第八夜 そして、新しい夜へ②

「喜多屋さん、今日夜ヒマっすかー?」

 それはいきなりやってきた。珍しく残業が早めに終わったらしい市田くんが自信に満ち溢れた顔で話しかけてきた。これに訝らないわけがなく、俺は顧客リストの整理を中断し恐る恐る訊いた。

「ヒマ……ではあるけど。何?」

「よし! んじゃあ、行きましょうか」

 俺の答えの上からかぶせるように言うと、市田くんは俺のカバンを勝手に奪った。

「いや、待って。どこに行くの? って言うか、俺まだ仕事残ってるし」

「いいからいいから! それ、喜多屋さんなら明日でも大丈夫ですって」

 楽観的に言う市田くんは、俺のカバンを持ったまま部署を出ていった。

「あ、おい! ……あぁ、原さんお疲れ様です! 今日はもう上りまーす!」

 キョトンとする原さんに慌てて言い残し、パソコンの電源を落としてすぐ市田くんの後を追いかけた。手ぶらのまま、何がなんだか分からず市田くんの後を追いかける。彼はエレベーターを降りた先で待っていた。

「で、どこに行くの? 俺、酒飲めないんだけど」

「まぁまぁまぁ」

「て言うか、君に酒が飲めなくなったこと言ったっけ?」

聞いてないっすね」

 市田くんは屈託なく笑い、俺のカバンを持ったまま歩き出す。奪い返そうにも鮮やかな手さばきで躱される。元バスケ部か。俺のカバンをボールみたいに扱うんじゃない。

 そんなことを交わしていると、見覚えのある公園にたどり着いた。

 十月の十九時はすでに陽が落ちていて肌寒い。白い明かりがその一団を照らし、俺は目を見張った。子どもたちのものであるはずの遊具には大の大人が数人寄ってたかっている。滑り台を滑るのはアシカ屋ことエアコン怪人とその後輩、佐原さんと柴雄くんだ。ベンチでは酒を用意する吉田くんの姿まである。

 俺は咄嗟に回れ右した。

「あ、喜多屋! おそーい!」

 滑り台を勢いよく滑り降りてフェンスに飛びつく佐原さん。突き破ってきそうな勢いで俺の前へ現れる。思わず「うわっ」と悲鳴を上げるが、彼女は構わずフェンスから手を出して俺のシャツを掴んだ。

「おーい、みんなー! 喜多屋来たぞー」

 そう言ってみんなに声をかける佐原さん。柴雄くんと吉田くんが同時に顔を上げる。一方の俺はバツが悪くなり、横でケラケラ笑う市田くんを見る。

「市田くん! これどういうことかな!?」

「先日、招集がかかりましてねぇ。酒盛りですよ、酒盛り。月見酒しましょう」

 そして彼は呆然とする俺を差し置いて公園の中へ入っていった。

「あとで店長も来ますし、パーッと飲みましょうよ」

「いや、でも……」

「でもじゃない!」

 ごねる俺の前で佐原さんがクワッと威嚇する。後ずさる俺。その後ろからドンと背中を押される。

「やぁ、こんばんは」

 爽やかな笑顔で登場したのは、今日は迷彩柄のTシャツを着た深見さんだった。ということは……

「まさか深見さんが佐原さんに?」

 背中を押されるまま公園に入るしかなく、せめてもの抵抗を試みながら訊くと、彼はあっさり「そうです」と白状した。もう開いた口が塞がらない。

「なんで言っちゃうんですか!?」

「だって、僕一人で背負うのは無理がありますもん。だから喜多屋さんの催眠術を知っている人に声をかけて、喜多屋さんを慰めようと。ついでに鳥飼さんとの仲を取り持つっていうのが今日の目的です」

 俺は自分の秘密が筒抜けな事実に驚愕していた。見渡せば、面識がなさそうな市田くんと吉田くんが照れくさそうに名刺交換している。

「ぼーっと突っ立ってないで、主役は滑り台に座りな!」

 佐原さんが俺の腕をぐいぐい掴み、滑り台の終点地点に座らせる。みんなは砂場にレジャーシートを広げて思い思いに座る。

 柴雄くんが率先してみんなに缶チューハイやビールを渡していく中、俺にはノンアルコールのチューハイが回ってきた。甘くないやつだ。

「ということは……みなさん、俺の事情は知っていると?」

「そりゃあ、最初聞いた時はびっくりしましたけどねー」

 柴雄くんがへらっと笑う。

「僕、てっきり佐原は喜多屋さんに無理やり飲ませるんだろうなって思ってたんだけど」

 そう言うのはこの会の元凶である深見さん。もしそんなことが本当に起きたらどう責任を取るつもりだったんだろうか。じっとりと見つめる俺の視線にはまったく気づいてくれない。

「さすがに酒飲めないヤツに無理やり飲ませるなんてできるわけないじゃん。アタシをなんだと思ってるんだ」

 佐原さんがビールのプルタブを勢いよく起こしながら言う。すると、その場にいた全員が顔を見合わせ、順に口を開いた。

「何って、唯我独尊?」と深見さん。「て言うか、暴風アシカ屋」と吉田くん。「何言ってんすか、これですよ。疾風怒濤のアルハラ女王」と柴雄くん。どよめく二人。それに対し「僕はよくわかんないけど、アルハラ女王って感じわかります」と市田くん。これに俺もうんうん頷く。すると、佐原さんは勢いよく立ち上がって抗議した。

「ひどすぎるだろ! おまえら、全員そこに並べ! 叩きのめしてやる!」

「はいはい、おとなしくしましょうねー、先輩。傷害事件起こしたら、それこそ今言ったの全部制覇しちゃうから」

「制覇しねぇわ! シバオ、おまえもう酔ってんのか?」

「そりゃあアンタだろ! ほら、今日は喜多屋さんを慰める会なんだから、暴れないでください」

 柴雄くんが佐原さんの肩をつかんで座らせる。まだ不服そうな佐原さんだが、おとなしくなったところで深見さんが辺りを見回した。

「えーっと、店長はまだ来てないんですね」

「あ、はい。もうそろそろ来ると思うんですけどねー……先に乾杯しましょっか!」

 市田くんが笑う。すると、公園の入口からノソノソとやってくる人影が見えた。

「おぉ、間に合ったな」

 相変わらずくたびれた様子の店長が風呂敷包みを持って登場だ。

「店長、遅い! 今何時だと思ってんだよ!」

 すかさず市田くんが立ち上がっていきり立つ。店長は風呂敷包みを掲げながら「まだ十九時だろ」とあっけらかんとした声で悪びれない。

「嫁さんがいろいろ作ってくれたんだよ。今日のつまみだ。たんと食え」

 そう言って店長はレジャーシートの中央に風呂敷包みを置いた。現れたのは立派なお重で、蓋を開けると全員が覗き込んで「おぉー!」と声を上げる。一段目にはスパムおにぎりといなり寿司、二段目にはうずらの燻製と枝豆、焼豚、三段目には唐揚げ、フライドポテトといった酒のつまみがぎっしり詰まっていた。

「カルパスとかミックスナッツ、ポテチもありますよ。はい、じゃんじゃん飲もう!」

 柴雄くんがテキパキ準備し、店長も腰を落ち着けたところで乾杯の音頭を取る。

「それじゃあ今日は喜多屋さんを慰める会、略して喜多屋会発足ということで、かんぱーい!」

「喜多屋会ってなんだよ!」

 思わず俺がツッコミを入れるも、全員なんの違和感も持たず自然に酒を飲む。俺は一歩遅れてノンアルコールのレモンサワーを飲む。うーん、物足りない……。

 みんなはそれぞれつまみを手に取って和やかに酒を飲んでおり、俺の寂しさには目もくれない。

「……で、みなさん面識ないのがほとんどだと思うんですが」

 俺は口を拭い、改めて言った。すると、深見さんが口を開こうとするのですぐに遮った。

「深見さんが佐原さんに言ったのは分かってます。で、佐原さんから柴雄くんに伝わったのも分かる。吉田くんは?」

「あ、佐原さんから聞きました」

 吉田くんはいなり寿司をもむもむ食べながら答えた。佐原さんはハイボールをごくんと飲み「ぷはーっ」と至福のため息を放っている。

「店長には僕から話しました」

 さらっと言うのは深見さんだ。まぁそうだろうと思ったよ。

「それで店長が市田くんに……なるほど、連絡網よりも正確に早く伝わってて怖い……」

 俺はやれやれと呆れてノンアルレモンサワーを飲んだ。

 全員知っている……ということは、俺がどうやって催眠術を解いたのかもみんな知ってるってこと……?

 俺は顔を上げ、恐る恐る深見さんの袖を掴んで訊いた。

「深見さん……どこまでを全員に話してるんですか?」

「どこまでって、全部知ってますよ。でないと伝わらないし」

「なんで全部言っちゃうんですかぁっ!」

 思わず腕にしがみつくと、深見さんは「あはは」と悪気なく笑う。

「だって喜多屋さん、あのままじゃ誰にも言わずにフェードアウトしそうだったし、あとは事情を知らない佐原に捕まって飲まされてアルコール中毒にでもなったら問題だし」

「おいそこ! アタシはそんな節操なく誰にでもガバガバ飲まさないわ!」

 聞いていたらしい佐原さんが鋭くツッコミを入れる。乱闘が始まりそうな気配なので柴雄くんと吉田くんがなだめに入る。

「まぁ、フェードアウトしちまうのは仕方ないとしてよ、鳥飼さんあのこのことまで保留にすんのは良くないだろ」

 店長がスパムおにぎりをつまみながら哀愁たっぷりに割り込む。市田くんもうんうん頷いてライムチューハイをぐびりと飲む。そして「あんたが言うか」と軽いツッコミを入れた。

 そう言えば、鳥飼さんを呼んでないということは深見さんもちゃんと人を選んでこのメンバーを呼び寄せたんだなと分かる。そんな謎の配慮を感じ、俺は居住まいを正した。

「んまぁ、酒が飲めなくてもさ、喜多屋は喜多屋だよ。フェードアウトなんて水臭い!」

 佐原さんが厳しい声音で言う。柴雄くんも「そうだそうだ」と野次を飛ばしながらナッツを口に放り込む。

「そうですよ! 喜多屋さん、俺がカットできるようになる前にいなくなったら困りますよ!」

 吉田くんも責めるように言う。

「ほら、喜多屋さん。酒が飲めなくてもみんな喜多屋さんのこと友達だって思ってんだから、一人でぐちぐち悩んじゃダメっすよ」

 市田くんが俺の背中を叩く。

 まったく……なんだよ、揃いも揃ってこっ恥ずかしいな。でも飲めないからと卑屈になっていたのは事実で、そう言えば俺はいつだってそういうポジションだったなと思い出した。酒が飲めないからみんなに気を使って飲み会に出ない、出たとしても幹事や注文の世話や会計に徹している。盛り上がる面々から一歩遠ざかって、どこか肩身が狭いと思っていた。多分、本当はそんなこと考えなくて良かった。こうしてみんなとワイワイ話をして楽しめば良かったんだ。俺は今までなんてもったいない時間を過ごしていたんだろう。

「……ありがとう、みんな」

 つい口をついて出た言葉もなんだか照れくさくて、すぐに笑ってしまう。みんなも冷やかすように笑って酒を飲み、つまみを食べ、夜を明かす。

「んで、鳥飼さんのことはどうするんですか?」

 市田くんが訊いてくる。本日のメインはおそらくこれなのだろう。それまで飲んで笑っていた全員が一斉にピタリと静まり返るから面白い。

「実は俺もどうしたらいいか分かんないんだよね」

「えーっ!? んなの、今すぐにでもドーンと告ればいいじゃん!」

 佐原さんが豪快に言うので、俺はつい声を荒らげた。

「それができないから困ってるんですよ!」

「ヘタレだなぁ! 好きなんだろ? だったらドーンと告れよ、男だろ!」

「先輩、それ言うとハラスメントっす。『男だろ』もダメ!」

 すかさず柴雄くんが鋭くなだめに入る。すると便乗するように市田くんが言った。

「今の時代、男だから告らなきゃダメってのはないっすからねぇ。でもまぁ、このままだと鳥飼さんもフェードアウトしそうだし、どっかでどちらかがドーンと行くしかないんですよねぇ」

「ドーンと行くんなら、やっぱ喜多屋からだろ。こっちはもう気持ち決まってんだから」

 店長が一升瓶を開けながら言う。いつの間にそんなものを持ち出してきたんだこの人は。そんなツッコミをする間もなく深見さんが口を開いた。

「いやいや、みんなしてドーンって。そんな勢いよくいかなくてもいいじゃない。なんかこう、いい雰囲気作ってそこから成り行きにまかせて……」

「深見が言うとシャレにならん。こいつの恋愛遍歴が一番タチ悪いんだからさ。喜多屋はまっすぐどストレートに告らせてゴールインさせたいんだよ」

 佐原さんが腕を組み、回らないろれつで言うのでそろそろ酒乱モードになりそうな気配を察知した。

「そもそも、もう喜多屋さんは元カノのことはきっぱり忘れられてるんですか?」

 そう訊いたのは吉田くんで、枝豆をモグモグ食べながら片手を挙げている。全員が彼を見たのでびっくりしたのか、吉田くんの枝豆がぴゅっと宙に飛んでいった。

「え、いやだって、みなさんその前提で話してますけど、元カノにまだ未練あるから喜多屋さんもドーンと行けないんじゃないんですか?」

 吉田くんの言葉に俺は顔をしかめた。

「そうなの?」

「まだ諦めてないの?」

 市田くんと柴雄くんが同時に詰め寄ってくる。その後ろでは大人の深見さんと店長がなんとも言えない顔をする。一方、佐原さんは勢いよく立ち上がった。もしやまたガツンと説教をしてくるのかと思いきや──違った。

「ねぇ、みんな。あそこに女がいるんだけど」

 彼女が指差す方向……公園の入口付近でうろつく女性の影があり、そのシルエットに敏感に反応したのは俺だけだった。

「舞香!?」

 すぐさま声を上げると、彼女はびっくりして固まった。全員が立ち上がり「例の女か」「あれが噂の」「なるほど」と勝手に品定めする。その中で市田くんが靴下のままでレジャーシートから出ていき、舞香の元へ走っていった。しばらく揉み合い、市田くんが勝利したのか連行されてくる舞香。

「なんか、オレと喜多屋さんの後をつけてきたらしい」

 まるで仲間にいれてもらえない子を引率する先生のごとく市田くんが言う。舞香はおどおどと一同を見つめ、小さく一礼した。

「じゃあ、ずっとこの辺をウロウロしてたのか?」

 俺が呆れて訊くと、彼女は「うん」と気まずそうに頷く。そしてこわごわ口を開いた。

「ほ、本当はあれから毎日ずっと荘助のこと心配でつけてたの……声かけたかったけどできなくて。なんか、よく分からないまま終わったし。だから、来たの。ごめんなさい」

 取って付けたような謝罪である。全員が黙り込んでしまい、場は完全に白けてしまった。俺もこの状況が気まずく、なんと言ったものか困る。すると、柴雄くんと吉田くんが僕の腕を掴んで舞香の前に突き出した。そのおかげで、俺は舞香と向き合わざるを得なくなる。

「心配、してたんだ?」

 ようやく出た言葉がこれでは鳥飼さんに告白どころか舞香にきっぱり別れを告げるのも無理だなと、この場の全員がそう思ったに違いない。なんだこの公開処刑は。

「……なんか、楽しそうね。荘助、元気そうで良かった」

 舞香は苦笑いした。そこには「私がいなくても大丈夫そうだね」といった感情が込められているように思う。複雑な表情を浮かべ、今にでも泣き出しそうだ。だから、俺は入れていた力を抜いて笑った。

「あぁ、元気だよ。俺はもう大丈夫だからさ。心配いらない」

「そう、なんだ……じゃあ、私はこれで。ごめんなさい、お邪魔しちゃって」

 舞香はみんなに頭を下げ、そそくさと出ていこうとする。それに対し、声をかけたのはなんと佐原さんだった。

「ねぇ、あんた。酒強いんだってね。ちょっと付き合いなよ」

 その言葉に舞香は目を見張る。

「喜多屋から話は全部聞いてる。でも、あんたの話は一つも聞いてない。それじゃフェアじゃないからね。あんたの話を聞いたげるからそこに座って酒でも飲もう」

「大丈夫、酒ならいっぱいあるし、つまみはもうほとんどないけど」

 すかさず柴雄くんも笑顔で手招きする。吉田くんはビニール袋に入った酒缶を確認しているし、店長と深見さんは最初から気にしない様子だし、市田くんは舞香の背中をトンと叩いて輪の中に入れようとする。

 舞香は戸惑いながら俺に助けを求めていたが、俺は笑うだけで助けないことにした。この町の洗礼をたっぷり受けるがいい。ほくそ笑んでいると、唐突に店長が俺を見た。

「喜多屋、お前はもう帰れ」

「え?」

「え、じゃねーよ間抜け。お前は今からやることあるだろ」

 やること? やることって何?

 見当がつかず首をひねるしかない不甲斐ない俺に、全員がため息をついた。

「鳥飼さんのとこに行けって言ってんの! ドーンと行って来い!」

 市田くんがイライラと言う。何がどうしてそうなったのか分からない俺はただただ夜の公園で「えーっ!?」と絶叫した。

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