傘を閉じて歩いた。これで、いくらか歩きやすい。

 何本か小道があり、細長い敷地が続く。

 軽快に歩くこと数分、三叉路に位置する公園からぐるっと回り込むと、家屋の間からそれは突然現れた。

「う、おぉぉ……」

 思わず奇妙なうめき声みたいなのが口から飛び出す。

 サンマートは、なんとも反応しにくい店構えだった。太陽にやけにリアルな目と鼻、口が描かれたマークの看板と、オレンジと紫という謎の配色をした横縞の帯が店の上部にある。「サンマート」とカタカナで描かれた店名は、若干ペンキが剥がれていた。入り口も自動ドアではなく、傷だらけの重たそうなガラスのドアである。

 そして、店の中でなぜかオモチャを広げて遊ぶ園児の様子が外からでも窺えた。

「思ってたよりも手強そうな店だ……」

 俺はおずおずと店の中へ入った。店員の姿はない。よく似た顔の子供が二人、男の子と女の子がそれぞれ車と人形を持って、地べたに座っている。オモチャの線路をつなぎ合わせていた。

 俺はその様子を唖然と見ながら、子供たちの横を通り過ぎた。すると、子供たちがその場で動きを止める。そして、何やらレジの向こうへと引っ込んだ。

「とうちゃーん」と、両方が同時に呼ぶ。

「どうなってんだ、この店……」

 確か、深見さんは個人商店だと言ってた。だからって、店の中を子供の遊び場にしていいわけがない。オモチャは出しっぱなしである。

 店内はコンビニ然としていた。文房具、日用品のコーナー、お菓子、パン、惣菜コーナーと入り口から順に置かれた棚に陳列されている。

 店の奥にはお茶やジュースなどのソフトドリンクも置いてあるのだが、異様だったのは酒コーナーが棚一列を占めていること。焼酎や日本酒、洋酒の量が異常に多く、そこだけが普通のコンビニとは違う。乾き物系のおつまみも多い。

 俺はまず、惣菜コーナーで冷やし中華を探した。

「あー……ないな……」

 もう閉店間際なのか、弁当類がほとんど残ってない。残り物と思しき冷やしラーメンをカゴに入れる。そして、店の奥にある酒コーナーへ。

「しかし、どれを買えばいいか分からないな……もう少し調べてから来るべきだったよ」

 大きな酒瓶にビビりながら、ブツブツと呟く。

 そう言えば、このコンビニ付近には魔女が現れるとか。ここで超絶妖艶な魔女様が現れて「君にはこのお酒がいいわよ」なんて言われたら、それならこの異質さもすんなり受け入れられるだろう。まぁ、変人には変わりないので、あまり関わりたくないけど。

 そんな邪な思いを抱いていたからか、背後で何やら動きがあった。

「いらっしゃいませぇ」

「っ!?」

 やる気のない男の声が聞こえ、すぐさま振り返る。

 そこには、ボサボサの長髪と無精髭を生やした中年の男がいた。なんとも不似合いなサンマートのエプロンを着用しており、眠たそうに子供を二人、小脇に抱えている。

 名札を見ると「店長」としか書かれていない。

「すいませんね。うちの子たちが迷惑かけて」

「あ、いえ!? 全然、そんなことは……」

「あれ、そう? それなら良かった」

 店長は子供たちを抱えて踵を返した。そして、入り口付近に置いていたオモチャの方へフラフラ向かう。やがて、彼のイライラとした声が聴こえてきた。

「もぉーーーーーー……だから、店でオモチャ出すなって言ってんだろぉー……くそっ、めんどくせぇなぁ、もぉーーー」

 盛大な嘆きである。どうやらかなりお疲れの様子らしく、俺は彼をそっとしておこうと決めた。店長はオモチャを回収し、またレジの向こうのバックヤードへ戻っていく。

 子供たちはオモチャを取り上げられたので、いたく不満そうに雑誌コーナーで漫画を読み漁っていた。

 無法地帯という言葉がもっともふさわしい。これはもうさっさと退散したほうが良さそうだ。

 しかし、目当ての酒を買わずに帰るのは惜しくあり、また雨が降ってきたものだから、妙な意地が働く。

 俺はカゴを持って、子供たちの前を通り過ぎながらレジへ向かった。

「すみませーん」

 声をかけてみる。

 酒のこと、教えてもらいたい。美味い酒を教えてもらったら、もうそれでいいし、それを買って帰りたい。そんなことを考えていると、あの店長が顔を出してきた。先ほどよりももっと疲れた目をしている。どろっと濁った瞳で俺を恨めしそうに見ていた。

「はい」

「いや、あの、ここって美味しいお酒置いてるって聞いたんですけど……」

「すまんが、今は取り込み中だ」

 店長は苛立ちを隠しもせず、ピシャリと言い放った。そして、背後を指差す。俺はそっとその様子を覗いた。

 客をほっぽってまで取り込む用事ってなんなんだ。そう思っているも、すぐに理解する。

 いや、理解しがたい光景ではあった。

 薄暗いバックヤードにいたのは、若い男女。男性の方は女性をなだめすかそうと両手を挙げている。女性は涙と怒りで顔を歪ませて男を殴りつけようとしている。とんでもない修羅場な現場であり、確かにこれは子供たちを店に放置するのも分かるような気がした。

 いや、店の中で喧嘩するなよ!?

 そんなツッコミはできなかった。

 代わりに、俺は素っ頓狂な声を上げた。

市田いちだくん!?」

 そう。殴りつけられようとしている男はなんと、俺の後輩である市田ともだった。

「えっ! 喜多屋さん!?」

 市田くんが青白い顔で俺に気づく。

「あれ? 何? おたくら、知り合い?」

 店長が驚いて言う。そして、彼は何やら思い立ったように俺の肩を掴んでレジの中へ招いた。

「そいつは良かった。オレじゃもう収集がつかん。あんた、市田の友達なら、喧嘩の仲裁してくんない?」

「はぁ? どういうことですか? なんで俺が!」

「オレは子育てで忙しいんだわ。いやぁ、助かるなぁ。はい、よろしく頼みました!」

「店長、んな無責任な!」

 市田くんも驚愕する。

 しかし、店長はどこ吹く風であり、子供二人をまた小脇に抱えてバックヤードのさらに奥へ続く母屋らしきドアの向こうへ引っ込んだ。

「店長〜〜〜〜〜〜〜っ!!」

 市田くんの嘆きがこだまする。

 一方で、女性は俺の登場に、少しばかり冷静になっていた。

「……誰?」

「あ、あの、市田くんの同僚の、喜多屋と申します……」

 俺は素早く簡潔に自己紹介した。

 慣れない場所で殺気立つ女性を前にすれば、まな板の鯉である。仲裁なんてできるはずがなく、ただただ彼女の眼光に怯える。

 俺は市田くんの横に行き、さっと耳打ちした。

「どういう状況?」

「彼女と別れ話してるところです」

 市田くんはボソボソと小声で説明した。短いながら分かりやすい。普段もこれくらい簡潔に商品の説明ができたらいいのにな、と現実逃避してしまう。

 察するに、彼女の方は市田くんと別れたくないのかもしれない。市田くんが切り出す別れ話に目を血走らせて激高し、泣きわめいていると見た。なぜか、コンビニのバックヤードで。

 意味は分からんが、それが現実である。

「ねぇ、莉央りおさん……別れるなんて、そんな一方的に言われてもさ」

 市田くんがおそるおそる言った。

 そっちかい! おまえが別れ話させられてんのか!

「別れるったら別れる。もうこれ以上は許せない」

 莉央さんは鼻をすすりながら言った。

「おまえ、いつもいつも家賃は出さないし、ギャンブルに使うし、結婚する気ないし、いつまで経っても甲斐性なしだし」

 莉央さんの言葉に、俺はそっと市田くんを見遣った。彼はそっぽを向いてしまう。どうやら本当のことらしい。

「市田くん、君はそんな最低なやつだったのか。見損なったぞ」

「半分は話盛ってますよ! 確かにギャンブルはやるけど、月に二回しか行かないし! 数少ない俺の趣味です!」

「でも家賃は出さないんだな」

 俺が威圧的に言うと、市田くんはしゅんと項垂れた。すると、莉央さんが急に揺らめいた。そして、市田くんの胸ぐらを掴む。まるで慣れたように。

「今日という今日は許さない! 家賃払え! 金を置いてけ!」

 ものすごい剣幕である。しとやかそうに見える重たい色の髪の毛の向こうに、金色に煌めく何かを見た。昔は多分、かなりやんちゃだったのでは。そんな想像をしてしまう。

 だが、俺は止める気はなく、その様子を腕を組んで見ていた。

「喜多屋さん! 助けてくださいよ!」

「いや、俺はおまえを助ける必要はないと判断した。殴られても文句は言えねぇよ。市田くん、とりあえず金を払え」

「今、手持ちないですよ! 給料日前だし! 大体、莉央さんの方が給料高いんだから、ちょっとくらい譲歩したっていいでしょ! 電気と水道代は俺が出してるんだし! それで、話がついてたはずじゃん!」

 市田くんの主張は、もはや負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった。これ以上の醜態はないだろうに、さらに自分の立場を悪くしているのが分かってないのか。

「市田くんよ、あまり無駄な喧嘩はするもんじゃないよ」

 揺さぶられて目を回す後輩に、俺は冷たく言い放った。まぁ、彼女の性格もなかなかキツイのかもしれないが、それとこれとは話が別だ。

 金回りのことは折半に限る。でないと、こうしていちいち金のことで無駄な喧嘩をしてしまう。俺は、彼女と付き合う前に祖父ちゃんからそう教えられたことを思い出した。先人の知恵を侮ってはいけない。

「結局、彼女は納得してないんだし、きちんとお互いに話し合って解決しなさい」

 ビシッと人差し指を突きつけると、市田くんはぐったりとして「はい……」と頷いた。これに、莉央さんは勝ち誇ったように鼻息を飛ばし、市田くんを床に捨て置いた。さながら、勝者のごとくふんぞり返る始末だ。

「……で、別れるんですか?」

 少し、話が途切れたので、俺はおそるおそる莉央さんに訊いてみる。

 すると、彼女は若干の迷いを見せた。

「実は……こういう喧嘩は何度もしてるんです」

 莉央さんはその場にあったパイプ椅子に座って言った。足を組んで、不機嫌をアピールしている。まぁ、そんな予想はしてましたけどね。

 すると、騒ぎが収まったのを見計らったかのように、店長が現れた。

「その度にここで喧嘩されて、いい迷惑なんだけどなぁ」

「あんた、そこで話聞いてやがったな」

 市田くんがふてぶてしく言う。どうにも彼らは随分と親しい間柄のようだ。店長はタバコを口にくわえ、バックヤードのデスクに置き去りだったライターで火をつける。

 このコンビニ、喫煙オーケーなのか……なんて、そんな場違いなことを思う。

「でもよ、オレに言ったところで解決しねーじゃん。いつものことだろ。大体、おまえらはもう大人なんだから、自分たちで解決しなさいよ。な? あんたもそう思うだろ」

 突然、店長が俺に話を振る。

「え? あ、あぁ。うん。そうっすね」

「ほらぁ」

「そんな勝ち誇ったドヤ顔で言われたらムカつくなぁ」

 莉央さんが不機嫌たっぷりに言った。

「まぁ、店長に諭されてもムカつくだけだしなぁ」

 市田くんまで同意する。妙なところで意気投合するカップルだな。仲がいいのか悪いのやら。

「奥さんとヨリ戻してから言ってくれよ、店長」

「そうだ、そうだ! 奥さんとヨリ戻してから言え! でなきゃ、あたしらのこと偉そうに言えないぞ!」

「店長がそんなだから、俺たちも仲良くできないんだよ!」

「うるせぇっ! オレはおまえらの保護者じゃねぇんだよ! それに、オレは別に離婚したわけじゃねぇ!」

 店長が怒る。その怒りはもっともだと思うが、余計に火をつけてどうするんだと頭を抱えそうになる。だが、三つ巴の戦いが始まりそうなこの空気をぶち壊す勇気は、俺にはなかった。

 なんだか妙なことになってきたな……。

 俺は彼らをじっとりと見遣った。

 話を整理すると、市田くんと莉央さんは別れ話をしていた。何度もこのコンビニで喧嘩している。また、店長とは親しげであり、この店長もどうやら奥さんとうまくいっていない。

 美酒と魔女を目指してやってきたのに、現実世界の修羅場を見せられて、夢から醒めた気分になった。

 とりあえず、一つ言えることは「を巻き込むな」である。

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