第三夜 基本的に地味②
仕事をなんとか片付けたものの、こういう時に限って部長や他部署から余計な仕事を回される。「物欲センサー」ならぬ「帰りたセンサー」が反応しているのだろうか。神様は俺に全然優しくない。
そんな感じで、約束の時間よりも少し遅れて指定の店に到着した。
てっきり華やかな都会で小洒落たレストランで食事をするのかと思いきや……違った。
「いらっしゃい!」
店に入るなり、威勢のいい店員が声をかけてきた。
志熊で予約の……と言いかけているうちに、一階の奥座敷へ通された。そこには志熊野花のほかに、見知らぬ男性一人と女性二人が同席していた。
「あれ……?」
「あ、おそーい! 先に飲んじゃってるからねー!」
志熊さんがジョッキを掲げて言う。
いや、待って。待って待って待って。
「今日って、なんの会……?」
訊くと、志熊さんはあっけらかんと言った。
「なんのって、合コン?」
「はぁぁ?」
いや、待て待て待て。どういうことだ。しかも、合コンじゃねーし。三対二の時点で成立していない。いや、そうじゃなくて。
俺は志熊さんを引っ張り、席から遠ざけた。
「おい、どういうことだ。なんなの、この状況」
「だから、合コンだって」
「成立してねぇだろ。もうひとり男来るのか?」
「その予定だったんだけどね、
「一気に登場人物を増やすなよ!」
あれは頭を抱え、押し殺した声でツッコミを入れた。
「まぁ、表向きは普通の飲み会なんだけども」
顔を覆って恥ずかしさに耐えていると、志熊さんがこっそり耳打ちする。そうして俺たちは柱の陰から、座敷に座る男女を見やる。
「あの男の人が深見さんで、奥に座ってるお団子頭の女子が加苅。私の同僚。あの二人の仲を取り持つのが私たちの使命ってわけ」
彼女は悪びれることなく舌を出して笑う。
要するに、この会を開くために誘わなくちゃいけない男がおらず、ちょうどいい時に俺が引っかかったわけだ。やられた。しかも、重要な役割を背負わされている。これはもう詐欺と言ってもいいんじゃないだろうか。きちんと確認しなかった俺も悪いけど!
「まったく……そんな飲み会によくもまぁ俺を誘ってきたな。人間不信になりそうだ」
「よろしく頼みますよ、リーダー!」
志熊さんは調子よく肩を叩いて座敷に戻った。取り残された俺は顔をしかめる。
──よし、これは仕事だ。
仕事の延長だと思えばいい。会社の飲み会でもやってるようにテンションを上げることはできる。
そう自らを鼓舞し、俺はそれなりに鍛えてきた営業スマイルを一同に向けた。
「いやぁ、遅れてすみません」
「いえいえ、いいんですよぉ。志熊が強引に連れてきたんでしょー? んもう、すいませんね、付き合わせちゃって」
お団子頭の
俺は志熊さんの隣に座った。その横に細身の男性、深見さん。その真ん前が加苅さんで、彼女の横がおとなしそうな眼鏡をかけた鳥飼さんである。
「いや、むしろ遅れてきた上に知らないやつが紛れこんじゃってて申し訳ないです。初めまして。志熊さんと高校の同級生だった喜多屋荘助です」
そう言っているうちに、鳥飼さんがメニューを差し出してきた。
「あの、どうぞ」
「あ、すみません」
店員がおしぼりを持って現れ、俺は
「あれ? 喜多屋くんって、お酒飲めないんだっけ?」
「お前と酒飲んだ記憶、一個もないんだけど」
志熊さんが訊いてくるのですかさず刺々しく答える。しかし、彼女に皮肉は通じなかった。
「確かに。同窓会もなかったしねぇ。なんだ、言ってくれればよかったのにー」
「………」
あぁ、しまった。動揺のあまり、うっかりしてた。最初の注文で烏龍茶はないだろう。せっかく酒が飲めるようになったというのにこれでは意味がない。
「わたしもそんなにお酒、得意じゃないんですよ」
そう優しく言ったのは鳥飼さんだった。見るからに甘そうなカクテルを飲んでいる。色合いからしてカシスオレンジだろう。
「僕もそんなに強いほうじゃないんですよね」
そう言うのは深見さん。ビールを飲んでいるようだが、全然顔に出ていないから弱いわけでもないんだろう。
一方で加苅さんはすでにもう何杯か飲んだあとのように陽気だった。志熊さんも同じく陽気だ。しかし、会が始まってまだ三十分くらいしか経っていないので、そんなには飲んでいないはず。串盛りの皿やつまみもまだまだ序盤のようで、これからまだまだ焼いてもらうらしい。
「まぁまぁ、マイペースにいきましょ。はい、喜多屋さんのドリンクもきたかな? んじゃ、改めまして、かんぱーい!」
「ほんとは鳥飼ちゃんの同期くんも来る予定だったんだよね?」
そう訊くのは加苅さんだった。彼女はとても気さくで、この場を盛り上げる特攻隊長のようである。対し、鳥飼さんはとても消極的だった。恥ずかしそうに苦笑する。表情から察するに、志熊さんからの使命を事前に聞いている様子。この人も被害者か。
「そうなんです、けど、ちょっと都合がつかなくて。すみません」
「いいの、いいの。喜多屋くんが来てくれただけでもう大満足だもん、ね、深見さん!」
志熊さんが笑い飛ばしながら深見さんに話を振る。彼は「そうですねー」とちょっぴりドライな様子だった。関係性がいまいち見えない。
俺は烏龍茶のグラスを置いて改めて訊いた。
「えーっと、全員同じ会社ですか?」
「ううん。加苅と私が同じで、深見さんは──」
「タカラ印刷で働いてます。印刷オペレーターです。って言っても伝わるかな」
そう言いながら、彼はカバンの中をあさった。印刷オペレーターということはデザイナーみたいなものか?
「鳥飼ちゃんは文房具屋さんだよ」
加苅さんが説明してくれる。すると、鳥飼さんは「あ、はいっ」と慌てたようにこちらもハンドバッグをあさる。俺も持っていたカバンを開いた。そして、三人ほぼ同時に名刺を出す。なんだか取引先と飲んでるみたいな状況だ。
タカラ印刷、製作オペレーターの深見
「鳥飼ちゃんは、うちの書店と同じ系列の文房具メーカーの子なのよ。それで、ちょこちょこ会うんだよね」
志熊さんが言う。
「深見さんは、加苅が裏でこそこそ作ってる同人誌の印刷担当でー」
「志熊! そこまで言わんでいい!」
すかさず加苅さんが止めに入る。
「いや、でもそれ説明しないと僕がいる意味が分からないから」
深見さんが真面目に入ってくる。
「同人誌……あ、もしかして薄い本ってやつですか?」
俺は悪気なく訊いた。すると、加苅さんと志熊さんが顔をひきつらせた。分かりやすいな、この二人。これに笑うのは深見さんだった。
「そうそう、それ。薄い本なのに分厚いやつを毎回入稿してくるの。背幅は決まって十ミリ。ですよね、
「やめて、やめてやめて! 初めましてな方の前でそんな話しないでー! こういうのはもっと深い時間になってからにしてー!」
どうやら加苅さんは「焔ミケ」というペンネームで活動しているらしい。何を描いているのかまでは教えてくれない。ただ、薄い本が成人向けだというのは分かる。
「ほら、鳥飼ちゃんの前でえっちな話したらダメだって。もう、この純粋な目を見なさいよ。守りたい、この汚れなき澄んだ眼を!」
「加苅さんの描くやつって、一口にエロと言うより官能的ですからね。あれはもう一種の芸術みたいで」
「だーかーら、深見さんもやめてってば! わざと言ってるでしょ! しかも何よ、その言い方! ほんと嫌らしい!」
「それを加刈さんが言いますかね」
「そうだけど! あーっ、もう! 何も言い返せないぃっ!」
恥ずかしがる加刈さん。志熊さんはニコニコ笑い、酒のすすみがいい。俺はとにかく烏龍茶を早めに消費するべく、ずっとグラスを傾ける。
加刈さんはずっと深見さんに向かって抗議していた。すると、深見さんが楽しげになだめる。
「まぁ、うちの会社に同人誌送ってくる人、そうそういませんから。みんな珍しがって読んでますよ」
「そんな念入りに校正入れなくていいからー!」
うーん。入る余地もない。俺たちが何をせずとも大変仲がよろしそうなのですが。
そんな念を込めて隣の志熊さんを見るも、彼女は俺の視線にまったく気づかずに一緒になって笑っている。おい、使命はどうした。
すると、志熊さんが俺の視線に気がついた。
「そういうメンバーです」
「適当にまとめたなー」
俺は大袈裟に呆れてみせた。そして、ふと名刺を見やる。
「ん? タカラ印刷ってことは、もしかして、うちの会社のDMとか封筒も作ってます?」
思い出したので、つい訊く。すると、深見さんは身を乗り出してこちらに顔を向けた。
「あ、気づきました? いつもお世話になっておりますー」
「うわぁー、やっぱりそうなんですね。んじゃ、名刺も深見さんが?」
「多分。この辺一帯の企業の名刺は注文がきますし、僕はデザインもやってるんで、もしかしたらその名刺も作ったかもしれませんね」
「おぉ……」
急に親近感が湧いた。まさかこんなところで、普段何気なく使っている印刷物を扱う業者に会うとは。いやはや世間は狭い。
「わたしの会社も取引があるんでしたよね」
鳥飼さんが話に入る。と、志熊さんと加刈さんも同時に名刺を出して確認した。それを見て、深見さんが得意げに口の端を伸ばす。
「はい。向島書店とはやあし文具はノベルティとか
「はぇー、すごーい。いつもお世話になっておりますー」
志熊さんが感心したように大きく頷きながら言った。昔では考えられないほどに外面が完璧で、こういう面を見ると、彼女も大人になったんだなぁと思う。
ていうか、知らなかったんかい。というツッコミは、ぐっと抑える。
そんな俺の心情を察することはない志熊さんが愛想よく言った。
「あ、喜多屋くん、お腹空いてるでしょ。いっぱい食べて。今日は串食べ放題、酒飲み放題だから。会費は三〇〇〇円ね」
「あ、うん」
先に金を出しておこう。財布から千円札を三枚探った。すると、目の前で鳥飼さんが茶封筒を出した。
「わたしがお金、集めます」
「あ、どうも。ありがとうございます」
よく気が付く人だ。パッと見た目、年下っぽい。志熊さんや加刈さんにも丁寧で、気を遣っているような節がある。
俺は皿に盛られた鶏もも串を取って食べながら、改めてこの場にいる人物たちを見回した。深見さんも加刈さんもジーンズやジャケットといったカジュアルな服装だ。志熊さんは清楚系のブラウスとスカート。対し、鳥飼さんはかっちりとしたライトグレーのスーツだった。
書店組は制服があるのだろうし、深見さんは普段着で仕事をしてそうな雰囲気。営業職の鳥飼さんや俺はどうにも味気ない。そんな個性豊かな集いにも、そろそろ慣れてきた。
相変わらず深見さんと加刈さん、志熊さんは三人で盛り上がっているので、俺はこっそりドリンクのメニューを見た。思い切ってサワーでも頼んでみよう。すると、それまでずっと彼らの話をこくこく頷きながら聞いていた鳥飼さんがふいに俺の方を見た。
「注文しますか?」
「あ、はい……えーっと、レモンサワーにします」
「レモンサワー、いいですね。わたしも同じのにしようかな」
そう言って、彼女は自然と三人にもドリンクの確認をする。
「みなさんも何か頼みますか?」
「あたし、ジンジャーハイボール!」
「私は、カシスソーダ!」
「僕はビールで」
口々に注文が飛ぶ。鳥飼さんは暗唱するように注文を繰り返した。そして、店員を呼ぶ。
「すみません。えっと、ハイボールとカシスソーダと、ビールと……なんでしたっけ?」
「レモンサワー二つ、お願いします」
すかさず助け舟を出すと、彼女は苦笑いして「そうでした。それをお願いします」と控えめに言った。
「おぉっ、喜多屋くん、飲むのかい?」
志熊さんが絡んでくる。なんだかすでに出来上がってるんじゃないか。同級生の知らない一面を見て、なんだか妙にそわそわする。
「飲むよ。サワーくらいなら飲める」
「あら、お酒飲めないのかと思ったら。ようやくエンジンかかった感じ?」
加刈さんが茶目っ気たっぷりに入ってくる。そうして、急に全員の視線が俺に注目した。
「そうっすね……元々、飲めなかったんですけど、最近になってようやく」
「えー、なにそれ、そんな急に変わるもの? なんか転機でもあった?」
今度は志熊さんが笑いながら言う。
「大人の時間に慣れてくると、だんだん味覚とか体質も変わってきますしねー」
そうしみじみに言うのは深見さんだった。
「そうですね。体質が変わったのかも……なんか、急に飲めるようになったんですよね。まぁ、少しずつ? 慣れていけたらなーって」
なんとなく、このメンバーにあの奇妙な話をするのは気が引ける。そういえば、知らない人と正式に店で飲むというのは初めてだ。その緊張もあるのかもしれない。
ドリンクが運ばれ、俺と鳥飼さんでグラスやジョッキを奥の席へ回す。最後に手元に置かれたレモンサワーは透き通っていて、輪切りにされたレモンが浮かんでいた。缶で飲むのよりも段違いに華やかだ。グラスで飲めば、香りもとてもいい。パチパチ弾ける炭酸の小さな飛沫が鼻にかかる。一口含んだ後、少し時間が経って脂が滲んだ焼き鳥を食べ、またサワーを飲む。
あ、うまい。これはうまい。やたら濃い味の焼き鳥も、酒があるだけでかなり印象が変わる。ものすごく進む。
「はい、お待たせしましたー。手羽先の唐揚げでーす」
元気な店員が大皿を持って現れた。五人前の手羽先唐揚げがてんこ盛り。パリッと揚がった手羽は塩だけで味付けされている。
全員の手が一斉に伸びる。俺も手掴みで取り、さっそくかぶりついた。
「うっまぁ……」
志熊さんが声をこぼす。
「はぁ……うまい……」
俺も思わず唸る。これは食べる手が止まらない。香ばしく揚がった皮と衣の食感が楽しく、パンチのある塩気とスパイスの味の後、閉じ込められた肉汁があふれてくる。熱くて火傷しそうなのに、一滴も漏らさず啜りたい。しばらく黙々と食べ、時折酒を飲む。今まではちびちびと慎重に酒だけを楽しんでいたのに、気がつけばグラスがすでに半分以上も減っていた。
「なんだ、意外といける口じゃないですか」
深見さんが言う。俺はペコっと会釈した。
「めっちゃうまいっす」
すると、これに加刈さんが嬉しそうに笑い、肉巻きやらピリ辛きゅうりやらが入った小鉢をこちらに渡す。
「どんどん食べちゃってー」
「追加、頼もっか。好きなの選んで。ほら、鳥飼ちゃんもたくさん食べて飲んで」
ようやく幹事らしく働き始める志熊さん。鳥飼さんはやはり控えめに「はい」と返事し、レモンサワーをごくごく飲んだ。
俺は次の酒を何にしようか考えていた。サワーだけでもかなり種類がある。果実ベースのサワーはもちろん、ラムネサワーに梅干しサワーまである。梅干しサワーってなんだろう。味の想像がつかない。
しかし、失敗したくないので、次はグレープフルーツサワーにする。やっぱりまだ柑橘類から離れられないな。他にも気になるけど……例えば、ハイボールとか。カクテルも名前だけしか知らないし。モヒートってミントが入ってるのか。うーん。
「喜多屋くん、また変な顔してるー。何をそんな真剣に考えてんの?」
志熊さんが言った。
「ほらほら、また鼻の穴ふくらまして、口曲げてさぁ。ね、見てみて。この顔が懐かしくて、つい声をかけちゃったのよー」
そう言い、彼女は俺の顔を掴んで全員に向けた。強引な所業にびっくりするも、そのままの顔でいると深見さんと加苅さんもゲラゲラ笑い始めた。
「無意識なんですけどねぇ」
俺も俺で調子に乗り、しかめっ面のままでいる。そして、志熊さんの手を払い除けた。クスクス笑う彼女の腕を肘で小突いた。
「よくも笑いものにしたな」
「超おいしいとこを提供してやったのに」
「確かにそうだけど! 自分で言うか!」
「えへっ、ごめーんね」
酒が入った志熊さんは、とても朗らかだった。図々しさは二倍増しだ。
「喜多屋さんって面白いですねー。親しみやすいです」
深見さんが言った。
「やっぱり営業職だから? すごいなぁ。尊敬する」
「いやいや、大したもんじゃないですよ。地味な顔だし、レベル低いんで」
「うちらも営業と言えば営業だけど、知らない人の中に入って急に陽気にはなれないわー」
加苅さんが感心したように言う。すると、すかさず志熊さんがつっこんだ。
「いや、加苅はうちのエリアでもかなり陽気な部類でしょ」
「酒の力借りればね。普段はそうでもないわぁ」
「またまた、そんなこと言って。飲み会荒らしって言われてんの、知らないわけじゃないだろうに」
「飲み会荒らし?」
深見さんと俺が同時に訊いた。
「なにそれ?」
「なんだか
「深見さん、魔物って言い方やめて! ツボっちゃう!」
志熊さんが両手で顔を覆って笑った。テーブルに突っ伏す勢いで大笑いする。深見さんも嬉しそうに笑う。一方、当の本人である加苅さんはツーンと顎を突き出した。
「そんなに酒癖ひどくないし!」
「いや、ひどいっていうか、会場の酒を片っ端から開けていくからさぁ。上司もドン引きだからね」
「なるほど。加苅さんはウワバミってわけですね」
深見さんが意外そうに言った。そして、わざとらしくのけぞる。
「やだやだ、引かないで! あたしん家、酒豪一家なのよ! 生まれつき、酒飲みのDNAが組み込まれてるわけ」
「さながらその血は酒でできている」
「そう! って、違う! それじゃ、ほんとに魔物じゃない!」
俺の言葉に全力でノリツッコミをしてくる加苅さん。すると、全員がドッと笑った。爆笑をさらうのはとても気分がいい。ふと、鳥飼さんを見ると、彼女も顔を覆いながら笑っていた。掘りごたつの下でバタバタと足を動かしているところ、かなりツボに入ったらしい。そしてメガネを外し、涙を拭う。泣くほど面白かったようで何よりだ。
「んで、喜多屋くん。次は何頼むの?」
笑いがほどよく落ち着いた頃、志熊さんが言った。俺はまた顔をしかめて考える。
「どれがオススメ?」
「えー? んー、ハイボールはどう?」
「初心者にハイボールはねぇ。飲みやすいけど、苦手な人は苦手だろうし」
加苅さんが割り込んでくる。真剣に悩んでくれるので、俺はワクワクと期待した。
「カクテルはどうです?」
深見さんが訊く。
「甘いやつとか、無難にカシス系からいくのも」
「うーん。甘いやつはそんなに得意じゃないんですよねぇ」
せっかくの提案だが、俺は苦笑いでやんわり断る。
「結局、いつも柑橘類におさまっちゃうんですよね。パインとかリンゴとか甘そうで」
「あー、甘いね。柑橘は安パイだわ。間違いないもん」
志熊さんが言った。
「じゃあ、ジントニックはどうですか?」
そうおずおずと言い出したのは、意外にも鳥飼さんだった。
「あ、良さそう。ジントニックなら味もビターだし。ライムの風味があって、飲みやすいんじゃないかな」
すかさず深見さんが言う。なるほど、ジントニックか。名前だけは知っているが、どんな酒なのかは知らなかった。
「んー、じゃあ、それにしよっかな。他、誰か頼みます?」
メニューを奥へ渡すと、それぞれ酒を選び始めた。そうして、おかわりを頼むときには必ず鳥飼さんがすぐに店員を呼びつける。そんな風に飲み会の時間は更けていくのだった。
角の取れた氷がカランと音を立てるのも気にならないくらい、楽しい宴が続く。
***
加苅さんと深見さんの仲が深まったのかどうかは分からないが、全員がほろ酔いのまま店から出て解散した頃、あんなに賑やかだった夜の町がすっかり静かになっていることに気がついた。
一人、トボトボと帰路につく。
今までは酔いつぶれた同僚や後輩、陽気な上司たちの世話に明け暮れており、それはそれで楽しかった。彼らは酔うとまるでアホになる。普段はおとなしくてぼうっとした部長も弾けて大笑いするので、意外な一面を見て面白がっていた。が、自分だけどこか冷静なのが寂しくはあった。
飲み会って、楽しいんだな。こんな充足感を得られるとは思ってもみなかった。
いやはや。しかし、ジントニック、気に入った。すごくうまい。どことなく、この前公園で怪人たちと飲んだあのストロング系プレーン味を思い出す。そうすると、まだ酒が欲しくなる。
「どれだけ飲めば気が済むんだよ」
以前の俺なら考えられない。足は自然とコンビニへ向かう。
大きな冷蔵庫に並ぶ酒類缶を吟味する。容赦なく光が強い蛍光灯の下に行くと、ふわふわした頭の奥が若干の鈍痛を報せる。眼球の奥が少しだけチカチカしているような煩わしさを感じ、なんとなく度数の高いものから目をそらす。すると、度数の低い缶に目がいくのだが、どれも甘そうなパッケージにげんなりする。
「ホワイトサワー、スクリュードライバー、ソルティドッグ、ぶどう、青りんご、ラムネ……うーん」
気が乗らないなぁ。困った。
すると、横に小柄な女性が並んだ。彼女は冷蔵庫を開け、イオン水を取る。しかし、その場から動かない。こっちを見ているような気配がし、俺はとっさに顔を向けた。邪魔だったか。
「あ、すいません」
言いかけると、そこには鳥飼さんがいた。髪の毛を耳にかけながら、気まずそうに笑っている。
「どうも……」
店先で別れたはずなのに、まさかここでまた出会うとは思わない。
「本当は帰ろうと思ったんですけど、飲み物を買いに戻ってきたんです」
そう言って、彼女はどことなく慌てふためいた。
「つ、つけてきたわけじゃないので。すみません」
「ってことは、俺がここで考えてる時からずっと気づいてた?」
「はい……真剣に考えて、あの、顔をしかめてらしたから、喜多屋さんだなってすぐに気づきました」
俺は顔の下半分を慌てて隠した。まったく、どこでもそんな顔して考え込んでるんだな。この厄介な癖を直ちに治したい。
俺は恥ずかしさをごまかすように茶化した。
「さっきまでアホみたいに一緒に酒飲んでたじゃないですか。そういう時は、声かけてくださいよ。水臭いなぁ」
「すみません。なんか、声かけづらくて」
鳥飼さんは持っていたイオン水を手のひらで揉んだ。そして、酒が詰まった冷蔵庫を見やる。
「あれ? まだ、飲むんですか?」
訊いてみると、彼女は眼鏡の奥の目を柔和に細めて笑う。それは、なんだかいたずらがバレたような顔だった。
「はい。実は、飲み足りなかったんです」
「えぇっ?」
俺は大げさにのけぞって驚いた。
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