異文化交流

 日記によればそれは高3にあがる春休みのことで、料理教室で起きた一連について「そりゃそうだろうよ」と結んでいる。


 区報の募集欄に「本格セネガル料理体験教室」というのを見つけた。区の施設を利用した異文化交流イベントで、参加費は材料代の1,000円のみ。面白半分で応募はがきを送ったところ、後日当選通知が来た。

 行ってまず後悔したのは、参加者のほとんどが主婦だったことだ。高校生が、しかも男の子がウロチョロするような場所ではなかった。エプロンの締め方など小学校以来というザマだったが、礼儀正しく振舞うことで場に溶け込んでいった。


 主催者は30代の女性だった。「今日は旦那のふるさとセネガルに伝わるおふくろの味”ヤッサ・プレ”を作ります」。そういうことらしい。

 「旦那はセネガル人のお友達を連れてくるのでちょっと遅れてきまーす」。ドレッドヘアを束ねた主催者は間延びした声で全員を見渡した。

 1チーム3、4人に振り分けられた。はっきりと覚えているのは、少し紫の入った金縁メガネをかけたマダムのことで、他は思い出せない。とにかくこのマダムが後に重要な役割を担ってくる。



 レシピは至ってシンプルだ。適当な大きさに切った鶏もも肉を、スライスした玉ねぎ、すりおろしたニンニク、レモンのしぼり汁などとマリネし、塩コショウやコンソメなどで味を整えながら煮込む。カレーのようにご飯の横に添えたら召し上がれ。さわやかなレモンとブラックペッパーのアクセントがいい仕事をしている。



 さて、テーブルに人数分の皿が並んだ。ところが、迷子になった旦那様ご一行からの電話を受け、主催の彼女は「どうぞ先に食べていてくださーい」と伝えると、まったくもう!と悪たれをつきながら出かけていった。

 「じゃ、食べましょっか!」。バンダナを外した主婦が手を伸ばした瞬間、金縁メガネのマダムが待ったをかけた。「…これさぁ、向こうの国じゃ手で食べるんじゃないかしら?」。

 親指、人差し指、中指の三指を使って食べる食指文化の分布は広い。東南アジアからインド、中東、そしてアフリカに至る地域の普通であり、世界の45%と聞くとその多さを実感する。ヨーロッパとて17世紀にパスタ用フォークが発明されるまでは手づかみであり、織田信長の時代に来日したルイス・フロイスも「日本人はヨーロッパと異なり、箸を使って食べている」と驚きを記している。



 金縁メガネのマダムの疑問に対し、”たしかにねぇ”という声があちこちからあがった。もちろん料理がメインではあるが、一応異文化理解をかかげて集まったのだ。セネガル風までやってみてこその今日の午後だ。


 「アンタ、手でいってみなさいよ」。適当に頷いていたところ、完全にオフサイドをとられてしまった。マダムの真向かいに座ったのが運の尽きだった。

 しかしいざ手で食べるとなると心理的な抵抗は強い。薄ら笑いをうかべたマダムが目の前で腕を組んでいる状況からして、まるで”靴をお舐め”と言われているような敗北感すらあった。「…わかりました」。常にニコニコしているだけが取柄だった。多くが見守る中、先陣を切ってご飯とスープの中に指を突っ込んだ。


 結果、やけどを学んだ。「そりゃそうだろうよ。今さっきまで鍋の中でグツグツやっていたんだぜ!」。当時の日記にはこの時の憤りをそう綴っている。ただ後に舞台マジシャンとなるこの高校生は、主婦たちが腹を抱えて笑うのをどちらかというと喜んでおり、芸人としての素質をこの時すでに見せていた。

 何よりに衝撃だったのは、遅れてきたセネガル人たちである。その絢爛豪華な民族衣装で現れたご一行は、何の躊躇もなくスプーンで食べ始めたのである!。


 向こうではアツアツなど出てこない。10数年前に訪れたスリランカもそうだった。日本では怒られてしまうようなヌルさで運ばれてくる。「外も暑いし、料理は辛いし、その上料理まで熱かったら死んでしまいます」。ガイドたちが器用に米とおかずをこねて、三指以外をいっさい汚さずに食べているのを感心して眺めていたものだ。そう、煮え立った汁鍋に手を入れたら死んでしまう。一昔前の出川哲朗じゃないのだ。



 コロナ自粛2回目の連休が始まった。人が集まることそのものが否定されて久しいが、探せばこの連休中も様々な異文化交流が開催されている。

 TABICA(旧Tadaku)というサイトには、在日外国人が自宅でおこなう料理教室が紹介されている(https://tabica.jp/)。値段は5,000円以内のものから色々あり、参加者レビュー機能もあるため女性一人でも安心して検討できる。英語オンリーのものもあるが、去年の初めに川崎のエジプト人夫妻の自宅で地元料理を習ったが、それほどハードルの高いものではない。


 異文化交流は、遠い彼の地を体験するという側面ばかり強調されるが、巡って”自分自身を知る”ことに帰結する。自分ならこうするというところが出発点でいいのだ。その上でどこまで多様性を受け入れられるか測ればいい。連休初日。天気晴朗。しっかりとコロナ対策をして街に出かけてみるとしよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る