第四夜 無駄な時間
朝代屋町、名無しの公園にて暴露する
第四夜 無駄な時間①
コンビニを出て、俺たちはなんとなく横並びで歩いた。夜のアスファルトの道をのんびり歩く。時折ある街灯の光に目を細め、その度に話題を探してみる。
──家、この辺なんですか?
いやいや、一回きりの飲みで馴れ馴れしすぎる。でも、こんな夜道を一人で歩かせるのは不安だし。
──お酒、実は飲み慣れてるんじゃないですか?
うーん。これは出し抜けにしゃべるものじゃない。会話の入り口としては不意打ちすぎる。
──明日、仕事はお休みですか?
まぁ、これが妥当かな。なんか、つい最近もこういう会話をしたような。あ、美容室だ。美人美容師と同じような質問をこんな場面で自分が使うとは。
「あ、明日は、」
「えっ?」
「明日は、お休みですか?」
訊いてみると、彼女は目をパチパチ瞬かせてこちらを見た。そして、すぐに目をそらす。
「えぇ、はい……だから、今日の飲み会に参加したんですよ」
「あ、ですよねぇ……あははは」
乾いた笑いが口から飛び出す。
やりづれぇ。
よくよく考えたらそうだ。明日も仕事だったらさっさと帰って寝る用意をしたほうがいい。現在、時刻は二十三時。ギリギリ、バスや地下鉄なら通っている時間帯。
俺はすぐに反省し、質問を変えた。結局は、これが妥当だった。
「家、この辺なんですか?」
「はい。ここから歩いた先にあるマンションです」
「そうなんですね。俺もここから歩いて公園の向こう側にあるアパートです」
意外にもすんなりと会話が進む。なんだ、無駄に考えずに言えば良かったんだ。
「あ、じゃあご近所さんなんですね」
鳥飼さんはまっすぐに道路の向こう側を見つめながら言った。
「みたいです。あ、あの、別に深い意味とかないですからね。女性が一人で夜道を歩いてたら心配だから」
慌てて言うと、彼女はクスクスと肩を揺らして笑った。
「はい」
それだけが返ってくる。そこで会話は一旦、途切れた。
静かな住宅街の交差点に出る。そこからやっぱり、俺たちは横並びでゆっくりと家路をたどった。彼女の家は本当にこの道をまっすぐ行った場所にあるようだ。帰り道が同じなので、自然と歩調を合わせて進む。
その間、彼女はとくに何も話さない。あまり会話が好きじゃない人なのかもしれない。あの飲み会も志熊さんから強引に誘われたに違いなく、そう言えば彼女は男性を誘うことができなかったということを今、瞬間的に思い出した。つまり、消極的なんだろう。
「今日の飲み会、楽しかったですね」
場が持たないので、何気なく言ってみる。と、彼女はパッと顔を上げた。
「あ、はい。楽しかったですね」
「でも、鳥飼さんは、あんまりはしゃぐタイプじゃなさそうですよね。楽しかったなら良かった」
「はい。確かにはしゃぐタイプじゃないんですけど、ああいう場は好きなんです。わたし、実は昔、ラグビー部のマネージャーだったんですよ」
あ、しゃべってくれた。意外な一面を知り、俺はつい調子に乗って笑う。
「えぇ? 嘘だぁ〜。そんな風には見えないですよ」
「嘘じゃないですよ。今でもマネージャー同士の集まりがありますし。こう見えて文化祭とか体育祭とか、クラスの行事も好きだったんですよ」
「その割には大人しいですよね。ますます意外だ。もっとみんなと騒いでみたらいいのに。そっちの方がもっと楽しいでしょ」
楽観的に言うと、彼女は目を伏せた。口元に自嘲的な笑みを浮かべる。
「そうですね……でも、うまくはしゃげなくて。わたしの中では楽しんでて、盛り上がってるつもりなんですけど」
「お祭り好きなのに、はしゃげないって矛盾してません?」
「そうですね……なんというか、羽目を外すためのストッパーがあって、そのストッパーを越えることがないといいますか。あ、あれです」
ふいに彼女はクンッと顔を上げて宙を見ながら、俺に視線を向けた。
「シラフのままで進む飲み会、みたいな」
「……はぁ。なるほど」
例えが妙にしっくりきて、俺はたちまち共感した。これに対し、彼女もようやく口が軽くなってきた。
「カラオケもそうです。うまく場に酔えなくて。他人の酔いを見ている分には楽しいんですけど、自分はできないっていうか。あれ、なんででしょうね」
「うーん。なんででしょうね」
俺もそういうシーンに経験がある。
彼女みたいにはしゃげないわけではないが、ふとした瞬間、冷静になってしまい周囲へ目を配ってしまう。
もっぱら派手なアクションが繰り広げられていく金のかかった外国映画をスクリーンで観た時くらいしか、最大の高揚や快感を得られない。シラフで進む飲み会というのは、自宅のパソコンで無料配信された映画をぼーっと観ているのに似ている。要は、非現実的な視界の中でも現実を忘れられずにいるのだ。
俺は頷きながら言った。
「ちょっとわかります」
「ほんとですか? でもこれ、周りから理解されないんですよ」
鳥飼さんは疑うように目を細めた。俺はなんとなく潔白を証明するように手を振った。
「いやいや、ほんとですって。俺もちょっと前まで下戸だったし、シラフのままで進む飲み会ももちろん楽しいけど、急にふと我にかえってしまうとこもあって」
でも、最近はそうでもない。あの怪人たちと飲んだ時は記憶が吹っ飛ぶくらい笑ったし、何がそんなに面白かったのか思い出せない。でも楽しかった。今日の飲み会ももちろん新鮮で楽しかったが、なんだかんだ周囲に目を配ることが抜けなかった。そう考えると、鳥飼さんははじめからそうだったような。
「鳥飼さんって、もしかして、普段の飲み会でもあんな感じですか?」
訊くと、彼女はキョトンと首をかしげた。
「あんな感じ……?」
「率先してメニュー渡したり、ドリンクや食べ物の注文とか、他人のグラスの減り具合が気になったり、料理がこぼれた時におしぼりをすぐ渡せるようにしたり」
例をつらつら挙げていると、彼女は俺をじっと凝視した。なんだかそれは驚愕めいていて、瞬時に俺は「しまった」と思った。
ばかやろう。そういう指摘をするほどの仲じゃない。そう思うと同時に、俺は意外にも飲み会の席で彼女のことを観察していたことに気がついた。これは確実に引かれた。
「あ、すみません……でも、あの、真ん前の席だったからつい、そういうところが目についてしまって」
「いえ……自分でも無意識だったものですから……そう言えば、自然とそういうことをしてました。わたし、職場ではずっと年下なので気を使うのが当たり前で」
慌てる俺に、鳥飼さんはクスクスと愉快そうに笑う。そのおかげでホッと安堵する。気を悪くしてないようで良かった。
「友達の前でもそう?」
「もしかしたら、そうかもしれません」
「マネージャーですね」
「はい。元マネージャーです……あ、だからかな」
彼女は顔色をパッと明るくさせた。
「もう染み付いちゃってるんですね」
そう言う彼女は、あのコンビニでしたようないたずらっ子の笑顔を向けてきた。俺は慌てて目をそらし、道の向こう側を眺めた。そして、話を逸らす。
「志熊さんに聞いたけど、今日の飲み会って深見さんと加苅さんを取り持つって話でしたよね」
「あ、そうなんですよ。当の本人たちは気づいてないみたいで良かったですけど。でも、わたしたち必要なかったですよね」
鳥飼さんは愉快そうに言った。俺も噴き出して笑った。
「ほんとそれ。確かに、志熊さんだけじゃ頼りないかもしれないけど。だからって、なんの関係もない俺を誘ってくるんだからな……まんまと騙されました」
「ってことは、志熊さんってば、なんの説明もなしに喜多屋さんを誘ったんですか?」
「そうです。まぁ、俺も確認不足だったので、あんまり責められないんですけど……てっきり、デートなのかなってちょっと舞い上がってたんで」
「でも、志熊さんって面食いですよ」
なんの悪気もなく言われる。けど、その言い方は刺さる。笑顔が固まり、ついつい顔をしかめる。すると、彼女は「あっ」と口をおさえた。それから、必死にフォローをしようと早口でまくしたてる。
「いや、あの、悪い意味じゃなくて。ほら、志熊さんって二次元好きですし。夢女子ですよ。SNSの裏アカウントで、たまにそれっぽい妄想を投稿してますし」
「えっ、そうなんだ……へぇぇ」
出来ることなら知りたくなかった元同級生の性癖がこんなところで大暴露されるとは思わず、俺は思考停止した。
そして、ゆるゆるとヲタバレに過剰な反応を示していた志熊さんの顔を思い浮かべた。確かに無責任に「好きなものがあるのはいいこと」と言ったが……いや、好きなものがあるのはいいことだ。彼女は何も悪くない。むしろ、隠していたことをこうしてあっさり暴露されているのが不憫だ。今頃、盛大にくしゃみでもしているに違いない。
苦々しく思っていると、何かを察したらしい鳥飼さんがさらに顔を青ざめた。
「あ、もしかしてこれって言っちゃダメなやつでしたか? 喜多屋さんもてっきりこちら側なのかと」
「いや、なんだろう……こちら側というわけでもなく、あちら側というわけでもなく」
「だって、加苅さんのBLの話も普通に入っていけてたから」
「そんなに深くは知らなかったです」
あんなの、その場のノリに入っていけるように合わせただけだ。むしろこれは職業病でもある。他人の話にするりと滑り込んでテンションを合わせる。つくづく便利な特殊能力だな。しかし、会社では底辺の部類である。
俺は指にぶら下げていたビニール袋を持ち替えた。買ったのは瓶入りの透明な酒。度数も高くなく、味はスッキリしているらしい。鳥飼さんが教えてくれたものだ。
「そう言えば、あの時言ってましたよね」
俺は何気なく言った。
「お酒、得意じゃないって。あれは嘘ですね?」
すると、彼女は少しだけ顔をしかめた。
「すみません……」
「いや、謝ることじゃないけど。でも、なんで話を合わせてくれたんですか?」
「無意識でした」
彼女は顔をうつむけた。まぁ、ここまで話していて薄々気づいてはいたけれど、鳥飼さんは空気を読みたがるタイプなのだろう。だから、レモンサワーを頼んだ時も無意識に「同じのを」と言いながら、店員に頼む際にうっかり抜けてしまう。別に自分が選んだわけじゃなく、俺に流されて言っただけ。そういう人は俺の会社にもいるし、珍しくもなんともない。
そんな彼女をいじらしいとは思えず、なんなら猫かぶりにも思えた俺は意地悪に茶化してみた。
「ほんとは酒豪なんですね」
「酒豪じゃないです! 加苅さんほどじゃないです!」
「加苅さんについていけるのはよっぽどの酒飲みですよ。しかもまだ飲み足りないって」
「そりゃ、だって、実はそんなに飲んでないですし! 飲んだのもカシオレとサワーくらいだから!」
「それだけ飲めば十分酔えるでしょ」
「えっ、あ、でも……」
慌てふためき、彼女は唇を結んだ。梅干しを食べたような顔をしている。からかわれていることに気がついたらしい。俺は無性に愉快になり、口調滑らかに言った。
「ジントニックを教えてくれた時点で気づくべきでしたね」
「あぁ……そこで気づかれてたら、もう隠せないですね」
「いやいや、見事に擬態してましたよ。すっかり騙されました」
「そんな言い方……でもまぁ、そうですね。うーん……」
「どうして隠してるんですか? 羽目を外すチャンスなのに」
そう訊くと、彼女は咄嗟に立ち止まった。見れば、すでにマンションの前。どうやら終点らしい。少し浮ついた空気が急激に止まる。
「あ……ここですか」
俺は気まずく言った。すると、彼女も気まずそうに笑った。
「はい」
「じゃ……ここで……」
もう会うことはないんだろう。会話の途中で強制終了させられる、なんとも味気なくかっこ悪い幕切れに拍子抜けした。
「では、おやすみなさい」
後ろ向きになって片手を挙げて家路へ向かう。と、彼女はしばらく俺を見送っていた。早くエントランスに入ればいいのに、いつまでもそこに立っている。だから、俺は前を向いて早足に去った。
すると、背後からカツカツとヒールが走る音が聴こえてきた。
「あ、の!」
見ると、鳥飼さんがビニール袋をひっ提げたまま数メートル後ろまで追いかけてきていた。
何事だ。
「あの、そこに公園があるので、一緒に飲みませんか? 今度は嘘偽りなく」
「えっ」
なんだって……?
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