第六夜 ゾンビたちの憩い③

 彼女はネギがたっぷりのつゆだく牛丼、並盛りを頼んだ。

 俺は大盛りと味噌汁のセットを頼んだ。

「そういえば、あれから怪人たちとはどんな感じですか?」

 明るい店内で、疲労困憊こんぱいのサラリーマン客もそこそこいる空間で、彼女は朗らかに訊いてきた。俺は、飲んでいた水を吹き出しそうになった。

「怪人って」

「だって、そうでしょ?」

 鳥飼さんは天然なのだろうか。キョトンとした目が真剣そのものである。

「至って普通です。愉快な仲間は増えましたけど……さっき話した後輩も、怪人の仲間かもしれないし、変な店長と仲がいいしで、まぁそれなりに楽しいかもです」

 なんだか妙な言い方になってしまった。俺のその認めたくないのに認めてしまっているような口調がツボだったのか、鳥飼さんはくすくすと笑った。笑ってもらえるだけで安心する。いくらか調子も戻ってきたかもしれない。

「そういえば、魔女もいるそうですよ。深見さんに教えてもらったコンビニで会えるって噂なんですけど……あの店に入り浸っても、全然会えなくて。それに、深見さんに頼んでおいた『ふぁんとむ堺』の情報もまだだし」

「そういえば、深見さんと親しいんですね……いいなぁ。私とは連絡とってくれないのに」

「だって、連絡先知らないですし」

「名刺渡したじゃないですか。この前も、すれ違った時にそっけなかったですし」

 痛いところを突かれてしまい、笑顔が固まる。だが、すかさず俺もツッコミを入れた。

「あの名刺、勤務先のアドレスしか載ってませんよ」

「あっ、そうでした……」

 鳥飼さんは頭を抱えた。やっぱり天然なのかもしれない。

 そうこうしているうちに牛丼が運ばれてきた。この速さに、鳥飼さんはびっくりしていた。一人では来られないと言っていたから、牛丼屋のシステムがよく分かってないようだし。普段はどんな店でご飯を食べているんだろう。

 しかし、そんなことを聞く前に、丼の中身は半分以上減っていく。彼女はやはり食事中はしゃべらないタイプらしく、黙々と美味しそうに牛丼を頬張っていく。

 あっという間にたいらげてしまったので、彼女が食べ終わるまで待つことにする。

「あ、喜多屋さん、食べるの早い」

「ゆっくりでいいですよ」

「はいぃ……」

 鳥飼さんは恥ずかしそうに目を瞑って、丼をかきこんだ。そんな横顔を見ているのがなんだか面白く、急いで食べようとする彼女に余計な茶々を入れたくなる。

「普段はどんなところでご飯食べるんですか? おしゃれなカフェレストランでランチとか? それとも食堂があるのかな」

「喜多屋さん、私に対するイメージ、お嬢様じゃないですか? 全然そんなじゃないですよ。普通にコンビニで済ませてます」

 至って真面目に答えられてしまった。食べる手を止める彼女の隙を突いて、また話かけてみる。

「鳥飼さん、本当にコンビニが好きなんですね。あ、じゃあ、あそこはどうです? サンマートって年季の入ったコンビニがあるんですけど」

「サンマート……あの、真ん前にある『every』になら行ったことはありますけど」

「あ、じゃあ、サンマート行ってみてください。あそこ、美味い酒が置いてあるんですよ」

「噂の魔女さんに会えるお店、ですか……美味しいお酒もあるって、なんだか本当に魔女の隠れ家みたいですね」

 完全に食べる手を止めて、鳥飼さんも調子よく答えた。一旦話が弾むと、よくしゃべってくれるから楽しい。

「魔女の隠れ家って、面白い表現だなぁ」

「そうですか? でも、そう考えてみれば面白そうだなって思います。ぜひ行ってみたいです」

「やる気のない中年店長がやってるんだけど、なんだったら一緒に行ってみます?」

「はい!」

 顔をパアッと綻ばせる鳥飼さん。その笑顔が、あどけない少女のようだった。もともと小動物のような童顔だが、そんな風に純真無垢そうな顔をされると、ドキッとしてしまう。

「……じゃあ、早く食べて。あの店、突然閉まるから」

「あ、はい。頑張ります」

 そう言って、鳥飼さんは勢いこんでネギつゆだく牛丼をかきこんだ。


 自然と誘うことができてしまった。でも、行き先がまさかサンマートになるとは思わなかった。店長が奥さんに逃げられ、市田くんが彼女に絞めあげられていた不吉さ漂うコンビニである。よくよく考えてみれば、二人で行くというのはあまり良くないかもしれない。それに、あの三叉路公園で見た土偶も脳内にこびりついている。

 目的地に近づけば近づくほど、牛丼屋での熱が冷めてしまい、またそんな場所に彼女を連れていくのは気が引けていく。しかし、鳥飼さんは終始ワクワクとした面持ちでいるので、俺の気まずさなど全然伝わってないようだった。

 静かな住宅街を抜ける頃には、すでに日が落ちていた。

 現在、十九時半頃。あ、まずい。店長、もう店閉めるかもしれない……と、思ったと同時だった。

「あら……」

 鳥飼さんが残念そうに呟いた。

 予想通り、今日のサンマートはシャッターが降りていた。

「おいおい、嘘だろ、店長。俺の顔を見てないくせに、もう閉めたのかよ!」

 彼女の落胆も相まって、俺はシャッターを軽く叩いて抗議した。すると、鳥飼さんが肩を揺らして笑った。

「ふふふっ。喜多屋さん、ここの店長さんとそんなに親しいんですね」

「何かとほぼ毎日通ってますからね……酒を買う時はいつもここです。あー、ちくしょう。せっかく鳥飼さんが来てくれたのに」

 おどけたように言えば、鳥飼さんは両手で口元を覆って前のめりに笑った。

「まぁまぁ。また明るい時間帯に来ましょう。そのためにも連絡先を教えてください。今度は待ち合わせて、ね?」

 爛々と光る背後のコンビニの明かりを浴びて、鳥飼さんは茶目っ気たっぷりに笑って言った。スマートフォンを出してくるので、俺も慌ててポケットからスマートフォンを出す。

 ピシャリと閉まった古いシャッターの前で、連絡先を交換する姿はかなりシュールだったに違いない。

 ともかく、今日はもうサンマートには入れないので、俺は鳥飼さんを自宅まで送ることにした。

「そういえば鳥飼さん、この前会った時、犬の散歩してましたね」

 前回、夕方の横断歩道で遭遇した際と同じ場所で思い出す。

「あぁ、はい。くまごろうさんっていうんです」

「くまごろうさん?」

 愛犬の名前だろうか。咄嗟に反応ができず、ただただおうむ返しになった。

「くまごろうさんって名前です」

 鳥飼さんは強い口調で言った。ネーミングセンスが愉快だな。どういう経緯でそんな名前になったんだろう。

「あれ、でもポメラニアンですよね?」

「ポメラニアンですよ。よく知ってますね」

「かわいい犬って、ダックスフントかポメラニアンだと思ってる口です」

「へぇ、喜多屋さん、犬好きなんですか? 興味あります? 私の周り、みんな猫派だから肩身が狭くて。ほら、志熊さんも猫好きですし」

「え? そうなんですか? 知らなかった……」

「志熊さんが好きなソシャゲ『よいいざ』の推しキャラが猫又らしいんですよ。だから、猫好きですね、あれは。完全に猫派ですね」

 急に饒舌に話だす鳥飼さん。その勢いに押され「人並みには好きです」だなんて思ってもないことを言ってしまう。でも、犬も猫もかわいいものだ。うん。猫に負けず劣らず犬だってかわいい。今日から犬派になろう。

 横断歩道がなかなか青にならないので、遠回りだが、なんとなく一緒に歩道から逸れて歩く。三叉路公園の前を通らずに済み、密かにホッと安堵したが、その脇には森のような緑が深い広場があった。

「あ、ここ、古墳があるんですよ」

 鳥飼さんが教えてくれる。日常会話で「古墳がある」だなんてそうそう聞かないので、思わず噴き出した。

 フェンスで囲まれた森の外を沿って歩いていけば、入り口付近に立派な石碑のようなものがあり、階段が続いている。森の緑と蛍光灯がドッキングした結果、不気味なおどろおどろしさを放っていた。

 俺は目を凝らし、石に書いてある公園名を読んだ。

「すみれヶ丘公園……へぇ、ここ、公園なんだ」

 入り口から続く階段の向こうには、ベンチがある。あまり公園っぽくない場所だが、公園と名乗っている以上は公園なのだろう。

 そんなファンシーそうな名前と見た目がマッチしない公園から、何やらうめき声らしきものが聴こえてきた。ベンチから人影も見える。

「なんでしょうね?」

 鳥飼さんが階段を上がりかけた。その手を咄嗟に掴む。

「待って。なんか変な人がいたらどうするの?」

 引き留めると、彼女は振り返って目を瞬かせた。

「でも、さっき聞こえませんでした? うめき声みたいなの。誰か倒れてるなら助けないと」

 まったくその通りだ。しかし、彼女に先陣を切って歩かせるわけにいかない。

「俺が先に行くから、鳥飼さんは後ろからついてきて」

 掴んでいた手首を離し、階段を上がった。鳥飼さんの控えめなヒールがコツコツと階段を鳴らす。

 上へ上がっていくにつれ、俺の心拍数も上がった。

 男のうめき声らしき音がどんどん近づいてくる。それはまるで、悲しみに打ちひしがれているような、熱にうかされているような、腹でも下したかのような。確実に体へのダメージを負っている様子ではあった。

 階段を上がって、ようやく状況が分かったと同時に、俺は目の前の光景に唖然とした。

 ベンチに寝転がる男が三人ほど。そして、その中心には黒いノースリーブのワンピースを着た女が一人。

「さぁ、まだ飲み足りないやつは、この魔法の薬を飲みなさい。楽になれるわ」

 そう言って、いくつもの小瓶を掲げて高笑いしている。これに群がるのは、ひどく酔い潰れたであろう男たち。さながら、それはゾンビである。この場所が古墳であることも含め、なおさらそう思わずにはいられない。

 ベロベロのゾンビたちがろれつの回らない口で何やら言い出す。

「富野課長、まだ飲むんですか……もう勘弁してくださいよぉ」

「何を言ってるんだ、末本すえもとくん。まだだ。まだ飲むぞ。平気だって、明日は休みだ。こんなチャンス滅多にないんだぞ」

「そうですけれども……」

「おい、末本。逃げるのかー? どうせここに来たら逃げられねぇんだ。大人しく酒に飲まれろ」

「くそ、この酒飲みゾンビどもめ! アルハラで訴えられても文句言えねーからな!」

「お、言ったな、末本」

「はいはい、静かにおし! 慌てなくても酒ならある。ちゃーんと均等に分けてあげるから、喧嘩しちゃダメよ。んふふふっ」

 ゾンビたちの前に立つ黒いワンピースの女。緑色の光に照らされて、ぬらりと艶かしい。ぐでんぐでんに酔ったゾンビたちはどうやら上司と部下の間柄らしいことが伺えるが、この光景を見て唖然としない者はいないと思う。

 背後から俺の腕を掴まれて、俺は鳥飼さんの存在を思い出した。彼女も呆然と俺の脇からこの凄まじい景色に恐れおののいている。

 男たちの横には、禍々しい蛇がとぐろを巻いて威嚇するラベルが貼られた酒が置いてあった。ハブ酒だ。なんだっけ、沖縄の酒?

「ハブ酒……」

 鳥飼さんが両目を瞬かせ、たどたどしく言う。同じことを考えているに違いない。

 そうして立ち尽くす俺たちに、女が気づく。

「おや、君たちも飲んだくれなのかい?」

 やけに古風な話し方をする。老婆もかくやというほどに、達観した声音だった。いや、ただ単に酔っ払っているだけなのかもしれない。

「うめき声が聞こえたから様子を見に来たんです。助けないとと思って」

 俺の横から鳥飼さんが慌てて言う。

 すると、ベンチに座っていた女がスッと立ち上がった。彫りが深い顔立ち、妖艶で厚く濃い唇と目元、肌艶すべて完璧で、二十代と言われても納得できるが、三十代と言われても妥当かと思う。四十代とも五十代とも言われても頷けてしまうくらい、年齢不詳でミステリアスな空気を醸し出していた。

「ほほう。なるほどね。ここにもゾンビたちの救済をするボランティアがいたとは」

「ゾンビたちって……」

 べろんべろんな酔っ払いたちにさらに酒を飲まそうとしているのではないか。

 そう反論しかけた時、彼女は持っていた小瓶を男たちに渡した。手が付けられないゾンビたちが一様にその小瓶から何かを飲む。あーあ。度数が高いハブ酒なら、目が回るどころの騒ぎじゃないぞ。元気にはなるかもしれないけどさ。

 そう思っていると、それまで泥のように胡乱うろんな眼をしていたゾンビたちの瞳が急激に人間の光を取り戻した。

「……目が覚めたな」

 ずんぐりした富野課長が気まずそうに言う。

「あぁ、生まれ変わった気分です」

 細面の清田さんが冷静に言う。

「よかった。二人とも、元に戻って」

 ころころと丸っこい柴犬みたいな末本さんが、汗ばんだ顔で安堵する。

「ありがとうざいました、魔女さん。おかげで上司たちが元に戻りました」

 三人の中で一番若そうな末本さんがペコペコとお辞儀すると、黒ワンピースの女は妖艶に「んふふっ」と甲高く笑った。

「いいのよ、また困ったら呼んでちょうだいな」

「はい、ありがとうございます! ほら、帰りましょう、課長。清田さんも」

 そう言って末本さんは甲斐甲斐しく上司たちを引っ張って、古墳公園から降りて行った。

 ベンチに置き去りにされたハブ酒は、とても厳しい顔つきで三人の様子を見送っているが、俺と鳥飼さんは黒ワンピースの女に目が釘付けだった。

「まさか、あなたが魔女?」

 俺が問う。

 すると、彼女はなおも上機嫌に笑った。

「そんな風にも呼ばれているわぁ……この辺りはね、なぜだか異様に酔っ払いたちが集まりやすくて。ゲロ公園なんて言われるもんだから、地元民としては許せないわけで、こうして定期的に見張ってるのよ。で、苦いお茶を飲ませて、酔い覚ましさせてるの」

 彼女は優雅に微笑んだ。そして、スマートフォンを出して言う。

「それがいつしか、SNSでハッシュタグまでつけられるようになって……この地域じゃ、アシカ屋と同じくらい目撃情報がリアルタイムで呟かれちゃう」

「見てみて」と言われるまま、俺と鳥飼さんは彼女のスマートフォンを見た。

 確かにそこには「#ゲロ公園に集合」やら「#魔女の夜宴」やら書かれている。これらはどうやら、魔女を呼び出すための救難信号らしい。末本さんが呟いたのだろうか。

「あのおじさんたち、半期に一度の食事会だったんですって。社員旅行の代わりに社員食事会をやるそうね。どうやら、老舗料理店の人たちみたいで。ビンゴ大会でハブ酒が当たっちゃって、調子に乗って飲んだのね……そりゃ、ゾンビにもなるわよぉ」

 彼女は笑いながらハブ酒の瓶を手に取った。緑色の光に照らされた酒瓶の中で悠然と浸かっているハブが虚空を見つめている。度数は三十五度。想像がつかない未知な度数だ。

 隣にいる鳥飼さんが「あれ、泡盛で作ってあるんですよ」と小声で言うので、目が飛び出そうになった。

「それ、どうするんですか?」

 訊くと、魔女はキョトンとした。

「どうって、これはもう報酬みたいなものだし、あたしがもらうわ」

「勝手にもらっちゃっていいんですか?」

「何、君たちも飲みたいの?」

「いや、そういうわけじゃなく……」

 つーか、ハブ酒なんか飲めるわけないだろ! だって、蛇が入ってるもん! めちゃくちゃ怖いだろ!

 そんなツッコミができるはずもなく、俺はしどろもどろに後ずさった。

「まぁまぁ、そう言わずに。一杯だけでも飲んでみりゃ分かるわ。これ、結構おいしいの。大丈夫、ベロベロになったら助けてあげるから」

 語尾にハートマークでもつきそうな怪しげな言い方である。

「喜多屋さん、せっかくですし」

 鳥飼さんが一歩前に踏み出す。俺はその腕を慌てて掴んだ。

「鳥飼さん! 惑わされちゃダメです!」

「でも、お酒……」

「あんた、平日は飲まないって言ってたじゃないですか!」

「そうだけど……こんな機会滅多にないですし」

 鳥飼さんの目は爛々と光っていた。好奇心に満ち溢れている。

 この隠れ飲兵衛め!

「さぁさぁ、飲みましょ。あ、大丈夫よ。炭酸で割るから。あたし、持ってきてあるの。ちょっと溶けてるけど、氷もあるから」

 そう言って、魔女はカゴバッグから水を炭酸にするという便利なボトルを取り出した。

「うふふふ。ハブ酒があるって知って、すぐに引き返して持ってきたの。今夜はいい夜だわぁ」

 最初から飲む気じゃなければ、こんなに用意がいいわけがないということは分かっていた。

 ここにも深夜の公園で酒を飲む人種がいたとは。

 俺は呆れるやら、面白いやら、公園の真ん中で、ついつい声を上げて笑ってしまった。

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