悪いのはS原くんじゃない
インド・アメリカを拠点とするGrand View Research社が昨年発表した市場報告によれば、世界の収集品市場は2030年までに4200億ドルまで膨れ上がり、今後ますます個人の趣味嗜好を満たすための消費動向が加速するとしている。
収集品とは、骨董や高級外車、e-bayなどで高額取引されるアニメフィギュアだけではない。駄菓子の袋の中に丁寧にラッピングされた子供向けシールなども含まれる。
コレクター癖はないほうだが、対象年齢6歳以上というおもちゃの出来栄えは実に精巧だ。100円玉を握りしめてガラガラとハンドルを回していた時代では考えられない額だが、コロコロと転がってくるカプセルの中できらめくフィギュアには、一体だれの手作業だろうと唸るディティールが施されている。
そういうガラクタを会社のデスクに陳列する感覚には同情できないが、思わず「もう一個」と小銭を漁りたくなる気持ちもわからないでもない。
あれは小学校4,5年生の頃だったが、当時男子たちの間では「ガンダムカードダス」というトレーディングカードが大いに流行っていた。たしか1枚20円だったが、中にはホログラム加工されたレアカードがあり、放課後ともなれば駄菓子屋や文房具屋の前にはいつものメンバーが集まり、ハンドルを回して出てきたカードに一喜一憂したものだった。
S原くんと同じクラスになったことはない。背も声も控えめな子だったが、はち切れんばかりの輪ゴムで止めた膨大なコレクションで、体格では得られなかった地位を確立している子がいた。やけに人情に厚い素振りを見せたかと思えば、豪農豪商のような鷹揚さで貧富の差を見せつけることも覚えているヤツだった。
私は彼のことも、また彼らが熱狂するトレーディングカードについても冷ややかなひねくれ者だったが、そんな彼に対する生理的嫌悪を確定させるニュースがある日流れてきた。
S原くんの膨大なコレクションは、親の財布から抜き取った金で賄われていたことが明るみになったのである。この寵児転落事件に素っ気ない反応しか示さなかった私のところにも次々と続報が舞い込んできた。
「――アイツ、カードダスに1万とか持ってくるんだぜ」
しかしその後、子供だった私には及ばない方向へと話しは発展していった。第一にその1万円の両替に応じた文房具屋の店主が大悪だという尖り方をしていったのである。
道理である。いくら商売とはいえ、1万円もの大金を突き出してきた少年に求められるまま全てを10円玉にしてやった対応には品が感じられない。昨日までS原内閣の大臣を気取っていた連中によれば、それは1度や2度ではなかったという。10円玉1000枚ともなれば店側にも準備がなければできないだろう。
この事件をきっかけに、保護者の間ではその文房具屋に対する不買運動が野火のごとく広がった。誰かが強烈なクレームを入れたのか、その後文具店の店先からカードダスの販売機は撤去された。しかしそれから2年近く経ったある日、私は重たく降ろしたシャッターに「売却地」の張り紙を見つけた。
すべてが、すべてが、すべてが悲しい。
残酷なもので、男子たちは文房具屋の前にたからなくなったのと同時に休み時間や放課後もS原くんの前から消えた。幸い深刻ないじめに発展するような学校ではなかったが、体格に恵まれなかった不遇を「それでも人気者になりたい」という気持ちに抗えなかっただけなのである。
家計を預かる財布をカバンから覗いた状態で置きっぱなしにしていた側にも非がないわけではない。しかし本来家の中だけで処理できたはずの息子の失敗はすでに商店街の辻角まで行き渡っており、「困っている子に自分の傘を差し出してカラカラと笑いながら帰っていった」という彼なりの美徳よりも顔になってしまった。そのことに彼の母親もどれほど心を痛めただろうか。
また当時の親たちが下した文房具屋への制裁も、連帯して商店街から駆逐するほどの正義と釣り合っていたかは疑問が残る。問題のカード販売機はすぐに撤去しており、やり直すチャンスを与えるという連帯に切り替わってもよかったのではないか。
仏教の教えに「少欲知足」という言葉がある。
後半だけ切り取り「足るを知る」という心の重石として語られるが、実は前半の「少欲」こそよく噛んで消化すべきである。欲をなくせとは述べていない。「少なくてよい」と言っている違いについて、特に大人は学ばなければならない。
欲がなければ経済は回らない。「無欲」と「無関心」の違いについて、たった今私も言葉を諦めた。たしかにこの世は悲しみに溢れているが、欲がなければ文藝もイリュージョンも罪作りでしかない。あの日ベッドで聞いた「もっと、もっと」にも氷水でもぶっかければよかったのか――。
たしかにこの世は朝刊の一面からして悲しい。おおむね富や権力の分散の話しか、個性主義の追求の話しばかりである。その結果起こった悲劇に際し、都合よくブッダの言葉を引用して引き締めようとすることもまた悲しみの粒である。
土曜の朝が明ける。東京地方は晴れ。最高気温は知らない。遠くには薄い雲がところどころ空の青さを濁している。
さて、今日は何を集めよう。やっぱり今日も悲しみのかけらの中に光る滑稽を探しに出かけてみようかしら。
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