第五夜 夏の魔物

樺崎町、三叉路公園にて魔物の影を見る

第五夜 夏の魔物①

 大学生の頃、彼は彼女に出会った。

 その当時、てらったものに憧れていたという彼は、キャンパス内でソフトボールをお手玉のように操るその女子生徒に近づいた。

 なんとなく話をし、そこから酒を一緒に飲むようになり、ガンガン飲まされて、挙げ句に酔い潰された──のだという。

 そうして彼女はカップ酒片手に彼の前に現れるようになった。どうも懐かれたらしい。

「佐原は、周囲に流されずに自分をしっかり持っているタイプなんですよね。僕は流されやすいものだから、なんだか惹かれてしまって……いやぁ、いい女でしたよ、彼女」

 深見精巧はしみじみと語った。

「美化しすぎてません?」

 感傷に浸る彼には悪いが、俺は即座にツッコミを入れた。

「まぁ、それはありますねぇ……何度か関係を持って、それからしばらく会わなくなって、なんだか自然と別れて。でも、たまに会って話して、酒を飲む。そういう感じですね。だから、佐原には綺麗な思い出しかないんです」

 深見さんは至って真面目に言う。

 俺は反応に困った。すると、彼はいたずらっぽく笑って続けた。

「彼女は褪せないんですよ。ずっとあのまんまで綺麗。なんと言っても……」

 なんと言っても?

「足が綺麗」

「足の話かよ!」

 しっかり溜めて言うものだから何かと思えば。つい強めに言ってしまったじゃないか。

 深見さんは足のフォルムをかたどるようなジェスチャーをした。

 まぁ確かに、彼女の生足は綺麗だった。

 ほどよく締まったふくらはぎとアキレス腱が唐突に脳裏をよぎる。あのバカでかいエアコン自転車を乗り回しているだけはある、しなやかな美脚だ。

「でも、佐原さんを性的に見るのは多分、深見さんくらいですよ。絶対そうだ。柴雄くんだって、そんな風に接してなかったし、何より佐原さんは怪人ですし」

「そうですねぇ……佐原は三年の時に留年してて、それから柴雄くんと知り合ったみたいですよ。それからというもの意気投合して、ずっとつるんでるようで」

 そして、彼は惜しむようにため息をついた。

「……あー、羨ましいなぁ」

「羨ましいんですか? マジですか? そんななら、きちんと付き合えば良かったじゃないですか」

「いやいや、きちんと付き合うのは難しいです。だって相手は怪人ですよ? まともに付き合って、まともに一緒に住んで、そのあと結婚……とか、ちょっと想像つかないし」

「そこはちゃんと考えたんですね……」

「まぁ、当時はそこまでのことを考えてはいませんでしたけど」

 大学生の頃なんて大抵そうだよな……しかも、佐原さんを怪人だと認識までしてるし。

 とにかく、彼にも常識というものがあったらしく、俺は少しだけ安堵した。

「というより、彼女が僕を彼氏として認識してなかったんですよ。適当な遊び相手でしかなくて」

「じゃあ、もてあそばれてたのは深見さんだったわけですね」

「そう。食われたのは僕の方でした。割と最初からね」

「なるほど……」

 げんなり言うと、深見さんはなんだか優しく頷いた。

 そんな彼に俺は呆れた視線を投げつける。

「……加苅さんとは、ちゃんとうまくやってくださいよ」

「大丈夫です。ちゃんとしますって」

 彼はしっかりと陽気に答えた。そして、惣菜をパクパク口に放り込む。あっという間にたいらげて、残ったビールを一気に飲み干し、缶をぐしゃりと潰した。

 それから、サラリと話を変えてくる。

「ちなみに、この町には怪人がまだ他にもいるって知ってます?」

 こんなまともそうな人(というわけでもないが)の口から「怪人」というキーワードが出てくると、ものすごく残念な気分になってくる。

 俺は佐原さんと柴雄くんが言っていたことを思い出した。

「はい……なんだっけ、土偶?」

「そうそう、土偶。僕も一度だけ会ったことあるけど……なんというか、好奇心旺盛な僕でさえ近づきたくない不気味な人でしたね」

 深見さんは口元を引きつらせて言った。

 なるほど。そんな要注意人物なのか。絶対に遭いたくないな……。

「土偶もいるけれど……魔女は知ってます?」

「魔女?」

 馴染みはあっても、聞き慣れない。黒いローブに魔法の杖、箒を持った女が脳裏をよぎり、それでもよく分からずに首をかしげる。

 すると、深見さんは得意げに目を細めた。

「そっか、知らないんだ……じゃあ、ぜひ会ってみてください。こっから国道に出て、まっすぐ行ったところに葉室学園大学があるんですけど、その近辺に出没するんです」

「いや、待って待って。俺、別に怪人とは関わりたくないんで」

 そう言いつつ、俺はここ最近身に起こることを脳内でコマ送りにし、思い出した。

 そもそも催眠術師に出会ったところからこうなることが決まっていたような気さえしてくる。腑に落ちない。

 そんな俺の拒否反応すら楽しむように、深見さんはクスクスと笑いながら言った。

「えー? でも面白いじゃないですか。やっぱりこの歳になっても非現実感を楽しむのは大事ですよ」

 そして、「あはは」と、自分が言った言葉に笑っている。そこには明らかに照れがあった。

「まぁ、魔女に会う会わないは別として『サンマート』っていうコンビニには行ってみてください。うまい酒が手に入りますよ。元酒屋の自営業コンビニなんで、二十四時間営業じゃないんですけどね」

「サンマート……覚えときます」

 うまい酒という言葉に、ちょっと惹かれてしまったのが悔しい。

 しかし、魔女か……この町、本当に大丈夫なのか? 異様に変人率が高いじゃないか。それとも世の中のほとんどは変人で形成されているのだろうか。俺の視野が狭いだけなのかもしれない。

 そんな風に考えていると、深見さんがゴミを片付けて立ち上がった。もうお開きにするらしい。

 俺も慌ててビールを飲み干した。一気に飲んだので、少しだけ酔いがクルリと回る。

「それじゃ、僕はこれで。話、聞いてくれてありがとうございました」

「いえ……あ、深見さん」

 ショルダーバッグをセットする深見さんに、俺は咄嗟に言った。

「じゃあ、怪人話のついでなんですけどね。〝ふぁんとむ境〟って分かります?」

「ふぁんとむ境……?」

 そこで深見さんは、初めて眉をひそめた。顎に手を当てて考える。

「えーっと、知らないですね……いや、待てよ。なんか、昔そういう名前の人がいたって、うちの営業部から聞いたような」

 真剣に考え始める。そんなに期待していなかったので、俺は拍子抜けしつつ返事を待った。固唾をのむ。だが、彼は俺の期待をあっさり打ち消した。

「……うーん。ちょっと調べないと分かんないですね。なんか、響きからして無名な手品師みたいな。芸人っぽさも感じますけど」

「催眠術師です」

「へぇぇ」

 俺とまったく同じような感動の薄い反応である。そして、彼は愉快そうに笑った。

「まぁ、どっかに記録はあるでしょ。うちの会社、この町のデータベースなので。なんか分かったら連絡しますね」

 そう言って、彼は軽やかにスマートフォンを出した。さすがは印刷会社勤務。情報漏えいについては問題ないのだろうかと少しだけ不安になるが、深見さんなら適当にごまかしてうまくやるだろう。また、奇を衒ったものが好きな彼ならば、このネタを逃すはずがない。

 それからは流れるように連絡先を交換し、俺たちはゆるゆると解散した。


 ***


 それから二週間ばかり過ぎた。

 やっぱり雨が降っていると外に出たくないもので、休日は家にこもることが多かった。

 梅雨前線は七月に差し掛かっても停滞のままで、いつになったら晴れるのか見通しが立たない。営業の仕事もこの時期が一番嫌だ。

 そして、無駄に暑い。本当に暑い。

 毎日毎日ムシムシムシムシ……

「あーーーーーーっ、やってらんねぇ!」

 土曜日。休日。

 しとしと降る雨に向かって俺は苛立ちを向けた。どうにもならない怒りであり、どこにも着地しない。無意味である。

 ゾンビを倒すゲームをひたすらプレイしていたのだが、この蒸し暑さのせいで集中できなかった。楽しいはずなのに、スッキリしない。

 ゲームオーバーになったので、コントローラーを放り投げて、俺はそのまま床に寝転がった。

 頭上にはエアコンが。

 ふと、佐原さんの顔が思い浮かぶ。「エアコンいらんかえ〜」と町を走り回るエアコン怪人が脳内で駆け巡り、慌てて消した。そうして毎度エアコンを入れるのが、なんだか敗北を感じるので扇風機で生きているわけだが。

「………」

 気分転換に外の空気でも吸おうか。

 ついでに夕飯を買いに行こう。こんな暑い中でカップラーメンなんか食えたもんじゃない。冷たい……そうだな、冷やし中華が食べたい。

 時刻は十七時。いい頃合いだ。

 こうして、俺はついに雨の中、外へ出ることに決めた。

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