第六夜 ゾンビたちの憩い

三埜瀬町、すみれヶ丘公園にて魔女の夜宴に参加する

第六夜 ゾンビたちの憩い①

 短い夏があっという間に過ぎ去っていくに見せかけて、そうじゃないことは最近になって気がついた。

 さすがにエアコン無しで生活するわけにはいかず、毎年毎年記録更新していく最高気温との戦いからは早々にリタイアさせていただき、設定温度もガンガンに下げていく有様だ。

 子供の頃は、川辺に行ってザリガニやサワガニを獲ったり、学校の中にある小さな藤園でトレーディングカードを交換したり、自転車でちょっと遠出して神社の林で冒険ごっこをしていた。

 何かと外へ出かけていたのに、それが今じゃこの体たらく。あの頃のたくましさや、能天気さ、走っても息切れしない元気で健康な体が少しでも戻ってこないかと切望する日々だ。

 あぁ、夏なんて嫌いだ。

 海やプールに出かけてはしゃぐ年齢でもなし。

 まず、相手がいない。友達も、多分増えたけど、自分から連絡するほどのものではないし、知っている連絡先で親交があると言えば、会社の人、吉田くん、市田くん、志熊さん、深見さん、店長くらいだ。あ、結構いるな。それでも、気軽に連絡できるのは市田くんと深見さんくらいだ。店長は返事が返ってこないから送っても意味がない。(そもそも、あの人はメールよりも電話派である)

 また、深見さんからの連絡と言えば、基本的には「ふぁんとむ堺」の情報共有くらいである。

【やっぱり見つかりませんねぇ。どうも、僕が聞いたのは、もう辞めちゃった人だったんで、連絡を取るのが難しくて】

 今、ここで終わっている。進展はない。

 日を追うごとに、深見さんの興味パラメーターが減退しているように思えるのは、俺の気のせいではないだろう。それでも彼とは、たまに近所のスーパーで会ったり、サンマートで出くわして近況報告や立ち話する程度の仲になった。主婦か。

 ちなみに、エアコン怪人こと佐原さんとその弟分、柴雄くんとは連絡を取らずともちょくちょく会うし、毎週金曜日に飲み屋街をはしごしていることを知った。公園で泥酔している姿を何度か目撃し、絡まれないように引き返すも、大体は捕まってしまうことが常だった。

 そんな華のない生活がしばらくダラダラ続いている。

 酒を飲むようになったからか、若干腹回りが気になり始めたが、まぁ別にこのままでもいいじゃないかと開き直った。

 だって、夏は外に出たくない。仕事の移動もなるべく車か、近場でもバスを使いたくなる。

 今は盆休みで、俺はこれ幸いとばかりに家に引きこもっていた。実家は同じ市内にあるので、一旦帰ってすぐに戻ってきたのである。

 というのも、舞香と別れて初めての盆休みであり、両親は俺の顔を見るなり、ため息をついたのだ。そして母からは説教、父からは見合いを勧められる。これが親戚にまで伝わっていき、かなり居心地の悪い里帰りになってしまったので、逃げ出したというわけだ。

 ……母は舞香のことを気に入っていた。

 結婚をするつもりでいたから、付き合って三年目に初めて会わせたのだが、それから母は舞香にべったりで、連絡先も交換していた。息子のことなんざお構いなしで、舞香だけを家に呼ぶことも多々あり、それが嫌でわざと遠ざけたりしたけど……それを思い出せば申し訳なくなって、説教されても何も言い返すことができなかった。

 父も多くは語らないが、俺に期待していたんだろう。舞香と別れた後すぐ、知り合いの女の子を紹介しようとしてたところ、かなり期待していたのだ。どれも飲み屋の名刺だったけどな。あのムッツリスケベ親父め。

 あー、ダメだ。思い出したら腹が立ってきた。

 大体、妹がいるんだし、いいじゃないかとも思う。妹の方は順調みたいだし、結婚も間近だろう。孫の顔が見たけりゃ、そっちに期待することだ。

 そんな感じで不貞腐れているわけだが……一人でいると、こういう余計なことを考えるようになった。今まで頭の片隅でふわふわさせていたものが、如実に形になって俺を責めてくる。

 そして、ふとした時に思い出すのだ。

 ──時間がないぞ。あんたの時間、最近早まってきてやしないかい。

 あの不気味な怪人に言われた言葉を。

 時間が早まっているとはなんなんだろう。意味が分からん。

 だが、考えても分からんものは分からん。

 こういう時は、同じ怪人に聞いたほうが早いかもしれない。

「よし、夜まで寝よう」

 俺は布団の中に身を投げた。やりかけのゲームは一旦セーブして、時を止める。

 そしてウトウトとうたた寝する。

 夜、目が覚めたら外に出て酒を買いに行く。ぶらぶら歩いてたら誰かしら怪人に出くわすだろう──なんて考えるようになったほど、俺の思考はかなりこの町の深い毒にズブズブと侵食されていた。


 しかし、うたた寝はすぐに終わった。目が急激に覚めるも、まだ外は茜色にもなっていないし、水色と金色のコントラストが美しかった。

 十七時。時間の進みがバグっているんじゃないかと思う。

 何が「時間が早まっている」だ。遅くなってるの間違いじゃないのか。いや、そりゃ夏だから明るい時間が長いけどもさ。

 まぁいいや。夕飯と酒を買いに行かねば。

 Tシャツとパンツだけだったので、その辺に放置していた七分丈のズボンを引っ張り出す。寝癖を直す。髭はいいや。面倒だ。前髪の頑固な分け目にイライラしながら、そろそろまた美容院に行こうかと思う。

 適当に支度をして、鍵と財布、スマホだけをポケットに入れて外に出た。

 昼の熱がまだ残っていて、すぐに汗ばんでくる。しかし、いくらか風もあって、強い冷房とは違う生暖かさがまとわりついてきた。鬱陶しい。

 俺の足は自然とサンマートへ向いていた。あの梅雨のしょっぱい日から、酒を買いに行くにはサンマートを利用するようになっていた。

 店長がオススメしてくれる酒はどれも絶品で、美味いつまみも教えてくれる。酒の話だけはやたら饒舌じょうぜつに語ってくれ、それはまるで水を得た魚のようにピチピチと活きがよくなる。

 ただ、それ以外はてんでやる気がなく、相変わらず二人の子供を店で放牧しながらのんびりと仕事していた。

 そんなだから、あの店は長居しても罪悪感がない。たまに、怪しげな外国人とも親しげに喋っている店長の姿を目撃したことがある。きっと、彼らもあのダメなおっさんに懐いているのだ。

 そんなことを思い出しながら、俺はわざわざ三叉路さんさろを回り込んでサンマートへ通った。なんとなく、公園を突っ切る気になれずにいた。

「こんにちはー」

「よう、喜多屋。盆休みだってのに暇なのか? 今日も相変わらずのダメっぷりだなぁ」

「店長には言われたくないです」

 しかも、ダメだと決めつけるな。失礼だろ。

 店長は「くわっ」と猫みたいにあくびをし、読んでいた新聞(売り物)を折りたたんだ。

 俺はきっと、この店に来るようになってから自堕落になってしまったのかもしれない。店長のだらけぶりを見ると、俺も「このままでいっか」と思えてしまう。市田くんや莉央さんがバイト卒業しても通い詰める意味がなんとなく分かり、また行きつけの店というのが居心地よくて、吸い寄せられてしまうのだ。それはまるで、甘い樹液を求めるカブトムシのごとく。

 俺は缶チューハイとうずら卵の燻製、もち麦おにぎりをレジに置いた。

「あれ? なんか今日は控えめだな。どうした。食わんとバテるぞ」

 珍しく店長が心配してくれる。

「うちの貴重な収入源なのに、そんなことでどうするんだ。もっと食え。そして、俺の店に投資しろ」

「その言葉ですべてが台無しですよ」

 俺は愛想笑いもせずにピシャリとツッコミを入れた。でもまぁ、世話になってるわけだし、しょうがない。

 弁当コーナーに行き、適当な弁当を掴んでレジに置く。幕の内弁当、税込み五七〇円なり

「はい、ありがとーございまーす!」

 大してありがたくもなさそうな気だるげな声で店長が言った。すると、店の中で遊んでいた子供たち、双子の兄妹も父親の真似をして「ありあとざーまーす!」と気だるげに叫ぶ。俺は苦い気持ちで子供たちを見やり、財布から金を出した。

「……そう言えば、店長。奥さんはまだ帰ってこないんですか?」

 ここ二ヶ月通い詰めているが、店長の奥さんらしき人をいまだこの目で拝んでいない。

 そして、店長は常にワンオペ育児で疲れ果てている。たまに、店が空っぽな時があるのだが、その場合は夕方なら幼稚園からのお迎えか、子供たちの晩ごはんタイムであり、夜は夜で店を締めないまま母屋で寝かしつけに勤しんでいる。

「あぁ、うん。いや、一瞬帰ってきたんだけどよ、出張っつって出ていった。あははっ」

 店長は渇いた目で、無表情のまま笑った。

 不憫を通り越して不気味である。俺は背筋を震わせて、真顔で言った。

「子供たちも寂しいんじゃないですか? お母さんいないと」

「いや、別にいいんじゃね? 俺がいるし。あいつらは遊ばせときゃ、手はかからんし」

 俺の余計な世話に、店長はすかさず一刀両断した。しかし、その顔はやっぱり笑ってない。

 確かに、子供たちが寂しがっている様子はない。人様の家のことを外野がどうこう言うのは野暮だ。

 それに、店長は奥さんがどうして帰ってこないのかを絶対に話そうとはしなかった。いつもはぐらかされてしまう。一体、何がどうしてこんな別居状態に陥ってしまったのかはいまだ不明なままだ。

「まぁ、そのうち帰ってくんだろ」

「はぁ……なんか、すごいですね」

「何が?」

「いや……なんていうか……」

 よく信じていられるなぁ、って。そこまでは言えず。

 この俺の曖昧でぎこちない表情を読み取ったのか、店長はお釣りを渡しながら言った。

「いいんだよ。俺たちはこの生活が合ってるんだから」

 たっぷりの疲労と諦めと、わずかな優しさがある。

 心配は無用のようだが、店長の体調とメンタルは引き続き、様子を見ていこうと思った。


 買い物袋をぶら下げ、家路へと向かう。その頃にはが紅に染まっていた。

 あまりの酷暑に怖気づいていたセミが今さらになって鳴いている。

 ぬるい風を受け、とにかく急いで家に帰る。自然と早足になり、横断歩道にくると気が逸る。赤信号。車、通ってないし、さっと渡っていいかな……そう考えていると、向かい側に人がいた。若い女性が犬の散歩をしている。こうなると、青になるまで待つしかない。

 その間、目線は犬にしかいかない。

 犬、かわいいな。ポメラニアンかな。小型のふわふわした犬。このクソ暑い中でモフモフするのは勘弁だが、動物で癒やされるのもいいなぁとちょっと思う。

 信号が青になったので、すぐに目を逸らした。

 よし、さっさと帰ってさっさと酒を飲もう。

 犬を連れた女性も歩き出す。なんとなく、すれ違い様に犬だけ見ていると、女性が「あっ」と言った。俺も「えっ」と顔を上げる。

 なんと、見覚えのある顔だった。

鳥飼とりかいさん?」

「あ、やっぱり喜多屋さんだった。お久しぶりです」

 彼女は朗らかに言い、着ているラフなパーカーとスキニーパンツ姿でいるのを若干、恥ずかしそうにする。

 俺も自分の格好に恥ずかしくなる。横断歩道の中間で立ち止まっているのもなんなので、互いの進行方向へ進む。が、なぜか後ろ髪を引かれてしまい、歩道を渡ってからも振り返ってしまった。すると、彼女の方も振り返った。

 この辺でいつも散歩しているんだろうか。全然知らなかった。もう何ヶ月会ってないんだっけ。って、いや、別に彼女とはなんでもない仲だし。もう会うこともないんだろうなぁと思ってたし、まさかこんなところで偶然ばったり出くわすとは思ってなかったし。

 ……なんで動揺してるんだろう。

 とにかくまず、このダメな格好をなんとかしなければならない。また彼女とばったり出くわした時に適当な格好でいるのは死ぬほどダサい。

 俺はそそくさとその場から退散した。

 そして、家に帰って弁当を食い、明日から始まる仕事のことを考えつつも、もう一つの決意をする。

 生活を見直そう。このダメな生活から脱してやる。

 その原動力がなんなのかは、よく分かってはいなかった。

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