丸福柴雄

丸福柴雄の計画への考察について

【一・丸福柴雄について】

 その日、唐突に突拍子とっぴょうしもなくそれは現れた。

 白と茶色とミントグリーンでまとめたさわやかな私の部屋の隣は、兄の柴雄しばお生息せいそくする。私の部屋といたって変わらない広さだった……と思う。

 曖昧あいまいなのは、柴雄の部屋に最後に入ったのが小学校低学年きりで、それから私は一度も柴雄の部屋に足を踏み入れなかった。だって、怖い夢以上に怖い思いをしたから。

 さて、そんな柴雄も二十五歳の青年だ。大学卒業後は大手企業の自動車整備士をやっている。工具箱とは片時かたときも離れず、もはや恋人といってもいいくらい二人の仲は親密だった。時折、ギッタンバッタンゴゴゴと機械がすれ違う音がするので、壁を叩いてクレームを入れるのが日常だ。

 夏期講習から帰って、冷凍庫からひらべったいアイスキャンディーを持って部屋にもぐろうとした直後。柴雄の部屋を横切った際、奇妙きみょうがみが私の目の端にするりと割り込んできた。

『計画、はじめました』

 計画、とは。なんのこっちゃ、さっぱりわからない。大体、いままでは好き勝手にはじめて、いつの間にか終わってるはずなのに。

「……あ、アイス溶けちゃう」

 手に持ったアイスがいまにでも崩壊ほうかいしそうにグッタリしている。

 柴雄の計画よりも、いまは目の前のアイスだ。自室の部屋に逃げ込むと同時に、私はアイスを救済するべく一息に頬張ほおばった。


 我が丸福まるふく家はお向かいが公園で、周囲に高い建物がない下町の中にあるお家だ。チョコレートっぽいドアに、モナカアイスみたいな壁、二枚のウエハースを三角お屋根のように一辺同士を合わせたような家で、なんと、暖炉だんろまである。当然、煙突えんとつもあるが、一度も使ったことがない。

 父さん、母さん、柴雄、私の四人家族。両親はそれなりに仲がよく、ほどよく冷めている。

 全員が自室を持っていて、それは全部二階にある。左から父さんの部屋、母さんの部屋、階段を挟んで柴雄の部屋、私の部屋。一階は家族だんらんのリビングとダイニング、キッチン、和室、トイレ、風呂、洗面所。温暖化おんだんかの影響もあって、我が家ではリビングの天井に大きな扇風機せんぷうきを取り付けた。これ、いつの間にか取り付けられていた。私が学校から帰ってくるとすでにあり、パートから帰ってきた母さんが優雅にアイスティーを飲みながらエアコンと扇風機のダブル冷風を受けてくつろいでいたのが今月の頭のこと。

 別にいいんだけれど、なんというか……唐揚げにレモンを絞り忘れたようなモヤモヤを感じる。


 ***


 アイスを食べてすずんだあと、シャワーでさっぱりした。夏場は朝にアイス、昼にアイス、夜にアイスといった具合で一日に最低でも三つは食べなくちゃ気が済まない。

 うちの高校にアイスの自販機があって良かった。何年か前に生徒会がアイスの自動販売機を導入するよう学校側に迫ったらしく、購買の横に堂々鎮座ちんざしている。それを理由に入学を決めたようなもの。私はアイスさえあれば生きていける安い女子高生だ。

「あら、おかえり。帰ってたの」

 シャワーを浴びてリビングに行くと、母さんが帰ってきていた。今日もエアコンと扇風機の二重使い。節約という言葉をどこかに置き忘れたのか、快適なりょう満喫まんきつしている。

「あ、ねぇ、柴雄っていま家にいるの?」

 いてみると、その突拍子のなさに驚いたのか、母さんは「えぇ?」と目を開いた。どうやら母さんも知らないらしい。

「じゃあ、柴雄の部屋の張り紙も知らないよね」

「知らないねぇ。張り紙なんてしてあるの?」

「うん。『計画、はじめました』って」

「なにそれ。なんの計画よ」

 生みの親でもわからないことは数多く存在するのかもしれない。しかし、そもそも兄の生態なんぞ考えたためしがない。模試もしとアイスのことで頭の容量はいっぱいだ。


 それから、父さんが帰ってきて夕飯の時間になっても柴雄は現れなかった。

 兄が夕飯に間に合わないことはよくあることで、二十五歳の男がいちいちその日のスケジュールを家族に申告するはずがなく、もっとも彼は連絡が大ざっぱなので、母さんが「寝るよー」とトークアプリのメッセージを入れるまで放置されている。

 すると、メッセージを送った直後に二階から誰かが降りてきた。

 柴雄だった。

「いたの!?」

 その場にいた全員が驚愕きょうがくしたのは言うまでもない。そんな家族を不思議そうに眺め、柴雄はサラリと答えた。

「いたよ。誰も連絡してくれないから、こんな時間まで作業してたんだ」

「え、じゃあずっと部屋にいたの? 全然気づかなかった!」

「いや、一回外に出たけど。すべり台で」

 いけしゃあしゃあと信じられないことを言う。

 すべり台ってなんだよ。

「あ、もしかして窓から伸びてたあれか」

 父さんが思い当たったように言う。

「そうそう。窓にすべり台を設置したからね、おかげで自分の部屋からでも外に出られるよ」

「また無駄むだなことを。家を改造するときは前もって言ってよね」

 母さんがイライラと言った。そして、眠たそうに目をこすって「おやすみー」と、なにごともなかったように自室へ向かう。現在、十一時。父さんも歯磨きをして、寝る支度をしている。

 私は深夜のバラエティ番組を観ながら、友達の黒岩くろいわメジロとメッセージのやり取りをしていた。それがちょうど途切れたところだったので、私は喉元に引っかかっていたモヤモヤを吐き出してみた。

「ねぇ、柴雄」

「んー?」

 柴雄はのんびりと言い、冷蔵庫を物色しはじめた。本日の夕食はスーパーダイコクの唐揚げとシーザーサラダだ。それらを無視して納豆のパックとキムチ、豆腐一丁を両手に抱えている。私は単刀直入に訊いた。

「あの張り紙なんなの?」

「張り紙?」

「『計画、はじめました』ってやつ。もしかして、すべり台設置の計画?」

「いや、すべり台設置は計画のうちに入らん」

 なるほど、すべり台設置は計画のうちに入らないらしい。でも、それなら他にどんな計画があるんだろうか。

「秘密」

 柴雄は含むような笑い方をし、納豆をこねくり回した。豆柴みたいにつぶらな目を平らに潰して笑うときは、もうなにを言ってもせがんでも口を割らないのだ。

 一体、柴雄の計画とはなんなんだろう。

 

 その夜、やっぱり彼の部屋を開ける勇気がなかった私は自室のベッドで考えにふけった。しかし、いつの間にか眠っていた私は久しぶりに長い夢を見た。

 柴雄が自室で黙々と何かを建設している。カードのようなものをレンガに見立てて積み上げていく。そんな夢が延々と続く。

 目が覚めたとき、私の背中はじっとりと汗ばんでいた。


【二・柴雄の計画】

 柴雄の計画がなんなのかわからないまま、朝をむかえて夏期講習に出かける。

 私の自転車は黒い電動自転車だ。渋く重たい相棒あいぼうだとメジロに笑われたけれど、まったくその通りだと思う。というのも、これはもともと柴雄のものであり、あいつが勝手に改造したおかげでママチャリが電動自転車に生まれ変わった。

 さておき、私は電動自転車を玄関から引きずって外へ連れ出した。その直後。お向かいのアサガオ公園の中に、とてつもなく奇妙な建物を見つけた。

 しろ

 材質は木でも石でもない、どちかと言うとレンガのようだ。でも、違う。ことわりに反している。ともかくそれが城だとわかったのは、ぱっと見、名古屋城なごやじょうだったからだ。私が名古屋城だと判断した理由は、お城の屋根にシャチホコがいたから。

 それは一軒家よりも小さく、模型にしては大きい。砂場の奥、木陰こかげスペースに我が物顔で建つ城は、よく見てみるとトランプだった。

正夢まさゆめだ!」

 私は思わず叫んだ。

 間違いない。あれは柴雄が造っていた城だ。私の夢がまさか現実になるとは。

 兄は何かを企てている。それは間違いない。すでに計画は着々と進んでいるらしい。公園に違法的な建造物(カードの城)を並べていき、自分だけの国をつくろうとしているのか……?

 そんなわけのわからない計画は阻止そししなくちゃいけない。瞬時に使命感が働く。

 おそるおそるトランプの城をツンと指で触ってみた。思ったより頑丈で、強い力を加えても倒れない。こんなものをつくってしまうなんて。

 私はひとまず、その場から撤退てったいした。


 ***


「なにそれ? 暑さで頭がやられたか?」

 学校に着いてすぐ、私はメジロに今朝のことを話した。メジロは下敷したじき二枚を扇子せんすのようにしてパタパタと首回りから胸元まで縦横無尽じゅうおうむじんに風を送っている。全体的にだるっとしており、私は彼女のことを「やる気のないゼリー」と密かに呼んでいる。

「てか、それってさぁ、夜中にあんたが寝ぼけて見ただけじゃないの? 夢に意味なんてないのよ」

 正夢のことではなく、柴雄の奇行きこうについて話してるんだけれど。

 だが、メジロも柴雄のことは知っているので、順応するのが恐ろしく速い。それよりも私の正夢を疑いはじめた。私も私で、そんな気がしてきた。

「そういえば、うちの高校のアイス自販機、あんたの兄貴が作ったってうわさだけど」

 しれっとメジロが言う。

 なにそれ。そんなの初耳だ。私は頭を抱えた。

「マジかよ……柴雄帝国計画はすでに始まっていたのか……」

「柴雄帝国計画?」

「そうよ。昨日は一日で二階からすべり台作ってたし、公園に城建てるし、あの電動自転車も計画の布石ふせき

「いや、どっちかと言うと、温暖化阻止計画なんじゃないかなー」

 メジロの言葉に、私は愕然がくぜんとした。じゃあ、あの扇風機も計画のうちに入るのか。私の周りには、あいつの息がかかったもので溢れている。私の頭の中で、柴雄が街を手のひらで転がす様子が思い起こされた。

 そんな私に呆れて、彼女はスマートフォンでソーシャルネットワークを気だるそうに見つめ、親指で素早くスクロールした。やがて、何かを見つけたのかピタッと止まる。

「丸福よ。アシカ屋って知ってるかい?」

 その問いに、私の思考は簡単にメジロに操作された。彼女はスマホの画面を見せてくる。そこには『アシカ屋発見した!』という短いつぶやきが。

「電動自転車を改造して、カゴにエアコンを乗っけてるの。冷たい風を売ってくれるんだって」

「それがどうして『アシカ屋』なの?」

「そこまでは知らんけど」

 メジロはやる気のないゼリーみたいに、くてっと机に寝転んだ。

 話題をふってきたくせになんと適当な。

「待て、電動自転車って言った?」

 私は嫌な予感を巡らせた。


 ***


 詳しく聞けば、アシカ屋は冷風を売るという奇妙な商売をしており、電動自転車で街から街へと住み着くという。その電動自転車を漕げば、カゴに搭載とうさいしたエアコンに電力が行き渡り、冷風が流れるらしい。

 いまや夏は季節の半分を占めている。自家発電エアコンという画期的な家電は、これからの時代に欠かせないものになるんだろう。

 そんなことを考えながら電動自転車に乗って自宅まで帰っていると、踏切ふみきりの向こう側に横長い家電みたいなものを発見した。会いたいと思ったら、向こうからやってくる。それは子供の頃から持つ、私の強運がなせる技である。

 そのエアコンは、確かに自転車のカゴに乗っけられていた。あれでは道の半分が占領せんりょうされてしまう。そして、このエアコンを動かす人物を見た。

 姿形は二十代前半くらいの、つり目が怪しくも不思議な魅力がある、両目尻にあるほくろがチャームポイントだと誰もがそう言うだろう小柄なお姉さんだった。

 カンカンカンと遮断機が上がっていき、私たちをへだてるものはエアコンだけとなる。私は自転車から降りた。すると、彼女もまたがっていた自転車から降りた。

「アシカ屋さん、ですか」

 訊くと、彼女は口の端と目尻を丁寧につり上げた。

「君は丸福柴雄の妹だね」

 線路の真ん中。私は緊張のあまり、目をパチパチ瞬かせてアシカ屋さんを見つめた。

 やはり、彼女は柴雄のことを知っている。私の直感は正しい。緊張で倒れそうだったけれど、彼女が垂れ流す冷風が爽やかで、あまりの快適さにその場から動けなくなってしまう。

「丸福柴雄によろしく言っといてちょうだいね。君はタダでエアコン使わせてあげるから」

「はぁ」

 アシカ屋さんと柴雄は一体どんな関係なんだろう。恋人? いやいや。あいつのいまのお気入り彼女はペンチだ。もういっそのこと右手をペンチに変えてはどうだろうかと何度言ったことか。

 そうこうしているうちに、アシカ屋さんは自転車にまたがった。そして、線路を越えていく。チャリンと、耳につけたアシカのイヤリングが揺らめいた。

 冷たい風が私の全身を包み込み、流れていく。その冷たさが恋しくなってしまう頃には、彼女の姿は忽然こつぜんと消えていた。


 ***


 アシカ屋に出会ってから、私はつじを三度通り過ぎた。坂道を登るのも下るのも電動自転車なら楽チンだし、安全なのだがどうにも釈然しゃくぜんとしない。もうすぐ例のアサガオ公園を目前にしたところで、のっそりと屋台車が道をふさいだ。

 ぼてっとふかしたお芋のような男の人が屋台車を押している。その後ろを子供たちがついていく。

 なんだろう。新手のハーメルンか。それなら一刻も早く子供たちを安全な場所へ避難させる必要がある。私は電動自転車から降りて「ちょっと待ちなさい!」と果敢かかんに声をかけた。

 すると、蒸したお芋がこちらを見た。道のど真ん中で屋台車を停止させ、せかせかと屋台の準備を始める。

 いや、待って。待ちなさいと言ったけれどそこで商売を始めないでほしいのですが。

「おじょうさんもどうですか。一冊、千円で本を貸しますよ」

 やきもきしていると、怪しげなお芋が言った。このお芋、正面から見ると土偶どぐうみたいな格好だった。白いTシャツの袖をめくり上げ、ステテコの上から前掛けを巻いている。私はお芋ではなく、彼を「土偶」と呼ぶことにした。

「一冊千円って、ぼったくりもいいところよ」

 差し出されたのは、およそ本とは言い難い古びた大学ノートだった。これを、子供たちはこぞって借りたがっているようで、この土偶に「続きちょうだい!」と手を差し出している。手には千円を持って。子供からお金をふんだくるなんて、なんという詐欺さぎ商売。

「そのノート、何が書いてあるの?」

「なんでも書いてますよ。丸福柴雄の計画とか」

「え?」

 これまた突拍子もなく脈絡みゃくらくもない、そして聞き捨てならない言葉を拾ってしまった。これには面食らい、私はいとも簡単に土偶から目が離せなくなった。

「わたくし、移動式児童図書館の店長です。丸福柴雄さんにはいつもお世話になっております」

 そう言って、土偶はうやうやしくお辞儀した。

「ここには、知りたいことが全部書いてあります。この時期、子供たちが欲しがるのは宿題の答案ですね。あとは読書感想文。これを丸写ししなくちゃいけないから」

「なるほど。いや、分かりたくないのだけど、要するになんでも書いてある本を売っているわけね」

 よくもまぁ警察に捕まらないものだ。しかも、なんでも知っているとは極めて不気味。丸福柴雄の計画書が千円で手に入るなら安いものだけど、でも、私の中の何かが食い止めようとしている。

 土偶がノートをぐいぐい近づけてくるけれど、私はかなり迷った。

「どうしますか」

「………」

「これさえ手に入れれば、丸福柴雄の計画を阻止することはできますよ」

「………」

「いいんですか。こんなチャンス、滅多にないですよ」

「………」

 これを手にしたら、柴雄の計画はすべて「おじゃん」になるんだろうか。私があいつを知る機会はもうこれから先、一度もないのでは。兄の生態を調べるのに、千円をドブに捨ててもいいのか。などとあれこれ考えていると、

「時間切れ」

 やがて、土偶は屋台をすっかり片付けてしまい、子供たちの姿も消えていた。


 ***


 相変わらず、公園にはトランプの名古屋城が建っている。その城から、ゆるゆるなシャツとハーフパンツの男が現れた。柴雄である。

「じゃあなー」

 そう言って柴雄は門を開け放ち、腰をかがめてくぐり抜け、公園に出てくる。私はそれをじっとりとした目つきで見やっていた。

「あれ? 何してんの、こんなとこで」

 私に気づいた柴雄がにこやかに言った。


【三・丸福兄妹の歴史】

 昔、家族で海に出かけたとき、柴雄は海に入らず、炎天下の砂浜で黙々と一心不乱に城を建設していた。かわら一枚一枚丁寧に掘り進めていく様は、父さんいわく「職人だった」と。私は小さすぎて覚えていない。でも、時々話題に上がるので、なんとなく知ってる。

 そういえば、中学も高校も自由研究という分野がないにも関わらず、毎年何かを作っては学校に寄贈きぞうしていたらしい。そのうちの一つがアイスの自販機、だろうか。

「ねぇ、」

 私は家に入る前に、兄の顔をまっすぐに見つめて改めて訊いた。

「計画ってなに?」

「だから、それは秘密だってば」

 私を押しのけて玄関を開けようとする柴雄。私は逃すまいと、柴雄のズボンの尻ポケットに手を突っ込んだ。

「おい、こら、やめろって」

「私、今日一日、意味不明だったんだから。アシカ屋に会うし、土偶に会うし。おまけに公園の城! あれはなんなの?」

 ビシッと勢いよく指をさす。その先にあるトランプの名古屋城は夕日が反射している。逆光が柴雄の顔色を隠してしまい、私はなんだか不気味に思えた。家族なのに、得体のしれないなにかに思えて仕方ない。

「秘密だよ。秘密。おまえには教えない」

「なんで!」

「だって、教えたら怖がるもん」

「怖いことするの? やめてよ、絶対だめだよ!」

「あははは。大丈夫だって。おまえは安全なとこにいる。心配いらないよ」

 だめだ。まるで会話にならない。

 柴雄は私の手をスルリとすり抜けていった。そして、無情にもさっさと家の中へ引っ込んでしまう。

 そのとき、私は「外へ出るときは窓からなのに、帰るときはちゃんと玄関からなんだなぁ」なんて、のんきなことを考えてしまった。


 ***


 今日も夜まで絶好調に気温は三十七度。アイスを食べてさっぱりしよう。

 私は冷凍庫からアイスキャンディーを取り出して、自室にもぐることにした。そのとき、やっぱり柴雄のドアが気になってしまう。

 あいつは街の怪人かいじんたちと結託けったくして、一体全体なにをしようというのか。その答えは、やっぱりドアの向こうに隠されているんだろう。

 そっとノブに手をかける。取っ手をつかんで押して、ドアを細く開けてみる。そのとき、なんだか総毛立そうけだった。一階のリビングよりも冷え冷えの風になでられ、ブルンと震える。

 やばい。

 昔からどうしても苦手だった。それはなぜか。

 怖い夢を見たからではなく、体験したからだ。

 瞬間、私は思い出した。精密機械のジャングル、深海のように真っ暗な――あれは確か――

「また遭難そうなんするぞ」

 背後から声が聞こえた。それはのんびりと柔らかい。いつになく穏やかで無害そうな言い方なのに、私は振り返ることができなかった。

 そうだ。私は、柴雄の部屋で遭難したことがある。

「一回、煙突に入って怖い思いしただろ」

 ため息交じりにそう言って、柴雄は部屋のドアを冷たく閉めた。

 煙突――そうだ、煙突。一階にある暖炉から上は煙突で、それは明らかに柴雄の部屋を経由している。まさか、あの煙突は柴雄がつくったのだろうか。

 うーん、だめだ。家のことなのに全然わからない。私の家なのに、柴雄が勝手に改造するから細かいところまでは把握はあくできない。

 もしかすると、私はまだ煙突の中で遭難したままなんじゃないか。この現実自体が夢なんじゃないか。そんな妄想もうそうにとりかれる。

 頭を抱えていると、柴雄が言った。

「そういえば、アシカ屋に会ったって言ってたな。あいつ、おれ駄作ださくを勝手に使ってるんだよな。土偶もそう。なんでか、みんな勝手に使いたがるんだよ」

 それから柴雄は「ふふふ」と楽しそうに笑い、一階へ降りていった。


 ***


 丸福柴雄は例えるなら豆柴であり、誰も彼もが人畜じんちく無害な好青年と言う。ご近所のエアコンを直したり、適当になにかつくっては放置し、怪人たちに好き勝手使われてあがめられている。無類の工具好きで、右腕をペンチにしたらと言いたくなるくらい二人は親密な関係をきずいている。

 そんな兄の部屋には、この世の深淵とも言うべき煙突がある。

 ある日、部屋のドアに貼られた紙は、別のものに変わっていた。

『計画、終わりました』と。

 結局、どんな計画だったのかは謎である。丸福柴雄の計画……私はこの謎を解くべく、今日も兄の部屋の前で考察する。



【第二夜 日出台の怪人たちへ続く】

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